馬車道通りからチラリと見えた赤煉瓦造りの洋館風建物、少し気
になったので路地を進む。
建物は「馬車道十番館」で、明治期の洋風館の建築様式を模倣し
て1970年に立てられたもの。先ほどの日本瓦斯社中の創業者であ
る高島嘉右衛門の旧宅地だったところだ。1階が喫茶室、2階が英
国風パブ、3階がレストラン、4階が宴会場になった飲食ビル。
新しいビルであったが、エントランスに大正から昭和初期の面影
を残すものがあった。それは「牛馬飲水槽」。当時、横浜は生糸の
運搬等の陸上交通に牛や馬が使用されており、その飲水水槽として
1917年に現在の磯子区八幡橋近くに設けられたもの。その他に、
生糸検査所や高島町駅前、久保山ガードそばに設置されていたとい
う。当時の荷馬車協会には3,000頭の牛馬が登録されていた。
エントランスには古い電話ボックスや小さな大砲などもあった。
(横浜市中区常盤町5-67)
牛馬飲水水槽 小大砲
になったので路地を進む。
建物は「馬車道十番館」で、明治期の洋風館の建築様式を模倣し
て1970年に立てられたもの。先ほどの日本瓦斯社中の創業者であ
る高島嘉右衛門の旧宅地だったところだ。1階が喫茶室、2階が英
国風パブ、3階がレストラン、4階が宴会場になった飲食ビル。
新しいビルであったが、エントランスに大正から昭和初期の面影
を残すものがあった。それは「牛馬飲水槽」。当時、横浜は生糸の
運搬等の陸上交通に牛や馬が使用されており、その飲水水槽として
1917年に現在の磯子区八幡橋近くに設けられたもの。その他に、
生糸検査所や高島町駅前、久保山ガードそばに設置されていたとい
う。当時の荷馬車協会には3,000頭の牛馬が登録されていた。
エントランスには古い電話ボックスや小さな大砲などもあった。
(横浜市中区常盤町5-67)
牛馬飲水水槽 小大砲
馬車道通りにはいろんなモニュメントが設置されており、道すが
ら思いがけない発見があって歩くのも楽しい。
その一つに、「日本で最初のガス灯」のレリーフがあった。横浜
が港街として海外からの門戸を広げたのが安政6年(1859)、それ
以来、西洋文化が怒濤の如く押し寄せてきた。その一つが「ガス灯」
である。
日本で初めてガス灯が設置されたのは、明治5年(1872)に馬
車道や本町通りに「日本瓦斯社中」という会社により点灯された。
当時はイギリス・グラスゴーから輸入された柱部に、灯具は日本職
人の手により和洋折衷のガス灯が立てられた。
関内ホール(横浜市市民文化会館)のエントランスに、当時の型
をそのままに復元されている。また、壁面のレリーフは、開港資料
館に所蔵されている明治末期の馬車道の風景絵葉書を元に、スキャ
ンされたものだ。
(横浜市中区住吉町4-42-1)
レリーフ
ら思いがけない発見があって歩くのも楽しい。
その一つに、「日本で最初のガス灯」のレリーフがあった。横浜
が港街として海外からの門戸を広げたのが安政6年(1859)、それ
以来、西洋文化が怒濤の如く押し寄せてきた。その一つが「ガス灯」
である。
日本で初めてガス灯が設置されたのは、明治5年(1872)に馬
車道や本町通りに「日本瓦斯社中」という会社により点灯された。
当時はイギリス・グラスゴーから輸入された柱部に、灯具は日本職
人の手により和洋折衷のガス灯が立てられた。
関内ホール(横浜市市民文化会館)のエントランスに、当時の型
をそのままに復元されている。また、壁面のレリーフは、開港資料
館に所蔵されている明治末期の馬車道の風景絵葉書を元に、スキャ
ンされたものだ。
(横浜市中区住吉町4-42-1)
レリーフ
馬車道通りを南下していくと、旧ビルの外壁を残し、その裏手
