『パレオはエメラルド』と同様、劇場版中古CDプラス配信で5曲ゲット。フライングゲットとは正反対の、1周遅れでの鑑賞だ。
『絶滅黒髪少女』。
海辺で、絶滅寸前の稀少な「黒髪ですっぴん」の女の子を発見し、「守りたい」という歌。
AKB48も、当初は板野以外は茶髪禁止だという話を聞いたことがあったが、なし崩しになったのか、今では解禁されているようだ。これに対して、NMB48は、CDジャケット写真を見ると、確かに全員黒髪だ。先発のAKBやSKEとの差異を出すためにか、曲調はコテコテで暑苦しく、どちらかと言えばSDN風となっている。
コンセプト先行の感があり、正直あまりときめかない。
『青春のラップタイム』。
部活で遅くなり、デートの待ち合わせ場所まで全力で走って行くという歌。『大声ダイアモンド』にも通じる世界観。彼女を思うあまり、すごいスピードが出ていることを指して「ラップタイム」と歌っているが、矢のように速く過ぎる青春という意味も込められているのだろう。
そのコンセプトは、ときめきを1歩1歩踏みしめながら歩いて行こうというSKEの『ときめきの足跡』と対になっているとも言え、興味深い。
『僕が負けた夏』。
クラスの仲間たちと海に行き、気になっていた彼女の魅力を再認識するが、「手も足も出ない」「僕の負け」だという歌。どうでもいいが、最近の高校生は、クラスメイトと海に行くのにビキニを着るのだろうか。私の頃には考えられないことだ。
曲中に『ヘビロテ』『ポニシュシュ』が出てくる。『ジグソーパズル48』に『RIVER』が出てきたこと以来だ。それどころか「あっちゃん」まで登場。そこまで遊び心満載の曲なのに、曲調やボーカルがどことなく暗いのが残念。渡り廊下の『ビキニは似合わない』の弾け様とは、似たような状況を歌っているのにえらい違いだ。
『待ってました、新学期』。
夏休みが終わり、久しぶりに学校で彼に会いたいという歌。いわば『言い訳Maybe』と男女を入れ替えた歌だ。あるいは、『僕が負けた夏』に歌われているビキニの彼女の方も実は彼のことが好きで、彼女の視点から歌った曲なのかもしれない。海に行った後、新学期まで会えずに、寂しいのかも。
蝉が出てくるところは、SKEの『花火は終わらない』を思い出す。片方は夏休みが終わって新学期が待ち遠しい、片方は夏が終わってほしくない歌というのが面白い。
『三日月の背中』。
元気をなくしている女の子への応援歌。メロディは『向日葵』に似ている所がある。
「三日月の背中をすべり、流星のボートに乗って」とは、山口百恵の『乙女座宮』(流星に乗って)、松田聖子の『時間の国のアリス』(三日月に腰掛けて)へのオマージュか。他にも松本伊代『オトナじゃないの』(三日月でブランコ)というのもあった。
冒頭の「瞳を閉じよう」「まぶたの幕が上がる」というのが、相反することを歌っていて気になって仕方がない。こういうことが気にならない人もいるだろうが、私はダメだ。SKEの『積み木の時間』の、丸い積み木と四角い積み木の矛盾と同様だ。
5曲ともアップテンポな曲だが、思わず耳を奪われるような魅力を感じない。
タイトル曲はコンセプトものでインパクトはあるが、あとの4曲は無難な曲ばかりという感じがする。
『絶滅黒髪少女』。
海辺で、絶滅寸前の稀少な「黒髪ですっぴん」の女の子を発見し、「守りたい」という歌。
AKB48も、当初は板野以外は茶髪禁止だという話を聞いたことがあったが、なし崩しになったのか、今では解禁されているようだ。これに対して、NMB48は、CDジャケット写真を見ると、確かに全員黒髪だ。先発のAKBやSKEとの差異を出すためにか、曲調はコテコテで暑苦しく、どちらかと言えばSDN風となっている。
コンセプト先行の感があり、正直あまりときめかない。
『青春のラップタイム』。
部活で遅くなり、デートの待ち合わせ場所まで全力で走って行くという歌。『大声ダイアモンド』にも通じる世界観。彼女を思うあまり、すごいスピードが出ていることを指して「ラップタイム」と歌っているが、矢のように速く過ぎる青春という意味も込められているのだろう。
そのコンセプトは、ときめきを1歩1歩踏みしめながら歩いて行こうというSKEの『ときめきの足跡』と対になっているとも言え、興味深い。
『僕が負けた夏』。
クラスの仲間たちと海に行き、気になっていた彼女の魅力を再認識するが、「手も足も出ない」「僕の負け」だという歌。どうでもいいが、最近の高校生は、クラスメイトと海に行くのにビキニを着るのだろうか。私の頃には考えられないことだ。
曲中に『ヘビロテ』『ポニシュシュ』が出てくる。『ジグソーパズル48』に『RIVER』が出てきたこと以来だ。それどころか「あっちゃん」まで登場。そこまで遊び心満載の曲なのに、曲調やボーカルがどことなく暗いのが残念。渡り廊下の『ビキニは似合わない』の弾け様とは、似たような状況を歌っているのにえらい違いだ。
『待ってました、新学期』。
夏休みが終わり、久しぶりに学校で彼に会いたいという歌。いわば『言い訳Maybe』と男女を入れ替えた歌だ。あるいは、『僕が負けた夏』に歌われているビキニの彼女の方も実は彼のことが好きで、彼女の視点から歌った曲なのかもしれない。海に行った後、新学期まで会えずに、寂しいのかも。
蝉が出てくるところは、SKEの『花火は終わらない』を思い出す。片方は夏休みが終わって新学期が待ち遠しい、片方は夏が終わってほしくない歌というのが面白い。
『三日月の背中』。
元気をなくしている女の子への応援歌。メロディは『向日葵』に似ている所がある。
「三日月の背中をすべり、流星のボートに乗って」とは、山口百恵の『乙女座宮』(流星に乗って)、松田聖子の『時間の国のアリス』(三日月に腰掛けて)へのオマージュか。他にも松本伊代『オトナじゃないの』(三日月でブランコ)というのもあった。
冒頭の「瞳を閉じよう」「まぶたの幕が上がる」というのが、相反することを歌っていて気になって仕方がない。こういうことが気にならない人もいるだろうが、私はダメだ。SKEの『積み木の時間』の、丸い積み木と四角い積み木の矛盾と同様だ。
5曲ともアップテンポな曲だが、思わず耳を奪われるような魅力を感じない。
タイトル曲はコンセプトものでインパクトはあるが、あとの4曲は無難な曲ばかりという感じがする。
初めてのコメントで恐縮なのですが・・・
「三日月の背中」の件ですが、歌詞の中にもあるように現実と空想の世界なので瞳を閉じて瞼の幕が上がるのはどこもおかしな所は無いと思うのですが、いかがでしょうか?
そして、「積み木の時間」の丸と四角ですがこれも手法(アプローチ)の違いを表現しているのだと考えますがいかがでしょうか?
初めてのコメントで生意気なことを申し上げて失礼とは思いますが、少し気になったもので。
おっしゃる通りで、表現上のことなので、何でもアリだということは分かっています。でも、私は何となく気になってしまうのです。
積み木の丸と四角は、1番と2番に分かれているので、おっしゃる通り、実はあまり気になりません。
他には、『初日』の「汗の中に咲く花」というのも、汗をガラス容器の中に集めて、その中に水中花のように咲いている様子を想像してしまい、少し気になります。
だからと言って、『初日』の評価が下がる訳ではありません。