Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

お彼岸の旅-福島へ

2016-10-03 23:08:49 | 旅行

このお彼岸、墓参りのため、そして最近衰弱気味の体調と気分を湯治で癒そうと10日ほど福島に滞在した。季節は東京より1カ月進んでおり、すでに朝晩はストーブが必要だった。泊まったのは三春町の田園生活館だ。

朝と夕方、お風呂に入り、広い大広間で休んだ。食事は自炊で、地元の産品を売っているこの施設の売店と町中のスーパーで毎日のように食料を買い求め、火を使わない簡単な食事を用意し、焼酎のお茶割りとともに静かなバンガローで--雨の日以外はテラスで--朝から晩まで本を読んで過ごした。

売店では東京のスーパーでは絶対に見かけないような産品をたくさん売っている。生産量が少ないという理由なのだろうが、多くの人々に知られることがないのは実にもったいない。この辺の人々は実に豊かな食生活に恵まれている。

 

泊まったのはこのようなバンガローの1軒だ。木の香りがする。設計も立派、工事もとても丁寧に仕上げられている。昔ながらの大工さんの仕事だろう、と思う。

 

建物のすぐ隣に生えている木には実がなっていた。訊ねてみたが何の実か誰も知っていなかった。鳥が種を落して生えた木だろうか? 少しかじってみると甘い味だった。

 

風呂に行く道には萩が満開を過ぎようとしていた。

 

道沿いの生け垣なのだが、かわいい実がなっていた。

 

その道から見た児童遊園地。土日になると親に連れられて来た子供たちの声が溢れる。

 

近くにある廃校になった中学校。10年前にここに来た時には元気な生徒たちの声と姿で溢れていたのに・・・と寂しい。いまは町のイベント会場として使われていて、今日は「特撮の展示会」をやっていた。廃墟とならなくてよかった。

 

 

丘の道端からみた夕映え。シュトラウス「最後の4つの歌」の第4曲「夕映えに」を思い出す。
https://www.youtube.com/watch?v=co61XmUu-tc

 

これは朝起きてすぐに見た東の空。

 

そしてこれは昼の空。大昔に聴いた「空が近い週末」という歌を思い出した。まだ本物の日本のポップスがあった時代の歌である。

”さえぎるもののない青空に・・・ 不思議ね 空が近い・・・”
https://www.youtube.com/watch?v=qyG1Aan-u5U

 

この町はとても蔵が多い。町中のどこにでも見かける。三春藩時代から、つまり何百年も前の建物を持ち主の子孫たちは今もきれいに保存している。

 

 

裏通りで見かけた医院。これも古い建物だ。こちら側は多分入院病棟、向こうは診察室で新築に見えるが、実は壁だけが新しく、柱や窓、その他の設計は昔ながらのものだった。そしてこのお宅の医業というのも何代も続けられてきたのだろう。
つまり、この町の人々はみな祖先に誇りを持って生きているのだ。

 

宿の物産直販所では珍しいものばかりだった。

「うこっけい」という特別な鶏のたまご。少し小型だ。

 

「ふきみそ」、いまの都会の人々はその味も使い方も忘れてしまったのではないか?
東京ではブルーベリーは輸入のかなり高級な乾燥果実としてしか手に入らない。

 

野ぶどう--名前は聞いたことがあるが見たのは初めてだ。右側のびんは焼酎漬けにしたもの。 「ああ、これのことだったのか」と、改めて有名な現代短歌の作品を思い出す-- ”野ぶだうを運ぶ異装の一隊にまぎれて天に向かひしとのみ”  

 

その他、あれもこれもと紹介しだすときりがないのだが、たとえば、かぼちゃだけでもこんなに多彩である。

 

あっと言う間に10日間が経ってしまった。
またきっと来よう、こんどは1カ月くらいは逗留したいな、と思いつつ丘の道を下った・・・ 

 

 

 

 

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福島の桜

2016-04-19 10:16:59 | 旅行

東京の桜も終った先週、福島の三春に行ってきた。郡山、舞木、三春と道をたどり、一泊した。
桜と慰霊の旅であった。

 

 

車窓に見えた那須連山。まだ雪が残っていた。

 

 

郡山平野に入る。安達太良は雲の中。

 

 

郡山に着く。磐越東線のホーム。古い駅舎が残っている。

 

 

舞木に着く。どちらをみても桜、桜。多くがソメイヨシノだが、時々枝垂れが見える。空の青が深い。 

 

小さな駅舎。待合室で約束の相手を待つ。時間がゆっくりと流れる。1時間先の列車に乗るため一人の女子高生か中学生がやってくる。「東京などの街には出ず、この町に住み続けるのがいいよ」とお節介な助言をする。

 

 

向こうの線路2本とホーム」はいまは使われていない。この時期、ライトアップをやっているとか。やがてこれらの桜も大木となって「舞木の桜」で有名になるだろう。

 

 

 

駅前の広場の桜。立派な大木だ。

 

 

広場から駅に通じる入り口には獅子の像が2つ。その脇に駅開設の大きな記念碑があった。大正3年、地元の人々の努力で駅が出来た、と記されている。

 

