止まらず一歩

何かをさがして
舞台を増やしたり変えたりしながら
それを残していこうと思います

大晦日

2010-12-31 16:36:23 | Weblog
 「たくさん "餅つき" をしたよ」
 6~70年も前、子供のころの年末情景だ。
 「母さんが千切ったのを、手のひらで転がして丸く仕上げるのを手伝ったのよ」
 子供のオヤツ用に
 薄く切って藁に挟んで吊るして乾かすのを何種類も作った。豆餅・胡麻餅・・・
 「正月はねえ」
 お湯で炊いて柔らかくなった丸餅に小豆の餡をかけて食べるのがご馳走だっ
 た(ゼンザイのようなもの)。
 「俺んとこは、お粥に餅が入ったものもあった」
 鳥取も丹後も佐渡島も、似たような年末があって同じような正月をしていた。
 昨日、田舎の兄から切り餅が送られてきた。今は杵と臼で餅をつく家はなくな
 ったらしい。 

 東京の息子から 「年越しソバを打っといてよ」 と電話があった。
 別に配る予定もあって、
 わが家では "ソバうち" が大晦日の恒例行事になっている。
 けっこう疲れて
 早々、宝船の図を枕に敷いて新しい年を待つことにした。
 
 皆さん、良い年をお迎えください。

一年を振り返って

2010-12-29 14:06:40 | Weblog
 ひと月の行動はだいたい決まっているので
 どれくらい外に出ているかを計算したら、ざっと150時間で一日あたり5時間
 になった。
 朝早く体操に出かけ、そのへんをブラブラして8時過ぎに帰り、夕方は "酒の
 あて" を買いに出る日課がベースになって、野良仕事をしたり竹を切るボラン
 ティアが5日と二つの歩こう会に一回ずつ参加している分を含めている。
 サラリーマン時代より外にいる時間は増えているが、家でボーッとしている時
 は圧倒的に多いからパートに出ている女房と交代で賄いをしている。

 年初目標の600万に対して680万歩(約4500km)
 ゴルフは10回で平均スコアは103.7
 昨年の実績を抑えようとして、こうなったのだから健康でちょっと増えた暇を楽
 しんだ一年だが、平穏すぎて表す一文字の漢字が思い浮かばない。
 増えた暇はブログの投稿回数になって、今日までの198回は去年の125回
 を大幅に上回った。
       
 先日のラジオで
 「ボケ防止で書きだした葉書が一年のうちに400通になりました」とリスナー
 の一通が紹介されたが
 私のブログ回数もそれに似た向きがあった。
       一年ごとに注意が散漫になって、家を出たあと忘れ物を思いつき
       引き返すことが増えたが
       今日は、引き返さないまま病院に行って保険者証がないため実費
       を払うハメになった。
       その辺に注意を払う習慣もボケ対策なんだろうが ・ ・ ・

最後の湯

2010-12-27 14:33:16 | Weblog
      2~3日前から細っていた給湯が遂に途切れた。
      夏場のエアコンもそうだったが、トラブルは必ず使用頻度が
      上がったときに起きる。
      台所の用事や洗面は水の冷たさを我慢できるが、風呂はそうはい
      かない。故障が直ぐなおらないとなると尚更だ。
 歩いて10分くらいに温泉がある
 料金のわりにいろんな種類の湯があって、古くからあるので名は遠くまで知
 られているが、客は近場の人ばかりで私なんかはよそ者になる。
 行けば必ず刺青のオッチャンと一緒になるが、この日は三人もいた。
 サウナのあと天井が吹き抜けになった薬草風呂に入ると
 何人かが丸椅子に腰を下ろして「プカー」、ここは喫煙所になっている。
 一年くらい来ていなかった
      「今日は混んどった」 家に帰って女房に言うと
      「たしか、今日で終わりのはずよ」 閉めるそうだ。
      刺青を気にする風もなく、タバコとライターを持って浴室に入れる
      隠れたニュータウンの名所がまたなくなった。
      ボイラーの故障がめぐり合わせてくれた最後の湯だった。 12/26

顔は裸だが

2010-12-25 12:39:02 | Weblog
 街灯が照らす範囲を外れた空は暗くて冷え冷えしている。
 出しなに 「この冬一番の~」 などと聞くと、現実以上に気持ちが寒さを
 よび込んでしまい、広場に集まる人の数も減っていく。
 上の一枚を脱ぐと寒風がさしこんで 「おお寒っ」
                  
                 ☆

 誰かが 「暖房機がなく、ダウンもない。家の隙間から風が吹き込む昔は、
 どうやっていたんだろう」
 「炬燵と練炭どっちが昔かな。チャンチャンコを着て、ショウガ湯。それから~」
 もっと昔は?
 「吹雪の中でマンモスを狩する石器人は、手足がむき出しの僅かなボロを
 着ていただけだった」(もちろん想像図画だが)
 「今も、顔は裸じゃあないか」
 そうか 「着る物がなければ、裸でいるしかないんだ」
 「いいとこの子が冬に半ズボンだったぞ」
 体って不思議
 「唇が火傷するほど熱いものでも、口に入ってしまうとワリと平気だし」 

