Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

フーバー大統領回想録

2015-07-26 19:59:30 | 政治

 

 

6月7日~10日にかけてこの本のことを書いた。本国アメリカでは2011年に出版されたそうだが、邦訳がなかなか出てこないのでやきもきしている。

日本と諸外国の現代史を書き替える程の強い衝撃力を持った重要な本なのに。

 

注文していたこの本がやっと届いた。邦訳がとても待ちきれないので、少しづつ読んでその要旨を紹介しようと思う。正味800ページもあるので、かなりの日数がかかるだろう。とりあえず毎週週末までにその週の分を更新する予定。

要旨はこちらへ

勿論、私はどんな意味でもその方面の専門家ではないので、とても万全とは言い難いかも知れないが、少しでもお役にたてば有り難い。

 

 参考までに、下記アマゾンの書評は立派なものです。
--「過去のブログ、2015年7月まで」より 6月7日6月9日6月10日の記事。

 

 

 

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わらべうたの行方

2015-07-25 10:04:02 | 音楽

ここのところ暑さが極まり、毎日公園の木蔭で涼をとってしのいでいる。

 

そこで小さな女の子がヴァイオリンを弾いているのに出会った。まだ初歩だが「アンナ・マグダレーナの音楽帳」の曲なども含め、みな暗譜で1時間もそれ以上も弾く。となりに座ったお母さんがピアニカで適当に伴奏をつけていた。音もきれい、音程もたしかであった。私はおもわず話しかけた。3歳で楽器は16分の1とのことであった。その子は褒められるととても喜び、その様子はかわいく、ステージに上がればたいへんな人気者になるだろうと思った。

「今度うちにいらっしゃい、ピアノで伴奏してあげますから」と言って別れたのだが、この子の音感は根底からこの種の音楽の音感になってしまうんだろうな、私たちのような童歌じゃないだろうな、とすこし寂しい気がした。

 我々の世代の音感の原点は童歌や小学唱歌である。子供の頃は「かごめかごめ」や「○○ちゃんがほしい」の遊びで、そして母親から口移しでならった庭の千草などの小学唱歌で音楽というものを知った。

 

 

 

しかしいまでは大都会で小さな子供たちが一緒にそんな歌を歌って遊ぶところは殆ど見ることがない。田舎ではどうだろうか? まだ残っているだろうか?・・・  そして、いったい母親は子供に歌を歌って聴かせることがあるのだろうか?・・・

でも東京でも童歌はごく少しは残っているようで、大きな公園などに行くと「おにごっこ」をして遊んでいる。そしていつものように歌いながら「じゃんけん」をしている。

 

 

 

この「じゃんけん」の歌を私が知ったのは、それほど前のことではない。童歌も時とともに変遷してゆくものなのだ、との認識を得た。それなら、形こそ変われこれからも消滅することはないのかもしれない・・・

 

話かわって、先日法事でお坊さんに読経して頂いた。その時はじめて気がついたのだが、お経も原初的な童歌と同じ五音音階の「歌」であった! そういえば黛敏郎氏にも声明にもとづく大曲があった。声明の伝統はこれからも永遠に消え去ることはない! こんなに身近なところで、こんなにたくさんの場所でとは、うれしい発見であった。

 

 

 

そしてまた、短歌なども節をつけて音楽的に歌われることを思い出した! それを集めた「短歌朗読集成」というシリーズも刊行されている。

これを聴くと大変に興味深い。戦前はこのように「謡う」のが普通であったようだ。そしてご年配の方ほど上手である。「謡」あるいは「歌曲」に近い形を成したものは長短の五音音階・旋法である。与謝野晶子、尾上柴舟、北原白秋、前田夕暮など、とりわけ興味深い。歌われる歌として十分に鑑賞が可能である。

https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%9F%AD%E6%AD%8C%E6%9C%97%E8%AA%AD%E9%9B%86%E6%88%90

 

