ゆうちゃんのイカす『やんちゃジジイ』

音楽、サッカー、演劇・・・・
還暦を迎えて、毎日を楽しく遊び、生きる事。
イカす、やんちゃなジジイが目標

劇団ステージドア・『座長に叱られました 』

2016年01月31日 | Weblog

昨日に続いて今日も稽古。
練習試合が入っていたのだけれど、僕は稽古を優先して欠場。
最初から参加した稽古は今日もいろいろな意味で楽しかった。

今日は座長が凄く厳しく指導した。
もう劇団歴が15年になる二人。
自分の台詞を覚える事ばかりに気を遣って、芝居全体の流れを読んでいない。
その上、姉妹の役なのに動きや仕草が、いつも同じ。
座長が『そんな芝居なら2人も要らないんだよ』と声を荒げる。

それは稽古を見ていて僕が感じていた事だったから、思わず笑っちゃった。
その上座長が、『脳味噌を使っていないネズミ』と二人に向かって言う。
立ち稽古の最中に、稽古を止めてまた『ネズミたち!』
なんて言うものだから、僕は不謹慎にもまた笑ってしまった。
さすがに、後で座長に叱られましたが・・・・

当たり前ですね。
それじゃぁ、自分はどれだけ出来ているの?って訊かれたら大して変わらない。
でも、僕が笑ってしまったのは『また、怒鳴りそうだなぁ…』って思った、
ドンピシャのタイミングで座長の罵声が発せられたからなのです。
どんな理由があっても、笑ってはいけない場面でした。(反省)

それでも今日は、この10年でずいぶん成長したなって感じたこともありました。
加入して3年目の女性や、今年入った人の動きを見ていると何故か小走りに動く。
よく観察していると、セリフを言う場所まで移動しているんですね。
ほんの1秒くらいの時間なのだけれど、その移動時間が妙な間になる。
台詞が小気味よく、やり取りされないのですよ。

そう言えば、僕が2年目の時にセリフのタイミングが上手く掴めなくて悩んでいた。
その時の相手役だったアカリちゃんが、振り付け助手をやっていた事もあって
本番直前まで、僕と絡むシーンの稽古が出来なかった。
そんな悩みを、察してくれたアカリちゃんが、本番の1週間前に
皆より1時間早く稽古場へ行って、二人で稽古しようと言ってくれた。
その時にアドバイスしてくれたのが『動きながらセリフを言う』こと。

それでセリフのやり取りが途切れなくなり、テンポも良くなった。
その時の事思い出して、その女性たちに
『慌てて動かず、セリフを言いながら移動すればいい』
と、アカリちゃんに言われたのと、同じことを言ったのです。

それで彼女たちは、前に比べてセリフのテンポが良くなった。
テンポが良くなったと同時に、慌てていないから早口にならず、
台詞も聞き取りやすくなっていた。
まだまだ十分じゃないですけどね・・・・

芝居って、普段の生活でやっていることを演技する。
芝居だからこそ、芝居懸からないように演技するのが大事ですね。
その為には、普段から自分を含めた『人の仕草』を意識してみるのが大事です。
じろじろ見ると、変なおじさんだと思われそうですけどね…(笑)

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劇団ステージドアの稽古・『距離感』。

2016年01月30日 | Weblog

今日は芝居の稽古。
午前中に、新しい会社の月次の経営会議があって、
それに顔を出したので、稽古には30分ほど遅れて参加した。

稽古の方は河岡先生に来て頂いて、振付をやっていたので僕が居なくても問題はなかった。
3時まで振付をやって頂いて、その後はいよいよ立ち稽古。
今日の稽古は色々と勉強になりました。

まずは体で表現すると言う事を、座長が自ら演技をして見せてくれました。
がっかりした時、怒った時など台詞よりも体の動きで表現する。
肩を落とし、背中を少し丸めるだけで、がっかり感が出る。
これ、普段の生活でよく見る光景なんだけれど、芝居になると逆に出来なくなる。
座長がいつも言っている、芝居だからこそ普段の自然な仕草が大事だと…

役作りする場合も同じ。
今回の役は、ちょっと難しい役なので、僕的にはかなり作らないといけない。
そう思っていたのだけれど、そうするとかえっておかしくなるみたい。
そんな訳で、他の人に対するアドバイスもしっかり聞いて、メモしてます。

今日、一番の収穫は役者同士の『距離感』。
物理的な距離も大事だけれど、精神的な距離感も大事だってこと。
芝居の中で、嫌っている人が近寄ってきた際の動きだとか、
避ける時の微妙な距離感は、稽古の中で本当に嫌いな人間なんだって
そう思わないと、演技も自然じゃなくなる。
要は、いかに役になりきるか・・・・と言う事なのでしょうね。

夕方からの稽古では、毛嫌いしている母親と最後に近づくシーンがあって
その時は、何だか気持ちが凄く込み上げてきて、涙が出そうになった。
母親役のOさんも、そういった何かを感じたのでしょう。
そのシーンでは、涙をボロボロこぼしながら芝居をしていた。
僕は自然に抱きしめたくなって、凄くいい感じで稽古が終わりました。

『今回の芝居はいい芝居になりそう・・・・』
そういう手ごたえを感じた稽古。
当然ながら、今日はいい気分で帰ってきました。

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『盟友』と呼べる男

2016年01月29日 | Weblog

今日は本社で同じ部署にいたKと、夕方から一杯やりに出かけた。
僕は普段は殆ど酒を飲まないし、自宅では正月以外は一滴も飲まない。
酒が嫌いなわけじゃないが、一人で飲んでも美味しく感じない。
酒が好きと言うよりも、酒を飲む雰囲気が好きなのだ。

