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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地域で働くことの意味

2009-07-31 12:19:18 | ひとから学ぶ
 先日に引き続いて生活クラブ事業連合生活協同組合連合会の生産者クローズアップの記事について触れる。古紙を扱っている新橋製紙の鈴木さんという方がクローズアップされている。鈴木さんは公害防止関連の会社には3年勤めたのち製紙会社に転職したが十数年後に倒産し、その後薬品会社の営業として働いたという。「でも、うだつは上がりませんでした。薬品を多く買ってもらうのが仕事なのですが、節約の方法を取引先に教えてしまうような営業だったのです」と言う。そこで転職したのが現在の新橋製紙だったという。わたしは営業という仕事をしたことがないが、この鈴木さんの言葉にその現場の本質が見て取れる。営業である以上仕事を取ってくることが求められる。したがって営業成績でしかその能力の判断はできない。自社で扱っている商品をどれだけ売り込んで気に入ってもらえるかということになるのだろうが、当然そうした製品に詳しいことになる。鈴木さんのように節約の方法を教えてしまうのも自ら持ちえている知識の営業であるがうえでのサービスなのかもしれないが、いっぽう売り上げは伸びない。経済至上主義が蔓延し、高品質低価格という意識が誰にもあれば、かつてのような継続的つきあいよりもそこには値段による取引関係が成り立つ。サービスが必ずしも相手に伝わらない「世の中になった」と思うのも束の間、すでにその意識も蔓延し、ごく当たり前な営業意識になる。しだいに騙しのようなやり取りがうかがえ、客もまたどう相手を信用するかという対応技術がそこには必要になる。ちまたで話題になるオレオレ詐欺なんていうのはそうした技術のいたちごっこのようなもの。強いてはプライベートな暮らしの中でもそうした技術が日常に必要になる。「暮らし難い」と言ってしまうのは簡単であるが、無駄口はもちろんのこと、他人とはなるべく関わらないにことしたことはないということにもなってしまう。よく人と人との関わりが薄くなったということが言われ、懐古するようにそれが必要だと説かれることが多いが、日常の暮らしがこうした環境にあって意識高くそれに対抗して構えていれば、もはやそんな懐古趣味に陥る言葉を吐くのも無意味なのかもしれない(もちろんわたしも同様の言葉を吐いているのだろうが)。

 限りなく儲けを求めたことがそうした甲者と乙者という立場にサービスが成り立たない姿を生んでいる。そもそも営業成績に追い込んでいけばそういう視点にならざるをえないのも解るが、そうではない視点が生きる方針を有する社会になって欲しいものである。ものには限度がある、あるいは身の丈の暮らし、そうした意識を持っていてはこのグローバル化の中では生き延びられない、という意識だけでもなんとかならないものだろうか。

 「新橋製紙は4年前、工場にそびえていた高さ38mの煙突とともに、ガスタンクを撤去した。これは紙をつくる時の燃料をLPGから都市ガスに切り換えることにより実現した。大気汚染物質の削減や、万が一の時のことを考えての決断」だという。東海地震に備えて従業員や近隣の安全を考えてのことという。「地域で働くことで次々と実践する」という考えが尊いとわたしは思う。
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不遇なるお茶

2009-07-30 12:42:09 | つぶやき
 「洗浄過程のない食品」より

 お茶のことについて昨日触れた。「一般の栽培方法でも、春先の一番茶にはあまり農薬が使われていないというが、実際にはブレンドされてしまうため農葉の少ない製品を消費者が選ぶことは難しい。そう聞けばなおさら、生産者と栽培方法がきちんと分かる消費材の良さが際立って感じられる」と生活クラブ事業連合生活協同組合連合会の生産者クローズアップの中で述べている。洗浄工程がない以上農薬に浸かっていれば微量でもそれを口にすることになる。そんな意味でも生産工程を消費者も知ることが必要だということになる。

 とはいえ現代の若者は緑茶を飲まなくなった。いやこの指摘が必ずしも正しいかどうかは解らない。いわゆるペットボトルによる消費量は増えているのではないだろうか。しかしそれはお茶というよりは清涼飲料水であって、正確には違うだろう。お茶の成分の混入した飲料といった程度である。かつてお茶が当たり前の飲料であった時代、生家にも大きなお茶の缶があったものだ。時おりやってくるお茶屋さんがどの季節にどこからやってきたのかまったく覚えもないし聞いてみたこともなかった。小学校低学年の時代には、分校の庭にお茶の木があって茶摘みというものを毎年やったものだが、そこで作られたお茶は加工後も葉が大きくて市販されているものとは違うという印象をもった。「お茶をよく飲む子だねー」と言われたわたしはお茶好きと言われたが、それはお茶が好きだったというよりも、お茶を飲みながらつまむ菓子が目当てだった。お茶も時がたてば湿気などで変色してきたりするのでその保存方法が大事であったが、大きな缶に購入するからどうしても底にたどりつくころにはお茶の味も変わってしまったものだ。その後袋詰めを買うようになったが、知らないうちに今のような包装に変わった。若いころはそんな変化に意識もしていなかった。

 このごろはお茶と言うと葬儀の後の返礼につけられることが多い。妙な話だがわが社ではとくに同じ部署で働いたわけでもないのにその近親者が亡くなると香典を包んだりする。捨て義理程度のものなのだが、そんな返礼だからお茶がつけられることが多い。若い者ばかりではない。最近はそこそこの歳をいったものでもお茶など飲まない人が多い。いわゆる農作業をしているとお茶の休みを欲しくなるものなのだが、農業が廃れればそうした慣例もなくなる。マチ場の育ちの人たちにはこの「お茶休み」が不思議でならないのだ。農家では農作業をしていなくてもお茶の時間が欲しいのだが、農家に嫁って北きたマチ場のおんなたちにとってはこの時間が無意味に映るようだ。こうして農業が廃れればお茶も廃れるごとく、葬儀の返礼につけられたお茶が会社の給湯室に無造作に積まれる。捨てられたわけではなく、会社で「使ってくれ」ごとく置かれるのである。わたしには若干なりとも「捨てられている」ような雰囲気が漂っているように思う。香典が多ければお茶ばかりたまって余ってしまうというのが実情のようだ。
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ほぼ1年ぶりの長野

