てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

京を歩けば(13)

2009年03月06日 | 写真記


 二条城は、実に甲子園球場6つ分もの面積があるという。ぼくは甲子園には一度も行ったことがないので、そんなことをいわれてもピンとこないが、とにかくやたら広いということだけはわかる。

 ぼくがここをはじめて訪れたのは、ご多分にもれずというか、小学校の修学旅行のときであった(ちなみに福井の学校である)。どこをどのような行程でまわったのかはちっとも覚えていないが、京都と奈良と大阪をめぐったはずだ。児童たちが本当に喜んでいたのは、旅館に入り教師たちの監視の眼を逃れてからの食事や入浴タイムと、やがて姿を消すことが決まったエキスポランドでの自由時間だけだったが、クラスでもっとも威張りくさっていたガキ大将のようなやつが、なぜかジェットコースターに乗ることをかたくなに拒んだことが思い出される。ぼくも観覧車ぐらいには乗ったかもしれないが、そもそも遊園地で無邪気に遊ぶようなタイプではなかったので、こちらへ住むようになってからエキスポランドには一度も入園したことがない。

 さて、ここ二条城はもちろん大政奉還の舞台として修学旅行のルートに組み込まれたわけだろうが、部屋に等身大の人形が置かれているのは子供の眼にも奇異に映った。ぼくの地元には菊人形という伝統行事があるが、菊の見事さに引き比べて、人形のお粗末さが逆に浮き立ってしまうような気がしないでもない。夏目漱石の『三四郎』には団子坂の菊人形というのが出てくるが(明治時代までおこなわれていたらしい)、顔や手足はことごとく木彫りだったと書かれている。しかし現代のマネキンのような人形では、優美な菊の花弁との間に懸隔がありすぎるようだ。そんな不可思議な菊人形の記憶が、二の丸御殿などを拝観しているうちによみがえってきてしまうのである。

 史実を“わかりやすく”人形で再現したりするのは、いかにも歴史教育におもねるようで、ぼくは好きではない。頭で理解するのではなく、皮膚感覚のようなものをとぎすまして感得する歴史というのもあるはずだ。天守閣こそ失われているが、壮麗な石垣と書院造の木の建物が織り成すたたずまいを眺めているだけで、音もなくしんしんと降り積む雪のように、歴史の堆積が厳かに立ちのぼってくる気配さえする。肝心なのは、昔日の息吹をたたえている場所や空間を商業主義の魔の手から守り、往時の姿を保ちながら後世に伝えることではなかろうか。

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 大阪城の天守は、昭和のはじめに市民の寄付によって再建された。これはまことに素晴らしいことだ。しかし生まれ変わった天守閣は、城のかたちをした博物館であり、鉄筋コンクリートで作られた近代のランドマークである。城内にはエレベーターも設置され、ものの数秒で最上層までのぼりつめることができる。数年前には大改修がほどこされて、内部の展示物が映像やジオラマなどを駆使したハイテクなものになっているのにひどく驚いた。それ以来、大阪城公園へ行く機会はあっても、天守閣には立ち入っていない。その気になれないのだ。

 余談だが、司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んでいたら、次のようなことが書いてあった。中世以来の大和、今の奈良には、伽藍の修理を請け負う大工の集団のようなものがあったらしい。寺院建築の多い土地柄であってみれば当然の話だろうが、なかでも法隆寺村というところにいた中井という棟梁とその門弟たちが、秀吉の大阪(大坂)城建造にあたり、はるばる摂津国にまでやって来て参加したそうである。法隆寺の補修をしていた大工が、当初の天守閣の築城に携わっていた可能性もあるわけだ。現在の大阪城は市民たちが自力で建てたシンボルかもしれないが、かつては仏教建築のエッセンスがその巨大な構造を支えていた。建物の歴史というのは実に複雑に入り組んでいる。

 わがふるさと福井では、お堀に囲まれたかつての福井城の石垣の上に、今では県庁の高層ビルが聳えている。落成したのはぼくが子供のころの話だが、反対運動があったのかなかったのか、詳しいことは知らない。時代をつぎはぎしたようなその奇妙な眺めも、慣れてくるにつれて当たり前のものになってきたが、京都に移り住んで長いこと経ってみると、やっぱりあれは変だったのではないかという後ろめたい気持ちがしのび寄ってくることも事実だ(福井城址には昨年帰省した際に出かけてきたので、改めて取り上げることもあるかと思う)。

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 二条城の天守閣址への階段をのぼって、風に吹かれながら下界を見下ろした。上から眺めると、あれだけ咲いていた梅林も何だか冴えなく見える。梅という花は、やはり間近で観賞するのがいいようだ。また季節が移り変わったころに、ここにたたずんでみよう。そんな思いにさせられた。

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