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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

そうだ、京都に行こう ~その4~

2019年10月26日 | 小旅行を愉しむ
■ 修学院離宮
10世紀後半に修学院という寺がここに建立されたのが地名の由来。この地に離宮を建てたのは後水尾上皇で、1655年から造営工事が起こされ1659年に完成された。この時は上と下離宮のみで、中離宮は後に建てられたという。総面積は54万5千平米を超え、高低40メートルの差も上手に使いながら設計された山荘。8万平米にも及ぶ離宮敷地内の水田畑地は、元々近所の農家の所有地だったものを、1964年に国が景観保持のために買い上げて今日に至っているのだそうだ。

下離宮の入り口である御幸門


車が無い時代に、上皇が御所からここに来るまでに相当な時間がかかったために、到着後にお休みになるお休み処として作られたのが下離宮にある寿月観。石段の上に見える建物がそれで、池泉観賞式庭園の中に建っています。


そして下離宮を出た門


杉並木の中を歩いていくと中離宮の入り口となります。




門を入って右を見ると松の木が庭の中央に鎮座しています。


中離宮の建物えある楽只軒(左)と客殿(右)。上・下離宮は別荘であったのに対し、中離宮は常時住まう住居であったために、いつ見ても飽きないように庭に設えが異なっているのだそうだ。


客殿の襖絵と、桂離宮の桂棚や醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られる霞棚。


杉戸に描かれた鯉。この鯉は夜な夜な泳ぎに出るために網をかぶせたという伝説がある。


上離宮の入り口でる御幸門


門から石段を上った離宮内の最高所に茶室・隣雲亭があり、その横には滝が作られている。


隣雲亭から望む浴龍池。浴龍池は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されているが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆ってあるのだそうだ。


浴龍池の周辺






浴龍池の中島に作られた窮邃亭(きゅうすいてい)。西側の景色が愉しむ際に西日を遮るために窓はこのように開ける仕掛けとなっている。


訪れたのが10月下旬で丁度の茸の季節でした。そのために、通路や庭のあちこちに茸がこれでも!というくらいに生えていました。




年に何回通ったのかは分かりませんが、これほどまでの別荘を建てられるのも権力者ならではなのですね。明治時代に入るまでは、離宮を取り囲む垣根もなく、自然に対して開放された山荘だったのだそうです。鷹揚な時代だったのですね。


■ 禅華院
修学院離宮の入り口からほんの50メートルも離れていないところにある小ぶりなお寺。事前に電話予約しておいたので、拝観することができました。

門は2階建てとなっており、上には鐘楼が乗っている珍しい構造の門です。


元々は天台宗に属していたが、1624年に大徳寺の禅師である清巌宗渭禅師(せいがんそういぜんじ)が来られて臨時宗大徳寺派に改宗。その時は開山。正式名は解脱山禅華院で釈迦如来を本尊として脇侍に観音菩薩と地蔵菩薩が配されている。
仏間


観音堂に安置されている円通菩薩像。


三面大黒天像。


観音堂のある仏間。




この大黒天絵は、省峯禅師が描かれたもの。夢のお告げで出てきた大黒天を1万6千枚描いて、信者に配ったところ、多くのお布施が集まったのだそうだ。さすがに大黒天さまのお力ですね。


庭は小堀遠州の作と伝えられている。ガラスも年代もので、近くに寄ってみる波打っているのが分かります。


中ほどに山形の石が置かれている。




開山された清巌宗渭禅師の絵と、代々の住職の絵も見せていただきました。




誰の作のものかは尋ねませんでしたが、こちらも見事でした。


こちらのお寺は常時開いているわけではなく、電話で事前に予約しておくと、住職さんが色々と丁寧に説明をしていただけます。説明の後は、お菓子と抹茶をいただきながら、小堀遠州作の庭をじっくりと拝見。たった一人の空間の中で何の音もしない時間を過ごしましたが、不思議と人寂しくは感じませんでした。

住職から聞いたお話し:
千利休の孫が、茶室を開く前に師匠であった清巌宗渭禅師をお茶に招いたところ、禅師は時間に大いに遅れてしまった。用のあった千利休の孫は弟子に言づけて外出してしまった後に清巌宗渭禅師が到着し、「懈怠比丘不期明日(けたいのびくみょうにちをきせず)」と書き置きして立ち去った。戻ってきた千利休の孫がこの書き置きを読み、自分の不明を恥じて「今日今日と言いてその日を暮らしぬる明日のいのちはとにもかくにも」と詠んで謝罪をしたのだとか。