2009-07-29 21:17:36 | ひとから学ぶ

 仕事での久しぶりの長野行きである。いつ以来だろうと探ってみるが記憶がたどれない。1年ぶりくらいかもしれない。午後からの打合せでも結局はほぼ1日潰れることになる。ここが南信の人たちの負担であることは言うまでもないが、それを利用するのがまたこの地域の人たちのこころの余裕だと思いたい。まっしぐらに長野に着いて、まっしぐらに帰還するようなことをしていてもこころは労われない。そういう観点なら電車で向かえば良いのだが、大量の荷物を持っていて、電車で行くには重い(けして持っていけない重さではないが)。そこで「久しぶり」に輪をかけたような長距離の運転である。せっかく行くのだから午後いちという打合せの時間を想定して中条村経由で行くことにする。もちろん目当ては「つくし」のうどんを食べに行くのだ。長野暮らしをしていた際も主張で中条村に行くと、決まってここを訪れていたのだが、けっこう閉まっていて肩を落とすことも多かった。「営業中」であることを期待して出かけたわけであるが、当然ここへ立ち寄るには高速は豊科で降りる。時間に余裕を持って出発したから、高速上は80キロから90キロ程度のスピード。かつてならこんなスピードでは走らなかったが、年齢がそうさせる。このスピードだと抜かれるばかり。時おりわたしより低スピードの車が走っていて抜くが、その台数は数えるほど。高速道路を走るのも1年ぶりに近い。高速道路から犀川沿いの国道19号と景色が変わっただろうかとうかがったが、窓を流れていく景色にほとんと変化はない。大雨警報が大北地域に出ているということもあってか犀川は濁った水が満杯に近く流れている。ここに連なる東京電力のダムはどれもこれも放流中である。

  そして1年ぶりのつくしにたどり着くと「営業中」の札が目に入った。安堵の一瞬である。暖簾をくぐるといつものおばさんがいる。ラッキーなことにこの日はレジの横におやきが並んでいる。いつもおやきがあるというわけではない。ようはお土産に買って帰れるということ。うどんが美味しいことは以前にも触れたが、おやきも美味しい。めったにお土産など買って帰らないわたしには珍しく良い日なのだ。つくしの野菜うどんは、毎日具が異なる。いや、毎日なのかどうなのかは毎日訪れていないから定かではないが、時おり訪れれば必ず同じうどんが出てくるということはない。だからわたしには毎回具が違うという認識がある。

  暑い中熱いうどんを食べて足早に外に出る。以前訪れていた下長井地区に寄って行こうと道を登るが、いつもの道が通行止めである。迂回路は砂利道の細道。そして地区に入ってもう一方の道で長野市へ向かおうとすると、そちらも災害のため通行止めの様子。仕方なく引き返して砂利道を戻るが、これ一本がよそとをつなぐ道というのも心細い。とても大きな車は通れない。このムラも間もなく長野市に編入される。わたしにとっては最期の中条村だったかもしれない。

  さて帰り道は長野から今度は足早に高速に乗る。疲れるが往路よりはスピードを上げて走る。かつてならスピードを出していて抜いていく車はBMWやベンツだったが、この日わたしの記憶に残った車3台とも同一車、レクサスLSだった。金持ちは違うなーという印象を抱く瞬間なのだ。

 

 

 写真は中条村に隣接する信州新町山上条にある柳沢分校でこの日撮ったもの。石碑にある歴史によれば、歴史は明治6年に始まる。残念なことに廃校になった年が明確ではない。昭和30年に新町小学校柳沢分校になったところで記録は終わる。石碑が建てられたのが昭和55年で「閉校記念」とあるからこの年に閉校したのだろうか。当事使われていたと思われる椅子が、ゲートボール場の脇に並ぶあたり、かつてこの椅子を使っていたお年よりが今も利用しているのだろうか。

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洗浄過程のない食品

2009-07-28 12:27:21 | つぶやき
 先日静岡県の農業に関するある資料を見ていて思ったのは、お茶にもずいぶん多くの消毒をするということであった。そこには年間11回という数字があった。もっと驚くべきことは、自宅の周囲に果樹園がたくさんあって、品種がそれぞれ異なったリンゴやら梨を毎日のように日替わり消毒するところから「果樹は消毒の回数が多い」という印象を持っていたが、実は果樹ばかりでなく野菜にもたくさん消毒をするものがあることに気がついた。いわゆる農協などにある防除暦を見てみると、さまざまな害虫に対して防除の標準的な散布量が示されている。もちろん必ずそれをしないといけないというものではなく、天候の具合などを見計らっていて最小限の防除を行なうことになるのだろう。野菜などは無農薬野菜が出回るように、気候風土などによって一概に標準というものはありえない。どこでも同じ病気や害虫が発生するものでもなく、周囲の環境と関係する。

 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会のページに生産者クローズアップという記事があり、提携先の生産者を取材している。三重県の新生わたらい茶について触れた記事を読んで気がついたことがあった。「一言で「製茶」ということが多いが、実は収穫された生葉が、私たち消費者の手元に届くまでには二つの工程があるのをご存じだろうか。収穫したての葉を蒸し、乾燥や何段階かの揉みを経て「荒茶」にするのが最初の工程。荒茶は湿度や湿度を管理した状態で保管され、茎や粉などを取り除く精製を行った後に包装、出荷される。これが「仕上げ茶」、または「再製茶」と呼ばれる2番目の工程だ。一般的に流通する茶の場合、この再製茶の段階でブレンドが行われる」という。一番茶が最も美味しそうということは誰しも解ることだろうが、市販されているお茶に「一番茶」とか「二番茶」と表示されているものを見たことはない。いわゆる「新茶」という表示はご存知だろうが、一番も五番も新茶には変わりない。きっと直売をしている産地では一番茶なるものが出回ることもあるのだろうが、一般市場では見られない。ようはブレンドすることでお茶の市場の安定を図っているということなのだろう。

 もうひとつ「茶は収穫から製品になるまで、一度も「洗う」工程がない」というものだ。意外と思うかもしれないが、農産物に洗浄過程があるものの方が実は少ないのかもしれない。八百屋さんに並んだ野菜は、かつては包装もされずにそのまま並んでいて量り売りをしたものである。今でこそ衛生観が高いためか、小売りするにしてもラップで包まれていたり袋詰めにされていたりする。だからといって購入した野菜を洗わずに料理する人は少ないだろう。もちろん焼肉をする際にわたしたちは買ったまま洗いもせずに鉄板の上に並べることはあるが…。ちまたには野菜を洗うための洗剤も出回っている。農薬を洗い落とすという意味でも買った野菜を洗うのは当たり前のことで、無農薬野菜であっても通常は洗って利用するもの。しかしお茶を洗って使うなんていうことは消費者はできない。買ったお茶はそのまま胃の中に入っていくわけでそれが農薬のかかっていたものなら少し躊躇するだろう。そして前述したように洗う工程がないということは、通常飲用しているお茶には農薬が混ざっていると思っても間違いはないということになる。国産茶ならともかく世の中には多種のお茶が流通しているわけで、輸入されたものも多いだろうから驚くようなケースもあるのだろう。
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当たり前のこと

