TOKIDOKI 日記

日々のなかで、「へぇ~」「ふぅ~ん」と思った、
私につながるステキなコトやモノ、そしてヒトたちの記録です。

森の温泉 石遊の湯

2009-06-17 | 写真日記

信州の森へ花を探しにいった帰り道の蓼科で、「石遊の湯」と書かれた看板が目にとまり、温泉に寄ってきました。看板の矢印にしたがって道を進むと、道はどんどん狭くなって、これでもかと奥の方へ続いています。舗装はされていますが、すれ違いにもやっかいな細い道で、少々不安になってきた頃、民家が何軒かある先の行き止まりに、「石遊(いしやす)の湯」がありました。

 

                           

「石遊の湯」は、森の中の温泉といったふうで、建物の手前を小川が流れ、その小川に架かる小橋を渡ると、男湯と女湯に分かれた小さな建物があります。こじんまりした温泉で、半露天の浴槽が二つ、その間に洗い場の小屋があるという、ちょっと変わった造りです。しかも、洗い場が独立した小屋になっているのは、寒い日のためのものでしょう。中には蛇口が4つしかないので、体を洗うには順番待ちです。 湯は鉱泉で、鉄分を含むため、岩風呂の表面は黒く錆がついています。八ヶ岳山麓の温泉は鉱泉が多く、唐沢鉱泉・赤岳鉱泉など、名前も湯にちなんだものが多いなと思いました。

 湯舟に浸かっていると、おばちゃんが「こんにちは」といって入ってきました。私も挨拶を交わし、そしていつもながらにインタビュー おばちゃんはこの温泉に週に何度か通っているそうで、自宅から30分ほどクルマを運転してくるのだそうです。お米屋さんを営んでいて、店はすでに息子さんの代になっていますが、いまでも手伝っているそうです。私は70歳くらいかなと思いましたが、今年で80歳になると聞いて、お若いのに驚きました。「80歳にはとても見えませんよ」といったら、おばちゃんは、そんな~と笑って手をふりましたが、いまも現役でお仕事なさっているからでしょうか、考え方も若く、溌剌としていらっしゃいます。

この温泉に通うきっかけとなったのは、重い米を扱う仕事柄、腕の痛みが激しくなり、どうしようもなくなってきたとき、富士見(クルマで20分くらいのところ)に住む86歳のかたが、骨髄炎で手術をしなければならなくなったとき、高齢で手術をするには不安があり、それではと、この温泉に毎日のように通い、2年ほどしたら病気がよくなったと聞いたからでした。そのかたは、いまではすっかりお元気になられたそうです。おばちゃんも、それからせっせとここへ通い、いまでは腕の痛みもすっかりなくなったということです。

お湯のパワーって、スゴイですね!

いまのように医学が発達するまえは、湯治が盛んに行われていました。
「天然温泉は病気には効かぬが、病人には効く」 といわれ、新鮮な源泉のみが含有する人間の治癒能力への刺激作用は並々ならぬものがあります。湯が治すのではなく、湯で治す。温泉の恵みを借りながら自らの治癒能力を活性化させて、もとの健康体を回復する。これが、湯治本来の意味なのですね。

病は気から、病気という字の成り立ちがそうであるように、病気に負けない治癒能力を高めるためにも、温泉を活用したいです。そして、温泉の効果を見事に実感できた話を、湯舟に浸かりながら聞けたのは大きな収穫でした。 目には見えない自然のパワーを体内に取りこむ、これは温泉ばかりでなく、自然に接することすべてから可能です。これからもできるだけ自然にふれ、温泉にも入って、自らの治癒能力を高めていきたい、そんなふうに思いました。

 

石遊の湯へ行く途中にあった池にはコウホネが咲き、  

                   

              近所の民家の庭には、マツムシソウオダマキが咲いていました。