いまは短歌は「読む」ものとなっているものの、それでも内在する「音楽的要素」は短歌に必須のものとされる。五七五七七というリズムを破ったり(「破調」と呼ばれる)、響きの美しい(「調べがいい」と呼ばれる)言葉・語調が選ばれなかったなら、いかにその「意味が深長」であれ、その短歌の魅力は失われる。ここで聴かれるのもやはり童歌のような原始的な五音音階である。

 

しかし、童歌の機会が減っていることは確かなようだし、お坊さんの読経(「声明」)を楽しんで聴く人はあまりいないだろうし、だれもが短歌を歌うわけでもないだろう。われわれの音楽の源泉はどうなるのか?・・・

 このことはいつも私の気になっていた。

 

ところが、ついこの間、その公園で美しい音楽のような子供の声を聴いた――ただの話し声なのだが、きれいな五音音階の響きとして聴こえた!

 

 

 

 そうだ、われわれの言葉そのものが音楽なのであった! 

我々の音楽の源泉が失われることは決してない、と私はそこで確信したのである。

 また、なぜ「ショパンのマズルカはポーランド人でないと弾けない」と言われるのか、分かったような気がした。つまり、マズルカは「ポーランド人の歴史を担ったポーランド語の語り」なのだ、と気がついたのである。 

 

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江田島へ

2015-07-21 13:00:45 | 旅行

久しぶりの呉への帰郷。今回は、呉育ちでありながら一度も行ったことがなかった江田島を訪問するつもり

駅はすっきりと整頓されている。空も美しい。すべてがギュウギュウと押し込まれている東京など大都会では見られない風景だ。

 

駅前広場に飾ってあった大型タンカーのスクリュー。10mほどもあっただろうか。

 

 

呉は歴史と観光を目玉にして生き延びてゆくようだ。日本にたった3つの古くからの大軍港である。この地には平清盛にさかのぼる歴史がある。それを選んだのは正解である。年月が経てばたつほど歴史は貴重になってゆくだろう。

 

江田島への途中にある「旧海軍鎮守府長官官舎」に立ち寄る。小高い丘の森の中にひっそりと保存されていた。

 

正門前の小さな公園。ただの緑地ではなく日本風な庭園の面影を残している。永平寺近くの朝倉氏の庭園跡を思い出した。時計台はもと海軍工廠にあって職工たち--私の父もそうだった--に毎日昼を告げた。

 

門を入ってしばらく行くと道沿いに戦艦の大砲が飾ってある。明治からわずか70年足らずでこれを量産した先祖たちに驚きと尊敬。

 

 

官舎の正面。何という様式なのだろうか、とても気品がある。東京白金台の庭園美術館と同じ雰囲気だ。作られた時期も同じのはず。

 

中に入る。ロビーに「大和」の模型、その横に長官の執務室。北向きの窓近くに机。長官は窓に向かって仕事をされた。

  

 

 

裏は和風の作りで、建物の半分以上が和風。なにもかも当時の民家と同じような感じで、全く違和感がない。この書院など、見かけも材料も私の旧家と「まったく同じ設計」である! また、このように家を和洋折衷で作り、一室だけを洋風にし出窓をつけたものは呉の普通の民家でもよく見られた。東京でも古い家にはそんなスタイルをまれに見かける。

 

 

資料館を見る。中の一室全部に呉市民の絵が展示してあった。町の創成時、戦前、戦時中の思い出を描いたものである。みなすばらしい出来だった。

 

昭和27年、占領が解かれて占領軍は撤退した。

 

明治20年に鎮守府が置かれる前、呉は人口僅か1万数千の寒村だったようだ。それが戦時中の最盛期には60万の大都市となった。いまは20万で落ち着いている。(水色の太線)

 

音戸を通って倉橋島から江田島へ。「音戸の瀬戸」には2本目の橋がかかっている。その工事の記録写真が高台の休憩所に飾ってあった。1センチの狂いもなくこのような重量物を動いている船2艘で据えつけるとは、大変な技術だろう。地元のサルベージ会社が担当したそうだが、その会社、もともと戦時中に沈没した船を引き上げるのが仕事だったと記憶している。