2009-07-27 12:30:19 | ひとから学ぶ
 白楽天と鳥巣禅師のやりとりを教えに例えて示されるとなるほどと思うところがある。さぞ当たり前のことでもそれができていないというところが、実は人のよの心の背景だと思わされる。『慈窓』(真宗大谷派善勝寺)530号での取り上げられているやり取りはこうである。「白楽天は「私はあらゆる文学や政治の世界について何でも習得したが、仏教についてはまだよくわかっていないから、誰か優れた先生は居ないか」と側近に尋ねる」。ここで鳥
巣禅師を紹介されると大勢の家来たちを引き連れて鳥巣禅師のところに行く。「「仏教とはどういう考えか」と尋ねると、鳥巣禅師は「仏教とは、諸悪莫作(悪いことをするな)衆善奉公(良いことをせよ)自浄其意(心をきれいにせよ)是諸仏教(これが仏の教えだ)と教えた。すると白楽天はかんかんに怒って「国の偉い大臣で文学にも優れた私が頭を下げて教えてくれと頼んでいるのに、三歳の幼児でも知っている、つまらない事を言うとは何事だ」と言う。そうすると鳥巣禅師は、「確かに三歳の子どもでも知っているが、白髪の老人でもこれができる人は一人もいないではないか」と、喝破した」と言う。

 同紙ではこのやり取りを例えて子どもたちが「挨拶をしない」と言う。「学校の勉強は自分の頭で計算されることだけを受け入れる。計算されないことは全部切り捨て。だから儲かることならやる。儲からないことはやらないのであろう。だから朝、みんなに顔を合わせるとき、「おはよう」と挨拶しなさい」と学校では教えられるが、今、「おはよう」と挨拶する子どもが減ってきている」と言うのだ。ようは解りきっていること、当たり前のことが計算づくで演じられているのではないかと、近ごろの風潮に釘をさしているのである。白楽天と鳥巣禅師のやり取りを例えば国政にトレースしてみよう。きっと国を導いているのだから偉い人たちなんだろうが、当たり前のことができているだろうか。それこそ鳥巣禅師の仏教たるは何かという教えには整合しない。麻生首相が意図と反した受けとられるような発言をすると、その発言の言葉尻だけを捉えて批判する。どれほど立派であろうと完全はない。もちろん国の首相ならそれくらいは当たり前だろうという意見もあるが、欠点ばかりを取り上げて自らを正当化するという考えがこうした計算づくの子どもたちを育ててきた。

 自宅の近所の子どもたちがあまり挨拶をしないということを以前に触れた。さすがに顔なじみになってくれば気まぐれに挨拶の言葉は出るが、率先して発せられる挨拶ではない。そのいっぽうマチ場の小学生はお横断歩道で停まると必ずしっかりとお礼の挨拶をする。農村部では他人と遭遇することがないこともあって、常に道草状態で、人の顔など意識しないのである。いっぽうマチ場の子どもたちは常に人と遭遇する環境にあるため、きちっとした対応をするだけの意識を持っている。どうあるべきかなどということは容易には判断しがたい。できることが完璧にこなせればイメージも評価も高いだろうが、果たしてそれが答えかどうかは解らないのである。そう考えていくと、教えはその通りなのだろうが、さらに奥深い心意みたいなものを捉えきらないと人は見えてこないということなのだろう。いずれにしても国政を担っている人たちが足の引っ張り合いしかしない時代にあって、子どもたちが計算づくで生きるようになるのも当たり前なのかもしれない。
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残念だった松本第一

2009-07-26 21:14:00 | つぶやき

 海の日の20日、家周りの整備をしていて一休みと思って点けたテレビに映った松本第一高校の姿が印象深かった。この日松本第一はシード校の都市大塩尻を圧倒した試合をしていた。第一印象は「打つなー」というものでこれに勝つとベスト8。かなりいいところまで行くのではという印象を持った試合だった。

 準々決勝では意外や佐久長聖がノーシードの飯山に負けた。驚くことにそのスコアも2:6というもので佐久長聖にしては「どうしたんだ」というものであった。とくに春の北信越大会の優勝校ということで優勝候補筆頭だった。エース級の投手を3人も擁していると逆に投手起用で左右されることもあるのだろう。最近の高校野球では複数の投手が必要と言われているものの、やはりエースはエースであって、不動の座を守っているような投手が必要なのだろう。エース級複数という構成は難しいのだろうということを感じたりする。

 注目した松本第一は、準々決勝では乱戦を制した。相手は3年連続の甲子園を目指していた松商学園である。最近は松商学園が甲子園に行くと一回戦負けが当たり前のようにささやかれてあまり印象が良くない。そういうレッテルを貼られている松商学園が可愛そうでもあるが、なかなか勝てないというのは松商以外が甲子園に行ってもそれほど変わるものではなく、松商学園が悪いわけではない。ただ、どうせ1回戦負けなら違うところが行った方がいいじゃないかという考えが浮上するのも解る。都市大塩尻戦でも良いピッチングをした2年生の山田。準決勝では山田の出番なく予想通り佐久長聖を破って勝ち上がった飯山を下した。予想通りの松本第一の決勝進出だった。

 いっぽういっぽうの準決勝には予定通りの長野日大と地球環境が勝ち上がった。高校野球マニアではないのでそれほど詳しいわけではないが、地球環境の姿を見てすぐに気がついたのは「このユニフォームは羽鳥カラーだ」ということである。2001年に35年ぶりに夏の甲子園出場を果たした塚原青雲高校のイメージそのものである。最近は長野県内にも良い指導者が増えた。2004年に再び甲子園出場を果たした塚原青雲であるが、塚原学園の募集停止問題から経営移譲などもあって羽鳥監督は同校を去った。その羽鳥監督が地球環境の指揮を握っているのは、このカラーを見ればすぐに解る。そして通信制の高校として設立されている同校がこうして勝ちあがってくるあたりが、羽鳥采配なのかもしれない。

 期待の松本第一は決勝で長野日大と対戦することになる。今年のベスト4はどこが頂点に立っても選手権大会初出場という顔ぶれとなった。選抜優勝校が地方大会で消えるように、最近の高校野球は「必ず」という予測は立たない。投手のその日の出来によっても異なるし、相手打線との相性というものもある。都市大塩尻や松商学園と戦っていた時のような鋭い打線がこの日は見られなかった。結局長野日大に大差で敗れてしまったが、本音のところでは松本第一に甲子園に行ってほしかった。これは地域性とも言えるだろうか。長野高校よりは松本の高校に行ってほしいと毎年思っている。とはいえ、今年の長野日大のレギュラーには伊那谷の出身者が3人もいる。ようは「長野」とは言っても県内から集まっている。かつての松商学園のようなものである。思い出すに、かつては野球なら松商学園という印象があった。このあたりからも松商に野球のために行った生徒がいたものである。ところが最近は伊那谷から松商に行く生徒があまり見られなくなった。最近とくに多いのが佐久長聖である。そしてかつて松商で監督をしていた中原氏が長野日大に迎えられてからというもの、野球なら松商というこれまでの進学ストーリーに変化が現れている。松本市域からは松商学園を目指す生徒が多いのだろうが、それ地以外の地域からは選択肢が多くなったといってもよい。なぜ伊那谷では松商から佐久長聖へとストーリーに変化が現れたのか、その背景には理由があるはず。松商学園にとっては厳しい時代が訪れているのかもしれないが、こうして有力校が何校も現れることで少しずつではあるが競争が高まり、また見ている側も楽しくなる。

