AKB48 チームBのファンより

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グループ内スタンダード『渚のCHERRY』。アイドルの旬は何歳か?(ときめき研究家)

2009-12-02 00:11:09 | ときめき研究家
「会いたかった」公演のセットリストに含まれる『渚のCHERRY』は、各チームのエースがセンターを務めてきたスタンダードナンバーだ。そればかりか、大会場でのコンサートでは、シャッフルで意外なメンバーがセンターで歌ったりもした。(シンディと篠田)
その歌詞の中に「憧れてたセブンティーン」というフレーズがある。アイドルの輝きは一瞬だと常々思っているが、17歳というのはアイドルとして最も輝いている旬と言えるのだろうか。歌詞の中に年齢が入っている過去の曲により検証してみた。

14歳。
伊藤つかさ『童話色』(『少女人形』のB面:1981年)。「よろしく よろしく 14歳の私」

15歳。
伊藤つかさ『もう一度逢えますか』(1982年)。「ああ15歳 雨の出来事」
チェッカーズ、松居直美『ギザギザハートの子守唄』(1983年)。「15で不良と呼ばれたよ」

16歳。
石川ひとみ『三枚の写真』(1981年)。「16のとき あなたは18」(曲の最後では20と22になるが)
松本伊代『センチメンタルジャーニー』(1981年)。「伊代はまだ16だから」
小泉今日子『私の16歳』(1982年)。
シブがき隊『NAI NAI 16』(1982年)。
三田寛子『駆けてきた処女』(1982年)。「16だから恋はじめ」
川島恵『ミスター不思議』(1982年)。「恋をした16は不思議の虜」
高橋利奈『16歳の儀式』(1985年)。
西村知美『16粒の角砂糖』(1986年)。

17歳。
南沙織『17才』(1971年)。(後に森高千里がカバー。1989年)
桜田淳子『17の夏』(1975年)。
岩崎宏美『センチメンタル』(1975年)。「ブルーの服を薔薇色に私は替えてみたの そんな気分よ17歳」
榊原郁恵『私の先生』(1977年)。「ところで先生 17歳は大人でしょうか 子供でしょうか」
河合奈保子『17才』(1980年)。
中森明菜『少女A』(1982年)。「いわゆる普通の17歳だわ 女の子のこと知らなすぎるのあなた」
つちやかおり『恋と涙の17歳』(1982年)。
AKB48『渚のCHERRY』(2006年)。「憧れてたセブンティーン」

18歳。
岩崎宏美『思秋期』(1977年)。「はらはら涙あふれる 私18」
松田聖子『eighteen』(1980年)。

19歳。
森高千里『私がオバさんになっても』(1992年)。「女盛りは19だと あなたが言ったのよ」

20歳。
桜田淳子『20才になれば』(1978年)。
岩崎宏美『二十才前』(1978年)。
松田聖子『野ばらのエチュード』(1982年)。「一人静かに 愛を探して はたちのエチュード」
AKB48『小池』(2006年)。「二十歳を過ぎて覚えました 妥協って言葉を」

もっと色々あるだろうが、私が思い出せた範囲で記載した。
歌手の偏りがあるが、確実に私の好みを反映している。しかし、例えば山口百恵や菊池桃子には、少なくともシングル曲には見当たらないと思う。
それから、グループの曲にはあまりないようだ。グループのメンバーの年齢が異なる場合には不適当という理由があるのかもしれない。

これらの歌詞を歌っていた本人の実年齢とは必ずしも一致しない(榊原郁恵のデビューは18歳だから『私の先生』の歌詞とは違う)が、ほぼ一致すると見ていいだろう。松本伊代や西村知美が典型だが、デビュー曲は自己紹介も兼ねているのだ。この辺が、実像と虚像の狭間で稼ぐアイドルの真骨頂でもある。曲の世界は虚構の世界でもあり、現実の彼女のことを歌ってもいるのだ。

検証の結果、16歳と17歳は曲数も同じくらいで、いい勝負と言えるが、全般に17歳は古い曲が多いようだ。ここにもアイドルの低年齢化が反映している。

結論。アイドルの旬は16歳。
但し、個人差はある。中森明菜も歌っている。「いくつに見えても私誰でも 私は私よ関係ないわ」と。
23歳のシンディが『渚のCHERRY』を歌ってもいい。

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