死ぬときは一人ぼっち故、誰だって独居老人になっていくのだ。したがって、もっと素直に生きていきましょう。
他人の揚げ足とりをするのが得意だった。否、今でもそうかもしれない。イチイチ他人に難癖をつけていた。それが習性になっていた。
だからである。だからイヤなジジイになってしまったもんだと反省していた。
ヒトを信頼できない、信用しないというのは安全である。確かに騙されて生きてきたという経験がない。そもそも他人を信用していないのだから危険に陥ることがない。
それが小人への道をまっしぐらに歩んでいたことに、遅まきながら気がついた。
論文ばかり書いていたからでもある。今まで、オノレのゴミ論文の欠点を指摘されることが多かった。だから、ついつい他人の論文(珠玉のような論文)にケチをつけて得意がっていたのだ。お返しでやっていた。情けないけど。
今でもそうだ。郷土史の会で研究誌の編集担当をさせていただいているから、ついついやってしまう。他人の原稿に対してである。
資格もねぇのによくまぁやっているもんである。他人の論文にケチをつけられるだけの能力もないからだ。所詮、生涯学習ごっこで某大学大学院博士後期課程を中退しただけのジジイである。学業劣等、品行方正の真逆。つまり、非行・不良ジジイである。わらっちまうけど。
こういう生活を退職後やってきたから、性格がねじけてきてしまった。もっとも、元々ねじけていたのかもしれない。
だから改めていこうと思っている。
小人にならないと決めた。
君子は無理としても、せめて他人にケチをつけて自分だけ得意がっているというのは止した。
他人のことにケチをつけたって、恨まれることはあっても、感謝されることなんかない。あり得ない。無駄である。そんなことをやっていたら、命がいくらあっても足りないではないか。
家族なら可能なのかも知れない。でも、いくら家族だと言ってもモノには限度がある。それに、ボキは房州では親戚がいない。天涯孤独とは言わないまでも、一人ぼっちである。家族以外は。山形県に帰ると親戚はいくらでもいるけど。いとこ達も多いから。
独居老人みたいなもんである。
誰でもそうなる。両親共に死んじまったし。兄弟も遠く離れていて、つきあいもできない。たまに電話するくらいである。そういう状態が普通になってしまった。
これをサミシイと受け取るか、そういうもんだと受容するかである。
ボキは後者である。
独居老人になりかけている友人がいる。大きな家に一人で住んでいる。両親の遺した家である。定年まで立派な仕事をしていた。今は、悠々自適。家族もいないから、好き勝手に住んでいる。毎月のように旅行に出かけて、年に数度は海外旅行にも行っている。週に二回はスポーツの会で活躍している。地元新聞にその旅行記を執筆していて、けっこう有名になってきている。
ボキとは種類の違う仕事をしていた。だから気が合うのである。年齢はボキより3つ下であるが。
こういうのがいい。
実にいい。
ま、どっちにしてもお互い独居老人になっていくのだけれども。なんといっても、お互い死ぬときはひとりぼっちなのでああるから。マジに。
今日はこれから退学した某大学に行ってくる。中国語講座である。午後からである。楽しみにしている。秋に西安に行ってくるからである。
わははっはははっはははっはははっはははは。
ヾ(*´∀`*)ノ