Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

ベトナム祭に行く(代々木公園)

2017-06-14 00:18:04 | 旅行

 

10日と11日「ベトナムフェスティバル」というものが代々木公園であった。懐かしさもあってたち寄ってみた。

 

 

原宿から行く。真っ先に出会うのは明治神宮。心の中で柏手を打って代々木公園へと向かう。

 

このまえ代々木の森に来たのはもう10年以上前だった。一段と大きく高く深くなっていた。そして別世界のように静かである。ふかふかの落ち葉が一面に覆っていた。

 

最近来日したのだろうか、2人の記念写真を撮っていた。

 

橋の上から広場の様子をみる。一目見ただけで圧倒される!

 

 

今日はそれほど暑くなくしかも涼しい風が吹いている。気持ちのいい橋の上で宴会をはやばやと開く仲間たち。他にも何カ所かこんな宴会が見られた。
みんな頭がよさそうな顔をしている。多分同郷で、Y シャツ姿は就職した先輩、T シャツ姿は後輩の学生かな?・・・などと想像してみる。

 

橋の階段はひな壇状態。座りやすく展望もあり、また風も吹いていて、うってつけの場所のようだ。

 

聞こえてくる言葉の6割はベトナム語みたいだ。人も見ただけで雰囲気から日本人がベトナム人か当てられそう。
回りはみな軽食の屋台だが時々「送金サービス」の申し込みブースがある。「最近このサービスの需要が多くて・・・」とセールスマンは言った。自分の生活は倹約して収入の多くを家族に送るのだろう。ベトナムの平均月収は3万円程度だと聞いた。日本円はあちらでは数倍の価値がある

 

ちらほら少数民族姿も見かけた。出身に誇りを持っているのだろう、そして服装を今日のためにしまっていたのだろう! 男性が持っているのは「笙の笛」に見える。

 

 

木陰は貴重。ここは公園であることを思い起こせばどこだってシートを敷いてゆっくりできる!何の遠慮がいるだろう?

 

 

現地のサンドウィッチ「バインミー」。フランスパンに肉や野菜などを色々と挟み「パクチ」(コリアンダー)と 魚醤「ニョクマム」 で仕上げる。 ひとつ買って食べたのだが、味は・・・ 現地のものとは当然ながら異なる。 胸のワッペンは国花「ハスの花」。

 

 

アオザイコンテストみたいなのも行われていた。 原色傾向が強いこういうのが人気のデザインなのだろうか?

 

むしろ私にはこのような中間色やけばけばしくないしゃれたデザインの方が目になじみ易いが・・・
前回ベトナムに行った時、実はアオザイ姿は殆どみかけなかった。見かけたのはカフェや書店の店員だけで大体白一色だった。
ついでだが左のT シャツの赤地に黄色い星はベトナムの国旗。

 

 

果物を売っていた。右はタマリンドという甘酸っぱい実、左は名前を忘れたが香りは柑橘類のようだった。左端にちょっとだけ見えるのは悪臭で有名なドリアン、よく熟れた色をしている。日本人客は珍しそうに見るだけ、買うのは味を知っているベトナム人だけだった。

 

 

 

 

 

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ベトナム点景

2017-03-21 18:03:27 | 旅行

ベトナムを3日間旅した。
目的地はサイゴン (ホーチミン)である。ベトナムは シナ、フランス、アメリカ、共産中国などの侵略、南北内戦と、長く動乱が続いた国だ。そのためなのか、人々は我々とは違う鍛え抜かれたなにかしらを持っているように感じた。人々は概して私など日本人に対しとても友好的だった。

まったく知らず言葉も通じない土地なので、旅は3日とも案内人付きであった。往復とも夜行の飛行機を使い、3日間を町で過ごすという余り余裕のない旅だった。2日目だけ近くのメコン河畔のミト村という所で小舟に乗った。

 今回の旅はじつは慰霊の旅で、故人が20年前にここを訪れた跡を辿るためだったが、その目的は遂げられたと思う--近代化はしつつあるもののサイゴンという町やミトという村そのもの、そしてそこに住む人たちの生活すべてが古かったと思う。

 

この町一番の観光名所、マリア教会と郵便局、ともにフランス時代の建造。しかしカトリック教徒は少なく大部分は仏教徒とのこと。
バイクの若者はみなマスクをかけている。色は白だけでなく、青、黒などで、みな「活性炭素」入りだそうだ。空気の汚れをみんな気にしている。
大気汚染にはベトナム戦争時の枯葉剤のダイオキシンも含まれており、その影響はいまだに残り、おかげでこの国の人口が減っている、と案内人は言った。

 

バイクの奔流、チラホラトヨタも見える。公共交通機関がバスしかないのでバイクは男女をとわず人気。いま町を南北に貫く地下鉄が日本のODAによって建設中で5年後には20kmの路線が完成するとのこと。地元の人は皆その期待を口にしていた。その暁にはこのような情景も変わるだろう。

