うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

1Q84(1) 

2011年10月16日 | 本と雑誌

言うまでもなく村上春樹最新の長編である。2009年のBook1、Boo2、翌年のBook3とも、発売と同時に購入して、1度だけしか読んでいなかった。この夏にもう一度最初から読み直してみた。

感想は、最初に読んだときと余り変わりがない。Book1の出だしのところはとても手慣れていて、技術的な完成度はとても高いなあ、という印象がまず強く感じられた。
かなり微妙な問題をテーマにしていて、下手な作家だと題材に負けてしまう恐れがある、んじゃないかと思うが(自分で小説を書いたことも、文学研究をしたこともないのでわからないけど)、そういう「高いハードル」を自ら設定して、それをクリアしようとした、ように思える。それはかなり成功している用にも思えるが、そういう、何というか技巧くさいところが不思議と強く感じられるのがこの小説の第一印象だ。

音楽などでも、技術的に完璧に演奏されたものが常に感動的かというと必ずしもそうではなく、むしろ多少欠点があっても不思議と感動が伝わってくる、という経験はよく聞く話だ。ただ、前者のばあい、最初は技術の完璧さに目を奪われているが、何度も聴いているうちに、今まで気がつかなかった表現に気がついて感動したり、ということもあるし、後者はわかりやすいけどすぐ飽きるという事もないではない。
1Q84も何度か読み返してみれば、また新鮮な感動が見えてくるのかな、と思ってみたが、2度読んだくらいではよくわからないのか、それともそういうものなのか、やはり印象に残るのは、書き方がうまいなあ、というところになってしまう。

なんだかけちをつけているような感じになったが、前半の話の運び方はさすがに上手で、どんどん読み進みたくなる。リトル・ピープルなどの不思議な世界も、違和感を感じずに受け止めることができる(おなじみの超現実の世界だけど、今回は一段と洗練されていて、正直なんだかさっぱりわからない。しかし、説得力があるというか、受け止めることはできる)。

Book2になると、広げた風呂敷をまとめようという気持ちが強く働いているのか、ちょっと世界が狭くなっている印象が強い。ネタバレにならない範囲でいうと、後半青豆が議論をするシーンは、もう少し何とかならなかったのかな、という気がする。とても大事なシーンなんだけどな。ただ、この青豆という人は、自己の中に矛盾を抱えているというか、多少分裂したものを持っている人で、後半老婦人との会話の中に、それが出てくるあたりの表現はうまいあな、と思った。
最後に近いところで、青豆が気を動転させるシーンがあるが、ここはBook1,2のなかでは一番成功していない表現だな、という気がした。どうも青豆の天吾への執着というか、愛情がぴんと来ないのだ。
全体の感想は次回、Book3について書いた後で。

















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