Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

靖国へ

2016-08-17 11:41:03 | 日記

 一昨日15日午後、靖国神社にお参りした。恥づかしながら初めてであった。

私の父、長兄は従軍の経験がある。しかし無事に戻ってきた。その頃の軍服姿の写真を見たことがあるが、詳しく訊ねたことはなかった。もはや鬼籍に入ってしまったため、もう訊きなおすことはできない。

最近そのような家族の歴史がふとしたはずみに思い出されてくるのである。父は、母は、兄は、そして姉は、その時どんな風に生きたのだろうか?・・・・ 当時、私は幼児で、おぼろげにかれらの笑顔や話しっぷりや夕食の団欒くらいしか覚えていない。
いま私の生涯で初めて、当時の人たちの気持ちをじかに知りたい、と思っている。

 

『空を衝くような大鳥居・・・』 かつてよく歌われた歌謡曲を思い出す。
 https://www.youtube.com/watch?v=10o8dWULtjY

 

 

今日はとても混み合っている。 10万人以上だったそうだ。

 

遊就館の正面玄関。これは「武の歴史館」とも呼ぶべきものだった。とても内容が充実しており、1、2時間で見尽くすことはできなかった。まる1日必要だろう。収蔵品は単なる「軍事記念品」ではなく、みな芸術品の域にある。改めてまた訪れるつもり。地方の方、ぜひ1泊、2泊してでもここを訪ねられることをお勧めします!
http://yusyukan.yasukuni.jp/history/index.html

もう一つ「靖国偕行文庫」という文書資料館が隣にあるそうだが、知らなかった。こちらも同時に訪れてみよう。
http://www.yasukuni.or.jp/archives/

 

 

 遊就館のロビーに飾られた「零戦」戦闘機。工芸品のような、と言っても過言ではない素晴らしい作りだ。これは、この施設に飾られたすべての品物についても同様だ。薩摩藩が造ったという大砲なども、今日の製品、と言われても通用するだろう。日本の技術や創造力は当時から高かった。誇らしいことだ。

 

多くの参拝記念品を各所で売っていたのだが、持ち帰る体力が不足。これ一冊だけを買い求めた。「聴け、わだつみの声」と同様、戦いで命を落された父や兄あるいは祖父の世代の方々の遺言が多く記されてあった。 

 

 

 同日、神田小川町からここ九段下にかけて、2つのデモ行進があったという。一つは共産・在日の「反天連」によるデモ、もう一つはそれに対抗したデモ(桜井誠氏も参加されたようだ)。デモのことは帰宅後に知った。実況記録で見てみると参加者はこちらの方が圧倒的に多かった。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/ (16日の記事)

 

 

 そして、その数日前、シナの海軍民兵や軍艦が尖閣諸島に迫ってきた。今日もなお居すわっているそうだ-- 戦後の歴史で今年は転回点になるのではないか、という気がする。気持ちを引き締めてゆかねば・・・

 

 

 

 

 

 

 

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ミトローヒン文書

2016-08-11 11:22:27 | 政治

「KGBと世界」という標題のいわゆるミトローヒン文書(Mitrokhin Archive II)と呼ばれるソ連の機密暴露文書が公刊されていることを知って早速入手し、その一部を読んでみた。

 

 

この文書は、外国の諜報活動の監督を担当していたソ連KGBの工作員ミトローヒン(活動期間は1948年~1984年)が1992年に英国に亡命し当局に手渡したものである。

原著は600ページ余りの大著だが、その中から日本に関する20ページ足らずの部分だけを要約して紹介する。

1948年から1984年とは、日本では片山哲、芦田均、吉田茂、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘と多くの内閣が交代した時代である。

この間、この著書に述べられたような諜報工作がわれわれの知らないうちに行われていた。ロシアとなったソ連は今もこれを続けているに違いない。またその他の諸国、特にあの3つの隣国も同様である。