 

 道端のカフェテラスに座ってぼんやりと夕景を眺める。向こうの美しい建物は学校で、この町一番の高校だそうだ。かつて「ラマン」という悲恋映画で主役のフランス人少女が通う女学校として登場したことがあるという。
所在なくたばこを喫っていると物売りの子供が姉と弟でやってきた。売り物をいれた箱を首からかけ黙って私の斜め前に立つ。大きな目を開き明るい顔つきで身なりもきちんとしておりうらぶれた様子はない。あたかも遊びとして働いているかのようだ。財布にあった小金をあげると喜んでかけ去っていった。

 

 

メコン河畔ミト村の船着場。船はみな観光船。向こうには漁船もあるが、河の大きな魚はもう取りつくした、と案内人は言った。ここから河の真ん中にある中州に渡る。メコン河はヒマラヤから平野に入るとすぐこんな色になるそうだ。浮かんでいる水草は日本にもよくある「ホテイアオイ」のように見える。

 

中州に上がる。この部落は観光用物産を売って生計を立てている--ハチミツ、木彫りのあれこれ、袋ものやTシャツ、ココナッツの飴や酒、 果物、そしてベトナム民俗音楽の実演-- 「ベトナム経済のためぜひ買って」と案内人が言うので、ワンカップの蓋ほどの容器に入ったローヤルゼリーを千円で買った。同行のおばさんはその1ケースを5千円で買っていた。

このゴツゴツした木は年代ものだ--もう樹齢何十年にもなるだろう。木製の鉢に入った「盆栽」に見える。向こうの家は、これこそ昔ながらの農家の作りだろう、屋根は草葺きである。

 

町の中で一休みしていると、現地青年のリーダーに率いられたベスパのツアー客が出発して行った。 メットを被って暑いのに・・・非力なベスパで走っても遠くには行けないだろうに・・・景色はみな原っぱばかりだろうに・・・ と余計な心配をしてしまった。やはりかれら西洋人にとってはここはまずリゾートであるようだ。

 

 

町の中にはいくつもかつての戦争の記念館がある。その一つにこれが野外展示してあった。しっぽの星印からすると北ベトナム軍のもので多分ロシア製だろう。二枚羽では非力、鉄板も見すぼらしい。やすやすと撃ち落とされたにちがいない。ベトナム戦争時のものだ。

 

 

これは別の記念館の入り口で。中学生たちだろう、国旗にある黄色の星印がついたおそろいの赤いシャツと青いシャツを着ている。制服のようだ。日本で言えば、生徒がみなそろって靖国神社に参拝するという場面だろうか、国の成り立ちをこのように子供たちに教えている。

 

 

市場にて。みな知らない果物ばかり。果物、生水、生野菜は外国人には(特に日本人には)危ないと言われ、味見もしなかった。ちょっと心残り。

 

 これは別の市場で、地元の人の日常生活のための市場。ここでも殆ど知らない野菜ばかりだ。こういうものは都内のベトナム料理店でも出てこないんじゃないか。

 

 

夜、下町を歩いてみる。ガイドブックなどでは「危ない、危ない」と言われているが、そんなことはなかったようだ。 ともかくこの町にはホテルが多い。日本のツアー会社御用達の有名大ホテルだけではなく下町では小規模な無名のホテルを無数に見かける。

この先で小さなカフェテラスの前を通りがかるとメイドさんに笑顔を向けられたのでお礼に中に入って飲み物を頼んだ。しきりに「ジャバ、ジャバ」とおっしゃるのが分からなかったが、どうやら「ジャパン」の意味だったらしい。顔色は似ていてもすぐ日本人と分かるようだ。ベトナムの菅笠を被っていたのだがこれは親善上とても有効なようだ。

 

夕暮の公園にて。直射日光がなくなった夕方には仕事を終えた近くの人たちが夕涼みがてら出てきて食べながら飲みながら一時を過ごす。だが、風がないのが残念だ。

 

 

夜市の屋台に親子連れで売りにきていた。この子、大きく見えるがじつは乳母車に乗ってきている。手を握って話しかけると恥づかしがって幌に顔を隠そうとする。

 

一家で家の前で夕涼み。中学生ほどのこの女の子 は教科書を広げて勉強。

 

 

大通り沿いだけでなく路地にも店ができつつある。市内への日本資本の進出も急速で 「日本人街」などの地域では地価の値上がりも東京に匹敵するとのこと。
左は日系人のカレー屋、わりと辺鄙な下町の一画なのだが現地の人にもだんだん人気が出てきつつあるそうだ。 

 