在職時は『ハゲを増す会』『秘密部隊』『谷中組(弟子と一緒)』
と何かと会を仕切って、ワイワイガヤガヤ、ダラダラ飲みする仲間が多かった。
ある程度の人数で飲むのが一番楽しいですね。

でも、そんな中でもいわゆる『さし』、一対一で飲む仲間が3人居た。
一人は本社の常務。この人とは入社時から一緒に開発をしていた。
彼はこの3年間、僕をサポートしてくれながら苦言も沢山頂いた。

もう一人は『ハゲを増す会』の一員、資材本部長のH。
この男は組合の役員時代から、仲が良くなってたまに二人きりで飲みに行く。

そして最後の一人が今日の相手K。
Kとは去年の7月くらいから、『さし』で飲もうと言っていた。
約束の日に僕が入院してしまったり、その後は僕が海外旅行へ出かけたり
定年前の休暇中も、何となくチャンスを逃し続けて僕が定年を迎えてしまった。
それでもKとは連絡を取り合って、今日に至ったという訳。

Kとは本当に『腐れ縁』と言う言葉がぴったりする。
Kは20代にアメリカ駐在を経て、帰国して設計部門に引き抜かれた。
そしてKが最初に出会ったのが、僕の最初の部署でやっていた、
LEEMという国プロ(大学が国家予算を貰って行う研究)の装置。
その装置の電子レンズの回路を、他の装置から移植する仕事が担当だった。
製造部門から、海外駐在帰りの身でありながら、本社の花形部門に配属になったKを
その頃の僕はちょっと妬んでいたのかも知れない。
彼にすれば、設計の事が何もわからない状態で国プロの担当になり、
さぞかし悩み、大変だっただろうと今になってみれば思う。

そんな事を若かったころは気遣う余裕もなかった。
Kの設計の不具合をフォローしなければならないイライラも手伝って、
僕はKの事を、相当叩いたらしく、Kは僕を『怖い存在』と思っていたらしい。

その後、Kは僕の会社人生で最高の功績と言われた『超高圧電源』の試作を、
一人で実験室に籠りこつこつとやっていた。
数年後、僕はLEEMでの実績を買われ花形部門に異動となった。
その時に上司だった『生き字引様』と、Kは何かと折り合いが悪く、
僕が配属になるのを受けて他の装置の担当へ変わった。
多分、僕が引き抜かれたのはそのせいだったのだろう。

『超高圧電源』の試作を僕が引き継いで、僕は基礎実験から電源装置の試作、
そして、その電源を搭載した超高圧電子顕微鏡の製品化を受け持った。
そういう意味では僕の功績の半分はKがやったと言って過言ではない。
その時Kは『製品化する能力は自分にはなかった』と自嘲した言葉を僕に言ったが、
本心は悔しかっただろうと、僕はKの気持ちの優しさに心揺さぶられた。

その後は、初めてのCEマーキング取得のために、二人が借り出され
シールドルームの必要性を説いて、会社にシールドルームが作られた。
そして、本社で最後の仕事となった超高分解能の分析顕微鏡の、
電子レンズ回路をKが、僕が高圧電源を受け持って高性能の物に改良して行った。

この時はお互いに『性能が出ないのはお前の回路のせい』と言いながら
こっそりと改良しては、お互いの鼻を開かすような姑息な手段(笑)をとり、
切磋琢磨しながら、お互いの性能がどんどん上がり、
最後は信じられないような性能を出すことが出来た。

それでもお互いに『生き字引様』には気に入られず、干される羽目に・・・・。
Kは10年近くの間、干されながら若手の育成を地道にやってきた。
僕は短気なので、弟子二人を放り出して部署を出た。
弟子たちは、それまで教えたことを引き継いで勝手に育ってくれた。

定年後、僕は新しい会社で設計者を集め、育てる仕事を託された。
Kの事が心配で、本当に嫌になったら今度の会社に来てくれと伝えたが
Kは『とにかくあと3年、今の会社で頑張る』と僕に言った。

本当に頑張る男です。
こんな男が、他人の褌でのし上がった事を伏せて、自らを『生き字引』なんて、
恥ずかしい事を大声で言うような男に干されてしまう、そんな会社が恨めしく思った。

でも、今日は久しぶりに共通の趣味である音楽の話や、車の話、
海外旅行の自慢話をお互いに言い合って、ずいぶん飲んだ。

僕の『盟友』と呼べる男は、この男だけですね。

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『エンジン再始動』する時が来た

2016年01月28日 | Weblog

今日は、新たな仕事をする事になった会社との契約。
書類や手続きのために山梨の北杜市まで出かけてきました。

約束の時間は10時半なので、10時に到着するようにと、
7時に車で秘密基地を出発した。
中央高速の調布インターまで、思いの外時間を要し、
給油したりして、高速に乗ったのがちょうど8時。

高速道路に乗ってからは、これといった渋滞もなく至って順調。
八王子から目的地の北杜市までは130km。
自宅からだと160kmの道のりになるので、往復で320km。
一日の移動距離としては、ちょっとしんどい距離になる。

八王子の料金所を超え、小仏トンネルを抜けるとそこからは神奈川県。
相模湖の脇を走り抜けて、上野原からは、いよいよ山梨県。
談合坂サービスエリアを超え、大月までひと走りすると
河口湖方面へ行くジャンクションを抜け、数年前に崩落事故があった
笹子トンネルに差し掛かる。
全長4.7kmのトンネルは、抜けるのに計算上は制限速度の70km/hで4分弱なのだが
この4分が凄く長く感じる。
事故のことが頭にあるから、天井を気にしながらあまり良い気分ではない。

