風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

11-077天皇制度を肯定する意味

2016-08-10 19:22:24 | この道の先に

風の谷通信No.11-077

このクニは水稲耕作民族の集団である。

古来クニタミはコメ・ヒエ・アワ・ムギ・マメ・クリ・キノコを食料とし、キヌ(蚕)・ワタ・カヤ(萱)・ナラ・クヌギ・カシ(樫)などを生活資材として利用して生きて来た。イノチを支えるコメにはその一粒一粒にカミの命が宿ると信じ、毎年の季節の廻りを先祖神の恵みと捉えて農作業を律してきた。生活はカミとともにあり、稲作の巡りは暦の巡りとなり、一巡するのが「年」であり、したがって「稔」も「年」と同じ意味に把握してきた。

この水稲栽培集団を指導し、生きながらえさせてきたのが集団のオサであり、その頂点が「天皇家」である。という訳で、このクニは天皇を中心とする社会である。産土の先祖崇拝と現生の弥栄を祈るのが天皇家の日常の務めであろう。現在の天皇の毎日は、世の平穏を祈り、クニタミの安寧を祈っておられることと理解している。タミは神への感謝を神楽で表してカミと共に踊り、神への感謝を表す。奉納の踊りと祈りが終わればカミと共に食して(なおらい)収穫を喜びあう。

 

イヤ、なんとも時代錯誤な文章になってしまうが、ざっと眺めてこんな感想を持っている。だから私の皇室崇拝は天孫説ではない。飛鳥の地にカミとタミが相祀ろったのがこのクニの素朴な姿である。大和民族が新撰民族だなどとは思わない。大和民族が殊更優秀であるとは思わない。ただ、日本式の生活感覚が並外れて優れていて、世界標準をはるかにしのいでいると信じている。

なんとも時代錯誤な複雑怪奇な天皇家崇拝思想といえるかも。その天皇家の有り方を検討する機会を憲法改正に利用しようとしている『不逞の輩』がいる。札幌の弁護士さんも同じ指摘をしておられる。卑怯なり。天皇崇拝に名を借りた『天皇の政治利用』である。今上天皇の優れた平和への希求心を踏みにじる行為である。