 

待合室の時刻表。ゆったりとした生活のリズムとよく合ったダイヤ。待っているうちに何人かの観光客がやってきて「三春にはどう行けば?」と私に尋ねたり、「ここは何十年ぶり」とかの昔話をしてくれる。当時もこれくらいの本数だったとか、蒸気列車は生徒で鈴なりの混みようだった、とかの話を興味深くきく。

 

 

待合室に貼ってあった周辺の食事どころの広告。みな新しく工夫された味のようで、東京などでは見かけない野菜いっぱいの健康味、おいしそう、ぜひ頂いてくればよかった。

 

 

約束の人々にあう。車ですぐ近くの桜どころ、福聚寺へ。丘の上まで寺が何重にも桜で囲まれている。

 

 

有名な「滝桜」へ。1千年咲き続けている。1千年の命・・・・

 

 

そのすぐ近くの農家。昔そのままの雰囲気。特異な屋根はわら屋根をとたんで覆ったもの。

 

 

夕方も近づき、今日の宿、田園生活館へ。1階に物産店、2階は旅館。私が泊まったのは別棟のバンガロー。

夜が更けると完全な静寂と暗闇、深い空いっぱいに星が輝く。
バンガローでみんなで料理を作り焼酎を飲んでいい時間を過ごし、客を帰した後、持って行ったCDで モツアルトの弦楽五重奏、シュトラウスの最後の四つの歌を聴く。知らないうちにもう2時になっていた。
4,5泊したらどう?と薦められ、実際そうしてもいいな、と思ったのだが、その用意がない。次回はぜひそうしよう。

 

 

物産店で買ったおみやげ。みなよそではなかなか手に入らないものばかり。野菜など、もっとたくさんあったのだが、重くてこれくらいが限度だった。

そうそう、みやげものがもう一つあった。

「一升漬け」・・・初めてみた。しそ、米麹、唐辛子を醤油・みりんに漬け込んだもののよう。ご飯をおいしく食べるためのものか。
いつか秋田に行ったときも宿の朝御飯でその目的のもの が沢山ついてきたことを思い出す。

http://midi-stereo.music.coocan.jp/omoide/futari/futaritabi.htm#choshok

 

 

 

 

 

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1月2日、宮城へ

2016-01-06 02:51:59 | 旅行

もう2,3十年ぶりだろうか、天皇陛下と皇族方がわれわれにご挨拶くださる2日のお昼すぎ、宮城に向かった。
今年は平成に入ってから2番目の人出だったそうだ。

東京駅から皇居に向かうひっきりなしの人々の群れ。

 

1キロほど歩くと宮城前広場に多くの人が並んでいる。
馬に乗った騎馬警官、シェパードを連れた警備官・・・そうだ、かつて天皇陛下は婚礼の時 6頭立ての馬車でパレードをなさったことを思い出す。

 

 りりしい姿。

 

二重橋を渡って皇居に入る。

 

 

陛下や他の皇族方がお並びになってご挨拶を頂く。後ろの方にいてお姿はまったく見えない。カメラを高く持ち上げて撮ったのだが、これだけしか撮れていなかった。「天皇陛下万歳」の声が何度も何度も繰り返される。君が代もあちこちから聞こえてくる。お言葉は短かったが、感激した。私の根幹がここに続いている、ということを実感した。

 

帰り道、お庭はとてもよく手入れがされていて美しい。赤い実と黄色の実、なんだろう??

 

帰りは桔梗門から。立ち去り難い気持ち。多くの人がたたずんでいた。

 

やっと外に出た。お堀には水草が浮かんでいる。
バスやブールギルは駆逐できましたか??と警官に尋ねたら、???  であった。よくご存じないようだ。

また来年のお正月にこよう、と心に決める。
駅に向かう途中、立ち飲みの店があって、久しぶりにビールとおつまみを頂いた。
駅に着いた頃、もはや夕暮となっていた。

 

 

 

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江田島へ

2015-07-21 13:00:45 | 旅行

久しぶりの呉への帰郷。今回は、呉育ちでありながら一度も行ったことがなかった江田島を訪問するつもり

駅はすっきりと整頓されている。空も美しい。すべてがギュウギュウと押し込まれている東京など大都会では見られない風景だ。

 

駅前広場に飾ってあった大型タンカーのスクリュー。10mほどもあっただろうか。

 

 

呉は歴史と観光を目玉にして生き延びてゆくようだ。日本にたった3つの古くからの大軍港である。この地には平清盛にさかのぼる歴史がある。それを選んだのは正解である。年月が経てばたつほど歴史は貴重になってゆくだろう。

 

江田島への途中にある「旧海軍鎮守府長官官舎」に立ち寄る。小高い丘の森の中にひっそりと保存されていた。

 

正門前の小さな公園。ただの緑地ではなく日本風な庭園の面影を残している。永平寺近くの朝倉氏の庭園跡を思い出した。時計台はもと海軍工廠にあって職工たち--私の父もそうだった--に毎日昼を告げた。

