風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

11-084狗賓童子の島

2016-08-25 15:49:57 | この道の先に

風の谷通信No.11-084

読書記録  狗賓童子の島(飯嶋和一作)

繰り返し読んでみた。時をまたいで区切り読みや通し読みを含めて全部で6回目だと思う。時代小説と言うには長くて、歴史小説と言うには短い感じの、それでも550ページの大作と言える。

時代背景として大塩の乱から明治維新までを縦糸とし、大阪・河内から隠岐の島まで含む地理や藩政や官吏に支配される民衆の生活を横糸とする。その中を、舞台回しとして大塩の乱に参与した父の責めに連座して15歳で隠岐に流された西村常太郎と種痘普及活動やコレラ防疫の活動などが描かれる。また添景として江州野洲川流域の大一揆や隠岐漁民の自律経済活動や、外国船の来訪とその艦載砲による長州・薩州の敗戦なども描かれる。

隠岐を支配する松江藩の場当たりな執政は幕末の混乱の中で無責任の極みに達し、遂には島民の反乱や分裂を招くに至る。時代小説の中ではごくありふれたテーマではあるが、そしてこの原作が2009~2012年に作られたにも関わらず、なんとも現在のこのクニの情勢に似通っているのが興味深い。幕末藩政の代官たちは何事にあれ松江のご意向ばかりを気にし、ご一新の掛け声を張り上げた明治政府の執政も混乱と無責任を絵に描いたような有様であった。結局は、政治に必要なカネを出す者たちのための政治が行われて、政治は特権付与された者たちと結託し、島民は「無理」の中に押し込められてゆく。執政達は維新の前後を問わず政治の無理・屁理屈を押し通すだけに過ぎない。下を向いて威張り散らし、上の御威光だけを気にしている現状は政治家や一部マスコミの姿そっくりである。

そして、民衆対代官という意味では、今日のアベ政権が沖縄・辺野古や高江で採っている行動がそっくり重なるのだ。国民・県民がどんなに訴えても全く考慮せず、すっとぼけた顔で強引に権力を揮っている。少なくとも民意が統一されていないという意味で、政権の行動は無理無体・我儘勝手・独断専行である。機動隊を動員して暴力で支配する様(サマ)も本作品と重なる。つまりは幕末と現代とはほとんど差がないと言えるのだ。

もう一つ興味深い話題がある。外国船の接近に慌てた松江藩・松平家が島の民衆を武装する。藩兵数十人を武装して送り込んだ上で、民衆を民兵に組織し訓練しようとする。その時の武具のひとつが竹槍である。鉄砲も大砲も外国船の装備には及ぶべくもないのに、民兵に竹槍を持たせて訓練する。お笑いである。なにがお笑いかというと、そっくりそのまま昭和20年になってもやったのだ。相手さんが1分間に何発発射できるかという自動小銃をやっきになって開発して実戦投入している時に、神国日本は竹槍戦術の本土決戦を本気で実践しようとしていたのだ。つまり、幕末から昭和までまるで進歩していなかったということだ。相手の事も知らないで。孫子の兵法はどこへいったのかね。それでよくもまあ、「日本不敗」なんて高言していたものだ。その戦争を、この平成時代になってもいまだに「聖戦」だと叫んでいる仲間もいる。お笑い草。私は皇統右派を自任していて、天皇皇后陛下を尊敬し、皇室を崇拝しているが、先の戦争を聖戦と呼ぶ気はないし、神国二ホンだとも思わない。まして、このクニタミが近辺諸国に比して優れた選良の民だとも思わない。

それにしても、6回も読んでなお「狗賓童子」とは何を指すのか理解できないし、550ページの作品をまとめるのは難しいなあ。