一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

沢木耕太郎『ポーカー・フェース』 ……山野井泰史・妙子夫妻のエピソード……

2011年11月11日 | 読書・音楽・美術・その他芸術
10月に刊行されたばかりの沢木耕太郎著『ポーカー・フェース』(新潮社)を読んだ。
『バーボン・ストリート』(1984年)
『チェーン・スモーキング』(1990年)
に続く、大人のエッセイ第3弾だ。

この本では、高峰秀子、尾崎豊、サリンジャーなど、
様々な人々のエピソードが語られている。
13編のエッセイが収められているが、
どれもが面白く、じっくり読ませる。

全部を紹介することはできないが、
山好きの皆さんが興味ある人物……
山野井泰史・妙子夫妻について書かれてある部分を、
ちょっとだけ抜粋してみようと思う。

まずは山野井妙子について。

3年半ばかり前に、このブログ「一日の王」で、
『白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻』
という本を紹介したとき、
私は山野井妙子のことをこう書いた。

……ひとつだけ私の興味を惹いたものがあった。
山野井泰史の妻・妙子の生き方である。
映像で見たとき、妙子の両手には、指が一本もなかった。
いつもグーの形に握っているように見える。
二度の重い凍傷で、足の指も左足の小指と薬指の二本を除いて、切断している。
実に両手両足のうち、18本の指がないのだ。
それで家事もこなすし、家庭菜園で野菜も育てている。
夫と同行して、クライミングもする。
もともと妙子は世界的な女性クライマーで、アルプス三大北壁の一つ、グランドジョラス北壁ウォーカー側稜で冬季女性初登攀など、めざましい活躍をしてきた人だ。
その妙子が、泰史と一緒に、グリーンランドの高さ1300mの前人未踏の大岩壁に挑む。
泰史も言う。
「妙子のほうが僕よりもすごいよ。あの手でトップをいくんだから。1300メートルの未踏のビッグウォールに挑戦するんだから」
妙子は女性としては日本で一番、男性を交えてもトップクラスのクライマーだと、泰史は考えている。
妙子は、泰史より9歳年上で、51歳。
だが、その動きは年齢を感じさせない。
手足のハンディも感じさせない。
力強くグイグイと登っていく。
山野井泰史にはいつも緊張しているような雰囲気がある。
実際、自分でも緊張するタイプであることを認めている。
それにひきかえ、妙子の方は、ほとんど緊張しないという。
なぜだかいつも飄々とした雰囲気を漂わせている。
なにを考えているのか分からないような感じもする。
実に興味深い、いや魅力的な人物だ。
「山に行くことに関してはお金をかけるけど、ほかのことはどうでもいいです」
妙子の言葉だ。
そうは言うものの、彼女に、日常生活に投げやりな部分は見られず、近所づきあいも良く、二人の生活をしっかりと支えている。
きっと、彼女は、山に登ることができなくなっても、きちんと生きていけるタイプの人間だ。
「この道一筋」人間に見えながら、実は幾筋もの道を持っている人間……妙子はそういう人間だと思うし、そこが凄いところだ。


この山野井妙子が凍傷により手足18本の指を切り落とす手術をしたときのエピソードを、沢木耕太郎はこう記す。

世界的にもすぐれたクライマーである妙子さんは、まだ山野井さんと結婚する前、八○四七メートルのブロード・ピークを登ったあと、続けて八四六三メートルのマカルーという山に登ることに成功する。しかし、下降する際、仲間を守るために困難なビバークを強いられ、重度の凍傷によって手の指を第二関節から十本すべてと、足の指を八本失うことになる。
日本に帰るとすぐに入院し、凍傷になった部分を切り落とす手術を受けた。その直後、病室にひとりの男性が菓子折りを持って訪ねてきた。
彼は小指を詰めて入院していたヤクザだったのだが、あまり痛い、痛いと騒ぐのに業を煮やした看護師にこう言われてしまったのだという。
「小指の一本くらいでなんです。女性病棟には手足十八本の指を詰めても泣きごとを言わない人がいますよ」
それに恐れ入ったヤクザがその「凄い姐御(あねご)」に挨拶しにきたというわけだったのだ。


思わずニヤリとしたでしょう。
山野井妙子……やはり凄い女性です。

次は、山野井泰史のエピソード。
山野井泰史さんがクマに襲われた話は有名だが、
見舞いに行ったときのことを沢木はこう語る。


山野井さんは奥多摩に住んでいるが、ある日、トレーニングのために林道を走っていると、曲がり角でクマとバッタリ遭遇してしまった。まずかったのはそのクマが子供を連れた母親だったことである。子供を守ろうと、クマはいきなり襲いかかってきた。山野井さんは勢いがついていたため急に回れ右ができず、クマに押し倒されるように山側の斜面に押さえつけられた。そして、眉間をガブリと咬みつかれてしまった。そのとき、山野井さんは咄嗟に判断したのだという。両手で押しのけると、咬みつかれたまま、額や鼻を持っていかれてしまうだろう。そうすると、復元は不可能だ。そこで、むしろ、クマの頭を片手で抱きかかえるようにして、反対の腕の肘で殴ったのだという。すると、咬んでいた歯を離してくれた。その隙に転がり出た山野井さんは、必死に逃げた。ところがクマも追ってくる。もう少しで追いつかれそうだったが、途中でふっと追ってこなくなった。後に残した子供が心配だったのだろうと、山野井さんは言う。
なんとか家に戻ったが、奥さんの妙子さんは北海道に行っていて不在である。そこで、山野井さんは隣の住人に救急車を呼んでくれるよう頼んだ。救急車からヘリコプターに移され、青梅の病院に運び込まれると、九十針も縫う大手術をすることになった。その結果、顔面はなんとか復元できた。
私が見舞いに行くと、山野井さんはこう言って笑った。
「あのクマは運が悪かった」
自分は野生のクマを抱くという滅多にないことができてよかったけれど、あのクマは自分に出会ったばかりに地元の猟友会の人に追われることになってしまったから、というのだ。そして、さらにこう続けた。
「うまく逃げてくれるといいんだけど……」


90針も縫う重傷を負わせられ、その襲ったクマに対して、
「うまく逃げてくれるといいんだけど……」
と語る山野井泰史もまた凄い人だ。

そして、沢木は最後をこう結ぶ。

もしすべての人がこんなふうに考えられるなら、「運」のよしあしなどということに、あまり拘泥(こうでい)しなくてもすむようになるかもしれないのだが。

……雨で山に登れない日は、こういう本を読んで過ごすのも悪くない。

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