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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

墓を巡る 夏目漱石

2007-08-31 07:06:54 | 墓を巡る
 8月26日の午前中、都内の霊園とお寺を巡り、歴史に名を
残した人物の墓巡りをした。
 次は、雑司ヶ谷霊園に眠る夏目漱石(1867~1916)の墓を
訊ねた。漱石については、語るもがな、誰もが一度は読んだ
作品がある明治の文豪で、本名は「夏目金之助」。
牛込馬場下横町(現在の新宿区喜久井町)で生まれる。
 東大講師を勤めながら「ホトトギス」に発表した
『吾輩は猫である』(1905~07)が評判となり、続々と作品を
発表していく。
 子供の頃には漱石全集を、よく読んだ記憶が蘇ってきた。
夏目家の墓は大きい。
(豊島区南池袋4丁目・雑司ヶ谷霊園内)

広重「江戸百」今昔 びくにはし雪中

2007-08-31 07:00:36 | 江戸百・今昔
 安政5年(1858年)10月の改印がある「江戸百」114景
「びくにはし雪中」(びくにはしせっちゅう)。
 この絵は、改印の年号を見ても、広重が没後に刷られているため、
41景「市谷八幡」と12景「上野山した」とあわせた3点が、
二代目広重の作ではないかといわれている。
しかし、これも、初代広重の落款があるため、定かではない。
 さて、この絵の中には興味をそそられるものが、数多く
描かれている。まずは、左側の看板「山くじら」である。
これは猪の肉のことで、この店の屋号は尾張屋といい、
猪の肉とタマネギを煮込んだ旨煮鍋を出していたようだ。
 また、絵の右側には「○やき十三里」なるPR看板が見える。
これは、丸焼にしたサツマイモを売っている店で、その味が
“焼き九里(栗)四里(より)旨い“といわれ、その数字
(9と4)を足して十三里とアピールしたもの。
当時の商いも、ユーモアたっぷり洒落ていたようだ。
 中央の比丘尼橋を渡ろうとする天秤棒を担いだ棒手振りは、
おでん屋と思われる。
 そして、この比丘尼橋は、江戸時代、外堀があった頃、鍛冶橋の
すぐ南の京橋川が合流するところに架かっていた。比丘尼とは、
出家した尼僧のことで、当時、この辺りは尼の姿をした私娼の宿が
あったといわれる。
 現在は、外堀通りを西銀座から有楽町マリオン方面を望んだ所で
シャッターを切った。。
(中央区銀座1丁目3番地辺り)

墓を巡る 二葉亭四迷

2007-08-30 08:14:25 | 墓を巡る
 芥川龍之介が眠る慈眼寺の隣にある染井霊園(豊島区駒込5丁目)に、
二葉亭四迷(1864~1909)の墓はある。こちらの霊園は広いので、
園内にあった説明図で見当を付けて探したが、なかなか見あたらず、
辺りを行き来して、やっと本名の墓を発見。
 四迷の本名は、長谷川辰之助。父親は尾張藩士の武家の出で、
生まれたのは江戸・尾張藩上屋敷(市ヶ谷合羽橋)といわれている。
 ペンネームのいわれは、つとに有名で、辰之助の父親は文学を
志す息子に、武士として家督を継ぐ意志がないことを悟り、吐いた一言
『くたばってしめえ』を、そのまま付けたのである。
 四迷の作品で有名なのは、「浮雲」(1887~91)やロシア文学の
翻訳(ツルゲーネフ)があるが、私は「平凡」(1908)が好きである。
文学や文士をけなし、本人自らを自虐的に描いた(牛のよだれのように
ダラダラと綴られた)コピーが面白い。
(豊島区駒込5丁目5番地辺り)

