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宗教を知る7(ローマ帝国キリスト教を迫害から国教へ)

2016年09月21日 | 宗教
キリスト教ローマ帝国とともに東西分裂

ローマ帝国キリスト教の弾圧から国教化の背景
ローマ帝国の力は弱まり、ローマ帝国は東西に分裂
東西に分かれたキリスト教(カトリックと東方正教会)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆出典、『宗教史(成美堂出版)』詳細本で確認ください










宗教史(ネットより画像引用)

イエスが伝道していた時期
パレスチナの地では、ユダヤ教が人々の生活に根づいていた
厳しい律法の遵守に異議を唱えたイエスは迫害され、十字架にかけられた
イエスの死後、救世主の復活という奇跡が人々の心をとらえた
イエスの教えは使徒たちに受け継がれ、シリア、ギリシヤ、トルコ、そしてローマヘと伝わっていく

ローマ帝国の繁栄とキリスト教の成立
ローマ帝国の繁栄は、前27年からローマ帝国が東西分裂する395年までの時代です
キリスト教迫害の時代(ローマ帝国繁栄の前~中期)
キリスト教が公認、国教化の時代(ローマ帝国末期)
ローマ帝国の宗教は多神教で、キリスト教はネロらローマ皇帝によって迫害を受けた
キリスト教が普及すると、ローマ帝国は、弾圧や無視は出来ず、取り入れることで民を治める方向に向かう
ローマ帝国は、周辺地域の外的からの圧力にさらされるようになる

ローマ帝国は、教会の力が利用
コンスタンテイヌス帝 「ミラノ勅令」で、キリスト教は公認された
首都をビザンティウム(コンスタンティノープルと改称)に移した
テオドシウス帝は、キリスト教を国教化し、逆に他の宗教を禁止した
ローマ帝国の力は弱まり、帝国東西に分裂
キリスト教も、東西の拠点であるローマコンスタンアィノープルの教会がそれぞれ独自の活動を行うようになった。

東西に分かれたキリスト教(カトリックと東方正教会)
ローマ帝国の力は弱まり、ローマ帝国は東西に分かれた
キリスト教も、東西の拠点であるローマ、コンスタンアィノープルの教会が独自の活動を行うようになった

東西が正続性を主張
エルサレムから始まった原始キリスト教は、ローマ帝国の公認を得て、地中海沿岸を中心に各地に広がる
ローマ帝国が東西2つに分裂
 ☆ビザンツ(東ローマ)皇帝は、帝都コンスタンティノープルをキリスト教の本山とみなす(東方正教会)、
 ☆教皇(ローマ司教)を頂点とするローマびカトリック教会は強く反発、
以後2つの教会は、キリスト教の正統を自負し対立する


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