に立派なビルがそびえ建つ光景が目に入った。
ここは「旧川崎銀行横浜支店」で、現在は日本興亜馬車道ビル
となっている。1922年に矢部又吉の設計によって竣工され、川
崎財閥の銀行として業務が始まる。
ネオルネッサンス形式の石造建築で、各階の窓が異なったデザ
インを配し、3階部分には三角破風をのせたところがユニーク。
ビルの解体話が出る中、保存活動が起こり、ビルの階壁を復元保
存して、1989年に現在のビルを裏手に配して竣工。
このビルの前の馬車道通りに、慶応3年(1877)横浜弁天町
に写真館を開き日本写真の開祖である下岡蓮杖(1823~1914)
の顕彰碑モニュメントが置かれていた。
(横浜市中区弁天通5-70)
下岡蓮杖顕彰碑
に立派なビルがそびえ建つ光景が目に入った。
ここは「旧川崎銀行横浜支店」で、現在は日本興亜馬車道ビル
となっている。1922年に矢部又吉の設計によって竣工され、川
崎財閥の銀行として業務が始まる。
ネオルネッサンス形式の石造建築で、各階の窓が異なったデザ
インを配し、3階部分には三角破風をのせたところがユニーク。
ビルの解体話が出る中、保存活動が起こり、ビルの階壁を復元保
存して、1989年に現在のビルを裏手に配して竣工。
このビルの前の馬車道通りに、慶応3年(1877)横浜弁天町
に写真館を開き日本写真の開祖である下岡蓮杖(1823~1914)
の顕彰碑モニュメントが置かれていた。
(横浜市中区弁天通5-70)
下岡蓮杖顕彰碑
旧横浜正金銀行本店本館の角とい面に「旧東京海上火災保険ビ
ル」がある。このビルは1936年に木下益治郎(1874~1944)
の設計によって竣工。
スマートな造りのビルであり、壁面の最上部にはアールデコ風
のデザインが意匠。シンプルな外観の中にもタイル貼りの多様方
式は目を見張る。このビルを眺めていると、清楚な女性をイメー
ジしてしまう。
(横浜市中区南仲通4-43)
馬車道のプレート
ル」がある。このビルは1936年に木下益治郎(1874~1944)
の設計によって竣工。
スマートな造りのビルであり、壁面の最上部にはアールデコ風
のデザインが意匠。シンプルな外観の中にもタイル貼りの多様方
式は目を見張る。このビルを眺めていると、清楚な女性をイメー
ジしてしまう。
(横浜市中区南仲通4-43)
馬車道のプレート
馬車道辺りの北エントランス辺りは、明治後期から昭和初期の建
物が数多く残された区域である。
その中でも威風堂々とした建物があった。「旧横浜正金銀行本店
本館」で現在は神奈川県立歴史博物館として開設されている。昭和
初期の建物が多い中でも、こちらは設計を妻木頼黄、現場監督を遠
藤於菟によって、ドイツ・ネオ・バロック様式を取り入れられ、
1904年(明治37年)に建造されている。
大震災では建物の倒壊は免れたものの、正面屋上ドームと内部が
焼失。戦後は東京銀行横浜支店となり、1967年に現在の博物館と
して開設された時、ドームが復元されている。このドームにはドル
フィンが飾ってある。
(横浜市中区仲通5-60)
旧横浜正金銀行_2
物が数多く残された区域である。
その中でも威風堂々とした建物があった。「旧横浜正金銀行本店
本館」で現在は神奈川県立歴史博物館として開設されている。昭和
初期の建物が多い中でも、こちらは設計を妻木頼黄、現場監督を遠
藤於菟によって、ドイツ・ネオ・バロック様式を取り入れられ、
1904年(明治37年)に建造されている。
大震災では建物の倒壊は免れたものの、正面屋上ドームと内部が
焼失。戦後は東京銀行横浜支店となり、1967年に現在の博物館と
