うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

夜道

2017年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

外気温計が1度とか、マイナス1度とかを表示している深夜の、車窓からの眺め。

こういうときは、自動車の恩恵を一番感じるときの一つでしょうね。車内は暖かく、列車や飛行機のように乗り換えたり乗るのを待ったりすることなく移動できる。日付が変わる時間帯、道も空いていてスムーズに移動できます。

商店街の明かりも落ちて、暗闇は一段と濃くなっています。

子供の頃、ほの暗い寝室の片隅でミニカーを片手に、机やタンスを街の商店街やビルになぞらえながら、自分が夜道を運転していく想像を巡らせていたことを思い出します。

暗闇のせいで、目に入る情報が少なくなってきているので、よけいおもちゃっぽいというか、お芝居の舞台装置っぽさが強調されているように思えます。

 

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図書カード

2017年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

名刺を整理するために、カードボックスを会社の子に頼んだ。大した枚数はないので、簡単なものでいい。以前はリフィル式の、写真アルバムみたいなやつを使っていたが、今回はカードボックス式にした。プラスチックの箱の中に、カードを並べる。50音順のインデックスがあるので、それに従って並べておく。小さいのでいいよ、といったが、文具カタログを見ると600枚収容というのがいちばん小さいほうらしい。

なんとなく図書カードみたいだな、という話をしたが、会社の子は図書カードというものを知らなかった。「開架図書っていうのが、普通に本棚においてある本でね、それ以外はカードを繰って読みたい本を探して、その番号を司書の人に渡すんだ。そうすると、奥のほうから持ってきてくれる。。今はどうやってるのかな。。。確かに真っ先にIT化できそうなジャンルだけどね。」

小さな引き出しが並んだ、胸の高さくらいまである、下駄箱か箪笥のような木製のカード収容ケースが、カウンターの前に並んでいましたよね、昔は。あれは、いつごろなくなったのかな?

図書館にはもう長いこと行っていない。6,7年前、しばらくぶりに行ってみたら、いつの間にか利用システムが変わり、従来の利用証が使えなくなっていた。利用には再度手続きが必要で、たしかネットで予約して指定日に取りに行く、ようなことが書いてあったかな。手続きしなおそうと思ったが、面倒になり以来行っていない。

10年以上前までは結構使っていたが、あの頃既にカードで探す、という方式はなくなっていたのかな。大手書店にあるような、コンピュータによる検索システムも見たことがあるが、打ち込みのデータ精度があまりよくなくて、使いにくかった記憶がある。いまはどうなのだろう。

カードと聞いて思い出すのは、いにしえの名著、梅棹忠雄氏の「知的生産の技術」だ。B6サイズのカード(京大式カード)に情報を書き込んで、研究や論文作成の際の整理に利用するというもの。考え方としては綴じ込みのノートよりはリフィルやルーズリーフ式のノートで、抜き差しをしたり並べ替えたりするという思想に近い。B6カードは厚手のもので、これは梅棹氏がフィールドワークなどに使う際の利便を考えたものだと聞いている。

「知的生産の技術」はとても面白かった。カードとカードケースを買ってきて、なんとか使いこなせないか、ということを90年代ぐらいまでやっていた。研究者でもないし、頭悪かったから結局使いこなせなかったなあ。

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1月

2017年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

とりあえず、とりあえずで昨年末からいろいろしのいでいますが、まあこのまま完全にもとには戻らないのでしょうね。

イルミネーションは相変わらずですが、クリスマスや正月の高揚感はすでになく、人々は襟を立てて足早に通り過ぎていきます。

少しずつ、手足を伸ばして自分の場所をみつけていこうかな、と。

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気づいたら先頭に立っていた日本経済

2017年01月18日 | 本と雑誌

吉崎達彦 新潮社2016

Kindleで読んだが、読み放題版ではなく、通常の個別購入をした。年始から読み始めたが、ちょうど移動時間が長くなったときだった。慣れない通勤路を、この本を読むことで実に楽しく過ごすことができた。

もともと遊民経済学というタイトルで、ウェブ上で連載されていたものだ。軽妙な筆致で定評のある吉崎氏のこと、遊民経済学というのはいかにも吉崎氏らしいテーマだ。

僕自身は野暮天で、賭け事はからっきし駄目だ。大昔、付き合いで馬券とかを買ったことはあったが、結局なにが面白いのかわからないで終わってしまった。この先?どうかなあ。それこそ、本書にあるように始めるとのめりこんで身を持ち崩すことになりかねないので、近づかないほうが無難かもしれない。

ただ、身の回りにギャンブラーの方は結構いるのですね。吉崎氏を含め、そういう方々は羨ましいという感じはします。

最終章は伊能忠敬の生涯を紹介しています。僕も佐原に行ったことがありますが、これまた羨ましい人生の送り方ですよね。あの人生の何分の一かでも、見習うことができればいいのですが。

 

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チェイサー

2017年01月15日 | 鉄道、車、のりもの

この手の車、昔はそれこそカローラのようにたくさんいたのですが。その表現も今や通用しなくなって、今言うならプリウスのように、でしょうか。

3代目、バブル最盛期の頃のモデルですね。後期型だとすると、登場は90年秋口でしたから、正確にはバブル最盛期は終わったころ、ということになります。

我が家でも、アコードインスパイアが来たりしてた頃です。

昔のカーグラフィックとか、NAVIとかの、今でいう意識高い系自動車雑誌では、あまり評判が良くありませんでしたが、ともかく日本の上級小型車の頂点として、当時は君臨していたのでした。性能とか経済性、安全性とか、今の車のほうが当然進んでいる部分はあるでしょうけど、これだけの作りとスペックと、顧客の心をくすぐるデザインで、諸費用混み250万ぐらいでこの車が買えたというのは、もはや夢のようです。ぶっちゃけ、あのころはよかったなあ、と正直思います。。

今の日本メーカーが、たとえスペックを当時並みにしていいよ、といわれて作ろうとしても、もはやこれだけ商品性のあるモデルは作れないでしょうね。同じようなことは例えば、オーディオ製品にも言えて、昔のカセットデッキなんか、無駄に質感の高いモデルがゴロゴロしていたわけです。バブル期のラジカセもそうですね。

隣りあったので横目で見たら、お父さんは助手席で腕を組んだまま、ヘッドレストに頭を持たせて眠っていました。ハンドルを握っていたのは、この車が出たころはまだ生まれていなかったかもしれない息子さんでした。

息子さんの目にはこの車はどう映っているのでしょう。

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