旅行の前に「日本の古本屋」でベトナム旅行記を探したのだが、これ一冊しか見つからなかった。これは20年も前 1998年の出版で当時20台の女性2人がベトナムを縦断した日々をイラスト入りで綴ったとても興味深い本だった。当時と今を比べれば(といってもサイゴンの一部だけだが) 当然というべきか、近代化はあきらかなように見える。なにしろ当時はトイレや水にさえ苦労があったようなのだ。
このお二人は今ほど便利にも安全にもなっていないこの国を勇敢にも旅し多くの人たちと心からの交流を果たした。とくに北方のモン族部落の訪問には胸を打つものがある。

 

 

 

 

 

 

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お彼岸の旅-福島へ

2016-10-03 23:08:49 | 旅行

このお彼岸、墓参りのため、そして最近衰弱気味の体調と気分を湯治で癒そうと10日ほど福島に滞在した。季節は東京より1カ月進んでおり、すでに朝晩はストーブが必要だった。泊まったのは三春町の田園生活館だ。

朝と夕方、お風呂に入り、広い大広間で休んだ。食事は自炊で、地元の産品を売っているこの施設の売店と町中のスーパーで毎日のように食料を買い求め、火を使わない簡単な食事を用意し、焼酎のお茶割りとともに静かなバンガローで--雨の日以外はテラスで--朝から晩まで本を読んで過ごした。

売店では東京のスーパーでは絶対に見かけないような産品をたくさん売っている。生産量が少ないという理由なのだろうが、多くの人々に知られることがないのは実にもったいない。この辺の人々は実に豊かな食生活に恵まれている。

 

泊まったのはこのようなバンガローの1軒だ。木の香りがする。設計も立派、工事もとても丁寧に仕上げられている。昔ながらの大工さんの仕事だろう、と思う。

 

建物のすぐ隣に生えている木には実がなっていた。訊ねてみたが何の実か誰も知っていなかった。鳥が種を落して生えた木だろうか? 少しかじってみると甘い味だった。

 

風呂に行く道には萩が満開を過ぎようとしていた。

 

道沿いの生け垣なのだが、かわいい実がなっていた。

 

その道から見た児童遊園地。土日になると親に連れられて来た子供たちの声が溢れる。

 

近くにある廃校になった中学校。10年前にここに来た時には元気な生徒たちの声と姿で溢れていたのに・・・と寂しい。いまは町のイベント会場として使われていて、今日は「特撮の展示会」をやっていた。廃墟とならなくてよかった。

 

 

丘の道端からみた夕映え。シュトラウス「最後の4つの歌」の第4曲「夕映えに」を思い出す。
https://www.youtube.com/watch?v=co61XmUu-tc

 

これは朝起きてすぐに見た東の空。

 

そしてこれは昼の空。大昔に聴いた「空が近い週末」という歌を思い出した。まだ本物の日本のポップスがあった時代の歌である。

”さえぎるもののない青空に・・・ 不思議ね 空が近い・・・”
https://www.youtube.com/watch?v=qyG1Aan-u5U

 

この町はとても蔵が多い。町中のどこにでも見かける。三春藩時代から、つまり何百年も前の建物を持ち主の子孫たちは今もきれいに保存している。

 

 

裏通りで見かけた医院。これも古い建物だ。こちら側は多分入院病棟、向こうは診察室で新築に見えるが、実は壁だけが新しく、柱や窓、その他の設計は昔ながらのものだった。そしてこのお宅の医業というのも何代も続けられてきたのだろう。
つまり、この町の人々はみな祖先に誇りを持って生きているのだ。

 

宿の物産直販所では珍しいものばかりだった。

「うこっけい」という特別な鶏のたまご。少し小型だ。

 

「ふきみそ」、いまの都会の人々はその味も使い方も忘れてしまったのではないか?
東京ではブルーベリーは輸入のかなり高級な乾燥果実としてしか手に入らない。

 

野ぶどう--名前は聞いたことがあるが見たのは初めてだ。右側のびんは焼酎漬けにしたもの。 「ああ、これのことだったのか」と、改めて有名な現代短歌の作品を思い出す-- ”野ぶだうを運ぶ異装の一隊にまぎれて天に向かひしとのみ”  

 

その他、あれもこれもと紹介しだすときりがないのだが、たとえば、かぼちゃだけでもこんなに多彩である。

 

あっと言う間に10日間が経ってしまった。
またきっと来よう、こんどは1カ月くらいは逗留したいな、と思いつつ丘の道を下った・・・ 

 

 

 

 

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福島の桜

2016-04-19 10:16:59 | 旅行

東京の桜も終った先週、福島の三春に行ってきた。郡山、舞木、三春と道をたどり、一泊した。
桜と慰霊の旅であった。

 

 

車窓に見えた那須連山。まだ雪が残っていた。

 

 

郡山平野に入る。安達太良は雲の中。

 

 