 さて、松本第一といえばかつての本郷高校である。わたしの時代には調理師学校というイメージがあった。校名が現在の松本第一になったのはそう遠くないことなのだろうと思ったら、昭和59年のことというからもう25年ほど前のこと。本郷高校だったということを知っている人は、年寄りの証明なのかもしれない。

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梅雨空の下のうわごと

2009-07-25 16:37:13 | つぶやき
 「マニフェストばらまき過熱 問題は財源」というニュースが流れた。国民の関心が高まって、投票率も上がるのではないかと言われている総選挙。まだマニフェストは自民党民主党ともに出されていないものの、この見出しのようにずいぶんと「良いことばかり」流して、国民の気を引こうとしているのは歴然としている。民主党が前倒しを連発しているそんな重点項目、とりわけ子ども手当の全額支給に毎年5.5兆円というのはなかなかのものである。とかく福祉政策に対してはばらまきという言葉があまり使われないが、そうした手当てをすることで子どもを生みたい、育てたいという人が本当に増えるのかというところは疑問を抱く。社会構造、そして何より人々の意識の中に家族というものがウェイトをしめなくなってきている。この状況がかつてのような意識に戻っていくとは思えないわけで、競争に打ちひしがれた普通の社会人に、そうした希望が湧いてくる兆しはない。もしこうした人気取りのような政策で動かされる国民であったとしたら、さらに子どもたちに托せない時代がやってくると言わざるを得ないわけである。ばらまきの先に見えてくるのは、さらなる格差とわたしは考えている。

 太陽光発電施設を設置している住宅とそうでない住宅では電気料金に差をつけるという制度が来年4月から開始するというニュースがあった。生活面においていろいろ優遇措置が目立ってきているこのごろである。それをもってCO2排出量制限に対応していくという考えもあるのだろうが、生活上にゆとりがなければどれほど優遇を受けてもそこに足を踏み入れることはできはしない。近ごろの太陽光発電に対する動きは、それこそ「国民の常識でしょ」ごとき流れを作りだすかもしれない。ハイブリッドへの特別措置も同様で、期限付きの優遇に国民がなだれ込んでいるかのような動きである。しかしながら、そもそも期限付きというあたりが味噌で、先行き不透明な政治がらみの中では、目の先にぶら下がった餌に飛びつくしかないのも実情である。このごろは政策すべてが期限付きのように見えてきたりして、とりあえず早く飛びついた方が勝ちみたいな雰囲気がある。つまるところ生活に余裕のある人たちには得になるが、質素に暮らそうと考えていた人たちにとってはなんともやるせないことになっていく。我が家のように家族も少なく、先々も安定しない家庭にとっては、やれ太陽光発電だのハイブリッドだのという考えは当てはまらない。ようは使えるものは壊れるまで利用して、どれほど消費量が多くて非エコだろうが、それ以上にリスクのあるものに手を出していく状況ではない。我が家で採れる食材で、安定的な、そして最低限の暮らしをできれば良いと考えている者にはたいへん住みにくいことになってきている。消費をどんどんして、それでいてCO2排出量をセーブするという技術力で勝負しようとする日本人はたいしたものなのだろうが、その上向きの考え方にも限度が来ていると思うのだが、時代は人は、過去的視点には問題外の烙印を押すことになる。

 民主党は農業者の戸別所得補償制度を以前から唱えている。これもまた前倒しで導入すると言っており、これには1兆円が必要とされている。意外なのは子ども手当てよりずいぶんとその保障には金がかからないところだ。農家がどうとらえているか知らないが、現状の農家にとっては確実に助けになることだろう。ただし、農業が生き返るには及ばない施策であることは間違いない。1兆円で農業が生き延びれるのならここまで農業は低迷しなかったはず。天下りがなくなってもこの財源が埋まるはずもなく、岡田幹事長は盛んに事業廃止を訴えている。無駄があることは国民の誰もが承知のところであって、だからといってきれいさっぱりと明朗会計になっても財源が泡のごとく浮いてくることはないのである。きっとそこで強いられた人々が、また世の中に溢れかえって景気低迷は持続することになるのだろう。
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歳を重ねて

2009-07-24 12:32:59 | つぶやき
 年老いていくということは致し方ないことである。わたしの祖父母がなくなったのはもう30年ほど前のこと。それでも年齢は80歳近かった。当時とすれば長生きな方だったのかもしれない。今や100歳という人も珍しくなくなってきた。80は当たり前で90歳でようやく長寿という雰囲気すら出てきている。かつてなら50歳といえばずいぶんおじさんと言うかお爺さんに見えたものだが、今はまだ現役でみな働いている。60歳で定年だといって遊んでいると妙なことを言われたりする。変わったものである。毎日帰宅する際に駅で会う先輩は、定年後ずいぶん遠くまで(松本から伊那まで)働きに来ている。もう60歳はすぎているがずいぶんと若く見える。60歳という定年はもはや定年ではないと思う。終身雇用制度が現在にまで継続されてきていれば、世の中はそのまま定年が上へ上へと延びていったものだろう。ところが年功序列が悪のように言われ、実力が重視されるようになると世の中は変わった。年老いて行く者はしだいに邪魔者になり、若年層からは相手にもされなくなる。かつてなら権力にものを言わせてものを言えたのたろうが、今ではそんなことでもしたらますます会社内で浮いてしまう。生き難くなった会社内での立場。そして定年といってもまだまだ若いその現実。当たり前のようにかつて定年が延長されていったが、それは世の中のイメージからすれば当たり前の、ごく自然な流れだったともいえる。それが60歳というあたりでストップし、それどころかむしろもっと低年齢で勧奨されて退職というスタイルも目立つ。わが社もそれを踏襲しているからなんと55歳という若さで会社を退く。すでにその時点でお先真っ暗的な悲観的な将来が見えてくる。よくもまあというほどにみなそれを当たり前のように受け止めていて、働いただけの報酬ももらえずに心身を会社に捧げている。「おかしくないの」と口にすれば口にする方がおかしいと言われる。にもかかわらずお客さんや役所から白い目で見られ、また毎日のように怒られる。病に陥らないのが不思議だ。

 真宗大谷派の「善勝寺報」530号にそんなことか触れられている。「定年退職を過ぎた若い?老人たちが、なぜか明るい顔をしていない。いつのまにか一生懸命育てた子どもや孫たちが、「年寄りは困ったものだ」と、老人を余計者扱いするようになった。だから平均寿命が延びたと言って、喜んだのも束の間、七十、八十の老人たちは、「こんな筈じゃなかった。若い者は誰のお陰で大きくなったか、忘れてはいないか」と、暗い顔をして、変わりゆく世の中について行けず、欲求不満の身を嘆くようになった」と言う。実はこの指摘はわたしには少し前の老人たちの意識だと思う。今ではそういう事実を越えて、老いた者はそうした考えを吹っ切っているように思える。先日も北海道で登山者が何人も遭難したが、高齢化社会を狙って多くの商売が繁盛するようになった。高齢者向けの楽しみはたくさん提供されていて、サラリーマンとして退職した人たちが急増して、年金支給額が下がったといっても世の中には金を持った高齢者がどんどんその世界に流れてきている。むしろ子どもたちと縁を切ったごとく自由な毎日を送る人たちもけして少なくないということである。とはいえ、年寄りの介護で明け暮れた日々を送ったのに子どもたちはとても同じことはしてくれそうもないと自分の行く末を案じる人々も多いのだろう。そして「この歳になって、こんなひどい扱いを受けるなど夢にも思わなかった」とこぼすことになる。