 

門を入ってしばらく行くと道沿いに戦艦の大砲が飾ってある。明治からわずか70年足らずでこれを量産した先祖たちに驚きと尊敬。

 

 

官舎の正面。何という様式なのだろうか、とても気品がある。東京白金台の庭園美術館と同じ雰囲気だ。作られた時期も同じのはず。

 

中に入る。ロビーに「大和」の模型、その横に長官の執務室。北向きの窓近くに机。長官は窓に向かって仕事をされた。

  

 

 

裏は和風の作りで、建物の半分以上が和風。なにもかも当時の民家と同じような感じで、全く違和感がない。この書院など、見かけも材料も私の旧家と「まったく同じ設計」である! また、このように家を和洋折衷で作り、一室だけを洋風にし出窓をつけたものは呉の普通の民家でもよく見られた。東京でも古い家にはそんなスタイルをまれに見かける。

 

 

資料館を見る。中の一室全部に呉市民の絵が展示してあった。町の創成時、戦前、戦時中の思い出を描いたものである。みなすばらしい出来だった。

 

昭和27年、占領が解かれて占領軍は撤退した。

 

明治20年に鎮守府が置かれる前、呉は人口僅か1万数千の寒村だったようだ。それが戦時中の最盛期には60万の大都市となった。いまは20万で落ち着いている。(水色の太線)

 

音戸を通って倉橋島から江田島へ。「音戸の瀬戸」には2本目の橋がかかっている。その工事の記録写真が高台の休憩所に飾ってあった。1センチの狂いもなくこのような重量物を動いている船2艘で据えつけるとは、大変な技術だろう。地元のサルベージ会社が担当したそうだが、その会社、もともと戦時中に沈没した船を引き上げるのが仕事だったと記憶している。

 

 

江田島の「旧海軍兵学校」に到着、レンガ作りの明治の建築。いまは幹部候補生学校・第一術科学校。見学の時間は1日何回かに決まっていた。

 

 

案内人に率いられて構内を見学。これは大講堂。出来たのはやはり明治。ほんものの石造りだ。中はすばらしい。重要文化財並みの作りだ。たしか2千人収容と聞いた・・・

 

 

庭にいろいろな記念物が飾ってある。これは当時の魚雷。奥に2つ見えるのは「特殊潜航艇」、つまり気高い特攻隊の散華した兵器である。

 

記念館。見かけは洋風だが、構造は「神社」であった。中は何もない広い空間、ただそれだけ、そして階段を上るとその奥にある「奥宮」。回廊にあたる部分には学校ゆかりの方々の多くの遺品、遺書が展示してあった。

「いまよりはかへり見はせじ 大君の醜(しこ)の御楯となりて散りなむ」

・・・巻紙に筆で認められていた遺書中の歌、たしかこのように書かれていたと記憶。

 

庭の端にあった大きな「武道場」。申し訳ないが「銭湯」を思い出してしまった。たしかに銭湯も大人数を収容する大きな施設、和風建築ではどうしても似てくるのだろう。

 

見学を終えて帰途につく。近くにあった町の民俗資料館。昔の庄屋の屋敷に作ったものだそうだ。八角形の設計は興味深い。そうそう、この地域の小学生の書いた文章を集めて立派な雑誌を出している。ぜひ一冊欲しかったのだが「非売品ですので」と言われて残念。

 

 

 

兵学校建築現場から発掘された平安時代の「瑞花双鳥八稜鏡」が飾ってあった。よく歴史教科書で写真を見るが、そのどれよりもきれいな状態である。清盛が宮島に来ていた時代、この島も栄えていたのだろう。

 

 

何年か前に広島からフェリーで能美島に立ち寄ったことを思い出した。江田島と能美島はじつは地続きである。帰りがけに寄ってみることにする。

海岸線に沿って湾をくるっと回る。昔ながらの漁港、今日の漁はすでに終わっているようだ。かきいかだが見える。漁期は冬なので、いまはお休み。

 

 

 

なつかしい波止場の風景。広島へのフェリーが通う。ひっそりと白い花が咲いていた。前回と同様、殆ど人影はない。

 

 

 

台風が近づいていて、波は荒く、街路樹も揺れている。前回、波止場の周りを歩いてみた。その時この道で三人の島の少女と出会った。いまはどうしているだろうか?  その時の写真はこれ。http://midi-stereo.music.coocan.jp/strfotos/hirosima/hirosim.htmのページの最後のあたり)

 

呉に戻る。川原石という古い漁師町に立ち寄る。旧い友達を飲み屋に誘うため。車のこない道では子供たちが元気に遊ぶ。ひなびた感じの旧道、静かな町。魚屋では近くの老人たちが世間話をして過ごす。宿屋に戻ってからもいっぱいやるためチヌを買い刺身にしてもらった。

 

 

 

 

宿屋へ。ロビーには衣装が展示してあった。見たこともないような絢爛豪華な着物、金糸銀糸が織りまぜてある。結婚式用の貸衣装のようだ。これから小学校の同級生といっぱい飲みに行く。

 

 

 

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