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ボランティア

2019-05-29 20:00:32 | 日記
「私は、妻から、あなたとの結婚はボランティアだと言われている」と、細川護熙元総理が文藝春秋5月号での有働由美子さんとの対談の中で言っている。そもそも、ボランティアとは何だろうか。和訳すれば、善意の奉仕(手助け)だろうか。


戦前、戦中に、勤労奉仕という言葉があって、たとえば男子中学生が農家の仕事を手伝ったり、女学生が縫製工場でミシンを踏んだりしていた。それは善意からではなく、強制だった。奉仕だから無報酬である。悪い言葉にすれば、ただ働きである。戦争がそれを強制したことになる。

家人もボランティアに参加している。コーラスグループの一員として、老人ホームを慰問している。そして家においては、細川夫人同様、私へのボランティアがある。私は一切の家事ができない。15年ぐらい前までは、ちょっとした料理ができた。八宝菜、海老チリなんかが作れた。現在はやかんに湯を沸かすことすら不可能である。私ができるのは、家人が作る食事を食べ、家人が氷を入れてくれたグラスで水割りウィスキーを呑むことだけである。それに対して報酬を払うべく、株のマネーゲームで稼ごうと努力しているが、なかなか思うようにはならない。

結婚はボランティアと思っている女房(あるいは亭主)は少なくないのではないかと私は想像している。特に、高齢夫婦の間では、そういう偏りが出来てしまうのではないかと勝手に思っている。

白い巨塔

2019-05-29 19:54:15 | 日記
岡田准一さん主演のテレビドラマ『白い巨塔』を観ている。この山崎豊子作品がドラマ化されるのはこれが3度目だそうだ。最初の葉、出演者の顔ぶれがすごかった。田宮二郎(財前五郎)、太地喜和子(花森ケイ子)、中村伸郎(東教授)、曾我廼家明蝶(財前又一)、加藤 嘉(大河内教授)、小沢栄太郎(鵜飼医学部長)、山本 學(里見修二)、児玉清(関口弁護士)、以下、高橋長英、小松方正、中村珠緒、戸浦六宏、中島久之・・・といった面々がズラリと並ぶ。オールスターキャストである。2度目は、唐沢寿明さんが財前五郎役だった。

2度目にせよ、今回にせよ、どうしても田宮財前と比べられてしまう。岡田准一は美男子だし、財前役に合うけれど、田宮二郎のように長身でないからどうしても迫力が足りない。松重聡さんも小沢栄太郎のような老獪さがない・・・といったことになる。

名作ドラマのリメイクというのは難しいものなのだろうなぁと、つくづく思う。大河ドラマで言えば、昭和39年の『赤穂浪士』がある。忠臣蔵もあちこちで作られているが、やはり、大佛次郎原作がピカイチだ。特に堀田隼人と蜘蛛の陣十郎という架空の人物を付け加えたところが巧い。

何かにつけ、昔の話をするようになった。80歳を過ぎると、もう昔のことしか頭に浮かばないのかもしれない。テレビドラマのことだって、そんな風になってしまう。

ヤミ

2019-05-29 19:47:32 | 日記
女学生(いまの女子高校生)が同年代の男子学生のいる家に米を売りに来る。米は統制品であって、国の管理のもと、配給制度になっている。むろん、個人間の売買は許されていない。つまり女学生の行為は不法である。その不法で売買される米のことをヤミ米と言っていた。これが終戦まもないころに、石坂洋二郎さんが書いた小説『青い山脈』の冒頭の部分である。小説はまもなく映画化され、ヤミ米を売りに来る女性を杉葉子さんが演じた。つい先日、杉さんが亡くなった。90歳だった。

米の配給は不順だった。遅配が相次いだ。子供の腹を少しでも満たそうと、父親が汽車に乗って米を売ってくれる農家を探した。だが、帰りの汽車で警察の手入れを受けてしまう。父親は仕方なく、なけなしの金を払って手に入れた米を汽車の窓から線路の横の方に向かって投げ捨てた。逮捕を免れるためにそうするしかなかった。将に悲劇である。そんな時代があった。

