Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

ぶらあぼ、11、12 月

2016-12-07 19:00:47 | 音楽

ずいぶんと間が空いてしまった。それには、訳があって・・・
ここ1、2カ月は大きな社会変動が続いた。あれこれと勉強もし沢山の本も読んだ。まだ勉強の途中である。
またいつものこの記事に関してもしばらく前の「東京音コンの優勝者」の疑惑が私のこれまでの思い込みをひっくり返すことになった--つまり、日本のクラシックの舞台でも隣国からの危うい支配力が国内と呼応して強まりつつある、ということだ (他の分野では「背乗り」と呼ばれる)。
これについてはまた改めてまとめてみたい。

いまは1年でも音楽会の最も盛んな季節なのに、この2カ月、その多くを逃してしまって実に残念。今日取り上げるのはほんの一部だが・・・

 

この人、とても早いスピードで主舞台へと駆け上がってきている。初めて見たのは何年か前フランスの先生の公開レッスンだったが、彼の顔の印象と同じくとても鋭い演奏だった。

 

いまや老大家となられた。しばらく前に国の何かの栄誉賞を受けられたと記憶、わが国と世界の宝だ。
いまや知らない人もいるかもしれないと思い、忘れ去られることのないように念のため記しておくのだが、アメリカの音楽学校に留学して新しいモダンジャズの理論を持って帰り国内の若手たちに無償で紹介・伝授されたのはこの方のもう一つの大きな功績である。

 

順調に中堅への道を歩むピアニスト、今回のこの2曲はあわせて独特の雰囲気をかもし出す。

 

何四重奏と呼べばいいのか? 西欧の匂いではなく日本独自の匂いを持った演奏と創作を目にできるのは嬉しくたのもしい。

 

すべて武満徹作品の特集である。あんまり無い貴重な機会だ。

 

モツアルトの弦楽四重奏にレクイエムを移す、という企画。合唱は?・・・と一瞬思ったが、そうだった、多くは管弦楽と重なっているのだった。一段とintimateな響きで迫ってくるだろう。とくにRecordareや最初のフーガなどは格別だろう。

 

リゲティの曲すべては知らない。すごい人だとは思っているのだが。取り上げられた2人のわれらが日本人作曲家はどのようにつながっているのだろうか?  このような機会を得て知見を広げたい。

 

「孤高」、「峻厳」と聞くだけで期待は高まる。そんなに多くのステージは見かけない人のようだ。今回ぜひ演奏に接してみたい。

 

この曲は弾き手によりみな大きく異なった魅力的な姿を現す。

 

フランスの曲ばかり、そして少なくともピアノ、ヴァイオリンはフランス派に親密な方のようだ。チェロ、クラリネットの方は知らなかったが、YouTubeで聴いてみるとその実力に納得。
https://www.youtube.com/watch?v=eeurW6xRg-k
https://www.youtube.com/watch?v=1JvLjvcVTeY

 

わりと新しく根付いた弦楽四重奏団の一つ、レベルは世界的、われわれはもっと自信を持とう。

 

この曲、他の楽器や編成へのアレンジがとても興味深い効果を持つ。ただ(いつもの如く)調律が平均率でなく古典調律ならもっといいのだが・・・

 

新しいスターたちである。これからもあらゆの機会で活躍して欲しい。応援はわれわの義務。

 

 

最近ようやくピアノ二重奏が確固たるジャンルとしてステージに乗るようになった。嬉しい。今月これらだけでなく他にもいくつかあった。

ついでだが、芸大の或るピアノクラスの学生たちはデュオを沢山YouTubeに発表している。
https://www.youtube.com/watch?v=_oGOGIU3zdw
https://www.youtube.com/watch?v=xNLhY1uXNQk
https://www.youtube.com/watch?v=AfbuJHXJmxI&t=58s


 

この会場で6回にわたって入賞者を紹介。(12月26、27日)

 

ハンマークラビアを選曲、とは勇気が要っただろう。ぜひ行ってみたい。(12月19日)

 