トンネルを抜けると、その先はかつて塩山と呼ばれた甲州市。
そこからは長い下り坂を降りて、広大な甲府盆地が目の前に広がる。
左には南アルプスの北岳、鳳凰山、その奥に仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳と
3000mクラスの山がそびえ立ち、甲府を超えたあたりから今度は右側に
金峰山(きんぷ)と瑞牆(みずがき)山という秩父連峰の岩山が見え、
その奥には雪化粧した八ヶ岳が見え始める。

このあたりの山は、若いころにすべて踏破している山なので見ていて懐かしい。
最近、スイスの山歩きをして、また山でも歩こうかと思うことがあるのだけれど、
こういった山へ登る気力はもう湧いてこないだろうなぁ…

東京から運転すること1時間半。途中の双葉SAで休憩を取ったのが9時半。
そこから須玉インターまで走り、高速道路を下りて目的の会社へ向かった。
東京から片道160kmを走り、会社に着いたのが10時。
約束の10時半まで30分の余裕を持って到着することができた。

山梨県って正直なところ、あまり魅力を感じない土地だった。
ところが、去年から頻繁に訪れているうちに、山に囲まれた土地で
なおかつ自然災害もほとんどない山梨が少しずつ気になる土地になってきた。

仕事の契約を終えて、とりあえず次の道へ進むことが正式に決まった。
帰りの高速道路では、富士山を見ながらのドライブ。
明日は積雪も予想されるようだけれど、今日は快晴の一日。
はるかに望む、富士山やアルプスの山々を見て気分のいい帰り道。

定年前の3年間の会社生活は、本当にひどい状況でエンジンも停止していたけれど、
新しい環境でまた『エンジン再始動』する時が来たような気がした。

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明日は早起きしなくちゃ!!

2016年01月27日 | Weblog

今日は本社の相談に乗る予定で居たのだけれど、
今度は先方に会議が入ってしまい、再び予定キャンセル。
昨日のうちに判っていたので、今日は日曜日の練習試合に使う
ユニフォームを助っ人の連中に渡す必要があったりで、
車で行くことにした。

いつもは五日市街道を使って行っていたのだけれど、
今日は少し遠回りでも、交通の流れがいい青梅街道を使って行った。
渋滞がなかったせいもあって、いつもは1時間半かかる所を
一時間で行くことが出来て、11時半に会社に到着。

昨日と同じ手続きをして、入構したのだけれど今日の行き先は
約束がキャンセルになった部署を記入した。
守衛さんも顔見知りなので、あまり細かいことは言わない。
サッカーをやって、シャワーを浴びて、会社を後にした。

その足で事務所に顔を出すことにした。
昭島から新しい事務所のある京王堀之内まで、一本道。
今日は渋滞もなく30分で到着しちゃった。

そして昨日の案件を僕なりに考えてきた事を話して、
実際に問題になっているものの構造や、その写真を見せてもらって唖然。
見た瞬間に『こりゃ、ダメだわ・・・・』って思った。

詳しい事は書かないけれど、要は理論が判って居なくて作った感じ。
逆に大がかりな設計をしなくても、ちょっとした改造で
問題が解決できそうな感じがしてきた。

明日、山梨の本社に契約の書類を作るために行く約束になっている。
その時に具体的な相談をしたいと、夜のうちに電話連絡した。

明日は今度の会社の本社へ行くんだけれど、僕が行くのを
会長が首を長くして待っていて、わざわざ時間を空けてくれたらしい。
有難い話です。

ただ、山梨ってすごく広くて思ったより遠い。
本社のある北杜市は山梨の西部で、八ヶ岳の見える清里に近いところ。
東京から行くと、約束の10時半に行くには7時に出発しないと間に合わない。
10時には到着するよう、余裕を持って行きたいからね。
と言うことは6時に起きて、支度しないとならない。

最近は10時半まで寝る毎日なので、起きられるかなぁ?
早起きする癖をつけないと、今度の仕事も始業時間は8時半だからね。
好きな時間に行って、好きな時間に帰るやり方がしたいと
その代り、働いた時間だけアルバイト並みの給料で良いって・・・・
我儘な希望を伝えては有るんだけどね。(笑)

とにかく、明日は早起きしなくちゃ!!

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『もう部外者なんだなぁ…』

2016年01月26日 | Weblog

今日は退職後、初めての会社訪問。
目的はもちろんサッカーですが、技術的な相談を持ちかけられていたので
サッカーの後は、ゆっくり話をするつもりで居ました。

ところが、出がけに今度行く事務所の若い人から電話があって
緊急の案件が発生して、相談に乗ってほしいと言ってきた。
こうなると優先順位は、事務所の方になる。
健康保険証の返却があるので、会社へは行き、サッカーもやったけれど
約束していた相談に乗る話は、翌日に回すことになった。

もうすでに定年退職して、社員ではなくなったから、
当然、今日からは会社に行っても、今まで使っていたIDカードではなく、
入門時に入門表なるものに記入して入場することになった。
名前を書いて、身分は『会社OB』。
行き先は健康保険組合と記入して、構内に入った。

『Visitor』と書かれた札を胸にぶら下げて歩くと、なんだか急に
会社を辞めたんだなって、実感したりする。
それ以外は何も変わって居ないのにね。
名札が違うだけで、社内を歩く時の気持ちも変わって居た。

『もう部外者なんだなぁ…』っていう感じ。
だからと言って、会社を辞めて新しい道に進むことを後悔するわけでもない。
少なくともサッカーの仲間は、今まで通り一緒だし。
こういう感じって、多分その立場にならないと判らないかも?