それ以上に日本の政治・社会・文化・組織に入り込んで力を行使していることは、いまや誰の眼にも明らかになっている。たとえば先の民主党政権では同党国会議員のうち70余名が朝鮮系の帰化人であり、政権党である自民党にも親韓議員が派閥を成し、ともに政権に関与している公明党も在日外国勢力の支配下にある。短期間ではあれつい先日まで都知事の椅子が朝鮮系の手に渡っていた。

国の根幹である官僚組織も各地では地方官僚に朝鮮人が大量に入り込み、国を分断する地方政治を実現している。中央官僚にも帰化人が日本人の名前(通名)を使って多数採用され、外国のために働き日本を根幹から崩壊させている。

左翼政党はすべて外国系に支配され、市民運動という名前で外国人の政治運動が跋扈し、いま日本はあらゆる部分でかれらによる乗っ取り(=背乗り)状態にある、といってもよい実に危険かつ残念な状態である。

これまで我々は「朝鮮進駐軍」の暴虐や、今やっと全貌がわれわれに明らかにされつつあるGHQ・米国によるあからさまな日本支配の振舞いを目にしてきた。ソ連の暗闇での工作がこの著書に描かれたように行われたのならば、われわれの目の辺りにしたあれらの国々の裏工作はどれほどのものだったのだろうか? 

著書に示された多くの工作は、いま沖縄で進んでいる状況と相手の国以外すべて合致することにある種の感銘を受ける。

http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/mitrophin/mitrophin.htm

(今日から数日かけて掲載する予定)

 

 

 

 

 

 

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ぶらあぼ、8月

2016-08-08 08:08:04 | 音楽

毎日暑い。8月1日の前後2週間は毎年覚悟しているが、今年は特につらい。
きょうは8日、朝晩は涼しくなった、と感じられる日が待ち遠しい。
今月も色々あって、書くべき記事をいくつか落してしまった、残念。

 

ここは毎年モツアルトの歌劇をやっている。いつも魅力的である。上手、下手、というのを通り越して、ともかくさわやかで気持ちよく聴かれ観られるのだ。

 

このような編曲に接したのは初めて。バッハはどんな編曲も受け入れる人だったと思う。ピアノでの演奏もチェンバロなどより相性がいい、と思えることもある--ただ、調律が古典調律でないのをいつも残念に思っているのだが・・・

 

 

 

エレクトーンが現代の万能オルガンとして登場するのをよく目にするようになった。特に違和感はない。かつての「電気音」という印象もなくなった。足鍵盤の音域がもっと広がればいいのだが・・・

 

邦楽家だったご先祖の記憶が自分の音楽によみがえる--そのようなことは音楽家であってもなくても誰もが経験することではないだろうか。われわれは毎日近い、そして遠い先祖を思い出しながら生きている。

 

武満徹の後継者を自負する外国の作曲家がいらっしゃるようだ。日本ではどうなのだろうか?

 

「絶滅危惧種」的で「前人未踏系新種」とは、いったいどのようなヴァイオリニストなんだろうか?

 

われわれに最も親しいクラシッグは日本の歌だ。その系譜をすべて辿ってみたい、といつも思っている。

 

少年少女たちのオーケストラ、ぜひ聴いてみたい。(21日と27日)

 

また今年もこのスクールの季節となった。今回は、いつも名前だけの「ドレンスキー教授」がおいでになるもよう。(13日)

 

このコンクール、日本でも一番興味深い登竜門となったと思う。(18日)

 

2次予選が始まるようだ。(ピアノは28日)
今年から応募も審査も「国際化」したとのことだ。

例のマスゾエ知事 (第9の演奏会に公費・公用車を使って家族で行っただけでなく 「音楽政策」 にまで手を出していたとは驚いた) の置き土産と推察されるが、案の定、隣国から数名の予選通過者が出ているようだ。このコンクールはもともと、わが国の若手を発掘して応援するというのが趣旨だったはず、それなら国籍限定であってよい。やはり「国際化」している仙台のコンクールもそうだが、徒らに「国際コンクール」を標榜するのは意図に反した(?)結果となるだろう。
念のため、このコンクールの主催者は、東京都、文化会館 (都営)、読売新聞社、花王株式会社(この会社は親韓として有名)。