この人はしばらく前国内のコンクールでフランス曲を弾いて何回か連続して入賞したと記憶。(12月15日)

 

この人もそう。YouTubeでは国内外のコンクールでのすばらしい演奏もいくつか披露されている。コメントにもある通りとてもbrilliantな音色である。(12月17日)。https://www.youtube.com/results?search_query=nagao+haruka

 

日本の歌を外すわけには行かない。(12月9日)

今回はOSの変更とともに替えた画像処理ソフトの使い方に慣れていないため写真があんまりきれいでなく恐縮です。

 

 

 

 

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10月のぶらあぼ

2016-10-11 09:38:31 | 音楽

いま秋、音楽会が最も盛んな季節だ。
ぶらあぼを見ても沢山興味深いものが見つかる。それぞれについて何かしら言いたいこともあるのだが、体力がもたない。そのほんの一部しか取り上げられなかった。

 

ベルギーの人たちの作品で、日本人は女性歌手がごくわずかだけ登場する。川端康成作品だが「美しい日本の私」とはずいぶん印象が異なる。「老人が薬で眠らされた若い女性の温かい体に寄り添い一夜を過ごす」物語りで「別れ、老い、死」がテーマ、とのことである。西欧人たちにとっては川端をこういう風に見るのか、こういう所に関心があるのか、とむしろそういうことに注意が向く。

どんな音楽なのだろう? 後期ロマン派? 新ウィーン派? それともその後の砂粒のようなあるいは空飛ぶ電波のような現代ものだろうか?

 

声明はそのまま使うのかな? それとも「音楽的処理」が行われているのだろうか? それにしても「トスティの歌曲」との相性はいかに?
築地本願寺には中型のオルガンが据えつけてある。仏教音楽も眠りから醒めて来つつあるのかな?

 

「武満を弾くことで自分が日本人だと実感した」、(弾いていて自分が)「日本人だなと感じる瞬間があった」とのこと、すばらしい自覚、洞察だ。ぜひ聴きに行ってみたい。
ギターのために武満が曲を書いたことでギターはこれからも永い命を得たと思う。

 

ピアノデュオのステージを何年か前からよく見かけるようになっている。独奏では決して聴けないレパートリーや豊富な音色は魅力的だ。

 

立派な声楽の賞を受賞されたようだ。東海大学卒、そして津波をかぶった福島県いわきのご出身だそうである。東海大学の音楽の教室は丹沢の麓、小さな丘陵の上にあって、どちらを向いても懐かしい景色が広がっている、そんなところだったと憶えている。たしか小さなオルガンが1台あったような記憶。

 

「これを次代に残したい」とおっしゃる。それならぜひ聴かせて頂かねばならない。
柴田南雄氏はその昔評論をよく読ませて頂いたが作品を拝聴したことは・・・残念ながら殆ど覚えていない。

 

新人たちの初めての晴れ舞台だ。いつも目が離せない。

 

何年か前ショパンコンクールか何かで入賞されたこの人、ステージではあまりお見かけしなかったが、内面的な成熟を待っておられたのだ、ということがよく分かった。

 

実は先端的な現代ものは私はあまり好きでない、というよりよく分からない。行く時はいつも恐る恐るで、時には逃げ帰ることもあった。
ビオラもハープもとても魅力的な楽器だ。その魅力だけでも・・・逃げ帰らずに聴き通したい、と願う。

 

オルガンについて勉強する稀な機会!(10月15日)

 

マリンバがとうとうコンクールを作れるまでになった!感慨深い。(10月16日)

 

この方、何年か前にゴドウスキーの「ショパン練習曲」のステージを全国放送で披露された。これは大変に勇気がいることだったろう。それ以来私はこの方に特に注目している。(10月30日)

  

欧州のコンクールで入賞し欧州で活躍中のお二人、日本を離れていて、これからどんな音楽に育ってゆくのか?注目しているのだが・・・(10月22日)

 

 

 