そういえば、今日は偶然にも社内で若いころに世話になった大先輩と遭遇した。
誰もやらない仕事を持ってきた張本人。
2年以上かかって、やっと物にした装置の責任者だった人。
その仕事をやったお蔭で、のちに高電圧技術にのめりこんだのだけれど、
そういう意味では、僕の人生の転換期を作った恩人と言える大先輩だった。

僕が定年退職し、他の会社で仕事をすることになったことを告げた。
週に3日くらいのペースで、あまりガツガツ仕事をしたくないって話したら
『お前さんは、やり始めたら週に3日とかになるわけがないだろう』
と言われた。さらに
『今までやってきた事を他で生かせるんだから、幸せだぞ』
と励まされた。

何だか、その言葉が凄く温かいエールに聞こえました。
ありがとうございました。

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『基礎や基本が大事』と言うこと

2016年01月25日 | Weblog

昨日は『基礎や基本が大事』と言うことを書きました。
若いころはそんな事、微塵にも思わなかった。
と言うより、意識していなかったと言った方が正しいかな?

舞台照明を志して、運よくそういう道に進めることが出来た。
でも、いざやってみると何にも知らず、何にもできない自分が居た。
それで他の人の仕事を見て覚えたり、空いた時間でピンスポットの
操作を練習させてもらったり・・・・

その当時は、今みたいなキセノンランプの大きなピンスポットなど無く、
日本武道館や、野外ステージなどではピンスポットにアークを使っていた。
アークとは、アーク溶接の時の目が潰れるほどの光を利用したもの。

溶接棒と同じ炭素棒に隙間を作って、電圧をかけると放電して、
明るい光を作って、それを球面の鏡で集光して前に飛ばすもの。
ところが、これは時間と共に炭素棒が燃えて短くなって行く。
それによって炭素棒の距離が長くなると、光が暗くなったり、
チラチラしたり、最悪の場合は消えてしまう厄介なものだった。

その為に仕事では左目で舞台を見ながら、左手でスポットのシャッター等を操作し、
右目では黒い鏡を通して炭素棒が作る光の形を見ながら、
炭素棒の距離を一定にするよう、炭素棒を支えている部分をネジを回して
常に前に押し出すような指の動かし方をしながら、操作していた。

これは結構、経験が要る。
その為に、僕は休みの日になると同じようなアークスポットを遣う
映画館へ行って映写室で作業を、無休で手伝う代わりに、
アークを炊く練習をさせてもらったり、アークスポットのある
大きなホールへ行き、同じように仕事を手伝っては練習させてもらった。

そんなことを半年ほどやっていたら、ピンスポットの基本操作も覚えて
いつの間にか照明の基礎的な仕事もしっかり身についていた。
その当時でも『大砲』と呼ばれたアークスポットを炊ける人材が少なく、
結果として僕は『大砲を炊ける小僧』と言うことで、良い仕事が沢山舞い込んできた。

その後、今の電気設計の仕事に就いた時も、最初は電気工学の基礎が
全然解っていない自分に気が付いて、一生懸命勉強した。
若い人がネットなどの情報豊富な環境に居て、経験に基づく勉強をしようとしない。
そのたびに僕は苦言を吐いていたんだけどね。

仕事だけではないサッカーも、基礎技術の積み上げだし、
世の中のもので、基礎や基本を疎かにして通用するものは無いって
身に染みて感じて来たから、『基礎や基本が大事』
と自信を持って僕は言うのです。

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劇団ステージドア・『基本は台本』

2016年01月24日 | Weblog

楽曲もだいぶ出来上がり、いよいよ唄の振付が始まりました。
昨日は先に帰った時間に、最初のナンバーM1の振付がありました。

まぁ、『振付』と言ってもダンスがあるわけじゃない・・・
正確に表現すると、歌を唄う時の動きを決める、いわゆるフォーメーション。
プロのミュージカルの様に、びしっと動きが合っていればそれでも綺麗なんですが、
そこは、上は90歳から下は21歳という老若男女の集団。
とりわけオジサン、オバサンは合わせるだけでも大変。
ピタリと音楽に乗せて、ピタリと動きを揃えるなんて言うのは到底期待できない。

それでも、世間ではおじいちゃんと呼ばれる世代が一生懸命に取り組む。
こういった姿が、お客さんに伝わっているんだと、僕の友人は言ってくれます。

芝居の稽古は2幕から・・・・
僕の感覚と、合わないシーンがあって、その話をしたんだけど。
僕はまず、台本通りにやりましょう・・・・と。
ところが、自分の芝居だけしか頭にない人は、そんなことはお構いなし。

何のためにト書きが記されているのか?解っていないのです。
☆ト書き:(・・・と二人は寄り添う・・・・など、脚本で台詞の間に俳優の動き・出入り、
照明・音楽・効果など、演出を説明したり指定したりした文章。)

僕はまず台本通りの芝居をすることが大事だと思っている。
だから、台本をよく読んで、自分の芝居をこうしようと考える。
基本は台本通りなのですよ。

台本を基本に出来ないのは、サッカーで、個人プレイばかりするチームと同じ。
連係プレイが小気味よく決まると、チームは躍動する。
まずは最低限の約束事を決めておくことから、個人のプレイが生きてくるのです。

芝居もまったく同じで、サッカーでいう約束事は台本なのです。
状況によって、少しずつ変えて行くことに関しては異議はないです。
むしろそうすべきだとも思っている。
まだ台詞も入っていない状態で、個人プレイは好きになれない。

こんな不満も稽古で時間を重ねる事で解決してくれる。
だからこそ、最初は有りもしない自分の考えなんて出さないこと。
台本通りの芝居が出来ないっていうのは、どんなことでも
基礎や基本が大事だと考える僕にとっては、大事なことなんです。

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劇団ステージドア・『僕にとっての家族』

2016年01月23日 | Weblog

今日は劇団の稽古へ行く前に、医者へ行ってきました。
正月からずっと行っていなかったので、薬が無くなったためです。
それに左腕がしびれを和らげるリハビリにもずっと行っていなかった。