たとえば、邦楽や日本語歌曲、邦人作品、現代音楽で国際コンクールを、というなら日本発のクラシック音楽の後押しであり、全く問題はない、というより、そのように世界に向けて主張できるような地位を日本が早く占めることを待ち望んでいるのだが。

国際コンクールは国の威信をかけて行われる。ポーランドのショパンコンクール、(旧)ソ連のチャイコフスキーコンクールを見れば、一目瞭然だ。それが逆の印象を与えることになったのでは元も子もない。

 

 

 

 

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広島の原爆体験家族として

2016-08-06 18:22:32 | 政治

(2014年の記事を再掲)

 

広島の被爆体験家族として

福島では「1マイクロシーベルト」とか「1ミリシーベルト」とかの除染基準を設けて人が住むすべての土地の土壌の入れ換えが行われたり、もう何年も故郷に戻れず元の生活ができない人たちがたくさんいて、異常な状況になっている。

私は広島出身で原爆を知っているし、また福島にも親戚がいて、とりわけ無関心ではいられない。福島の放射能をめぐる一連の「さわぎ」は実にばかばかしいと思う。広島では翌日の八月七日から焼け野原のなかすでに町の復興が始まった。残留放射能もあったことだろう、「黒い雨」も降って人々はそれを浴び、土地にもしみ込んだことだろう。しかし原爆による人の被害は爆発時の放射線と熱線、そして爆風によるものだけである。

(「爆風による」とは、当時殆どであった木造の家屋が倒壊して屋内の人は逃げ出せなくなり、熱線でおきた火災で焼死したのである。火災は市内すべてを焼き尽くした。ちなみに、小さな子供は脱け出せたが、親は脱け出せず、なんとか親を引き出そうとしたが果たせず、親は「自分にかまわないで、火に巻かれないうちに早く逃げよ」(当時の住宅地の道路は狭かった)と命じ、子供は泣き泣き親を見捨てて逃げたという話や、焼け跡から親が幼児をかばって抱いた姿で見つかったという話はどこでも聞かれたものである。)

人々は爆発による白血病などの放射線障害やひどい火傷を負った。犠牲者は20万人という多数に上った。じっさい広島近辺に住んでいて家族や親戚、知人に被害者がいないという人は皆無である。しかし「残留放射能」によって病気(当時は「原爆症」と呼ばれた)になった、と言われた例があるのを私は知らない。

現に、私の長姉は学徒動員、つまり「挺身隊」でその日市内の工場で働いていて被爆したが、以来放射能障害など起こすことなく九十歳近くになるいまなお健康である。また父は「新型爆弾」のことを聞き八月七日に朝早く市内に入り、娘を探してまる一日地獄のような市内を歩きまわり、夜遅く帰宅した。結局みつけることができかった。「残留放射能」をたっぷり浴びたことだろう、しかし七十数歳まで「放射能障害」など起こすことなく寿命を全うした。

1ミリシーベルトの空想的な除染基準というものをだれが主張したのか、そして決めたのか知らないが--そう言えば、民主党政権の時代だった--それは実現不可能であり、国土を失わせ国の経済を崩壊させ、わが国を弱体化させる。福島に住む人たちから故郷を奪い、人々の心を傷つけ立ち直りを妨げる。

現に「無害である」との国連の報告さえも出ているにも関わらず、「福島は危ない」と「流言蜚語」の宣伝が大声で叫ばれている。ほんとうに許せないことだと思う。そのように叫んでいる「脱原発勢力」が「日本から原子力の能力を奪おうとする」反日的な国内あるいは外国系の政治勢力であることはよく知られている。あの小泉・細川両氏までもが反原発運動を ! と驚いたが、例の孫正義氏が後援しているとの報道を知って、この種の勢力の浸透ぶりにまた驚いた。