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お彼岸の旅-福島へ

2016-10-03 23:08:49 | 旅行

このお彼岸、墓参りのため、そして最近衰弱気味の体調と気分を湯治で癒そうと10日ほど福島に滞在した。季節は東京より1カ月進んでおり、すでに朝晩はストーブが必要だった。泊まったのは三春町の田園生活館だ。

朝と夕方、お風呂に入り、広い大広間で休んだ。食事は自炊で、地元の産品を売っているこの施設の売店と町中のスーパーで毎日のように食料を買い求め、火を使わない簡単な食事を用意し、焼酎のお茶割りとともに静かなバンガローで--雨の日以外はテラスで--朝から晩まで本を読んで過ごした。

売店では東京のスーパーでは絶対に見かけないような産品をたくさん売っている。生産量が少ないという理由なのだろうが、多くの人々に知られることがないのは実にもったいない。この辺の人々は実に豊かな食生活に恵まれている。

 

泊まったのはこのようなバンガローの1軒だ。木の香りがする。設計も立派、工事もとても丁寧に仕上げられている。昔ながらの大工さんの仕事だろう、と思う。

 

建物のすぐ隣に生えている木には実がなっていた。訊ねてみたが何の実か誰も知っていなかった。鳥が種を落して生えた木だろうか? 少しかじってみると甘い味だった。

 

風呂に行く道には萩が満開を過ぎようとしていた。

 

道沿いの生け垣なのだが、かわいい実がなっていた。

 

その道から見た児童遊園地。土日になると親に連れられて来た子供たちの声が溢れる。

 

近くにある廃校になった中学校。10年前にここに来た時には元気な生徒たちの声と姿で溢れていたのに・・・と寂しい。いまは町のイベント会場として使われていて、今日は「特撮の展示会」をやっていた。廃墟とならなくてよかった。

 

 

丘の道端からみた夕映え。シュトラウス「最後の4つの歌」の第4曲「夕映えに」を思い出す。
https://www.youtube.com/watch?v=co61XmUu-tc

 

これは朝起きてすぐに見た東の空。

 

そしてこれは昼の空。大昔に聴いた「空が近い週末」という歌を思い出した。まだ本物の日本のポップスがあった時代の歌である。

”さえぎるもののない青空に・・・ 不思議ね 空が近い・・・”
https://www.youtube.com/watch?v=qyG1Aan-u5U

 

この町はとても蔵が多い。町中のどこにでも見かける。三春藩時代から、つまり何百年も前の建物を持ち主の子孫たちは今もきれいに保存している。

 

 

裏通りで見かけた医院。これも古い建物だ。こちら側は多分入院病棟、向こうは診察室で新築に見えるが、実は壁だけが新しく、柱や窓、その他の設計は昔ながらのものだった。そしてこのお宅の医業というのも何代も続けられてきたのだろう。
つまり、この町の人々はみな祖先に誇りを持って生きているのだ。

 

宿の物産直販所では珍しいものばかりだった。

「うこっけい」という特別な鶏のたまご。少し小型だ。

 

「ふきみそ」、いまの都会の人々はその味も使い方も忘れてしまったのではないか?
東京ではブルーベリーは輸入のかなり高級な乾燥果実としてしか手に入らない。

 

野ぶどう--名前は聞いたことがあるが見たのは初めてだ。右側のびんは焼酎漬けにしたもの。 「ああ、これのことだったのか」と、改めて有名な現代短歌の作品を思い出す-- ”野ぶだうを運ぶ異装の一隊にまぎれて天に向かひしとのみ”  

 

その他、あれもこれもと紹介しだすときりがないのだが、たとえば、かぼちゃだけでもこんなに多彩である。

 

あっと言う間に10日間が経ってしまった。
またきっと来よう、こんどは1カ月くらいは逗留したいな、と思いつつ丘の道を下った・・・ 

 

 

 

 

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9月のぶらあぼ

2016-09-10 11:02:34 | 音楽

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

やっと涼しい風をかんじるようになった。朝晩だけだけど・・・
色々な大事件が起きる今日この頃、日本は、そして我々はみな疾風怒濤の中で揉まれているようだ。

万葉の響き-「音楽劇」だろうか、それをクラシックとして聴ける日がきた!嬉しい。

 