ところが今日に限って、病院は混雑していてなかなか順番が来ない。
もっと早く来ればよかったと思ったけど後の祭り。
血圧検査をしたら除脈が気になるというので、2週間後に再検査。
そんなことがあって稽古には間に合わなくなっちゃった。

稽古場に着いたのは、1時間遅れの2時。
でも、今日は最初の1時間を唄の練習に割いていたらしく、
唄の出番が一つしかない僕は、居なくても影響なかったみたい。

到着するとすぐに芝居の稽古が始まった。
頭を切り替えて、セリフを確認する時間がちょっと足りなかったけど、
正月にしっかり台本を読みこんだお蔭で、出番の時は台本を持たずに
稽古を進めることが出来た。
台本を持っていると、動きが上手く出来ないからね。

座長が体で表現しろと、動きの手本を見せてくれる。
がっかりした時に、肩を落とし背中を少し丸めるだけで、
その感じがはっきりととわかる・・・・さすがですね。

セリフも大事だけれど、体を使って感情を表現する。
これはテレビや映画のように、顔をアップにしたり出来ないからです。
テレビや映画では目線をあまり動かさない。
ところが舞台では、手や体、とりわけ顔の動きが大事になる。

でも動かせば良いってものでもない。
動かさないから、思いが伝わるセリフもあったり・・・・
今回の芝居では、この使い分けがすごく難しく、座長が細かく指導してくれる。
本当に勉強になることばかりです。

残念なのは、自分のセリフを覚えることしかして来ない人。
台本を読んで、芝居の中身を理解していない人が結構いる。

若手の石井君とは、僕と二人で絡むシーンがいくつかあるのだけれど
二人でセリフの間や、お互いの距離を確認しながらやっている。
今日は二人で話し合ったことが、座長の考えと同じで嬉しかったり・・・・

夕方まで、ちょっと狭い部屋での稽古を終えて6時から広いホールへ移動。
その間、1時間の空き時間に夕食の休憩が入った。

6時からは最初の唄の振り付け。
それに関係ない人は帰っていいって・・・・
あれ?僕は帰宅組かぁ・・・・

それならば・・・・と思ったら、怪物爺さんのTさんが
『おい、俺の飯に付き合わないか?』
尊敬する大先輩を一人で、食事に行かせる訳にも行かず
『はい、お供します!』と即答。
本当は5時で帰れるなら、帰りたかったのに・・・・

でも、Tさんは定年後の僕の話を聞きたかったみたい。
気にかけて頂ける先輩が居るって、有難いですね。
結局、後から姉様たち女性二人も合流して、ワイワイガヤガヤ・・・・

食事の後は、皆を見送って一人帰宅しました。
やっぱり、劇団は僕にとっての『家族』ですね。

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中学校の同窓会幹事会

2016年01月22日 | Weblog

今日は中学校の同窓会の幹事会。
新年会と、11月に開催した同窓会の報告や便りを
郵便で同窓生に送付する作業を兼ねた集まり。

今回は非効率的でも、みんなでやりたいというので
僕の担当は、宛名のラベルと幹事長の連絡先を書いたラベル、
それに送付者のチェックリストを作るだけ。

それに預かっていた欠席者に送る記念品の名入りのボールペンを抱えて、
いつも使っている西東京市の飲み屋へ出かけて行った。

作業は1時間ほどで終わり、その後は会計報告の説明を聞きながら
新年会らしく、みんなで一杯やりながら雑談。
ここで、数年後に無くなる校舎を見学しようという話が出た。
市役所に勤める男が居るので、裏で動いてもらってと言うことで
次の集まりは、その時になるのかな?なんて話で終わった。

僕のテーブルには、偶然元野球部が集結。
下手くそで弱かったけれど、本当に仲が良くて楽しかった仲間。
本当にこの仲間とは楽しかった思い出しかない。

まぁ、ここまでは良かったんだけどね・・・・

お開きになって、5人でもう一杯…と言うことになった。
ここで、さっき話が出た無くなる校舎の見学の話になった。
ところがこのあたりから話がおかしくなった。

元幹事長が、先輩に会ってそんな話が出ていたという。
その先輩とはサッカー部のつながり。
どうやらその先輩の顔を立てて、見学会を開こうとしている様子。

これには我々の幹事長が異議を唱えた。
先輩のために組織がしっかりしている我々を使うのか?と…
僕ともう一人の野球部の仲間にすれば『誰?そのおっさん』

我々がセッティングして、その場に『良かったらご一緒にどうぞ』
と言えば良いのに、最終的には先輩が主宰者にしようと言う感じ。

何だか面倒くさい。
そもそも、それじゃ下請けじゃないかと思うけど、
下請けと言う言葉に元幹事長は激怒する。
でもね、僕らサッカー部じゃない人間にとっては、関係ない事なのですよ。

どうも元幹事長は自分の思い通りに同窓会を動かしたいみたい。
幹事会の最後の挨拶に、前幹事長を指名した幹事長の気遣いも、
その後に、元幹事長が一言挨拶してしらけちゃった。

何か勘違いしている元幹事長。
同窓会を立ち上げた功績は認める。
仕事で成功しているから、尊敬もしている。

でもね・・・・やっぱり、ちょっと違和感を感じた言動。
同窓会も僕にとって、面倒くさい集まりになりそうです。

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心のこもったプレゼントをくれた『I君』との話

2016年01月21日 | Weblog

ちょっと長くなりますが、最悪の幕引きで終わるところだった一日を
心のこもったプレゼントで、いい気分にさせてくれたI君との話です。
帰宅して彼が走ってきて、渡してくれたプレゼントはこれです。