広重「江戸百」今昔 上野清水堂不忍の池

2007-08-30 06:58:17 | 江戸百・今昔
 安政3年(1856)4月の改印がある「江戸百」11景の
「上野清水堂不忍の池」(うえのしみずどうしのばずのいけ)。
 現在の上野公園にある清水観音堂の舞台から、不忍池を
眺めている絵だ。桜が満開で、ここは昔も今も多くの花見客を
集めるところだ。
 ポイントは、円を描いた松の枝であろう。広重は、この丸い
松の枝をモチーフにした89景「上野山内月のまつ」も
描いている。こちらは、後日紹介する。
 現在では、清水観音堂近くには松の丸い枝もなく、廻りも
桜の樹が大きくなり、葉が生い茂って見晴らしは良くない。
桜の樹の先に不忍池がある。
(台東区上野公園内の清水観音堂より)

墓を巡る 芥川龍之介

2007-08-29 09:02:03 | 墓を巡る
 先日の日曜日(8/26)、午前中暇だったもので、歴史に名を
残した人物のお墓を訊ねるため、都内の霊園を訪れた。
 10年ほど前、パリをぶらついた時、霊園があったので
スゥッと園内に入ったところ、ハイネの墓があり驚いたものだ。
日本ではお盆で実家の墓参りはするが、他人の墓など
巡ったこともない。ただ、古墳には興味があったので、奈良に
ある古墳は学生時代から、よく見学しに行っていた。
 さて、今回は豊島区の染井霊園そばの慈眼寺に伺った。
こちらのお寺には、何名かの有名な人物が眠っている。
その一人、芥川龍之介(1892~1927)のお墓である。芥川は、
多くの短編小説を残している。中でも好きなのが
「河童」(1927)と「芋粥」(1916)である。
 彼は、35歳で服毒自殺している。墓の前には楓の木が植わっていた。
(豊島区巣鴨5丁目37番地辺り)

広重「江戸百」今昔 愛宕下藪小路

2007-08-29 06:55:49 | 江戸百・今昔
 安政4年(1857)12月の改印がある「江戸百」112景の
「愛宕下藪小路」(あたごしたやぶこうじ)。
 現在の虎の門1丁目辺りで、雪の降り積もる冬の絵だ。
流れる川は桜川、流れも速そう。もちろん、現在は川はない。
右側に描かれている加藤越中守の屋敷には、鬼門除けのために
竹が植えられており、当時はこの辺りを藪小路と呼ばれた。
 現在は、広い通りとなっている。雪ではなく雨の日に撮影した。
(港区虎の門1丁目18番地辺り)

Weekdayの麺処巡り スパ、アラビアータ

2007-08-28 21:14:29 | 拉麺
 本日は、早朝から取材が入りバタバタ、それでも思い通りに
仕事がはかどり、まずは満足。昼は麺を頂いたのだが、目一杯の
作業が入り、アップするのを忘れていた。
 ランチは、会社近くの「スパゲティRYU_RYU」。この店は
毎日、ランチメニューが変わり、数年前は毎日のように伺っていた
お店。久しぶりの入店で、本日はランチ“ほうれん草とトマトの
アラビアータ“860円大盛りを注文。ランチなので、ドリンクと
野菜サラダがついてくる。懐かしいセットである。
 本日のアラビアータは、フレッシュトマトがキーポイントで
酸味がふんだんに味わえる一品だ。酸っぱいのは嫌いだが、
この範囲ならば、OKである。

RYU_RYU
渋谷区広尾5-16-16 無休 03-3444-2833

広重「江戸百」今昔 日本橋通一丁目略図

2007-08-28 04:31:55 | 江戸百・今昔
 一立斎広重「名所江戸百景」の安政5年(1858)8月改印がある
44景「日本橋通一丁目略図」(にほんばしとおりいっちょうめりゃくず)。
 江戸の町の中心・日本橋は、ここから東海道が始まり、一番の賑わいを
見せたのが日本橋通りであった。背景に描かれた建物は、近江商人が
経営する呉服店の「白木屋」で、その奥隣が「東喬庵」という蕎麦屋。
 日本橋通りの真ん中では、丸い傘の中に隠れた5人衆が住吉踊り
(別名:かっぽれ)を披露している。その手前に描かれた三味線を弾く
菅笠をかぶったご婦人は、この住吉踊り社中とは関係ない女太夫。
また、蕎麦屋の出前持ちがセイロを3枚載せているのも気になった。
それに、その手前では夏の果物、マクワウリを売っている。
 この絵は、当時のトップファッションや生活習慣などの時代背景が
よく描かれた貴重な一枚だ。
 白木屋は東急デパートに変わり、その後、東急もなくなり現在は
コレド日本橋ビルとなり、証券会社などの企業や早稲田大学の日本橋
キャンパスも入っている。時代は変わった。
(中央区日本橋2丁目1番地辺り)

