Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

江田島へ

2015-07-21 13:00:45 | 旅行

久しぶりの呉への帰郷。今回は、呉育ちでありながら一度も行ったことがなかった江田島を訪問するつもり

駅はすっきりと整頓されている。空も美しい。すべてがギュウギュウと押し込まれている東京など大都会では見られない風景だ。

 

駅前広場に飾ってあった大型タンカーのスクリュー。10mほどもあっただろうか。

 

 

呉は歴史と観光を目玉にして生き延びてゆくようだ。日本にたった3つの古くからの大軍港である。この地には平清盛にさかのぼる歴史がある。それを選んだのは正解である。年月が経てばたつほど歴史は貴重になってゆくだろう。

 

江田島への途中にある「旧海軍鎮守府長官官舎」に立ち寄る。小高い丘の森の中にひっそりと保存されていた。

 

正門前の小さな公園。ただの緑地ではなく日本風な庭園の面影を残している。永平寺近くの朝倉氏の庭園跡を思い出した。時計台はもと海軍工廠にあって職工たち--私の父もそうだった--に毎日昼を告げた。

 

門を入ってしばらく行くと道沿いに戦艦の大砲が飾ってある。明治からわずか70年足らずでこれを量産した先祖たちに驚きと尊敬。

 

 

官舎の正面。何という様式なのだろうか、とても気品がある。東京白金台の庭園美術館と同じ雰囲気だ。作られた時期も同じのはず。

 

中に入る。ロビーに「大和」の模型、その横に長官の執務室。北向きの窓近くに机。長官は窓に向かって仕事をされた。

  

 

 

裏は和風の作りで、建物の半分以上が和風。なにもかも当時の民家と同じような感じで、全く違和感がない。この書院など、見かけも材料も私の旧家と「まったく同じ設計」である! また、このように家を和洋折衷で作り、一室だけを洋風にし出窓をつけたものは呉の普通の民家でもよく見られた。東京でも古い家にはそんなスタイルをまれに見かける。

 

 

資料館を見る。中の一室全部に呉市民の絵が展示してあった。町の創成時、戦前、戦時中の思い出を描いたものである。みなすばらしい出来だった。

 

昭和27年、占領が解かれて占領軍は撤退した。

 

明治20年に鎮守府が置かれる前、呉は人口僅か1万数千の寒村だったようだ。それが戦時中の最盛期には60万の大都市となった。いまは20万で落ち着いている。(水色の太線)

 

音戸を通って倉橋島から江田島へ。「音戸の瀬戸」には2本目の橋がかかっている。その工事の記録写真が高台の休憩所に飾ってあった。1センチの狂いもなくこのような重量物を動いている船2艘で据えつけるとは、大変な技術だろう。地元のサルベージ会社が担当したそうだが、その会社、もともと戦時中に沈没した船を引き上げるのが仕事だったと記憶している。

 

 

江田島の「旧海軍兵学校」に到着、レンガ作りの明治の建築。いまは幹部候補生学校・第一術科学校。見学の時間は1日何回かに決まっていた。

 

 

案内人に率いられて構内を見学。これは大講堂。出来たのはやはり明治。ほんものの石造りだ。中はすばらしい。重要文化財並みの作りだ。たしか2千人収容と聞いた・・・

 

 

庭にいろいろな記念物が飾ってある。これは当時の魚雷。奥に2つ見えるのは「特殊潜航艇」、つまり気高い特攻隊の散華した兵器である。

 

記念館。見かけは洋風だが、構造は「神社」であった。中は何もない広い空間、ただそれだけ、そして階段を上るとその奥にある「奥宮」。回廊にあたる部分には学校ゆかりの方々の多くの遺品、遺書が展示してあった。

「いまよりはかへり見はせじ 大君の醜(しこ)の御楯となりて散りなむ」

・・・巻紙に筆で認められていた遺書中の歌、たしかこのように書かれていたと記憶。

 

庭の端にあった大きな「武道場」。申し訳ないが「銭湯」を思い出してしまった。たしかに銭湯も大人数を収容する大きな施設、和風建築ではどうしても似てくるのだろう。

 

見学を終えて帰途につく。近くにあった町の民俗資料館。昔の庄屋の屋敷に作ったものだそうだ。八角形の設計は興味深い。そうそう、この地域の小学生の書いた文章を集めて立派な雑誌を出している。ぜひ一冊欲しかったのだが「非売品ですので」と言われて残念。

 

 

 

兵学校建築現場から発掘された平安時代の「瑞花双鳥八稜鏡」が飾ってあった。よく歴史教科書で写真を見るが、そのどれよりもきれいな状態である。清盛が宮島に来ていた時代、この島も栄えていたのだろう。

 

 

何年か前に広島からフェリーで能美島に立ち寄ったことを思い出した。江田島と能美島はじつは地続きである。帰りがけに寄ってみることにする。

海岸線に沿って湾をくるっと回る。昔ながらの漁港、今日の漁はすでに終わっているようだ。かきいかだが見える。漁期は冬なので、いまはお休み。

 

 

 

なつかしい波止場の風景。広島へのフェリーが通う。ひっそりと白い花が咲いていた。前回と同様、殆ど人影はない。

 

 

 

台風が近づいていて、波は荒く、街路樹も揺れている。前回、波止場の周りを歩いてみた。その時この道で三人の島の少女と出会った。いまはどうしているだろうか?  その時の写真はこれ。http://midi-stereo.music.coocan.jp/strfotos/hirosima/hirosim.htmのページの最後のあたり)

 

呉に戻る。川原石という古い漁師町に立ち寄る。旧い友達を飲み屋に誘うため。車のこない道では子供たちが元気に遊ぶ。ひなびた感じの旧道、静かな町。魚屋では近くの老人たちが世間話をして過ごす。宿屋に戻ってからもいっぱいやるためチヌを買い刺身にしてもらった。

 

 

 

 

宿屋へ。ロビーには衣装が展示してあった。見たこともないような絢爛豪華な着物、金糸銀糸が織りまぜてある。結婚式用の貸衣装のようだ。これから小学校の同級生といっぱい飲みに行く。

 

 

 

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2 コメント

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旧海軍鎮守府長官官舎 (内田陽子)
2015-07-21 22:53:30
旧海軍鎮守府長官官舎の外観も、とても綺麗ですね。伝統的なヨーロッパ風とも和風ともいえる感じ。今、流行の輸入住宅のような、”玩具みたいに見える真似っこファサード”でなく、何とも、本物感があります。こちらのプログでも、また宜しくお願い致します。
内田さん、おはようございます (tomatopia)
2015-07-22 12:08:42
コメントありがとうございます。
故郷にも関わらずよく知らないところが多かったことに驚いています。
江田島だけでなく、呉の沖には沢山の島があり、それぞれ違った文化をもっています。
たとえば蒲刈という島は瀬戸内海交通の要所で大昔の交通の様子が古い記録に残っています。御手洗という港町は明治時代の古い町並みがそのまま保存されています。古事記の時代に遡る遺跡も沢山あります。島や沿岸部のいたるところに村上水軍の城=砦の遺構が残っています。それを知ることな子供の頃はいい遊び場所になっていました。
これから機会があれば一つ一つ探訪してみようかな、という気持ちです。
内田さんのブログはいつも興味深く拝見していますよ。とくに京都は私は殆ど知りませんので大変啓発されています。
京都のお宅を末永く美しく保存されますように。

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