 

 

江田島の「旧海軍兵学校」に到着、レンガ作りの明治の建築。いまは幹部候補生学校・第一術科学校。見学の時間は1日何回かに決まっていた。

 

 

案内人に率いられて構内を見学。これは大講堂。出来たのはやはり明治。ほんものの石造りだ。中はすばらしい。重要文化財並みの作りだ。たしか2千人収容と聞いた・・・

 

 

庭にいろいろな記念物が飾ってある。これは当時の魚雷。奥に2つ見えるのは「特殊潜航艇」、つまり気高い特攻隊の散華した兵器である。

 

記念館。見かけは洋風だが、構造は「神社」であった。中は何もない広い空間、ただそれだけ、そして階段を上るとその奥にある「奥宮」。回廊にあたる部分には学校ゆかりの方々の多くの遺品、遺書が展示してあった。

「いまよりはかへり見はせじ 大君の醜(しこ)の御楯となりて散りなむ」

・・・巻紙に筆で認められていた遺書中の歌、たしかこのように書かれていたと記憶。

 

庭の端にあった大きな「武道場」。申し訳ないが「銭湯」を思い出してしまった。たしかに銭湯も大人数を収容する大きな施設、和風建築ではどうしても似てくるのだろう。

 

見学を終えて帰途につく。近くにあった町の民俗資料館。昔の庄屋の屋敷に作ったものだそうだ。八角形の設計は興味深い。そうそう、この地域の小学生の書いた文章を集めて立派な雑誌を出している。ぜひ一冊欲しかったのだが「非売品ですので」と言われて残念。

 

 

 

兵学校建築現場から発掘された平安時代の「瑞花双鳥八稜鏡」が飾ってあった。よく歴史教科書で写真を見るが、そのどれよりもきれいな状態である。清盛が宮島に来ていた時代、この島も栄えていたのだろう。

 

 

何年か前に広島からフェリーで能美島に立ち寄ったことを思い出した。江田島と能美島はじつは地続きである。帰りがけに寄ってみることにする。

海岸線に沿って湾をくるっと回る。昔ながらの漁港、今日の漁はすでに終わっているようだ。かきいかだが見える。漁期は冬なので、いまはお休み。

 

 

 

なつかしい波止場の風景。広島へのフェリーが通う。ひっそりと白い花が咲いていた。前回と同様、殆ど人影はない。

 

 

 

台風が近づいていて、波は荒く、街路樹も揺れている。前回、波止場の周りを歩いてみた。その時この道で三人の島の少女と出会った。いまはどうしているだろうか?  その時の写真はこれ。http://midi-stereo.music.coocan.jp/strfotos/hirosima/hirosim.htmのページの最後のあたり)

 

呉に戻る。川原石という古い漁師町に立ち寄る。旧い友達を飲み屋に誘うため。車のこない道では子供たちが元気に遊ぶ。ひなびた感じの旧道、静かな町。魚屋では近くの老人たちが世間話をして過ごす。宿屋に戻ってからもいっぱいやるためチヌを買い刺身にしてもらった。

 

 

 

 

宿屋へ。ロビーには衣装が展示してあった。見たこともないような絢爛豪華な着物、金糸銀糸が織りまぜてある。結婚式用の貸衣装のようだ。これから小学校の同級生といっぱい飲みに行く。

 

 

 

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日本の将来 (転載)

2015-07-20 12:10:20 | 政治


いつものように中韓両国との間で悶着がおきる。イアンフ問題を何とかねじ伏せることができたと思ったら、早々に70年前の「強制労働」問題に焦点が移った。いつまでこんな不条理な争いに巻き込まれなければならないのか・・・ といやになる毎日だが、別の方向から別の観方をする人たちもいる。マイケル・ヨン氏のブログ(7月8日)から下記記事を転載する。
http://michaelyonjp.blogspot.jp/

 

