塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

街を巡る 再び馬車道辺り 横浜指路教会

2009-04-25 03:27:04 | 街巡り_09
 国道16号沿いにチャーチの建物が見えたので進んでみた。こち
らが「横浜指路教会」。
 元々この教会は、横浜居留地39番地にあり、その後、現在地、
太田町、住吉町を経て、1892年に再び現在の地に戻り、宣教医の
J・C・ヘボンの尽力により赤煉瓦の教会堂が建てられた。1923年
の大震災で倒壊し、1926年再建。また、1945年5月の大空襲で
内部が全焼するという数奇な運命を背負ってきた教会だ。
 ヘボン縁の国内最初のプロテスタント教会は、パリ・ノートル
ダム大聖堂に似せたフランス初期ゴチック風様式である。
(横浜市中区尾上町6-85)
教会の鐘  表札

街を巡る 再び馬車道辺り 牛馬飲水槽

2009-04-24 06:28:11 | 街巡り_09
 馬車道通りからチラリと見えた赤煉瓦造りの洋館風建物、少し気
になったので路地を進む。
 建物は「馬車道十番館」で、明治期の洋風館の建築様式を模倣し
て1970年に立てられたもの。先ほどの日本瓦斯社中の創業者であ
る高島嘉右衛門の旧宅地だったところだ。1階が喫茶室、2階が英
国風パブ、3階がレストラン、4階が宴会場になった飲食ビル。
 新しいビルであったが、エントランスに大正から昭和初期の面影
を残すものがあった。それは「牛馬飲水槽」。当時、横浜は生糸の
運搬等の陸上交通に牛や馬が使用されており、その飲水水槽として
1917年に現在の磯子区八幡橋近くに設けられたもの。その他に、
生糸検査所や高島町駅前、久保山ガードそばに設置されていたとい
う。当時の荷馬車協会には3,000頭の牛馬が登録されていた。
 エントランスには古い電話ボックスや小さな大砲などもあった。
(横浜市中区常盤町5-67)
牛馬飲水水槽  小大砲

街を巡る 再び馬車道辺り ガス灯

2009-04-23 06:26:04 | 街巡り_09
 馬車道通りにはいろんなモニュメントが設置されており、道すが
ら思いがけない発見があって歩くのも楽しい。
 その一つに、「日本で最初のガス灯」のレリーフがあった。横浜
が港街として海外からの門戸を広げたのが安政6年(1859)、それ
以来、西洋文化が怒濤の如く押し寄せてきた。その一つが「ガス灯」
である。
 日本で初めてガス灯が設置されたのは、明治5年(1872)に馬
車道や本町通りに「日本瓦斯社中」という会社により点灯された。
当時はイギリス・グラスゴーから輸入された柱部に、灯具は日本職
人の手により和洋折衷のガス灯が立てられた。
 関内ホール(横浜市市民文化会館)のエントランスに、当時の型
をそのままに復元されている。また、壁面のレリーフは、開港資料
館に所蔵されている明治末期の馬車道の風景絵葉書を元に、スキャ
ンされたものだ。
(横浜市中区住吉町4-42-1)
レリーフ

街を巡る 再び馬車道辺り 旧川崎銀行横浜支店

2009-04-22 06:46:00 | 街巡り_09
 馬車道通りを南下していくと、旧ビルの外壁を残し、その裏手
に立派なビルがそびえ建つ光景が目に入った。
 ここは「旧川崎銀行横浜支店」で、現在は日本興亜馬車道ビル
となっている。1922年に矢部又吉の設計によって竣工され、川
崎財閥の銀行として業務が始まる。
 ネオルネッサンス形式の石造建築で、各階の窓が異なったデザ
インを配し、3階部分には三角破風をのせたところがユニーク。
ビルの解体話が出る中、保存活動が起こり、ビルの階壁を復元保
存して、1989年に現在のビルを裏手に配して竣工。
 このビルの前の馬車道通りに、慶応3年(1877)横浜弁天町
に写真館を開き日本写真の開祖である下岡蓮杖(1823~1914)
の顕彰碑モニュメントが置かれていた。
(横浜市中区弁天通5-70)
下岡蓮杖顕彰碑

街を巡る 再び馬車道辺り 旧東京海上火災保険ビル

2009-04-21 06:39:42 | 街巡り_09
 旧横浜正金銀行本店本館の角とい面に「旧東京海上火災保険ビ
ル」がある。このビルは1936年に木下益治郎(1874~1944)
の設計によって竣工。
 スマートな造りのビルであり、壁面の最上部にはアールデコ風
のデザインが意匠。シンプルな外観の中にもタイル貼りの多様方
式は目を見張る。このビルを眺めていると、清楚な女性をイメー
ジしてしまう。
(横浜市中区南仲通4-43)
馬車道のプレート