名前入りのボールペンセット。ずっと前から用意してくれていたようです。
何も言わなくても、これを見たら気持ちが籠っているのが判るかと思います。

余りにも嬉しくて、夜中のうちに彼にメールをしました。
そして、今朝はまた嬉しい返事。正直言って、涙が出ました。
そのやり取りを御紹介します。最初は昨夜書いた僕のメールです。
----------------------------------------------------------
I君へ
今日で定年退職。今まで、お世話になりました。
思いがけない誕生日&還暦&定年退職のプレゼント。
私の名前まで入れてもらって・・・・感激しました。

本社に居た時はあまり関われなかったですね。
元々、電気工学の専門じゃないって思っていたけれど、
その後は設計業務に欠かせない、CEマーキングやRohsなどの
いわゆる裏方の仕事を一手に引き受けて奮闘している姿を拝見していました。

去年の10月だったかな?いやもっと前かも知れません。
本社に出向して、先だって辞めた男に私と子会社の弟子と、
もう一人の弟子である女性社員の3人で送別会を開いてやりました。
その時に『子会社は本社のようにならないとダメだ』と言ったことがありました。

実験や計算による技術的な裏付け、設計仕様書を作ること、
すべてにおいて子会社は本社の人間には及ばないと・・・・
弟子たちは、私からそのことを突きつけられ、身を持ってよく知っているのです。

ところが辞めた男は『本社の人間がレベルが高いとは思わない』
というので、色々と話を聞くと、彼は貴方のことを言っていたのです。

僕は笑って、『そういうお前の方がずっとレベルが低い』と言って
一笑に付したことがあります。

その時に私は
『設計なんて回路図を描いている人間だけではできないんだ』
そして、貴方の仕事のことを話して
『I君は本社では欠かせない存在、奴が居なくなったら本社の設計部門は機能しなくなる』
と退職した彼に言いました。
私の弟子たちは、その話を聞いて納得していました。

ご存じかもしれませんが、私は若いころに舞台照明の仕事をしていました。
役者や歌手の、舞台上でのパフォーマンスを生かすのが音響、照明といった裏方。
設計部署ではたぶん、貴方の仕事がそれだと思っています。

どんなに役者が上手かろうが、裏方が居ないと舞台には上がれない。
だから役者や歌手は、裏方のスタッフには最大限の敬意を表します。
僕が関わった中では、美空ひばりさんがその筆頭でした。

貴方を見ていると、その時代の自分をよく思い出します。
目立たないけど欠かせない。
貴方は物を売るために必要な作業を一手に引き受けている。
実際にはHさんなども手伝っているんでしょうけれど・・・・
私はそういった『裏方』が大好きです。

そういう裏方をやる人は、心優しく気配りが利く。
まさに今日、私のような嫌われ者の人間に素敵なプレゼントを用意してくれた
貴方がその人だって、確信しました。

自分の仕事に誇りを持ってください。
貴方が居ないと、本社の電気設計部門は機能しません。
そういう貴方を、私や盟友のKは理解しリスペクトしています。
弟子のMやKの弟子たちも、そのことを知っているから同じ目で貴方を見ていますよ。
目立たず、コツコツと地味な仕事をする貴方をいつも尊敬し応援しています。

私の年齢までまだ20年以上あるでしょう。
是非、会社最強の裏方になってください。

いつかまた会うことがあるでしょう。
近いうちに私がそういう席を弟子たちに作らせます。
その時はいろいろと話をしましょう。

今日は心のこもった、素敵なプレゼントをありがとう。
退職の記念として大事に使わせていただきます。
ありがとうございました。
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そのメールに朝一番で返事がきました。

谷中 様
私の入社当初から最後の最後まで「金言」を頂き、有難う御座います。

本社に居られた時はもちろんですが、子会社に移られてからも
通勤時や社内、電波暗室で孤独な闘いを行っていた際など、
気軽にお声をかけて頂き大変救われた思いがした事を良く覚えております。

前任者が開発本部に行かれた時に引き継いだピエゾ電源の設計時、
150V程度とはいえ不安があり相談させて頂いた折に
「自分が納得出来るようにやってみると良い。自分の考えが間違っているかも知れないが、
人に言われた通りにやって失敗するよりずっとためになる」
とお言葉を頂き、以降失敗する度に
「ここから得られる事こそが重要」
と切り替え、モチベーションが下がり過ぎないようにやってこれたのは
谷中さんの御陰だと思っております。

還暦=第2の人生の出発点 として新たなキックオフの笛が鳴り響いている
事と思いますが、「カズ」の様にいつまでも現役選手としてお体を大切にお過ごし下さい。

これまで色々とお気にかけて頂き、大変有難う御座いました。
また今後もお会いする事があると思いますが、宜しくお願い致します。
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嬉しいですねぇ。
今日は、朝からすごく気持ちが良い一日になりました。
心が優しい、I君。
期待している後輩です。頑張って!

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誕生日&還暦&定年退職、人生で一番大きな日は『不本意な幕引き』

2016年01月20日 | Weblog

ついに定年退職の日。朝、10時半に出社。
デスクに行って、パソコンの電源を入れて、昨日の続きのメールチェック。

全部に返事できないから、メールを一つずつチェックして、
ゆっくり返事を書きたい人には自宅のパソコンに転送したり、
そんなことをやっているうちに11時過ぎちゃった。

そういえばG長の顔が見えないから、どうしたのかと訊いたら
『今朝、突然休むって連絡がありました』と言われた。
えぇ・・・・俺、最終日だよ。
まぁ、こんなものです。

気を取り直して、本社に出向いた。
最初に世話になった常務の所へ・・・・出張で不在。
仕方がなく、かつての部署を手始めに関わりがあった部署を回った。
最初は元の部署。色々あった連中も、握手して全てノーサイド。
弟子二人も居る、僕が立ち上げたグループのメンバー、
その他、とにかく分け隔てなく全員と握手して挨拶した。
もちろん最後は、一番僕の面倒を見てくれていたマドンナと握手。

隣の開発部隊には、僕の天敵が居たけれど、この方とも握手してノーサイド。
一番世話になった大御所は、相変わらずそっけない。
でも、逆に愛情を感じたかな?