 世の中には運不運がある。妬んでしまえば簡単だが、だからといって人の方ばかり見ていても自らの生活は沈んでいく。結局どれほど他人を見つめていようと、自らに置き換えたときに比較として自分を置いてはいけないのだろう。他人と他人を比較視すれば面白みもあるが、他人と自分を比較してはいけないということだ。解っていてもなかなかそうはいかないものだが、よく認識しておかなくてはいけないことだ。もちろんそんな悟りをとてもわたしは開いていないが…。
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公共交通の終焉に向かって

2009-07-23 12:30:48 | つぶやき
 民間事業者では成り立たないから行政か担っている事業の一つに公共交通がある。このことも何度も触れてきたことであるが、公共に限らずバス路線に対しての住民の目は冷ややかなものである。そのいっぽうで、路線バスが見直されて廃止されるというと地域の足を奪うといって異論が出る。いずれにしても地域が考え方を見直さないと公共の交通は残せないだろう。先日も触れたリニア問題で信南交通のことに触れた。バス事業においてはかつてのような団体利用も減って、今や高速バスだけが頼りなのかもしれない。そんななかで、リニアが開けて飯田に駅でもできたらもはやバス事業者は生き残れない。まだ先のあることだからそれまでにどう事業展開していくかということを考えれば良いことだろうが、バス事業者が地域からなくなってしまったらどうかということを想像してみるとよい。

 「長野県政タイムス」の7/15版トップではこの地域公共交通について取り上げている。利用者減による経営圧迫が自治体に重くのしかかる。同紙によれば国の地域公共交通活性化再生総合事業に国全体で349件も参加しているという。そしてその予算は69億に上ると言われ、前年度予算より39億円も多いという。近在でもこの事業に関わって地域交通を再整備したという話が何件もある。流行なのか国費も増加したようだ。しかし導入したからといって状況は良くならない。どこもかしこも空気だけを運んでいる。地域住民は本気で利用する気があるのかということである。真昼間の農村地帯を循環するように走っても無駄に寄り道しているだけになる。しかし、本気で利用する気があればけして利用できない設定ではない。

 国民の税金を使って空気だけを運んでいるようでは無駄使いということになる。強制的に利用してもらうということはできないかもしれないが、そういう手立てを考えるか、そうでないとしたら辞めて違うシステムを考えるしかその無駄を有効にする方法はないのではないだろうか。歩くこともさせず、子どもたちを個々の家で送り迎えをしているような姿を小学校のころから見ていると、まず送り迎えはさせないというような方針をどこかで出すようなことをしないと車離れができないだろうし、当たり前のような車ありき社会は解消できないはずである。ましてや民主党が政権を執ると、高速道路の無料化、そして暫定ガソリン税の廃止も言われている。確かに経済波及効果は大きいかもしれないが、だからといって輪廻のごとく同じことを繰り返すような気がしてならない。ようはどれほど住民のためを思って施策を打っても、天秤に掛けられればすべて無意味なものに消えてしまうことの多いこと。この心意構造を詳らかにし、予測する方法を考え出したら、その先には総合社会システムが構築できるだろうに、それは夢の夢である。民主党のこの二つの提案は、公共交通をさらに奈落の底に突き落とすとも言われている。時代はハイブリッドが人々のニーズに追いつかないほどの人気で、その先には自動車関連業界の異変が起きるのだろう。そしてますます車社会は加速するかもしれない。ますます道路整備はとどまるところを知らないほど進むのかもしれない。リニアの先には直線弾丸道路が浮かんでくるやもしれない。まあそのころにはわたしもこの世にはいないだろうが、これが輪廻というものである。これら提案が一度導入された暁には、二度と復活はできないだろう。政権を執っても執行するまでに十分思案してほしいものである。メリットばかり聞かされているが、実は大きな転換であるとわたしは思う。
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定住自立圏構想再び

2009-07-22 12:40:07 | つぶやき
「総務省のドラえもんポケット」の補足として

 定住自立権構想の全国のトップを切って飯田市下伊那地域が関係市町村で締結した。いち早くそれに進んだ理由に、飯田市の牧野市長が定住自立圏構想の推進に関する懇談会の構成員として関わったということがあるようだ。率先してモデルケースをという意識がそこには働いている。それぞれの町村議会において反対票を投じた議員たちの危惧は、中心市の立場になる飯田市の言いなりになってしまうのではないかというものであった。その反対票を投じた議員たちはおおかたが共産党議員であって、異口同音に反対主旨を述べた。みんなが「そりゃあ、いいことだに」といって賛成してしまうよりは、反対意見があることにより議会が「本当にいいんだろうか」と立ち止まってみることは良いことである。しかし立ち止まったところまで行ったかどうかは疑問が残る。どこか慌てて協定を結んでしまったという感が否めない。それもこれも冒頭の理由が絡んでいないだろうか。トップを切って動かなくとも良いことだと思うのだが。大多数の人口を有している飯田市の住民にとってメリットはあるのか、問えばきっと多くの市民は関心がないだろう。そもそもその構想には役割分担的なものがあり、中心市たる立場からは具体的な連携が見えにくいはずだ。締結後に新聞紙上などでも、その実はどうなのかというような意見が市民から出ていることも耳にする。ようはメリットデメリットは何かということなのだが、周辺町村の期待ほどには市民にとっては具体的なものが見えてこないだろう。役割分担と言う視点でいけば、農産物の地産地消という面では市内にある山間地域あるいは農村地域にしてみれば周辺の町村に主体が取って代わられるということも考えられる。何をもって分担するかといえば、むしろ同一行政区域の調整よりも難しくなるだろう。確かに主旨の聞こえは良いのだが、具体的には見え難いことも事実である。できそうなことをスローガン的にかき集めて見出しを設けても、具体論にはならない。もっと集約した構想ではいけなかったのかという印象も残る。

 「長野県政タイムス」の7/15版はそういった意味の指摘をしている。この構想の原点をもう一度うたってみよう。「「中心市」と周辺町村が協定を結び「圏域として定住・自立・発展を目指す」ことが大目標。中心市は病院やショッピングセンターなど都市機能を整備し、自然環境や食料生産などを周辺市町村が担って互いに連携しながら「圏域としての利便性を高めていく」ことで「大都市への人口流出を防ぐ」」というものだと同紙は説く。飯田市には多くの山間部が含まれる。そうした山間部と周辺町村という図式はどうなのだろう。そもそも飯田市内部においてそうした圏域思想を持った行政が望まれているはず。病院問題はともかくとしてショッピングセンターなどの都市機能とうたわれると同紙が指摘しているように、ますます中心と周辺の格差が生じかねない。そして締結したことによって補助金をもらうからにはそれに見合った活動が求められる。そのことに目を奪われた予算執行をすれば、無駄も生じかねない。やはり重点になる施策を絞って進めるべきものなのだろう。