街を巡る 再び馬車道辺り 旧横浜正金銀行本店本館

2009-04-20 06:29:19 | 街巡り_09
 馬車道辺りの北エントランス辺りは、明治後期から昭和初期の建
物が数多く残された区域である。
 その中でも威風堂々とした建物があった。「旧横浜正金銀行本店
本館」で現在は神奈川県立歴史博物館として開設されている。昭和
初期の建物が多い中でも、こちらは設計を妻木頼黄、現場監督を遠
藤於菟によって、ドイツ・ネオ・バロック様式を取り入れられ、
1904年(明治37年)に建造されている。
 大震災では建物の倒壊は免れたものの、正面屋上ドームと内部が
焼失。戦後は東京銀行横浜支店となり、1967年に現在の博物館と
して開設された時、ドームが復元されている。このドームにはドル
フィンが飾ってある。
(横浜市中区仲通5-60)
旧横浜正金銀行_2

Weekendの麺処巡り 二葉・天沼店で塩

2009-04-19 13:37:07 | 拉麺_09
 CIQUEを後に、青梅街道を下り荻窪へ。
 「二葉」は荻窪に2店舗あり、本日は本店となる「天沼店」を目
指す。聞くところによると、荻窪駅に近い「上荻店」とは、スープ
の内容が違い、もちろん味も違う。昔からの味を堪能したければ、
天沼店である。
 そして、本日伺った目的は一つ。なんと、この4月から自家製麺
になったとのことだ。製麺機を入れられて、小林店主の思いのまま
に作れる麺が、どのように表現されて登場するか、楽しみだ。それ
には思い出の深い天沼店で頂いてみたかった。
 店頭に到着すると、ちょうど暖簾が出されたところ。入店して塩
拉麺850円を注文。スタッフに自家製麺のことを訪ねると、上荻店
のみで使用されているとのこと。まだそれほど数が多く作れないた
めだとか。自家製麺はまたの機会にする。
 登場した器からは、煮干しや鯖節の豊潤な香りが漂い食欲を刺激
する。豚骨ベースのスープと相まって旨いスープだ。二葉本来の一
杯だった。そういえば、メンマが角切りタイプに変わっていた。
二葉_天沼店

Weekendの麺処巡り CIQUEでかけ塩

2009-04-19 13:29:57 | 拉麺_09
 先日、FILEさんのブログで拝見した貴重な情報を元に、阿佐ヶ谷
の「RAMEN CIQUE」へ伺った。なんでも「雉出汁のかけ塩」800
円が、限定で8食と少量提供されているという。
 開店まで少し早かったので、阿佐ヶ谷の駅前でお茶をし休憩。11
時前に店頭に到着すると、土・日・祝日は11時の開店だった。ま
た、しばらくの間、月・火曜日が定休日となる。
 開店時間となり4番目で入店。かけ塩の食券を購入してカウンタ
ーへ。このお店、開店直後に入店するのは初めてだ。厨房では丁寧
に慎重に作業に当たる店主の姿を眺めていると、思わず背中を押し
てエールをおくりたくなるような気分になった。
 さて、注目の一杯が登場。シンプルの一言に尽きる。これは言葉
はいらない。山口産の雉鶏で摂られたスープは、これも言葉はいら
ない。そして、麺をすする。この一杯に、感想・評価など愚の骨頂
なんだけれど、それでも一言、“Simple is best”。
CIQUE  FILEさん

街を巡る 番外編 本日の花

2009-04-19 13:17:08 | 街巡り_09
 本日は朝から晴天。こんな日はバイシクルで出かけてみよう。
まずは先日伺った作家・開高健記念館で知った「開高健記念会」
(杉並区井草4-8-14)の場所を確かめに伺った。ここは開高さ
んが茅ヶ崎に移転されるまで自宅があったところ。現在は記念
会があるとともに、会の役員の方の自宅なんだろうなあ。
 その後、杉並区立郷土博物館(杉並区大宮1-20-8)を目指
す。今年の1月末から3月15日まで「悠々として急げ・開高健
と昭和」と題した写真展が開かれており、私は終了してから知
った。ところが、現在、その時の展示された写真の展示目図録
とした34頁(A4正寸)の小冊子600円を販売していたので購
入。今まで観たことのない写真が盛り込まれており、開高ファ
ンの方はぜひ入手されることをお勧めする。
 その後、麺処を2店廻り帰宅途中、ある邸宅の庭先に見事な
花が咲きほこっていた。この花はなんという名前なんだろう。
開高健記念会  開高健と昭和_展示図録本

街を巡る 再び馬車道辺り 旧帝国火災ビル

2009-04-19 05:48:39 | 街巡り_09
 アイランドタワーの南側に赤煉瓦積みを思わせるモダンなビルが
ある。「本町ビル」で元は「旧帝国火災ビル」だった建物だ。赤煉
瓦を思わせたのはタイル貼りだった。
 半円アーチ型の玄関が面白く、三連窓がその玄関の上部と5階に
使用されているバランスに、当時の意匠の工夫が偲ばれる。竣工は
1929年.
 また、このビル、裏に回れば非常階段が設置されており、底部が
跳ね上げられていた。アメリカの古い映画のワンシーンを観ている
ようで、さすが港町横浜である。最近つけられた階段だろうが、こ
のアンバランスがなんともユニークで、思わず唸ってしまった。
(横浜市中区本町5-49)
旧帝国火災ビル