

☆信長の死から2年後、秀吉は正親町天皇から従三位権大納言に叙任され公卿となる
☆秀吉が朝廷の一員として仲間人した

☆秀吉は、正親町天皇にいたく感謝し、正親町天皇のための「院御所」を建る
☆誠仁親王への譲位の準備を進めた
☆正親町天皇は秀吉の望むがままに官位を与えた
☆正親町天皇より、豊臣の姓を賜り、室町幕府に替わる新政権「豊臣政権」を確立させた
☆正親町天皇からの譲位を控えていた誠仁親王の訃報で親王の第一皇子が天皇へ
☆後陽成天皇は16歳、正親町天皇も健在であり秀吉の愧儡だった

☆関ヶ原での本戦以外に多くの場所で展開され、後陽成天皇も影響を及ぼした
☆後陽成天皇は、勅使を派遣し和睦させ幽斎らを助けた


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ギブ・アンド・テイクの朝廷と秀吉(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)



☆秀吉は明を征服した暁には後陽成天皇を明の皇帝として北京へ
☆政仁親王か八条宮智仁親王を日本の天皇へ





☆秀吉の影響力を排除しようとしたため。








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