てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ふだん着でない温泉(2)

2009年11月11日 | その他の随想


 バスがどういう迂回路をたどるのかわからないが、道路はしばらく平坦なままで、都会とはちがって信号も少なくスムーズに進む。周囲を見回しても遠くに山の稜線が低くのぞいているばかりで、いったいどの高原に向かっているのか見当もつかない。けれども道端のところどころに矢印を書いた臨時の看板が出ていて、ホテルへの道筋を告げていた。土砂崩れから2日しか経っていないわりには迅速な対応だと思った。一流リゾート施設のぬかりのなさというか、底力のようなものを感じる。上っ面だけを繕って、その実は張子のように中身のないものがあふれ返っている今の世の中で、眼を開かされるような思いがした。まあ、おそらく今回のようなアクシデントに見舞われるのははじめてではなく、迂回路を示す看板もすでに何度か使われていたものだろう。僻地でビジネスを成立させるには、土地を味方につけることが重要なのにちがいない。

 しばらくして、ようやくバスが斜面にかかり出す。たちまち道は狭くなり、フロントガラスからの眺望は道の両側からせり出す木々に遮られた。バスの左側にはガードレールがくねりながらつづき、その向こう側を激流がしぶきを立てながら下っている。大雨のあとで水量が増しているのか、いつもこうなのかはわからない。車体は激しく揺すぶられ、先ほどまでかまびすしかったご婦人連も圧倒されたのか黙りこくってしまった。ただ隣席に陣取った妻は、大胆というべきか、ぼくに体をもたせかけてこっくりこっくりやっている。ぼくは眼が冴えてしまって、それどころでない。

 ずいぶんのぼったなと思うころ、道路わきに釣堀が見え、テニスコートが見え、こんな標高の高いところで人々が娯楽にスポーツにと汗を流していた。駐車場には車が何台も停まっている。ここへ来るまでに手間と時間を費やしたぶん、下界からくっきりと隔絶された孤高の楽園という感じである。あまり体を動かすことが好きでなく、ただ温泉に入りに来ただけのぼくたちには、ちょっともったいないようなものだ。

 やがてバスはホテルの玄関に横付けにされ、無事にチェックインした。ビジネスホテルでは鍵を渡され、せいぜいエレベーターの乗り場を指し示されるだけだが、ここでは係員の女性が歩いて先導してくれる。当たり前のことかもしれないが、ぼくたちには新鮮で、なおかつ少し厄介なことだ。ぼくなどは人から道案内されるよりは、ひとりで調べてどんどん進んでいきたい性格だから。おまけに妻は重度の方向音痴なので、フロントの方角から浴場への行き方まで、すべてぼくが把握しておかなければならないのである。人の後からついていっただけでは、いざ自分たちで同じ道をたどることになったとき、あまり自信がもてないではないか?

                    ***

 部屋に通されると、ツインルームにしては広いのに驚く。リゾートホテルなら当たり前であるが、これまでの旅先で部屋に入ったときの第一声は「やっぱり狭いね」が常だった。値段相応で、文句はいえないのだが、よほど仲のいいふたりでないと10分もしないうちに気詰まりになるのは眼に見えている。それに比べると、今回の部屋は天国のようだ。“遊び”のスペースがふんだんに残されていることが、どうやらこの奇妙な高級感のよってきたるところらしい。

 だが、どことなく“よそよそしさ”もある。自分の部屋ではないからいうまでもないことだが、住宅展示場を訪れたときのような、血のかよっていないサンプルを見せられたみたいな距離感があるのである。ぼくはモノを捨てられないたちなので、越してきてまだ数か月の新居にもすでに私物があふれているが、狭くて散らかっているほうが何となく落ち着くという傾向がありそうだ。それは長年の独り暮らしに由来するものかもしれないが、要するにリゾートホテルに滞在しながら悠々と寛げるような大きな器ではないのだろう。

 時計を見るとすでに4時近い。夕食にはだいぶ早いが、あちこちの施設をいろいろ巡るにはやや遅い、まことに中途半端な時間だ。着いていきなり温泉というのも、急かされているみたいで何だか不愉快である。せっかくだから少し無為な時間を過ごしてみたい。

 フロントで渡された地図を見ると、敷地内を巡回しているバスですぐ行けるところにハーブガーデンがあるらしかった。ハーブには特に興味がないし、ハーブティーを嗜むという上品な趣味もないが、部屋にこもっているよりはましだ。高原の空気は少し肌寒かったけれど、休息もそこそこに出かけてみることにした。

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