冷静になって正しい事実を見極めよう。「学問の言葉」を身にまとった宣伝に流されないようにしよう。大メディアだからといって信頼せず、報道の裏にある「政治勢力」、隠された「意図」を見極めよう。ここ数年「情報戦争」というものがだんだんと激しくなっていて、日本はさまざまに国内や外国の反日勢力の攻撃の的となっている。いま我々はそんな「戦争の中」にいる。

我々は祖先たちのおかげで誇るべき立派な文化と伝統を創りこれまで失わずに保ってきた。縄文以来国を失ったことはなかった。がんばろう!


国連の報告
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50651160W3A110C1000000/

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=486807151376294531036
http://www.nicovideo.jp/watch/1394442081

http://www.nicovideo.jp/watch/1478224752

 

 

 

 

 

 

 

 

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8月6日、広島原爆の日

2016-08-06 18:14:42 | 日記

(昨年この日に投稿した記事を再掲)

 

今日は8月6日、広島が原爆を被災した日である。あと3日すれば長崎の日がくる。

私はそれに被災したのではないが、広島近郊の呉で育ったからそのことは知っているし、家族や親戚・知人にも被災者はいる。

この経験について語ることは大変なことである。その時のこと、その町やその人たちのことを思っただけで頭の中が、そして胸がかきむしられるような気持ちになる。とてもそれを言葉やその他どんな手段にしろ表現することはできない。一生かかっても表現しきれないだろう・・・ これまでその経験を一度たりとも私は人に告げたことがない。例外は、かつてこのブログに、福島の微量の放射能さわぎが悪意によってゆがめられている、という趣旨の記事で広島・長崎を引用したことがあるだけだ。

あの悲惨な原爆によって終わった先の大戦は日本の「悲劇」であった。「わが国が悪であった」などと単純に決めつけてはいけない。この悲劇も含め、過去のわれわれの歴史を忘れない、いやそれどころか、我が先祖たちの精神と振る舞いを再確認して我々の由来=アイデンティティを探ることは、いま生きて行くために必須のことである。

最近、先の大戦や戦後、あるいはもっと古く明治頃からの古い写真が発掘され再刊され、本屋やインターネットでもよく見かけるようになっている。今朝こんな写真や動画が見つかった――広島、長崎のどちらか知らないが、その日現地調査した米人が密かに撮影し何十年もの間隠していたもののようだ。その種のソースの一つらしいデータがこちらにある。

 

亡くなった弟を背負って焼き場に連れてきた少年。だれに着せてもらったのだろうか、真夏にも関わらず弟はおそらく手近にあった一番いい着物を装っている。

 

被災直後、ともに負傷したまま赤ん坊に乳をやる若い母親。

 

焼け野原で弟妹の面倒をみる子供。

 

これらに接して私は言葉を失う。何も言えない。言っても言っても言いつくせない。ただただ涙が溢れて流れる。

――間違いのない聞き書きとして付け加えれば、日本が核攻撃を受けたのは日本が核爆弾を持っていなかったからである。これは今でも同じである。核攻撃あるいは一般に戦争の脅威を受けるのは核を持たない国である。これまでの戦争を振り返ってみれば一目瞭然である。核や戦争の脅威から国を守るためには核を持つしかない。

非核三原則、絶対的な平和主義、非武装中立、無抵抗主義などという一見美しそうなスローガンは、間違いなく日本の再度の敗戦、外国からの侵略、亡国を招く。現に、丸裸のわが国は周りの諸国から 「いまそこで侵略されつつある」 のだ

私は原爆の被災者の一人である。しかしそれを「持たなければ必ず再びその惨禍に逢うだろう」と固く信じている。

 

 

 

 

 

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