その部署を後にしようと思ったら、かつて僕の横に座っていたI君が
走ってきて、僕にプレゼントを渡してくれた。
このプレゼントと、I君に関することは明日改めて書きましょう。
とにかく、胸が熱くなるプレゼントでした。

その後、僕のアイドルだった女性がたくさんいる部署に行って挨拶。
中でもNさんは、今でも顔を合わせると一日幸せな気分になる。
その彼女が、いつもの笑顔で出てきてくれた。(キューン)

製造部門では、サッカー仲間の後輩たちがたくさんいて、
中でもオックスフォードで2か月間の出張を共にしたT君が僕を待っていてくれた。
彼と苦しみながら作った装置を作り始めてから、納入するまでの
半年間は、今でも僕の中で一番の思い出かな?

その後生産技術部門を経て、人事部や総務部に行って挨拶。
こっちは若い美人が沢山いて、ちょっとドキドキ・・・・
その後に資材部門へ行き、懐かしい仲間に挨拶。

とにかく会社の端から端まで歩く羽目になった。
考えてみれば、僕は色んな部署の人に世話になったり関わっていたんだなって…
会社の中を歩くだけで、裕に2~3㎞は歩いたかなぁ…

気が付いたら2時になっていたので、急いで子会社に戻った。
3時の休憩の後に、みんなに挨拶しないといけないから・・・・

そう思って戻ったけど、肝心のG長はお休み。
その上の部長は、俺の存在を無視している。
嫌な予感がしたので、とりあえず3時までの一時間で、
子会社の社員全員、約100人一人一人に挨拶しに行った。

製造部、組み立て、資材、生産管理、生産技術、生産管理、総務…
とにかく全員に一人ずつ挨拶して、握手してきた。

自部署に戻り、今度は機械設計、ソフト開発部、研究開発部、
品質保証室、技術管理部門の全員に挨拶。
そして以前に話が出た、気配りの取締役にも挨拶。
その他のお偉いさんにも挨拶したが、こいつらは挨拶していても、
ダメなやつだって解る。最終日の収穫はそれが判ったこと。

最後に自部署の部長に挨拶したが、雑談をしておしまい。
外注さんや、派遣社員、インターンシップの人達の最終日は
全員を集めて挨拶させていたから、最後は気持ちよく挨拶して終わろうと思ったのに、
僕には、それすらなかった。
外注や派遣社員以下の存在・・・・ってことなんだろうね。
G長が急遽、休暇をとったり、悪意があるとしか感じない部署だった。

仕方がなく、かつての部下たちに一人一人お礼を言って帰ることにした。
社長が出かけるから、一緒に駅まで・・・・と待っていてくれたのだが
そういう挨拶があるかと思っていたから、お断りしたのに・・・・。

フロアを出るときに皆にもう一度挨拶してロッカーに向かった。
元部下のI君が『お見送りします』ってついてきた。
『すみません』と謝るIくん。
『まぁ、こんなものだよ、君がリーダーになったら、忘れなければいいさ』
ロッカーを出るときに、昨日一緒だった女性の弟子が見送りに来てくれて、手を振って別れた。

会社を出た時に、何だか想定外で笑っちゃったくらい。
最後の最後は、心無い『不本意な幕引き』で終わりましたが、こんな部署に残らなくてよかった。

帰宅して、本社のI君のプレゼントを見た途端、
そんなことをすっかり吹き飛ばすような感動が待っていました。
誕生日、還暦、定年退職の人生で一番大きな日は、
『不本意な幕引き』で終わらず、心が温まって終わりになりました。

ありがとう。

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誕生日&還暦&定年退職祝い

2016年01月19日 | Weblog

今日は、明日の退職前の最後の出社。
行ったところで、積雪のために昼のサッカーは出来ない。
11時過ぎに、会社に着けばいいや…って感じで家を出た。

最寄駅から子会社まで、徒歩20分。
休暇を取ってから、子会社には一切行かなかったから久しぶり。
雪が所々に残っていて、歩くのが大変だったけど、なんか楽しかった。
半年前まで、この道を歩くのが憂鬱だったのがウソみたいです。

会社に到着して、みんなに挨拶。
相変わらず、部長とG長は口を利かないどころか顔すら合わせようとしない。
ひたすら、背を向けて仕事らしきこと(笑)をやっている。
挨拶されたら、返事くらいするのが礼儀と言うか、基本でしょう?
こんな人間とも、明日でおさらばです!