こんなお話しが聞けるのも、予約して対応いただいたお陰です。ほんの小1時間の拝観でしたが、非常に愉しめる拝観となりました。ありがとうございました。


■ 法幢時
禅華院から蓮華寺まで歩いている途中に見つけたお寺。観光寺ではないので、参拝客は一人もいませんでした。


門とその左側にある毘沙門天の像。



本堂。


境内にあった可愛らしいお地蔵さんたち。



■ 蓮華寺
応仁の乱後荒廃していた京都駅付近にあった浄土宗系の古寺を、加賀前田家の老臣今枝民部近義が祖父の菩提のために、今ある地に移して再興した天台宗のお寺さん。山号は帰命山。本尊として釈迦如来を祀っている。

大通りからちょっと入ったところにある門。


入り口の石像


仏間の軸


庭園は江戸初期の豪華な石組を誇る名園で、何と言っても柱と鴨井、床とが絶妙な額縁となって、目を愉しませてくれる憎い構図となっています。紅葉には早かったですが、葉が色づく前であっても何時間も座って見続けて飽きることのない見事な景色でした。








本堂側から見た庭。





■ 瑠璃光院
蓮華寺からバス1駅離れた風光明媚な八瀬にあるとっても有名なお寺。浄土真宗東本願寺派で無量寿山光明寺瑠璃光院が正式名称のお寺。




この瑠璃光院を有名にしているのは、窓越しに見ることができる風景と部屋の写経机に映る景色のバランス。写経机が憎いくらいにピカピカに磨きこまれていて、フォトジェニックな環境を作り出しています。






紅葉の時期には、寺の前に列ができて整理券を配るくらい人が集まるのだとか。訪れた10月下旬は紅葉には早かったですが、それでも多くの人が経机に映る景色を狙ってカメラを構えていました。

2階からの景色の他にも、臥竜の庭という名の池泉庭園や山露路の庭という名の庭もあり、さすがに景勝地である八瀬ならではの見処多いお寺さんです。










2階から臨む八瀬の風景。


出口近辺の戸口から見る裏庭。


入り口に建ててあった立て札。


書院2階の写経机が有名なために、参詣というよりも撮影会という雰囲気がいっぱいのお寺です。寺側も事情が分かっているので、拝観料は2千円と高めに設定しています。写真を撮るために一度は行ってもいいけれども、景色を愉しむのであれば蓮華寺の方が私は好みです。


■ 青蓮院門跡
天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つで、天台宗の京都五箇室門跡の一つ。山号はなし。開基は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)。明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られており、皇室と関わり深いお寺。門跡(もんせき、もんぜき)とは、皇族・公家が住職を務める特定の寺院のこと。


寺内で最も大きな建物である宸殿。「宸」は皇帝の意で、有縁の天皇の位牌を祀る堂のこと。奥にある建物は鐘楼で、自由に撞くことができます。


宸殿前の庭には、右近の橘と左近の桜が配されている。


龍心池を中心とした庭園は、室町時代の相阿弥の作と伝えられ、粟田山を借景にしてその山裾を利用した池泉回遊式のお庭。




正式の玄関な入り口である大玄関


この寺の良さは、気取らないところだと思う。小御所の座敷に座って、いつまでもボッーと庭を眺めていられる雰囲気だったが、外国人たちが縁側にボッーと座ったままだったので、私が居る場所が確保できませんでした。


■ 知恩院
言わずと知れた浄土宗総本山の寺院。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)で、開基(創立者)はもちろん法然。



山門は国宝です。


山門を裏側の石段の上から撮ったもの。


御影堂は修繕中でした。


御影堂横から見える寶佛殿。


境内の奥にある勢至堂(せいしどう)が建つ地は、法然上人がお念仏のみの教えを広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地。もともとは法然上人のご尊像を祀っていたが、御影堂が建立された折に移されたため、勢至菩薩像(重要文化財)を本尊として祀ってある。


千姫(徳川秀忠公の長女)の墓その先にある濡髪大明神。御影堂ができたために住家を追われたキツネが、知恩院第三十二世雄譽霊巌(れいがん)上人にお願いし、代わりに用意してもらったのが、この「濡髪大明神」なのだそうだ。「濡髪」が艶やかな女性の姿をイメージさせることから、祇園町のきれいどころの信仰を集め、今日では縁結びの神様「濡髪さん」として親しまれていますのだそうです。