して開設された時、ドームが復元されている。このドームにはドル
フィンが飾ってある。
(横浜市中区仲通5-60)
旧横浜正金銀行_2
CIQUEを後に、青梅街道を下り荻窪へ。
「二葉」は荻窪に2店舗あり、本日は本店となる「天沼店」を目
指す。聞くところによると、荻窪駅に近い「上荻店」とは、スープ
の内容が違い、もちろん味も違う。昔からの味を堪能したければ、
天沼店である。
そして、本日伺った目的は一つ。なんと、この4月から自家製麺
になったとのことだ。製麺機を入れられて、小林店主の思いのまま
に作れる麺が、どのように表現されて登場するか、楽しみだ。それ
には思い出の深い天沼店で頂いてみたかった。
店頭に到着すると、ちょうど暖簾が出されたところ。入店して塩
拉麺850円を注文。スタッフに自家製麺のことを訪ねると、上荻店
のみで使用されているとのこと。まだそれほど数が多く作れないた
めだとか。自家製麺はまたの機会にする。
登場した器からは、煮干しや鯖節の豊潤な香りが漂い食欲を刺激
する。豚骨ベースのスープと相まって旨いスープだ。二葉本来の一
杯だった。そういえば、メンマが角切りタイプに変わっていた。
二葉_天沼店
「二葉」は荻窪に2店舗あり、本日は本店となる「天沼店」を目
指す。聞くところによると、荻窪駅に近い「上荻店」とは、スープ
の内容が違い、もちろん味も違う。昔からの味を堪能したければ、
天沼店である。
そして、本日伺った目的は一つ。なんと、この4月から自家製麺
になったとのことだ。製麺機を入れられて、小林店主の思いのまま
に作れる麺が、どのように表現されて登場するか、楽しみだ。それ
には思い出の深い天沼店で頂いてみたかった。
店頭に到着すると、ちょうど暖簾が出されたところ。入店して塩
拉麺850円を注文。スタッフに自家製麺のことを訪ねると、上荻店
のみで使用されているとのこと。まだそれほど数が多く作れないた
めだとか。自家製麺はまたの機会にする。
登場した器からは、煮干しや鯖節の豊潤な香りが漂い食欲を刺激
する。豚骨ベースのスープと相まって旨いスープだ。二葉本来の一
杯だった。そういえば、メンマが角切りタイプに変わっていた。
二葉_天沼店
先日、FILEさんのブログで拝見した貴重な情報を元に、阿佐ヶ谷
の「RAMEN CIQUE」へ伺った。なんでも「雉出汁のかけ塩」800
円が、限定で8食と少量提供されているという。
開店まで少し早かったので、阿佐ヶ谷の駅前でお茶をし休憩。11
時前に店頭に到着すると、土・日・祝日は11時の開店だった。ま
た、しばらくの間、月・火曜日が定休日となる。
開店時間となり4番目で入店。かけ塩の食券を購入してカウンタ
ーへ。このお店、開店直後に入店するのは初めてだ。厨房では丁寧
に慎重に作業に当たる店主の姿を眺めていると、思わず背中を押し
てエールをおくりたくなるような気分になった。
さて、注目の一杯が登場。シンプルの一言に尽きる。これは言葉
はいらない。山口産の雉鶏で摂られたスープは、これも言葉はいら
ない。そして、麺をすする。この一杯に、感想・評価など愚の骨頂
なんだけれど、それでも一言、“Simple is best”。
CIQUE FILEさん
の「RAMEN CIQUE」へ伺った。なんでも「雉出汁のかけ塩」800
円が、限定で8食と少量提供されているという。
開店まで少し早かったので、阿佐ヶ谷の駅前でお茶をし休憩。11
時前に店頭に到着すると、土・日・祝日は11時の開店だった。ま
た、しばらくの間、月・火曜日が定休日となる。
開店時間となり4番目で入店。かけ塩の食券を購入してカウンタ
ーへ。このお店、開店直後に入店するのは初めてだ。厨房では丁寧
