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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

東京の坂道巡り 切通坂

2007-05-18 06:59:09 | 坂道
 本日(5/5)のラストは、湯島天神の裏になる坂道、
「切通坂」(きりとおしざか)である。
御徒町から本郷を通る春日通りの坂道で、江戸の頃は
この坂道を造るのに、難儀だったのだろう。
 昔は石ころだらけの急な坂道で、明治になり電車が
開通して、やっと緩やかになったといわれている。
(湯島3丁目30番地辺り)


東京の坂道巡り 中坂

2007-05-18 06:54:46 | 坂道
 実盛坂の坂下から、再び裏道を進むと広い通りの
下り坂に直面する。これが「中坂」(なかざか)。
 江戸の頃は、二つの坂の中間に新しい坂ができると
“中坂”と命名した。
よって、中坂は二つの坂より後にできた新しい坂である。
(湯島3丁目19番地と21番地の境界辺り)

東京の坂道巡り 実盛坂

2007-05-18 06:52:02 | 坂道
 稲庭うどん 醍醐の一角を左に曲がると、階段坂が見えてくる。
これが「実盛坂」(さねもりざか)。
 この坂道も、以前訪れている。
実盛というのは、長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国の
長井庄(埼玉県)に住んでいた。実盛は、1183年の国篠原の
合戦で、源氏・木曽義仲に滅ぼされている。
 この近くに実盛塚や首洗いの井戸の伝説が伝わっているそうで、
信仰も厚いと聞く。
(湯島3丁目19番地辺り)

東京の坂道巡り 稲庭うどん 醍醐

2007-05-18 06:48:12 | 坂道
 ガイ坂の坂下をそのまま進むと、左側に稲庭うどんの
看板が目にはいる。「稲庭うどん 醍醐」である。
まだ暖簾は出ず、開店前のようだ。
 稲庭うどんは乾麺であるが、とてものど越しがよく、
大好きなうどんのひとつ。
次回、この近くに寄れば頂いてみて、必ず麺処コーナーで
レポしよう。
(湯島3丁目9番地13号)

東京の坂道巡り ガイ坂

2007-05-18 06:43:57 | 坂道
 三組坂の途中から、湯島天神の参道へ抜ける通路があり、
下りの坂道となる。これが「ガイ坂」である。
「芥坂」ともいわれ、江戸の頃はこの辺り一帯が、
ゴミの集積所だったのであろうか。
(湯島3丁目20番地辺り)

東京の坂道巡り 三組坂

2007-05-18 06:41:11 | 坂道
 妻恋坂の坂途中から左に曲がり、進んでいくと広い通りにでる。
これが「三組坂」(さんくみざか)である。
 徳川家康が没した時、そのお付きの中間、小人、篭方の
“三組の者”に、この一帯の土地が与えられた。
当時は駿河町と呼ばれていた。それから“三組町”と改められ、
1965年に現在の湯島3丁目となっている
(湯島3丁目6番地辺り)

東京の坂道巡り 立爪坂

2007-05-17 06:54:45 | 坂道
 妻恋坂を下り、途中のところで左に入る路地がある。
この坂道が「立爪坂」(たてつめざか)。
妻恋神社の横手、路地裏の坂道である。
(湯島3丁目5番地辺り)

東京の坂道巡り 傘谷坂

2007-05-17 06:47:45 | 坂道
 横見坂から、さらに本郷寄りに裏通りを進むと、
十字路からいきなり坂道となる。
これが「傘谷坂」(かさだにざか)だ。
 この辺りの坂下に、傘作りの職人さんが多く住んでいたという。
金花通り沿いだ。
(湯島2丁目4番地辺り)

東京の坂道巡り 横見坂

2007-05-17 06:45:15 | 坂道
 清水坂の坂下から本郷方面に進み、すぐのところを右に
曲がると坂がある。
これが「横見坂」(よこみざか)だ。
 江戸の頃、蔵前橋通りは木が鬱蒼と茂った一帯で、
この谷から湯島の高台に上がるこの坂道は、西側に富士山が
眺められた絶好のポジションだった。坂を上る時、
富士を眺めるため横見しながら上るので、命名されている。
(湯島2丁目1番地辺り)

東京の坂道巡り 清水坂

2007-05-17 06:40:45 | 坂道
 先ほど下ってきた樹木谷坂の坂下まで戻り、ここの信号で
蔵前橋通りを横断。その真っ正面に坂道が続く。
これが「清水坂」(しみずざか)。
 この坂は、以前訪れている。江戸の頃、この坂道を含め
この辺り一帯は、島田弾正の旗本屋敷がある土地だった。
明治に入り、その土地を清水精機が所有することになり、
大正の頃、天神さんとお茶の水の間の往来が不憫だったので、
清水精機が土地の一部を町に提供し、坂道を整備した。
 地元に貢献した功徳を讃えられて、社名が坂名となった。
(湯島3丁目1番地辺り)