 同紙によれば「平成二十年十二月二十六日付の瀧野欣弥総務事務次官名の各都道府県知事、各指定都市市長宛の「一通の文書」で実質的に始まった」としている。これが途中辞任した鳩山プランの一つだったというのは知らなかった。正式に立ち上がったのもごく最近のことであるとともに、政策がころころ変わる姿が見て取れる。世の中は総選挙で政権交代が実現しそうだ。不安定な国の視線の先はまったく見えてこないわけである。同紙はさらに「その一方で、「広域行政圏計画策定要綱」と「ふるさと市町村圏推進要綱」は「平成21年3月31日をもって廃止することとします」とした。突然の廃止だったという。今回の定住自立圏構想は、「そうした事がない様に」祈る」とまとめている。政権交代が見えているだけにそうした「突然」のお触れが今後たくさん下されるのかもしれない。同じようなことを繰り返してもどこか違う。それを判断しがたいと感じ受け止める自治体もあるのだろう。そもそも定住自立圏構想の文書が各指定都市市長宛に出されたというあたりからして、この施策が中心市に主眼をおいたものであることは歴然としている。考えるほどに慌てた行動と思えてくるのだが…。
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獣害

2009-07-21 12:28:42 | ひとから学ぶ
 わが家の弁当は、妻が実家から持ってくるたまごが毎日の定番であった。生家でもわたしの子どものころは祖父が鶏をたくさん飼っていて、近所への手土産には必ず持って行ったし、また来客があればたまごを手土産に持っていってもらったものである。飼っていた鶏の数からいけば、自家で消費するだけでは処理できないほどいたから、その昔は出荷もしていたのかもしれないが、そのあたりは記憶にはない。いずれにしてもわたしの記憶のあるあたりからたまごはどんどん値が下がっていった。今ではたまごをいただいても嬉しくないと思う人もいるかもしれないほどに。

 そんな妻の実家の鶏が、獣に捕られたのは年の初めのころだろうか。生みごろになっていた鶏を捕られてしまったので自家消費もままならないほどに残った鶏では間に合わなくなった。ということでここ半年ほどは買ったたまごに頼っている。自家のたまごを利用していた者にとっては、安いたまごを買う気にはなれなかったのだろう、妻の購入するたまごはけっこう高価なたまごである。

 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会のページに「知って欲しい、たまごの適正価格」という記事がある。ちなみに7月の適正価格は528円だというが、市場価格は6月平均で163円だという。適正価格って何なんだということになるだろうが、それは生産者のかかった費用に諸費用を積み重ねていった生産者側重視のものということになるのだろうが、生活クラブ生協では「生産原価保障方式」による安定価格で、国産鶏種のたまごを生産者から買い入れているという。解説には「「生産原価保障方式」とは、ヒナ代、飼料代、人件費などを積み上げて、持続的に生産できることを前提にした価格」ということらしい。同生協では代表的な提携生産者である鹿川グリーンファームから1kg290円で仕入れ、組合員価格は360円(班共同購入価格)ということだ。あくまでも生産者ベースの適正価格であるから、消費者ベースだったら異なるのかということになるが、消費者はあくまでも市場の価格に左右される。ということは供給が過剰になれば値が下がるわけで、豊作貧乏と同じことになる。同生協ではこう指摘する。「異常な価格低迷と原油や飼料高騰により、中小の農家養鶏が廃業に追い込まれています。そして、国産鶏種のたまご生産者は、中小の農家養鶏がほとんどで、国産鶏種のたまごが、なくなってしまう危機が迫っているの」というわけである。たまごを生産する鶏の親は約94%が外国からの輸入だということで、ようは純国産というのは限りなくゼロに近いといってよいわけで、最近影を潜めている鶏インフルエンザが海外で流行したらたまごそのものがなくなってしまうということが予想されるわけである。

 生活クラブが国産種の鶏にこだわる理由というものがネットにあるのでその背景はそちらに譲るとして、鶏に限らずそれに近い農産物という物が多々あることは事実。それらが日本の食糧自給率回復の壁になっているともいえるのだ。わが家でも同生協のものを利用しているが、さすがに毎日使うたまごについては配達サービスのあるいわゆる生協に頼っている。その後購入したひよこたちが盛んに産み始める日を、今は待ち望んでいるばかりである。
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三度リニア

2009-07-20 21:22:13 | ひとから学ぶ
 三度リニアに触れてしまうことになんともやるせない気持ちが出るのも致し方ないか…。

 羽生正昭氏はこう言う。「単なる一民間企業の仕事ではない、今回のリニア中央新幹線は公共性があると言う主張は当然ですが、その公共性とは日本の基幹路線として首都圏と主要都市の名古屋・大阪間を短時間で大量に快適に安く輸送する事です。この公共性が前提の上に、通過する都道府県に駅を作り、若干でも地域貢献をし、日本国土のバランス良い形成を企図している訳けです。ローカルな発想で路線を曲げてまで延長し、駅を作って貰うとは本末転倒であり、国有鉄道の時代のご当地ソング的考えで、ローカル線の場合の誘致の時に使う手法と思います」といったものだ。連載の内容をよく読んでいくと不可解な部分が多いことに気がつく。これは一例にしか過ぎず、すべてをあげればきりがない。

 この意見のどこに問題があるか、順を追っていこう。民間企業が自分で建設すると言っているのに政治的にいろいろ口を出すのはおかしいという声がある。冒頭の言葉はそこにかかわっている。そもそも民間企業であっても何でも勝手にできるわけではない。道路を造るにしても大規模造成をするにも、人の管理空間を侵すとなれば協議が必要になる。川を渡るには河川占用が必要だし、道路と交差するとすれば道路協議が必要だ。いずれも役所が管轄している部分であって、たとえ飯田だけを通過するといっても国有地や県有地を通過することは必然である。それらを意識せず「自力で造る」と言った松本社長には、わが身を完全な民間企業だとは思っていないといってもよいだろう。なぜならそこまでしても国や行政はそっぽを向かず跪くと考えているわけで、これが単なる民間企業といえるだろうか。民営化されてもう何十年も経つかもしれないが、この大企業は相変わらずかつての意識は捨てていないはずである。そもそもかつてのまま国営であったなら、今でもJR指定業者しか関われないような関係はなかっただろう。それは税金を使っているという視線がこれほどまでに強くなってくれば、もっとオープンにならざるを得ないわけである。それが民営化されたことで、かつての権力は持ったまま、そうした内向きなサポートが許されるようになるのである。