さっそくパソコンのスイッチを居れて、メールチェック。
あるある・・・・くだらないものも含めて1000通以上。
3か月休むとこんな量になるんですね。

その中で大事なメールは一つもなかった。
勤務表という、休暇届の休暇欄が保存有休になってなくて
G長からメールが来ていたけど、これって休暇前に自分が受理したんじゃないの?
それも休んでいる人間にメールして、勤務表を見たら修正してあって・・・・
どうやると、こういった陰険なことが浮かんでくるのだろうか?(笑)

本社時代に世話になった人に定年退職の挨拶のメールを送って、
気が付いたら3時になっていた。
3時になれば社長が居るというので、休憩時間が終わってから社長に挨拶。

今後のことを報告して、今の会社の現状について色々と意見を言った。
若い人が育たない原因、開発している装置に
将来を見越した要素技術が見当たらないことや、
そういったことにチャレンジをしない社員の企業風土、
会社の将来について、危機感を持っていないうえに、
日程遅れの言い訳ばかりして、計画通りに仕事を進められない管理職。

まぁ、言いたいことを全部言ったのだけれど、社長も同じことを感じて
いつも管理職に発破をかけているらしい。
それでも、何も変わらないので『カエルの面に小便』だって言ってた(笑)
社長と1時間半も話してたから、4時半になっちゃって外はもう日が暮れ始めていた。

席に戻ったら、挨拶に対するメールの返信が山ほど来た。
30分ほど返信を書いて、後は翌日にすることにして会社を後にした。

夕方から、仲の良かった品証室長と弟子、唯一の女性の弟子の3人が
僕の誕生日&還暦&退職の一日早いお祝いの会を立川で開いてくれた。
一足先に立川へ行き、珈琲を飲みながら時間つぶし。

6時半から飲みながら、いろんな話をした。
弟子からは腕時計、

品証室長からはボトルケース付きのシャンペン、


そして女性の弟子からは、僕の大好きな不二家のミルキーロールケーキを
お店に頼んで誕生日のデコレーションしたものが贈られた。

みんなでそのケーキを食べて、嬉しかったです。

品証室長から『こんな話をもっと早く聞きたかった』と言われたけど
会社の話は、もういいんじゃないかな?
子会社では部署での送別会も拒否したから、こんな気配りは余計に嬉しかった。
良い仲間が居てくれたお蔭で、辛かった3年も乗り切れ定年にたどり着いた。

皆、ありがとう。

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天の恵み??

2016年01月18日 | Weblog

今日は定年前の休暇を消化したので、出社する予定だったけど
朝、起きてみたら外は真っ白な雪景色。
テレビを点けて交通情報を観たら、電車が動いていない。

会社に行っても、やることがないから10時過ぎに行こうと思っていたのだけれど
その時間になっても、電車はまともに動いていない。
そんなわけで、会社に行くのは止めにしました。

休暇を使い果たした後なので、実質は『欠勤』。
うちの会社の場合、欠勤はボーナスで差し引かれる。
つまり僕の場合は、今月の給料から差し引かれない限り引きようがない。

行ったところで、仕事もないし、居心地が悪いから丁度良かった。
今日の雪は、僕にとって天の恵みのようなものでした。

休むと決めてから、さっそくアパートの住民が歩きやすいように
雪かきを始めました。
雪が湿っていて結構重くて大変だったけど、転んで怪我人が出るよりはマシです。

作業をするために2年前に買って、使わずにいた雨合羽を引っ張り出して
この日がデビューとなりました。

それから夕方まで、洗濯やら部屋の掃除やらで時間を潰し、
駅まで行って、食材や洗剤などを久しぶりに買い込んできました。

定年まであと2日。
明日もサッカーは無理でしょうけど、とりあえず出かけるつもり。
少なくとも社長に年始の挨拶と、今後の身の振り方は報告しなくちゃ。

カウントダウンは2となりました。

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負けちゃった・・・・

2016年01月17日 | Weblog

先週からやっていた『小平市長杯』の準決勝、決勝が今日ありました。
1回戦は8-0、2回戦は5-0と圧勝。
今日の相手は、去年2回戦で下した相手なので、組み易いと思っていた。

結果は準決勝で2-3で、予想外の敗戦。
試合の入り方に失敗して、早いうちに失点しちゃった。
その後、すぐに同点にしたけれど、試合をやっていてどうも去年とは違う。
ボール回しが妙に上手いし、スピードもある。
相手ボールになると、普段なら奪えるボールが取れない。
逆にうちは、簡単なボールをつまらないパスミスで相手に奪われる。
その後、再び見事ボレーシュート放たれ、反応できず失点。
前半はそのまま2-1で終わった。

後半になって早々に3点目を奪われた。
これも技ありのループシュートで、元々本職ではない僕のGKでは、
全く手も足も出ないゴール上を狙った見事なゴールだった。
トーナメントなので、勝たなければ意味は無い。
どうせ負けているのだから、失点を恐れず全員で点を取りに行く。

プレスをかけて、相手も守りに入って足が止まりだした。
明らかに我々が、圧倒的に攻め始めた残り5分で1点を返した。
でも、試合はここまで・・・・

準決勝で負けて、3位決定戦に回ることになっちゃった。
優勝した際の、新しいピステ(ウィンドブレーカー)を買ってやる約束は
この時点でお流れ・・・・・
3位決定戦は4-1で勝利したけれど、優勝を目指していたから嬉しさは半分以下。

準決勝の相手には、とても40代とは思えないスピードで走るウィングや
後ろで妙にボール扱いの上手い選手が居たり、去年とは全く違うチームだった。
あとで聞いた話では、足が速い人は元川崎フロンターレのユース出身。
そして、もう一人の上手い人間はなんと元日本代表で鹿島アントラーズで
キャプテンをやっていた本田泰人選手だった。


つまりは、日本のトップレベルの元プロ選手が居たのでした。

でも、そういうチームを最後は1点差まで追い上げることが出来た。
簡単ではないけれど、やりようによっては勝てた相手だったのかも?
決勝は我々を下した西国分寺が、地元小平のレインボーズシニアを破り
またしても小平市のチームが優勝できない大会で終わってしまった。

でも、悔しいけれどうちの実力負けでした。
ミスを簡単にしてしまうのを、直さない限り、
高いレベルで勝つのは無理だなって、感じた大会でもありました。

昭島市でいくら勝っても、単にレベルが低いから・・・・と言う事でしょう。
あー、悔しい。もっと強くなりたいぃぃぃぃ・・・・・

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