どんな新しい「日本の歌」が生まれているのだろうか、昔の西洋の曲もすばらしいけど、音楽は新しく生まれてゆくものでなくては。

 

旧朝香宮様のお屋敷。すばらしい石造りで音響も申し分ない。隣に広い目黒自然園があって武蔵野の散策がゆっくりとできる。これから紅葉が始まる。

 

はやく帰国して腰を落ち着けて頂きたい。

 

この作曲家は存じ上げないが、全作品とは思い切った試み。演奏家の方々もみな一流である。

 

このホールは海に近い。マチネだし、前後に海を散歩すると楽しいかな? 客船用の埠頭があった。だがさびれていた。いまはどうだろう? 広い道に大きな並木があった。もう何年も前のなつかしい思い出。

 

西欧の音楽は爛熟し乾燥し何もかも飛散してしまった、と言うべきだろう。東欧はいまだ静かな前世紀の、ときには中世の雰囲気を残していると言われるが・・・一度訪ねてみたい地である。

 

バレエ「忠臣蔵」! ぜひ見てみたい!

 

なつかしい歌、なつかしい響き、この時代の作曲家たちはみなしみじみと心に響く。

 

日本の歌の伝統を守ってゆきたい。みな新曲のようだ。

 

スターリンに消された?にも関わらず多くの作品が生き延びたのはよかった!ずいぶんつらい生活を送られたようだ。「機械主義」であるが他方で民謡の採譜なども行った、というのは興味深い。YouTubeでは前者の例が載っている。後者のものも聴いてみたい。

 

オルフェオ、あるいは亡くなった妻を探して黄泉の国へゆく、という世界中の古文書で物語られた人類的なテーマ。補作によって原作を完成された、というのはすばらしい。

 

このマーラーの曲、私は中学生か高校生の時に聴いてそれ以来一度も聴いてなかった。どうしてかというと・・・ これについてはまたの機会に。ピアノでなくオーケストラ伴奏での歌曲、というのはあまり機会がなく貴重。

 

私費を投じて六本木の自社ビルでこのようなイベントを続けていらっしゃるのは実に尊敬すべきことだ。コンクールのレベルも高い。いまに東京を代表するコンクールになるだろう。(9月10日)

 

邦楽が新しい表現を得つつあるのは嬉しい。日本の作曲家はみな、山田耕筰はもちろん武満徹もじつは邦楽の精神に貫かれている、と私は感じる。(9月10日)

 

「子供は宝」。額田王の言葉には深くうなづかれる。子供は愛情の源泉、思い出の源泉、創造の源泉である!

 

 

 

 

 

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日本人のためのコンクールに戻れ

2016-09-01 10:24:32 | 音楽

前回の記事で東京音楽コンクールへの懸念を書いた。
http://blog.goo.ne.jp/tomatopiagoo/e/611f61e238cce23dd4b044b70d9e3a75
この記事の最後のあたりだ。いまもそのままの気持ちなのだが・・・

8月末、東京音楽コンクールが終り、入賞・入選者が発表されている。
http://www.t-bunka.jp/onkon/onkon.html


ピアノと声楽は一位を反日国が占めている。そもそも国を挙げて憎悪する日本のコンクールに出てみようという気持ちが分からない。良い成績を収めてコンサート開催を後援してもらっても人気は出ないだろうに・・・

これは国際コンクールというより、2国の共同コンクールとなってしまった。互いに背中を向け合う相手とそんなものを開催する必要がどこにあるのか? 無意味、かつあまりにも異形だ。結局、他のもろもろのこの種の機会と同様、価値観が相反する反日国のために日本がひたすら犠牲を払い便宜を提供する格好になってしまった。
まさにそのような都政に邁進し、最後にとうとう出自が明かされることになったマスゾエ元都知事の置き土産であるのは確かだろう。