 公共性と言うが、人の土地を通る以上はその土地の人たちの意向に沿わなければならないというのは常である。もちろん強制収用のようなことが行われることはあるが、それこそ民間企業がそこまでしてやれるだろうか。やれるとしたらやはり単なる民間企業ではないのである。このあたりが国が行う、あるいは行政が行う土木事業と特殊な民間が行う土木事業の違いなのである。いわゆる普通の民間にこんなことができるはずもない。公共性の旗印が首都圏と主要都市を結ぶというものだと地方の人間が口にするのもいかがなものだろう。そもそも首都集中にさせてきた最近の国の考えは、今改めるべき時代にきているはず。このままさらに東京―名古屋―大阪を中心にした機能を「公共性」という名の下で整備することは、果たして地方分権を口にする人たちには納得できないのではないだろうか。それを地方の人間が口にするとすれば、そういう人たちは自分の胸に手をやってよく考えてみるべきである。とくに「日本国土のバランス」などというのは問題外の意見である。そして自らの懐の中を通過するというのだから、ローカルな意見があって当然である。それをいかにも「国のために」みたいに掲げるのは、どうみても胡散臭いと思われても仕方ない。ようは逆の立場だったらどうなのか、同じ事を言えるのかということである。JR東海は中間駅などなくても良いと考えている。まずもってこのあたりからして前述したような権力にものを言わせている普通ではない視点がうかがえるわけである。とくに山梨や長野には駅など無くても良いと思っているのが本音のはず。とすればどんな手を使ってもBルートを走って駅が複数できれば通過するだけの地域にとっては得なことなのである。わたしたちにとっては、そこで10分や20分東京―名古屋間に時間を要してもまったく関係ないことなのだろから。

 という具合に結局羽生さんの意見はCルートなら必ずこの地に駅ができるという確率を求めて、そこに「大局的な」という口上で他人を批判しているに過ぎないのである。この地域の多くの人たちがもし同じような意見を持っているのなら、それは違うのではないかと解ってほしいものである。
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勘違いをしている人々

2009-07-19 20:42:17 | ひとから学ぶ
 7/9南信州新聞では「飯伊は直線ルート支持」という意向調査結果を掲載した。飯田駅の設置を望んでいるかという問いに対して、望んでいるが68.5%、望んでいないが5.1%、あとはどちらでもないとよく解らないという回答である。またのルートが望ましいかという問いに、Cルートが75.9%、Bルートが6.9%、あとはどらでもないと良く解らないとなる。意外だったのは前者の駅を望んでいるよりも後者のCルートという回答が7%ほど低かったことである。Cが妥当だと思っても駅が必ず必要だとは思っていない人もいるということである。そして7/11南信州新聞では、意向調査の詳細についてさらに触れ、男性の9割はCルート支持という記事を掲載した。

 昨日は原田秀樹さんという方の連載について触れたが、同時期に羽生正昭さんという方も連載記事を同紙に掲載した。原田さんほど挑発的な文ではないものの、いずれにしても上伊那や諏訪というところを意識したものであることに違いはないわけである。お二方ともCルートを支持するようにという内容であって、さらにBルートになっても上伊那には駅ができないからそんな無用な主張をするなというようなものになっている。そして両者ともそのくらいなら飯田線の高速化を目指せという。

 何度も言うがここでもう一度この高速化ということとそれぞれの立地というものを考えてみよう。現在中央東線を事例に距離と時間というものを見てみよう。松本から韮崎まで88.4kmありスーパーあずさなら約1時間ちょうどである。塩尻から韮崎が75.1kmで同じスーパーあずさで50分余というところである。飯田線にこれを当てはめてみると、飯田―岡谷が75.9kmあり2時間10分ほどかかる。駒ヶ根―岡谷なら39.6kmでちょうど1時間短くて1時間10分ほどである。飯田―岡谷間の距離とほぼ同じ程度の中央東線を比較してみたわけであるが、もちろん飯田線が曲がりくねっているという事実があるからこれをまったく新しい路線を設置して真っ直ぐにすればスーパーあずさ並みの時間短縮は可能かもしれない。ただしそれでも1時間近く掛かるということは事実であり、さらには高速化したとしてもローカル線であることに違いはなく、中央線のような用途の特急が走ったとしても利用者は少ないということは確実である。ここで中央線が廃止された場合はその限りではないのだろうが、その場合中央西線にも影響するわけで、そんな計画を長野県の全体の人たちが望むはずはないのである。例えば松本から、あるいは長野から関西方面に利用する場合、まさか飯田までやってきてリニアに乗ると考えられるだろうか。現在松本―中津川は特急信濃で1時間10分余である。松本―岡谷はスーパーあずさでも20分かかるのである。岐阜県内の駅がどこにできるかにもよるが、どう考えても中央西線の方が選択としては高い。その中央西線が廃止されるなんていうことになったらその代償は大きい。まして飯田線をそれほど高速化したとして現在の利用者にとってどうなのかということもある。地域の足としてのローカル線を、東京や大阪に向かう人のため、あるいは逆の人のために犠牲にしろというのだろうか。環境破壊をもし口にするのなら、飯田線の高速化=リニアBルート、あるいは飯田線の高速化>リニアBルートなんていうことだってありえるのだ。お二方とも飯田線を実際に利用されているのだろうかと思ってしまうのである。飯田線を利用してもいない人たちが、飯田線高速化と口にしないでほしいのである。

 伊那―岡谷間は現在27.2kmで50分余である。「上伊那」といっても南北に長い。どこを指して言っているか両者とも明確ではないが、伊那だとすれば、飯田線を高速化したとしても飯田に駅ができるよりは諏訪にできた方が近いのである。したがって駅ができないのにBルートを主張することを笑いものにしているのは間違いなのである。もちろん飯田とはいっても現在の市内に駅ができると決まったわけではないので、もし飯田と主張している人たちが飯田下伊那と認識しているのなら北端に駅ができれば別であるが。それであっても現在の伊那―岡谷間の時間よりは長いことは言うまでもない。「中央リニアのベストな構想」において長野県内全線地中化ということを言った。Akiさんも「リニア南アルプスルート」において「全部トンネル」でと言う。長野県を通過しないルートかCでもBでも良いから全線地中化ルート、これがわたしの選択肢である。
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最悪なシナリオに・・・

2009-07-18 20:52:53 | ひとから学ぶ
 南信州新聞の紙上は、最近リニアの記事が満載である。ホームページにおいても「リニア」を特集した項目がしっかりと掲示されている。当然のことといえば当然のことなのであるが、最近紙上に連載されている記事には閉口したくなるものが目立つ。きっとわたしのような意見はこの地域で大批判を受けるのだろうが、もはやこのレベルに至ってくると、結論からいくとこの地にリニアは来るべきではないということになる。