終戦直後でも金持ちはいた。ほとんどがヤミで儲けた人達だった。もちろん米だけではない。中には進駐軍から手に入れた品を売る者もいた。食料品、衣料品、薬品など、ヤミ取引には高価なものもあった。端的に言えば、庶民はみんな貧乏だった。ヤミ成金が大きな顔をしていた。やがて東京・新橋にヤミ市なるものができる。表向きは違法でない品を売っているが、裏ではあれこれの怪しいものを売っていた。ヤミ市に行けばなんでもある、といった話が広まっていた。ヤミ市とは何だったのか。敗戦ニッポンにおける最初の自由経済の場だった。叔父が時々ヤミ市でサッカリンなる、透き通ったソウメンのように細いモノを買って来た。それを、湯に溶かすと甘い飲み物になった。それも美味かった。

5月26日

2019-05-29 19:41:26 | 日記
大相撲は、昨日、平幕の朝乃山の優勝が決まった。大関の豪栄道を破っての堂々たる12勝目だった。今日観戦に来るトランプ大統領から新品の大統領杯を受けるから、その前の、御嶽海戦はぜひとも勝っておきたい。

ボクちゃんがヴィヴィとリャンピンに会いに来る予定だったが、喉の調子が悪いとかで中止。リャンピンは今がかわいい盛りなので、残念。

昼食は、ネギとシャケを入れた玉子チャーハンで、これが旨い。昨日の昼はそうめんで、何度も同じ言葉を書くようだが、食欲の夏である。

日本ダービーは6・7・13の1頭は沈むと見て、10・12を絡めた3連複の5点買いをしたが、1着に来た1番は買えなかった。競馬の負けが続くので、重田名人に勝負カンに効くツボはないかと訊いたら、それがあったら自分で自分にそのツボを圧すと言われた。

とにかく暑い。この暑さの中、大変ご苦労なのは、トランプ氏をガードする警察の人たちだろう。しかも、昨日から3泊4日の長丁場だ。いや、警察の皆さんだけではない。安倍首相だって、ヘトヘトだろう。国賓のおもてなしはラクじゃない。

おとといは、腰痛のこともあるが、行く気になれないのでデイケアサロンを休んだ。この、行く気にならないというのが老化である。体調は朝の起床時にわかる。少々腰の痛みが重くても、ヤル気がある朝、元気がある朝も時々はある。今朝の血圧は133-85。

お守り

2019-05-25 18:19:59 | 日記
中学生の頃、学校の机は木製だった。ナイフで削った跡があり、いたずら書きのような文字もあった。それらは先輩達が遺したものである。その汚い板の端に、ヘイカムセンとエンピツで書いてあった。それだけは、私自身の筆跡だった。「へイカムセン?」「これ何だ?ヤボ」と何人かの同級生に訊かれたが、「いや、俺の前に使ったヤツが書いたんだろう」と知らぬふりをしていた。それほど大きな字でもなかった。また意味不明でもあるから、要するに、たいしたことではなかった。

ヘイカムセンは、平成、鎌倉、室町、戦国をあらわすものだった。4つの時代をあらわすものだった。それぐらい机に書かなくても記憶できるのではないかと、誰もが思うだろうし、私もそう思う。現にそれから70年すぎた現在でも憶えているのだ。ではなぜそんなものを机に書いていたのか。うまくは言えぬが、それはお守りだった。日本史のテストがある。私たちは所謂〇×式世代であって、テストも単純な設問が多かった。「次の文のカッコの中に当てはまるものをA表の仲から選んで記せ」といった問いがある。A表にはいくつもの歴史的出来事が並べてある。そのときに、役に立つのがヘイカムセンだった。設問文は定刻の文字があるから室町時代であるとわかる。つまり鎌倉の後であり、戦国の前である。と、それだけわかるとなんとなくこれは正答できるという自信のようなものが湧いて来る。すなわち、ヘイカムセンはお守りとなる。現在の小中学校の机は木製ではないだろう。そこに何かを書くことはできないだろう。また生徒たちの頭脳も私達の時代よりは研ぎ澄まされていると思う。お守りは不要、ヘイカムセンも不要であるだろう。