広重「江戸百」今昔 虎の門外あふひ坂

2007-08-27 06:57:08 | 江戸百・今昔
 安政4年(1857)11月の改印がある「江戸百」113景
「虎の門外あふひ坂」(とらのもんそとあふひざか)。
 何とも変な題名の絵である。三日月が出ているので、
夜の絵だ。場所は、虎の門。江戸の頃は、赤坂から山王大地に
かけて溜池があり、そこに設けられた堰があった。この堰から
外堀に沿って下っている坂が“あふひ坂”と呼ばれていた。
 その名前の由来は、絵の中央左側に闇に浮かび上がった
辻番所があり、この近くで葵が栽培されており、命名されている。
 また、右側の光がともった屋敷は、内藤幕閣の上屋敷で、
この辺りは大名屋敷が多くあった。
 この裸の2名は、近くにあった金毘羅宮にお参りにいった
帰りである。職人の2人は、年季奉公で技量があがることを願い、
金毘羅宮に願をかけたところだろう。
 そして注目したいもう1点、屋台である。絵の中央の屋台は、
“二八そば”と書かれ、夜泣き蕎麦を売り歩いている。
 現在は、坂道も溜池も、堰もない。
(千代田区虎の門2丁目1番地辺り)

Weekendの麺処巡り 総本家で本タラバの悪魔

2007-08-26 13:52:17 | 拉麺
 醤油の原液をそのままかえしに使用した、“がんこの悪魔”、
本日は、その悪魔が提供される日。以前の悪魔と比べてみると、
息もつけないような毒々しい塩気が、すっかり影を潜め、
閻魔様の牙を抜いた小さい赤鬼のような一杯となってしまった。
 しかし、この以前と変化した悪魔が、悪いのではない。逆に
旨味が増して美味しくなっているのである。
悪魔イコール不味い、といった先入観がいつの間にかなくなり、
悪魔イコール旨いのである。いいんかいな、こんな悪魔で・・・。
 いいんです、旨くなった悪魔が良いんです。
 さて、本日のがんこ総本家・悪魔のメイン食材が「本タラバ蟹」。
昨日、築地で目利き・厳選した活き本タラバを購入。寸胴に
たっぷりと本タラバが投入され、うまいスープが完成したという。
これに、醤油の原液が濃縮されたかえしと融合され、写真のような
茶色の悪魔スープの提供となった。
 黒豚の悪魔肉に、いつものとろとろチャーシュー、それに今回は
麺がこの悪魔にぴったりとマッチ。茹で具合もドンピシャ、麺も旨い。
本日の悪魔、1,000円であるが、充分である。
 ただし、本タラバ蟹の旨味は出ているが、風味を感じなかった。
それこそ、一条安雪家元がささやく、「このスープ、これから
2~3時間後が濃縮されて旨くなる」と語っていたが、まさに
その後の時間帯が、旨味と風味が頂点に達する頃なのであろう。
 今後は、悪魔は不味いという定義を平に戻し、再度、積み上げて
いくことにしよう。本日のがんこ悪魔、旨かった。
 さて、次回、総本家SPの食材は、“サザエ、檸檬、白ワイン”の
塩拉麺で決まりだそうだ。こちらも、楽しみ。

本日の常連さん、塩山さんやその他多くの皆さんが悪魔を堪能。

アミーゴさん FILEさん BUSHさん kenちゃん。