 外は、小雪が風に舞っている

年の瀬がやってきて

2010-12-23 18:49:57 | Weblog
 いつも見ているマンションのベランダで
 三年前に会社を辞めたオヤジが、ガラス戸を洗っている。
    去年も一昨年も、しなかったが
 東側のベランダから北側へ、所を移っていくうちに段取りが良くなって
 上から下へ、水を使う量も少なくなっていく。
 暫くすると、肩で息を整え手をブラブラしている。
 ガラス戸が8枚に、網戸4枚で止めてしまった
    おい、西側の息子の部屋はしないのか? 正月に帰ってくるんだろう。
 こっちでは
 奥さんが、障子紙を破って風呂場で格子を洗っている
    たしか、このマンションが建っていらい始めてだろう。
 でも、最近は様子が違う
 紙を貼るのに糊など使わない。紙をあてがいアイロンをかけている。
 オヤジが交代して 「オーイ」
 奥さんを呼んでいる ~ 歪んでシワが寄ったみたたいだ。
 「いいんじゃない」 あと十年、今日の思い出になるから ・ ・ ・

 年末の掃除が始まって
 拭き終わったガラスが無くなったように
 障子戸は真っ白になった。
 目の前に年の瀬の神様が来て、わが家を覗いていました。

節介バアサンと物臭ジイサン

2010-12-22 09:52:55 | Weblog
 「奥さんと一緒に太極拳をしている○○と申します」 あの声だ。
        二ヶ月くらい前にも同じように電話があった。
        女房の留守を告げると帰宅時間を確認して切れた。
        ほどなくして、またかかってきた電話は
        届けたい物があるので、エントランスまで降りて来て欲しい
        というものだった。
        ほかの用をしていて気が進まないまま
        「私は、あなたのことを存じませんが」 というと
        「白髪頭の小さいバアサンですよ」
        「お宅の真裏のマンションですから、すぐ伺います」
        それが最初だった。
 「屋上の広場で遊んでいる子たちが、とても危ないことをしています」
 南北に二つの駐車棟があって
 南側駐車場の屋上は採光のため明り取りが数箇所突起しているが、周囲は
 芝が植えられているので子供たちの遊び場になっている。
 二間四方の明り取り(写真)を植え込みで囲み、内側に金柵を施している。
 どうやら、蹴ったボールが明り取りの中に落ちて、それを拾うため誰かが柵内
 に入ったようだ。
 私の棟から南駐車場は見えないが、彼女の所からは見えるという。
 「管理人さんにお知らせしたいのですが電話番号が分からないので」それで
 私のところに電話したという。
 ーもう、終ったんだろう。ほっとけよー
 と思う気もあるが、善意の通報だから「ありがとうございます」と礼を言う。
 とりあえず、そこに行くと6~7人の小学生がボールを蹴って遊んでいる。
 明り取りの中には、物が下まで落ちないようにロープ網が付けてある。
 子供の一人に 「君たちのボールがこの中に入ったの」と聞くと「ハイ」。
 いきさつを説明して「次からは管理人さんに知らせて取ってもらいなさい」
 「すみませんでした」 とても素直な子供たちだった。

 私たち世代が子供のころの遊びは、今からみると "危ないことだらけ" にな
 るのかもしれないが、そういうことの方が楽しかった。
 それから比べたら、明り取りに入ることなんかなんでもない。
 私の場合は面倒くささもあったが、こういうことに対する男の不干渉が近所
 付き合いを遠のけている原因になっている。
 対して、裏のお節介バアサン。女房は75~6才というが、齢のわりに声が
 明るくパワーを感ずる。 引きこもり老人はとても勝てない相手で、
 今日も言われるままに動いてしまった ・ ・ ・      

追っかけオバチャン

2010-12-20 14:45:37 | Weblog
 人気者のオバチャンの顔をしばらく見なかった。
 手づくりのアンポ柿を貰った翌日からだから礼をいう間もなかった。
 
 まだ暗い朝の6時
 白い街灯の下で、あの人が前方の点滅信号を小走りに横断した
 ~黒の丸帽に白い線が一本入った黒のウォーキングスーツ、いつものバック
  を手にして~
 早足で追いつき 「オハヨウ、久しぶりー」
 問うまでもなく 「 "氷川きよし" を見に行ってたのよ。東京に」
 5000人も入るところで日に二回、二日間あった 「良かったよー」
 可愛いから夢中で「キヨシー」、歌そっちのけの声援だった(そうだ)。
 グッズを買うのも長蛇の列で、品切れになるから一人が買える数を制限してい
 たという。
 そういえば、カレンダーの売上ランキングトップは "氷川きよし" だった。
 彼は最近に珍しいくらい歌が上手で、歌っている歌詞も分かりやすい。顔もい
 いし、酒に酔って暴れたなんて噂を聞いたことがない。
 ファン層は偏っているようだが ・ ・ ・ " 追っかけ " 分かるような気がする。