 何度も触れてきたがもう一度ここで明確にしておく。当初わたしの意見は直線ルートと言われるCルートが当然だろうと考えていた。「中央新幹線建設報道にみる」では当然とはいえ、それが平和をもたらすわけではないということも触れている。そのコメントにイイガロさんは「始めの内は注目されるかもしれないが、いずれ人が出て行くだけの駅になるのではないかと心配しています。それに、信南バス地元企業が大資本に負けてしまうんじゃないのかなぁ」と言った。高速バスで命拾いしているこの地域のバス会社はリニアによって消えてなくなることは確実である。これこそ「飯田」と口にするとまた妻に叱責をくらうことになるが、ようはこの地域は地域らしさを大事にしているようで実はそうではないということになる。先日の飯田のマチのこともそうであるが、現実的にどうあるべきかということをよく考えてほしいものである。そう考えていくうちにわたしの中では、そうはいっても長野県という地域の中で考えればBルートが最善であると改めて考えるようになった。そもそも最果ての地に駅ができても利用者にとってどうなのかということになる。巷では分県という話も出ているようであるが、そこまでしてリニアに何を求めているというのだろう。だいたい自然破壊を口にする人たちには、リニアそのものをノーと言ってもらいたいものだ。にも関わらず小さな天秤に載せて自然がどうのと言っている人たちには呆れてしまうばかりである。したがって最善のルートはBであるが、そこまでして地域がやりあうのなら、「迂回をしたらいい」で述べたように、長野県を避けてルートを設定するべきだ。今は本気にそう思っている。

 さて、最近の南信州に連載した原田秀樹さんという方、何者だと思って検索してみたら松川町中央公民館で『リニアCルートは こうなる』という講義をしている。それ以上のことは知らないが、いずれにしても新聞に掲載されている記事の内容については、わたしからしてみると個人的な少し詳しい人の毒舌に過ぎず、こういう記事を掲載する新聞のレベルが知れる。真面目にそう思うのならからかいの文は辞めることである。とくに気になったのはその3(7/9付け)にある「中央アルプスのどてっぱらに穴を開けたのはどこですか」というものである。おそらく権兵衛トンネルのことを指摘しているのだろうが、この方はBルート主張者の口にする南アルプスへトンネルを開けることによる自然破壊の指摘に対して揶揄したものである。伊那と木曽を結んだ権兵衛街道の歴史を踏まえてのことと思いたいが、この地域にとってはもともと流通の要的な位置を有していた道である。そこに念願が叶ってトンネルが開けたものであって、よそ様が勝手にリニアを作るために南アルプスにトンネルを開けると言っているものとは比較の対象にならない。そんな事例をもって揶揄しているようではとても正論とはいえないわけで、それを削除もせずに掲載した新聞社の意図は、どうみても喧嘩を売っているとしか思えないわけである。表面上はBルート支持で影を潜めている市長なども思うところがいろいろあるのだろうが、いずれこうした手口の悪いことをしていると、Cルートに決定しても協力を得られなくなることを承知しておくべきである。
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病における差別の構造

2009-07-17 22:48:29 | 民俗学

 「なりんぼ」と検索して、その数はそれほど多くはない。そして検索された内容もここでいう「なりんぼ」を意味したものは数えるくらいである。たまたま差別に関したことに触れてきた。集落単位で差別された人たちを扱った被差別。いっぽう個人的あるいは家として蔑視された人たちにこの「なりんぼ」があった。今野大輔氏は『日本民俗学』256において「ハンセン病差別の民俗学的研究に向けて」と題して論文を掲載している。ハンセン病と言う病の患者が人々に目の当たりになったのはつい先ごろのことである。おおかたの人はその病そのものもをよく認識していなかっただろう。いわゆる平成13年にらい予防法違憲国家賠償請求訴訟がマスコミで大々的に取り上げられてからのことであろう、国民に広く知られるようになったのは。そしてそれを機にハンセン病からの回復者たちも報道上にのぼった。このハンセン病患者のことを「なりんぼ」ということをわたしは知らなかった。聞き取りをする上でもこの「なりんぼ」というものが登場するのだが、その伝承を口にした人の中にも「なりんぼ」とはどういうものを言うか知らない人もいたのである。わたしは以前義父に聞き取りを行なったものを生活暦としてまとめたことがあった。その中に「冬を越させて食べてはいけないといわれた。食べるとナリンボになるといわれた」とかぼちゃのことについて触れたものがあった。このナリンボがハンセン病のことであるということを、当時は知らなかったのである。

 今野氏は「民間伝承のなかに表れたらい病感こそが近代以降の政府による患者の強制隔離政策とともに、現代にまで続くハンセン病差別の原因であったと考えられる」と述べるとともに、同じように差別を受けていた結核とハンセン病を比較して、なぜハンセン病患者がこれほどまでに差別をうけてきたかについて解いている。ともに家筋に伝わる病として理解されていたものの、結核は感染力が強く死亡率の高い病気であったとともに誰にでも感染する可能性のある病気で希少性という面では当てはまらないいわゆるメジャーな病であったと言える。とはいえその死亡率が高いということから恐れられたわけであるが、結核に比べるとハンセン病は感染力がきわめて弱く、らい菌に感染したとしても病気が発症することはほとんどないといってよいという。さらに死に至る病ではなく、発症したとしてもハンセン病を直接的として死亡することはないともいう。にもかかわらず隔離されたというのだからこれ以上の差別はない。今野氏は論文の中で「患者のすべてを隔離するには適していない」という根拠に、結核の患者がハンセン病患者と比較にならないほど多かったということがある。近ごろ新型インフルエンザが話題になっ
た。当初の発症者は完全隔離であったものの、患者数が多くなると対応できなくなり、自宅待機的な状況に至った。隔離に奔走していたころには発症者に対してハンセン病並みの視線が浴びせられた。飯田で長野県内で初めて感染者が出たころには、ずいぶんな電話が保健所に寄せられたともいう。情けないことであるが、希少な異人に対しての視線のごとき捉えが、こんな山間の地域にもあることを改めて感じるのだ。今野氏は「新撰組の沖田総司をはじめ、文学作品に描かれる結核は、白い肌や突然の喀血などの鮮烈な色彩的イメージとともに、希望や才能を持つ若者の命を除々に蝕んでいくという儚を纏う。神仏の罰というイメージを持っていたハンセン病とは、大きく異なる病気のイメージである」という。希少性、そしてイメージ。まさに現代にも通じているわたしたちの根底にある蔑視感のようなものが見えてくる。「近現代におけるハンセン病差別の原因を、強制隔離政策にあると一元的に論じることは適当ではない。人々の日常生活における民間伝承のなかに如実に表れるらい病観の分析抜きにしては、差別の原因を明らかにすることは不可能である」と説く。ここに責任追及だけでは問題の解決にはならないということが示されるのである。

 ところでかぼちゃのことである。冬至にかぼちゃを食べれば病気にならないということはよく知られている。義父にも同じことを言われ、我が家でも今でも冬至かぼちゃは実践されている。しかしそのかぼちゃも冬を越させてはいけないという戒めなのである。それがハンセン病に例えられた背景はいかに。

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**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****