『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

暴走族・・・

2009年08月26日 | Weblog
実は暴走族、嫌いじゃないんです。
これは長年付き合っている相方も、知らない部分かも知れないですね。

でも決して暴走族に入っていた訳じゃないです。
それでもいわゆる車やバイクに関わる遊びは随分やってきました。

正月になると、「初日の出暴走」なんてニュースになりますね。
あれ、20代の前半、つまり30年前に毎年のようにやってました。
弟とその友達、今は弟の嫁さんになっている義妹も仲間でした。

大晦日になると、その仲間が我家に年越し蕎麦を食べに来て、
その後、揃って初日の出を観るために東名高速に入った途端、
競争で伊豆の石廊崎目指して向かった。
皆、スピード狂でマツダのロータリーエンジンの車に乗って、
族じゃないから、せいぜい4台くらいで、それぞれ色の違う車幅等を車の下につけて・・・

伝説の「青山ゼロヨン」もたった一回だったけど、いろんなところから
改造車が集まって、青山通りから表参道を爆走。楽しかった。

首都高速の環状線を一周するレース「首都高レース」は、24歳の時に
通っていた整備士の職業訓練学校の仲間と、夜中に目黒の天現寺に集まって
そこから外回りでスタートして、夜明けまで走り回っていた。

その整備士学校って言うのが、本当に面白かった。
なんせ中卒か高校中退の暴走族ばかり。
その中で僕は24歳の年長者。
職業訓練校だから失業保険をしっかり貰って、僕は金も持っていた。
喧嘩も自信があったから、そういう奴らに臆する事もなかった。

算数すら出来ない連中が殆どだから、ギヤ比の計算やら電気工学やら
いわゆる勉強は着いて行けない奴らばかり。
僕は理系の高専を出ているし、勉強がしたくてしょうがなかったから、
授業は全部ノートに取ったし、自動車工学などのテストは殆ど満点だったんです。
当然、みんなをまとめて勉強させて解るまで教えてやったし
僕もそういう事が楽しくて、とにかく良く面倒を看た。
生徒に教え切れない教官にも「頼みます」なんて頼られていたしね。
それだから、僕に喧嘩を売る奴なんて居なかった。

血の気が多い連中だから、当然喧嘩も日常茶飯事。
たまに何日も休む奴が居て、教官に訊いてみると少年院や鑑別所に入っていたとか、
とにかく信じられないくらい漫画やテレビの青春ドラマみたいな毎日だった。

そういう奴らの殆どが、実は凄く純粋で、驚くほど真面目なんですよ。
暴走族の連中の事が好きだったのは、その純粋な心。
自分を誤魔化せないから、我慢できない。すぐに喧嘩をしちゃう。
根っからの悪なんて、そんなに居ないんだなぁ・・・って思ったのも
そういう時代があったからかも知れません。

あれ?
自分を誤魔化せない・・・・
すぐに喧嘩する・・・・

良く考えてみたら、自分の事じゃないの・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする