てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

波の音の狭間に(2)

2009年02月13日 | てつりう文学館

『足摺岬 ― 田宮虎彦作品集』(講談社文芸文庫)
書店で入手できる田宮文学としてはほとんど唯一のものである


 今年になって、ぼくがようやく『足摺岬』を活字として読んだときには、最初の出会いから20年が経過していたことになる。田宮虎彦など、すっかり過去の作家になってしまったような感もあるが、今改めて『足摺岬』をじっくり読み込んでみると、きわめて今日的な問題を扱っている作品ではないかと思えてきた。いや、これこそはいつまで経ってもなくならない普遍的な主題なのではなかろうかと・・・。

 冒頭から聞こえ出す石礫のような雨脚の音は、ぼくがかつて愛読していた椎名麟三の『深夜の酒宴』を思い出させる(しかしこちらは、実は下水の音であったが)。田宮と椎名は奇しくも同年生まれで、これらの作品が書かれた時期も2年ほどしかちがわず、戦後の荒れた時代を生き抜く人々に共通する閉塞感が、彼らを一様に絡め取っていたであろうことは想像に難くない。

 さらにいえば、芥川龍之介が『羅生門』に書いた「雨にふりこめられた下人」に通じるものもあるように思う。雨は、ときとして人を立ち止まらせ、深く考え込ませる。そしてそこから人生が変わっていくが、何も解決するわけではなく、ハッピーエンドに終わるわけでもない。人は、手探りでもがきつづけながら生きていかざるを得ないのだ。その過程を切り取ったのが、『足摺岬』である。

                    ***

 死ぬために足摺岬にやって来た学生は、小さな宿に泊まり、降りつづける雨音と波の響きを聞きながら無為な日々を過ごす。ある日、雨にあたって濡れ鼠になった学生を、小さな宿のお内儀(かみ)や同宿の年老いた遍路、“オイチニの薬売り”らが懸命に介抱する。肋膜炎を発症した彼は薬売りから薬を飲ませてもらい、手厚く看病されるが、そのとき遍路が学生に向かっていった言葉がぼくの胸に残った。

 《「のう、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方がなんぼよいことか」》

 学生にあたたかい言葉をかけてくれる彼らも、決して恵まれた人生を送っていたわけではない。林芙美子は“オイチニの薬売り”の娘で、親子3人で行商をしながら日本中を渡り歩いた経験が作品にも出てくるが、その貧乏さたるや大変なものだ。だが、鉄道員や憲兵に似ていたといわれるかしこまった制服と、手風琴を奏でながら歌われる「オイチニの薬は良薬じゃ」という歌声は、哀愁のなかにもかすかなユーモアがただよっているような気がして、ほろりとさせられる。ただ、実際に見聞きしたわけではないので想像するしかないけれど・・・(調べてみると、黒澤明の最後の映画『まあだだよ』のなかに出てくるらしい。ぼくはこの映画を劇場で観たことがあるのだが、そのシーンは覚えていない)。

 薬売りは、学生から薬代を受け取ろうともせず旅立っていく。こんな言葉を残して。

 《「学生さんよ、治ってよかったのう、生命(いのち)は粗末にせられんぞよ」》

 鶴のように痩せさらばえた老遍路も、寡黙ななかに底知れぬ苦しみを秘めながら生きている存在だ。『足摺岬』でもっとも印象的に描かれている人物像は、主人公の学生ではなく、この遍路である。肩口に古い刀創の痕を残した彼は、ある日問わず語りに、戊辰戦争で西国勢に立ち向かおうとして失敗した若き日のことを話して聞かせ、涙をこぼす。田宮虎彦のもうひとつの作品群である『落城』などの歴史ものとの接点が、ここに顔を出すのである。

 だが、ぼくは田宮の歴史小説にはあまり興味がもてなかった。これはあくまで個人の好みであるが、『足摺岬』や『絵本』といった一人称で書かれた私小説的な作品のほうにより強く惹かれるのは、かつて志賀直哉を読みあさったころから一貫して変わらない傾向だという気がする。苦悩する人間の姿が等身大で伝わってくるからであり、さっきも書いた永久になくならない普遍的な主題というのは、史実の上にではなく、心情のなかに人知れず書き込まれているのではないかと思うからだ。それを文字に書き起こすのが、作家の仕事のひとつであることは間違いないだろう。そこには当然、想像力が要求されることはいうまでもない。

 田宮虎彦は『足摺岬』を書いたとき、実際に足摺岬に来たことはなかったという。今では現地に文学碑すら建っているが、作品に描かれているのは想像の風景である。しかし、絶え間ない雨や波の音と相まって、たしかなリアリティーをもって迫ってくるのには驚かされる。この地はむしろ、行き場のなくなった主人公がたどり着き、いつか死ぬことをあきらめて東京に戻るまでの幾日間を過ごした場所として記憶されるべきであって、田宮は自殺の名所として足摺岬を描こうとしたわけでは断じてない。

 この未曾有の不況の世にあって、自殺者が増えるのではないかと危惧されているが、そんな人には『足摺岬』を読むようにすすめたい。読者に勇気や感動を与えたりはしないが、黙って寄り添ってくれる。これはそんな小説である。

                    ***

 先にも書いたように、田宮虎彦自身は、病気を苦にマンションから身を投げて死んだ。詳しいいきさつはどうあれ、晩年の彼に向かって、あの老遍路がいったような言葉を誰かがかけてくれれば、と思う。

 「のう、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方がなんぼよいことか」

(了)

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