Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

お正月のぶらあぼを見る

2015-12-23 13:31:48 | 音楽

暖かい日が続く。まだ冬ではなく晩秋の気候で、紅葉もたくさんある。上野を通りがかってお正月のぶらあぼとちらしを手に入れてきた。
今号は日毎の暦部分に面白いものが多かった。

 

語り、朗読と音楽・歌曲はつながっている。それは音楽の起源といえる。講談や浪曲など、父母の世代は親しんでいた。物語を歌う伝統は大切にしたい。(1月10日、15日)

 

いつか紹介したが、あの前世紀的な植民地ものの、そして日本にとって恥辱的な歌劇がこれで大団円となるなら嬉しいものだが・・・(1月27日)

 

ここはいまや東京一の下町といえるだろうか、そこで「お昼のひととき」を過ごせるコンサートが開かれるようになった!! 感慨深い。(1月17日)

 

そして銀座でも・・・ 銀座には他にも類似のイベントがいくつもあったと記憶する。(1月3日)

 

ステージでの全曲演奏とは、ピアニストで一生に何度もやる人は少なかったと思う。大変な偉業である。(1月22日)

 

 有望な若手たちの集まりである。(1月8日)

 

都内には音楽会のために自宅を開放なさるお宅が何軒かある。自宅をすっかり改装して小ホールにしてしまったお宅も。(1月9日) 

 

 この人、とても優秀な人なのだが、主に外国で活躍されあまり帰国されない。残念だ。ぜひ国内に居ついてもらいたいのだが・・・(1月30日)

 

音楽好きな社長さんが自分の会社にホールを設けてやっていらっしゃるコンサート。他にコンクールもやっておられる。しかも場所は六本木。(1月13日)

 

現代ピアノだけがピアノじゃない、フォルテピアノも確固とした地歩を占めてもらいたい。(1月13日)

 

楽器としてのピアノを一番愛してるのは実は調律師とピアノメーカーではないかと思う。(1月12日)

 

 

 

 なつかしい伝統の物語。作曲も演奏ももっと増えてほしい。

 

 芸大のコンサートは定番だ。当たり外れがなくみなすばらしい。奏者が若いというのも期待をもたせる。

 

 この人も日本に居ついてもらいたい人。

 

すべての地域で盛んになってもらいたい。余りにも東京に集中しすぎている。

 

ギター、武満徹、うた、という組み合わせ。武満はギターが好きだった、というのもあの楽風からしてなんとなく分かる感じ。

 

「20世紀における民族と音楽」というテーマに注意を惹かれた。これはこれからの我々の音楽にとって最大の課題だろう。

 

現代ピアノもフォルテピアノも、そしてできればその他鍵盤楽器もステージで聴いてみたい。みなそれぞれの魅力があるのだから。

 

横浜の港が見える丘公園に散在する多くの古い洋館。都会の大ホールができる前はみなこういう場所でコンサートが行われていたのだろう。
近くに住む人たちには有り難い機会、少し遠くに住む人たちには、古い横浜の散歩がてら訪ねてみるのに最適。もっと遠くの人たちは・・・・???

 

 

 

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原美術館へ

2015-12-02 09:12:01 | 日記

先日知り合いに誘われて品川の原美術館へ行った。美術には余り縁のない私だが、若干心得のある写真の展覧会だということで興味をそそられたのだ。

 

大崎ゲートシティを通って行く。オフィスビルなのだが、このような広い休息の空間を設けたビルが増えている。ゆっくりと休める空間だ。「大広間」の感覚だ、どんな温泉宿にもあった。

 

 

目黒川を渡る。水はかつてよりきれいになった。源流は烏山、北沢川だそうだ。「品川」の由来はこの川による。古い縄文時代の地図でもこの川が存在している。

 

急峻な坂を上ると静かな公園。ここは御殿山の端に当たるところ。

 

 美術館に到着。もともと実業家の家を改築して使ったもの。私財をなげうって公のために尽くす、そのような人がかつては普通に沢山いたのだ。
「そこにある時間」とはとても含蓄深い言葉だ。ハイデガーの「有と時」そのまんまだ。

 

入り口の庭。ほっとする。

 

何の木だろう? 不思議な形をしている古木。

 

もみじの紅葉が美しい。

 

館内に入る。 http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html

この「倉庫での踊り子」の写真が展覧会の目玉の一つだったろうか。(禁転載なので写真はここに載せられない)

 

 

 視界いっぱいに菩薩の姿。一つ一つみな顔が違う。どんな場所で撮ったのだろう?

 

これは、「我々にだって撮れそう」と思わせる。(パンフレットより)

他にも興味深い写真が沢山あったのだが、「禁転載」なので・・・

 

これは次回の予告。日本画の屏風絵のようだ。単なる写実ではない。とても高度な造形であることは素人の私にでも分かる。

 

で、これら画像と「そこにある時間」との関係は?  どう考えたらいいのか?
多くの写真を見せてもらったが、みな写実ではなかった。館内のコーヒーショップで休みながらゆっくり何度も反芻する。
みな「潜在意識」に訴える写真であった。 潜在意識--そうだ、それは短歌や詩と同じものの探求である、と思い当たった。今日のすばらしい収穫であった。

 

帰途につく。ぶらぶら歩いていると、「翡翠原石館」というものを見かけた。
思わず中に入ってみる。翡翠の原石や加工品が展示してあった。日本でも産地は1カ所だそうだ。

 

ここに植わっていた桜を切り倒すのが残念で、或る人が屋敷を買い取ってこの博物館にした、というのが由来だとのこと。その桜の老木はまだある。

 

無造作に多くの種類の翡翠原石が並べられている。川や海岸で採れる。しかしなかなか見極めは難しそう。産地も教えてもらったのだが--ここでは言わないことにしよう・・・いま日本に増殖している悪意ある人々が殺到するのがはばかられる・・・

 

翡翠の風呂。なんという贅沢、だれが使っていたのか知らないが、もう二度と作られることはないだろう。

 

小学生に出会った。大崎駅への道を尋ねると、かわいい声で一生懸命に親切に教えてくれた。これら子供たちは日本の宝である。「ありがとうね」と言って駅に向かう。

 

近くで見かけた建築中の家、なんだろう?  これも美術館になるのかな?

 

 

夕暮になって駅に着いた。駅というものはみななつかしい。古い大崎と新しい大崎が同居。複雑な心境だ。

 

 

 

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