何もしない人間

2024年02月14日 09時28分49秒 | 創作欄

皿も洗わない。

料理もしない。

部屋の掃除、風呂場を洗わないし、トイレ掃除もしない。

ぐうたらの生活であり「あんたは楽でいいね。何にもしない人間、寝て起きれば、食事が出される」と同居人から嫌味を言われ続けている。

一人で生活したのは、大阪支局でのわずかな3か月である。

それまで滞在して医局員の野田誠が結核で入院したので、急遽私が大阪支局勤務となったのだ。

支局と言ってもオフィスではなく、安アパート2階の和室二間であった。

そこのアパートの4畳半の部屋にデスクがあり、電話とフアックスが備えられていた。

寝室兼居間の6畳の2階までから、夜となればスナックや居酒屋の喧騒が聞こえてきた。

そして、隣の部屋の女性は水商売らしく、午前1時、2時に帰宅する。

たまには、男を部屋までれてきている様子であり、私は聞き耳を立てた。

私は、同居人に電話をかけ「大阪に来ないか?」と聞いてみたのだが、「大阪には行く気になれない」とつれない返事であった。

仕方ないと、私は夜の街を彷徨うのである。

アパートのある場所は、大阪阪急 十三駅西から徒歩5分の繁華の街の立地であり、北の新地へ私は向かっていた。

そこは、財界人の情報交換の場として栄えてきた、大阪・キタを代表する高級歓楽街。

バー、クラブ、スナック、小料理屋、和洋割烹などの飲食店舗が集まる、キタの高級歓楽街。北は国道2号線、南は堂島川、東は御堂筋、そして西は四ツ橋に囲まれた、東西約500m/南北約250mの長方形の地域。

私が大学時代に交際した北島芳江は、和洋割烹店の一人娘であった。

彼女の母親は40歳の若さで子宮がんとなり、2年の闘病生活で逝ってしまった。

私は芳江の母の葬儀に出ていた。

喪服を着て意気消沈する芳江に私は惚れ直す想いがした。

芳江から紹介されたことのある従妹の沢田亜希が「コイさん可哀そう」と涙を一杯浮かべていた。

亜希は音大の声楽科でオペラ歌手を目指していた。

東京・日比谷公会堂での藤原歌劇団による「蝶々夫人」を芳江と亜希と3人で鑑賞した日が思い出に残っている。

私は、帰りの喫茶店で亜希に聞いてみた「発声はどうすいるのですか?」。

亜希は微笑みながら「声は体の後ろから出すのような感じですね」と言うのだ。

幼児からバレエを習っていた芳江とは、「白鳥の湖」を鑑賞した思い出があった。

私は、結婚して母親となった芳江に無性に逢いたくなっていた。

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