に慎重に作業に当たる店主の姿を眺めていると、思わず背中を押し
てエールをおくりたくなるような気分になった。
さて、注目の一杯が登場。シンプルの一言に尽きる。これは言葉
はいらない。山口産の雉鶏で摂られたスープは、これも言葉はいら
ない。そして、麺をすする。この一杯に、感想・評価など愚の骨頂
なんだけれど、それでも一言、“Simple is best”。
CIQUE FILEさん
本日は朝から晴天。こんな日はバイシクルで出かけてみよう。
まずは先日伺った作家・開高健記念館で知った「開高健記念会」
(杉並区井草4-8-14)の場所を確かめに伺った。ここは開高さ
んが茅ヶ崎に移転されるまで自宅があったところ。現在は記念
会があるとともに、会の役員の方の自宅なんだろうなあ。
その後、杉並区立郷土博物館(杉並区大宮1-20-8)を目指
す。今年の1月末から3月15日まで「悠々として急げ・開高健
と昭和」と題した写真展が開かれており、私は終了してから知
った。ところが、現在、その時の展示された写真の展示目図録
とした34頁(A4正寸)の小冊子600円を販売していたので購
入。今まで観たことのない写真が盛り込まれており、開高ファ
ンの方はぜひ入手されることをお勧めする。
その後、麺処を2店廻り帰宅途中、ある邸宅の庭先に見事な
花が咲きほこっていた。この花はなんという名前なんだろう。
開高健記念会 開高健と昭和_展示図録本
まずは先日伺った作家・開高健記念館で知った「開高健記念会」
(杉並区井草4-8-14)の場所を確かめに伺った。ここは開高さ
んが茅ヶ崎に移転されるまで自宅があったところ。現在は記念
会があるとともに、会の役員の方の自宅なんだろうなあ。
その後、杉並区立郷土博物館(杉並区大宮1-20-8)を目指
す。今年の1月末から3月15日まで「悠々として急げ・開高健
と昭和」と題した写真展が開かれており、私は終了してから知
った。ところが、現在、その時の展示された写真の展示目図録
とした34頁(A4正寸)の小冊子600円を販売していたので購
入。今まで観たことのない写真が盛り込まれており、開高ファ
ンの方はぜひ入手されることをお勧めする。
その後、麺処を2店廻り帰宅途中、ある邸宅の庭先に見事な
花が咲きほこっていた。この花はなんという名前なんだろう。
開高健記念会 開高健と昭和_展示図録本
アイランドタワーの南側に赤煉瓦積みを思わせるモダンなビルが
ある。「本町ビル」で元は「旧帝国火災ビル」だった建物だ。赤煉
瓦を思わせたのはタイル貼りだった。
半円アーチ型の玄関が面白く、三連窓がその玄関の上部と5階に
使用されているバランスに、当時の意匠の工夫が偲ばれる。竣工は
1929年.
また、このビル、裏に回れば非常階段が設置されており、底部が
跳ね上げられていた。アメリカの古い映画のワンシーンを観ている
ようで、さすが港町横浜である。最近つけられた階段だろうが、こ
のアンバランスがなんともユニークで、思わず唸ってしまった。
(横浜市中区本町5-49)
旧帝国火災ビル
ある。「本町ビル」で元は「旧帝国火災ビル」だった建物だ。赤煉
瓦を思わせたのはタイル貼りだった。
半円アーチ型の玄関が面白く、三連窓がその玄関の上部と5階に
使用されているバランスに、当時の意匠の工夫が偲ばれる。竣工は
1929年.
また、このビル、裏に回れば非常階段が設置されており、底部が
跳ね上げられていた。アメリカの古い映画のワンシーンを観ている
ようで、さすが港町横浜である。最近つけられた階段だろうが、こ
のアンバランスがなんともユニークで、思わず唸ってしまった。
(横浜市中区本町5-49)
旧帝国火災ビル