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アジアにおける日本の道義的権威


昨日私はイギリス大使館から興味深い会合に招ばれた。イギリスの国防当局や外交当局からの招待なら決して断らない私は、早速スケジュールをやり繰りして出席した。イギリスは全世界でもこの上なく重要な同盟国である。イラクやアフガニスタンでイギリスとともに戦った私はこの国をとても尊敬している。

その会合ではっきりと分かったことだが、イギリスは日本をパートナーとしてとても重要な国と考えている。互いの尊敬にもとづく強い関係がますます発展しつつあり、日本側でもとりわけイギリス、米国、オーストラリアに対してそのように言える、と私は思う。

会合が終わった後、昨晩のことだが、私は強い影響力を持つ日本人や、米国の博士課程の学生などと夕食を共にした。この学生の日本語は流暢であった。その場での話でも、日本の将来についてみんなの意見は同じであった。

食事の席で私は或る考えを述べた――それは私がアジアの21カ国、世界の71カ国で過ごした何年もの経験から得られたものだ――

アジア諸国は日本を憎んでいる、という意見がある。これは嘘だ。日本を嫌っているのは4カ国、北朝鮮、南朝鮮、シナ、そして日本だけである。タイなど、その他諸国はみな日本を尊敬している。日本の達成した偉業、文化のために、そして道義的な指導者として。

日本はアジアにおける単なる道義的指導者ではなく、最高の道義的指導者の地位が与えられるべきだ、と私は述べた。

それがふさわしいほど日本への尊敬は広まっている。そしてその尊敬は何かずるがしこい宣伝戦によってではなく、日本人と日本国家の振る舞いによって得られたものだ。席に連なっていた他の人たちも同感だと言った。これは私にも嬉しい喜びであった。或る日本人――影響力ある物書きである――は、日本は太平洋における英国になれるだろう、と言った。私は語勢を強めて同意した。

実際、イギリス、アメリカ、日本の重要な情報源から知られたことだが、これら三国の重要な協力関係はますます強まりつつある。

私はまた、シナは防空識別圏、南シナ海、そして強気の戦術を弄して戦略的な間違いを犯した、と述べた。シナは10年か15年早まった、そしていま日本はオーストラリア、米国、イギリス、フィリピン、タイ、インドその他諸国との連携を強めつつある。シナは我が方のどれか1国に対してなら強気で出ることもできるだろう、しかしすべての国に対してそうは行かない――

シナはもう10年~15年はその本心を隠して静かにしているべきだった。シナは傲慢であり、興味深いことにはその意図をあからさまにするのが待ちきれないようだ。シナは忍耐強さで知られた国なのに、いまは違うようである。

たとえば、こちら側のたくさんの国(イギリス、日本、米国、オーストラリア等々)がいまや同じテーブルにつき協力関係の構築を模索している。これはシナにとっては失敗である。今日現在も日豪米は史上初めての軍事演習をオーストラリアで行っている。

日本の憲法9条の改正にはまだまだ長い道のりかもしれない。しかしそうではあっても、すでに我々の側は結束してその方向に向かっている。米国やイギリスのその立場にある人たちの話からすれば、どちらも日本の憲法9条改正を歓迎しているのは一点の曇りもない。

もう一つの考えは、日本を「ファイブアイズ」に入ってもらうことだ。これにはもちろんファイブアイズ諸国(米英豪、カナダ、ニュージーランド)すべてからの同意が必要だろう。だが時勢の赴くところからすれば・・・これはすでに考えられる領域の話となっている。そうなればシナにとっては大きな失敗となり、ファイブアイ、いやシックスアイにとっては計り知れない強みとなるだろう。

いずれにせよ、日本はアジアを率いて明るい未来をもたらすため、もっと大きな役割を果たす準備が整っている。日本が語れば諸国は真剣に聴く。そこでは道義的権威が求められるのである。

 

 

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2015-07-20 01:08:20 | 日記

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2015年7月まで  http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/blogiten15.htm

2014年 http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/blogiten14.htm

2013年 http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/blogiten13.htm

2012年 http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/blogiten12.htm

2011年 http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/blogiten11.htm

 

 

 

 

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