審査員全員も審査委員長も公表されていない。審査員はピアノの方(3名だけ)はみな名前を聞いたことがあるが、声楽の方はみなまったく知らない人ばかりだ。全員の正しい本名(通名でなく)を公表してもらいたい。
審査員は言うだろう--「実際その〇国人の演奏はよかったのだ」。その時、「わが日本の文化、伝統、感性」という判断基準はあったのか? 
日本のピアノ学生と他国のかれらとは感性が、従って音も違う。他国のそれを聴くと「おお、面白い!」と思うだろう。しかし、だからといってそれが「図抜けている」などと判断してはいけない。
たとえば日本の大学の学生の大半が他国からの出身者で占められることになったらどうだろうか?-- やがて日本の文化も学問も社会も滅びてしまうだろう。

結論--コンクールは元通りに「日本の若手の発掘と後押し」という本来の仕事に戻ってもらいたい。

いま日本社会、日本文化の様々な場面で日本人の存在が押しのけられ他国人がその地位に着く動きが進んでいる。実に残念だ。
「多文化共生」、「人種差別反対」という所謂ポリティカルコレクトネスの標語が叫ばれるのだが、そんな共生はありえないし、わが日本とわれわれ日本人の社会・文化を守らねばならないのは当然のことだ。ポリティカルコレクトネスというものがいかに欺瞞的か、その「先進国」で人々は本音を語り始めている。

EUもアメリカもその失敗を犯して文化も社会も崩壊しつつあり、伝統的社会の保守への回帰に向かっている。前者はドイツがかつてユダヤ人600万人の抹殺を行ったため、また後者はインデアン虐殺(全体の95%)、黒人・シナ人の奴隷制度という原罪があるため、「イスラム難民を無制限に受け入れる」とか「黒人も白人もすべて平等」とか言わざるを得なかった。しかし日本にはそんなことを言わねばならない過去の国民的犯罪、人道的犯罪、歴史的犯罪はない。我々が受け継いできたのは世界でも最も古い誇りに満ちた文化である。この歴史を思いおこし、大切にせねばならない。それが我々に今迫られている最大の切実な課題だ。

思いだすのだが、ショパンコンクールでも何年か前、2位がなくて3位に2人隣国の財閥の息子が同位で入賞したことがあった。当時ずいぶんと話題になって「審査員全員へのわいろ攻勢」などとネットでは「炎上」した。賄賂は大昔からの儒教文明の習慣である。
その入賞者のその後は聞いたことがない。また他の回におけるその国の入賞者も「正当」であったのか、判断し難い。ときどきYouTubeで見かけたりはするが、「なるほど、あの国の感性はこんなものか」と思うだけで何ら感銘はない。

少し横道にそれるが・・・
何年か前に「劇団四季」の事件というものがあった。これは劇団員がある時いっせいに日本人から〇国人に代わってしまったのだ。正しく美しい日本語が舞台から聴こえてこず、演技も姿も日本人のものではなくなり、出演者も通名で発表され、ポスターではどれが日本人でどれが〇国人なのか分からず、日本人の公演を選ぶこともできなくなった。これを嫌った固定客はみな離れてしまった。日本は大衆的な音楽演劇という大切なジャンルを失った。

これは劇団運営者がその国を訪問して公演許可を依頼したとき、交換条件でそんなことを受け入れたためと言われる。どんな対価を得たのか知らないが、自分の利益と引き換えに国の文化をそっくり反日国に売り渡すとは、言葉を失う。

(そういえばこの人はかつて長野の冬オリンピックで演出の責任者をやり、その時入場式の行進曲に「ある晴れた日に」--アジアの植民地支配時代、日本の現地妻が自分を捨てていった白人の男の帰りを信じてひたすら待つ歌である--を使って我々国民をいたく恥づかしくいたたまれない気持ちにさせた。未だに忘れられない。 ついでに言えば、その時の音楽監督は名前がよく知られたあの老指揮者であった。)

テレビ放送が、そしてそこに登場する「音楽」や「芸能」がみな日本人の支配を離れつつある。いまやとうとうクラシックにまで及ぶのか、と感慨深い。

 

 

 

 

 

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