賀茂の斎院

2010-12-19 11:07:38 | Weblog
    12月18日、禄水苑ウォークは、京都の上賀茂神社と下鴨神社を回る。
    両社をまとめて賀茂神社といい、古くは賀茂氏の氏神を祀っていたが
    平安遷都以降は王城鎮護の神として山城国一宮となった。

 平城上皇が嵯峨天皇と対立して、平安京から平城京に都を戻そうとしたとき
 嵯峨天皇は賀茂神社に 「我が方に利あらば皇女を阿礼少女(あれおとめ=
 神迎えの儀式に奉仕する女性)として捧げよう」 と祈願した。
 810年 "薬子の変" に勝利した嵯峨天皇は、伊勢神宮の斎王(斎宮)に倣い
 娘の有智子(うちこ)内親王を斎王としたのが賀茂斎院の始まりである。
    有智子内親王は嵯峨天皇の第8皇女として807年に生まれる。
    橘嘉智子(嵯峨の皇后)を前に 「あなたのように美しく、聡明なお方に
    あやかりたくて、お名から一字をいただきました」 と名の由縁を述べて
    いる(檀林皇后私譜)。
    才気煥発な少女は、4才にして賀茂斎院に指名され神の社に奉仕する
    身となり、早くから史記や漢詩など男の学ぶ学問に親しみ詩文に秀でて
    その明晰ぶりを嘱目されていた。
    823年 嵯峨天皇が斎院に行幸したとき、優れた漢詩をものにしたこと
    から感嘆した天皇は内親王を三品(さんぼん)に叙したという。
    832年に病により退下。833年二品に昇叙。847年死去(41才)。 
    日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。
 伊勢斎宮と賀茂斎院の斎王は内親王あるいは女王から選ばれていたが、
 二つの斎王制度が両立していた間は、都に近い斎院の方が重んじられてい
 たようで、歴代斎院の生母の出自は斎宮よりも高かったといわれている。
 しかし、承久の乱(1221年)の混乱と皇室の資金不足で斎院制度は廃絶し、
 その後現代に至るまで復活していない。
 
        上賀茂神社と下鴨神社に回ることを知ってから、前に読んだ檀林
        皇后私譜を読み返し、有智子内親王の詩文に触れ、斎院のなりた
        ちを振り返った。 (こういう記事は人気がないのだが ・ ・ ・) 

ケータイ だらけ

2010-12-17 12:51:02 | Weblog
 日曜日、遅い時間帯の車中は若い人で占められていた。
 窓ガラスに若者が写り
 その指はケータイの上を忙しく這っている。その隣も ・ ・ ・
 別の席の女の子は
 窓の外の夜景に焦点の定まらない視線を送りながら、手はケータイを握り締
 めている。
        私たち世代にとって、ケータイは「モシモシ」だけの道具だった。
        しかし、家に居るときでさえ相手がなかったのに、外に出たとた
        ん電話がかかってくる確率は小さい。
        その意味では携帯する理由はないのだが、万歩計だったり時計
        代わりになって「モシモシ」以外の目的で外歩きをしている。
        ときに車内で、大声通話などに接したりするとイメージの悪さが
        残り、ケータイは迷惑行為の道具だと思うようになって、それを
        手放せない若者を軽薄とみるようになった。
 
 ところが今どきケータイは、パソコン並みの機能があって
 ゲームもできれば書籍も内臓できる。
 昔のように、カバンに本を仕舞って運ぶ必要はないし
 やがて、狭い車内で窮屈な思いをして新聞をめくることもなくなるだろう。
 イメージを変えなくてはならないが
 私たち世代には無用の便利である。

家族葬って?

2010-12-15 14:53:35 | Weblog
        セミナー後の喫茶室は人がいっぱいだった。
        「合席でどうぞ」
        品のいいオバアサンに声をかけられ向かいの席についた。
        「今日は、どなたかの準備ですか」 と聞かれる。
        千里会館では、この日 "家族葬セミナー" が開かれた
        「いいえ、私自身のことです」
        「あなたのような若い方がどうして」
        たしかに、このセミナーに参加した人の中ではそうかもしれないが
        「お互いが元気なうちに考えておこうと思いまして」
 オバアサンは、南町の戸建に94才になるオジイサンと二人で暮らしている。
 「性格の違う者同士だったけど信仰心がないことだけは一緒で、どっちかが先
 に逝ったら "戒名" も "お経" も "お墓" もなしにしよう」 と決めているそうだ。
 この齢になると 「むかし部下だった人や親戚付き合いも遠のいて集まる人も
 少ないから、家族葬くらいの方があとあと楽な気がしてねえ ・ ・ ・」 と 
 家族葬とは
 儀礼的なお参りをなくし、故人をよく知る近しい人だけで見送る葬式で、 
 その趣旨が「会葬者に気をつかわなくて済む」「葬儀の準備物(焼香順・供花
 順)を省ける」「故人らしさ(趣味など)を反映できる」「費用の削減」などと相乗
 し現役を退いた人たちの間で流行っている。
 それでも、葬式をするとなると葬儀社の費用だけで150万円くらいはかかる。
 家族葬が比較的新しい言葉であるように
 世知辛さがもっとひどくなる十年も先には、また別のやり方が主流になってい
 るような気もする。