Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

オミナエシ

2009-08-07 23:47:17 | 農村環境


 とかく農村部は隣近所がうまくいっているとは限らない。今日は妻の実家の奥にあるため池の草刈を夏休みをとって行った。実はこの日曜日にため池を所有している人たちによる共同の草刈日である。しかし、妻の実家では父も母も年老いている上に身体が不自由なため、そうした共同作業には出られない。そんなこともあって当日出られないということで、相当分の草をあらかじめ刈っておくということになった。毎日農作業に通っている妻は、数日前に草刈を試みたが草の丈が長く、ススキなど太い茎の草が伸び放題で、いつも使っている紐式の刈払い機ではとても刈れない。そこでわたしが鋸式の刈払い機で刈ることになったわけである。昨年もあらかじめ弟が刈っておいたら引継ぎのノートに「○○は草を刈って倒してたままにしたから草寄せがし難かった」と書かれたという。書いたのはいつも隣近所で嫌われている意地悪な人。妻曰く。「刈っておいた方が草が乾いて軽くなり、片付けやすいはず」というものだ。こんなことは誰でも知っていることなのだが、何にしても意地悪が言いたいわけである。そんなことをまた言われるのも嫌だといって、刈った草はその場で片付けることになっていた。ところが途中から雨が降り出して重くなった草は丈の長いこともあってかなりの重量。いつも草を寄せる場所がため池の奥の方にあるのだが、そこまで刈っていくとたくさん刈らなくてはならないということで、口元から相当分を刈った後、その草は我が家の土地に運んで処理することになった。背丈もある草を刈るのもなかなか容易ではなく、さらにその草を軽トラックで運ぶというのだから、2時間程度で終わる仕事が妻も手伝って半日余の仕事。妙なことを書かれるのが嫌だと気を使っていても、こうすると「きっとこんなことを言われる」みたいにその先の行動を読んで気を使う。ご近所にそんな人がいるとつまらない労力を使うことになる。それが隣近所の雰囲気を悪くしたりするのだから、よその人が見るほど農村はのんびりな世界ではないのである。

 そんなこんなで、ようやく終わった草刈だが、びっしょり塗れた服を見ているとその苦労がにじみ出ている。「疲れきった」とはまさに今日のようなこと。

 もう1ヶ月近く前から咲き始めたオミナエシが、見事に黄色く花を咲かせている。この季節、野に咲く花の中でも最も長期間見ることのできる花のひとつである。ため池の草刈をしていると、近くの田んぼの土手にミソハギが刈り取られずに残されていた。盆花ということもあって土手の草を刈っても大事に残されているのである。オミナエシも含めいわゆる盆花と言われる花が盛んに咲き誇って、まさに盆間近になった。「盆も過ぎれば暑い夏も終わり」なんていう印象と通り、毎年秋風を感じるようになる。にもかかわらず、相変わらず雨の降る毎日で、草は伸びるし草刈ははかどらないし、といった具合でついでに稲の成長も悪く、あまり良い年を送れそうもない雰囲気が漂い始めた。

 撮影 2009.8.7
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