郡山に着く。磐越東線のホーム。古い駅舎が残っている。

 

 

舞木に着く。どちらをみても桜、桜。多くがソメイヨシノだが、時々枝垂れが見える。空の青が深い。 

 

小さな駅舎。待合室で約束の相手を待つ。時間がゆっくりと流れる。1時間先の列車に乗るため一人の女子高生か中学生がやってくる。「東京などの街には出ず、この町に住み続けるのがいいよ」とお節介な助言をする。

 

 

向こうの線路2本とホーム」はいまは使われていない。この時期、ライトアップをやっているとか。やがてこれらの桜も大木となって「舞木の桜」で有名になるだろう。

 

 

 

駅前の広場の桜。立派な大木だ。

 

 

広場から駅に通じる入り口には獅子の像が2つ。その脇に駅開設の大きな記念碑があった。大正3年、地元の人々の努力で駅が出来た、と記されている。

 

 

待合室の時刻表。ゆったりとした生活のリズムとよく合ったダイヤ。待っているうちに何人かの観光客がやってきて「三春にはどう行けば?」と私に尋ねたり、「ここは何十年ぶり」とかの昔話をしてくれる。当時もこれくらいの本数だったとか、蒸気列車は生徒で鈴なりの混みようだった、とかの話を興味深くきく。

 

 

待合室に貼ってあった周辺の食事どころの広告。みな新しく工夫された味のようで、東京などでは見かけない野菜いっぱいの健康味、おいしそう、ぜひ頂いてくればよかった。

 

 

約束の人々にあう。車ですぐ近くの桜どころ、福聚寺へ。丘の上まで寺が何重にも桜で囲まれている。

 

 

有名な「滝桜」へ。1千年咲き続けている。1千年の命・・・・

 

 

そのすぐ近くの農家。昔そのままの雰囲気。特異な屋根はわら屋根をとたんで覆ったもの。

 

 

夕方も近づき、今日の宿、田園生活館へ。1階に物産店、2階は旅館。私が泊まったのは別棟のバンガロー。

夜が更けると完全な静寂と暗闇、深い空いっぱいに星が輝く。
バンガローでみんなで料理を作り焼酎を飲んでいい時間を過ごし、客を帰した後、持って行ったCDで モツアルトの弦楽五重奏、シュトラウスの最後の四つの歌を聴く。知らないうちにもう2時になっていた。
4,5泊したらどう?と薦められ、実際そうしてもいいな、と思ったのだが、その用意がない。次回はぜひそうしよう。

 

 

物産店で買ったおみやげ。みなよそではなかなか手に入らないものばかり。野菜など、もっとたくさんあったのだが、重くてこれくらいが限度だった。

そうそう、みやげものがもう一つあった。

「一升漬け」・・・初めてみた。しそ、米麹、唐辛子を醤油・みりんに漬け込んだもののよう。ご飯をおいしく食べるためのものか。
いつか秋田に行ったときも宿の朝御飯でその目的のもの が沢山ついてきたことを思い出す。

http://midi-stereo.music.coocan.jp/omoide/futari/futaritabi.htm#choshok

 

 

 

 

 

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1月2日、宮城へ

2016-01-06 02:51:59 | 旅行

もう2,3十年ぶりだろうか、天皇陛下と皇族方がわれわれにご挨拶くださる2日のお昼すぎ、宮城に向かった。
今年は平成に入ってから2番目の人出だったそうだ。

東京駅から皇居に向かうひっきりなしの人々の群れ。

 

1キロほど歩くと宮城前広場に多くの人が並んでいる。
馬に乗った騎馬警官、シェパードを連れた警備官・・・そうだ、かつて天皇陛下は婚礼の時 6頭立ての馬車でパレードをなさったことを思い出す。

 

 りりしい姿。

 

二重橋を渡って皇居に入る。

 

 

陛下や他の皇族方がお並びになってご挨拶を頂く。後ろの方にいてお姿はまったく見えない。カメラを高く持ち上げて撮ったのだが、これだけしか撮れていなかった。「天皇陛下万歳」の声が何度も何度も繰り返される。君が代もあちこちから聞こえてくる。お言葉は短かったが、感激した。私の根幹がここに続いている、ということを実感した。

 

帰り道、お庭はとてもよく手入れがされていて美しい。赤い実と黄色の実、なんだろう??

 

帰りは桔梗門から。立ち去り難い気持ち。多くの人がたたずんでいた。

 

やっと外に出た。お堀には水草が浮かんでいる。
バスやブールギルは駆逐できましたか??と警官に尋ねたら、???  であった。よくご存じないようだ。

また来年のお正月にこよう、と心に決める。
駅に向かう途中、立ち飲みの店があって、久しぶりにビールとおつまみを頂いた。
駅に着いた頃、もはや夕暮となっていた。

 

 

 

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