広大、というのが強い印象。まず、山門の大きさに驚く。石段を上がって目の前に広がるのが広々とした空間の中に建つ巨大な建物。奥に行くと奥には別の建物や墓地がある。総本山という位置づけが持つ力を見せつけられるお寺でした。
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スウィーツを愉しむ 京都編

2019年10月26日 | スウィーツを愉しむ
■ 鍵善義房
祇園に本店を構える、本物のくずきりを味わえるお店。


こんな綺麗な器に入って出されます。


蓋を開けます。


蜜が入っている器も取り出します。


こんな感じで食します。


代金は1100円。決して安くはありませんが、決して高いとも思いませんでした。ゆったりとできる空間の中で本物を存分に愉しめる時間を占有できると考えれば。


■ 十六五(とうろうご)
五色豆が名物の老舗で、祇園南座前に本店があります。買い求めたのは栗餅。前回9月の観光で出町ふたばの栗餅を愉しめたので、別の老舗の味も試したくなり買い求めました。


甘みが控えめ。控えめという形容自体が控えめになるほどの甘さ控えめ。決して不満なのではなく、良い意味で期待を裏切られた甘さ具合です。餅も透明感があり、見目まで愉しませてくれる季節のスイーツでした。


■ 落雁
お土産で落雁を頼まれていたことを思い出して、祇園にあるお店(店名は思い出せず)で買い求めました。落ち着いた色合いながら華やかな外見で、目すらも愉しませてくれる京都のお菓子には、歴史が磨いてきた美しさが感じられ、さすがだなぁと感じ入りました。


<2019/10/26>



   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


■ 出町ふたば
明治31年に創業された京の和菓子の有名店です。

下鴨神社から御所へ向かうバスの窓の外をふっと見ると、和菓子屋さんの前に長蛇の列が。はっと思い出したのが、これまたNHKの番組「京都人の密かな愉しみ」で紹介されていた餅屋。これに違いない!と直感が教えてくれましたので、迷わずに並びました。


横幅4メールくらいの店前には、美味しいものを求めて5重に並んで順番を待っています。


40分ほど並んで買い求めたのは、豆餅、栗餅、田舎大福(よもぎ入り)、そして栗入り水無月の4種類。


豆餅(右から3つ目)は、創業当時から変わらぬ製法で作られている有名商品。噛むと餅がすうっと伸びる。口ごたえは柔らかいのに、すうっと伸びる感覚は、新鮮な餅でしか得られないもの。真空パックに入っている切り餅では、こうはいかない。塩気のある豆と、甘い餡子の組み合わせが飽きない味になっている。

栗餅(一番右)も素晴らしい。包み込まれた大ぶりな栗を口にした途端に、にんまりと笑みがこぼれてしまう、そんなお味です。

栗入り水無月(一番左)は、土台が抹茶風味のウイロウといったところか。歯ざわり、甘さ、そして栗の食感、私ごのみの一品でした。

店先で手にしたパンフレットには、「当日中にお召し上がりください」と書いてある。京都人が羨ましく思えた一瞬でした。

<2019/9/15>



   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


■ 中村藤吉本店
訪れたのは京都駅店。昼食時のせいか、10人弱並んでいたが15分のしないで店内に案内されました。食したのは、このパフェ。


店内を見渡すと、このパフェを食している方々が多かったです。家紋が抹茶でコーティングされているクリームの下には、抹茶アイスを初めとして色々なものが入っており様々な味が愉しめます。秀逸なのは、底の方に入っているフルーツ味のかき氷。何のフルーツかは当てられないが、酸味の利いたお味で、甘いだけのパフェじゃないぞ、と食べ終わりの印象度をグッと上げてくれます。それにしても思うのは、今まで食した抹茶アイスというのは何だったのか?という疑問。ここの抹茶は程よい苦みが心地よく、抹茶アイスには目も向かなかった私でも美味しいと思わせてくれました。

テーブルクロスは和のテイストでこんな感じの色違いがならんでおり、

そして壁にはこのような装飾が飾ってありました。



■ MALEBRANCHE 京都北山
抹茶を付けながら食する生茶の菓アイスバー。京都タワーサンド店限定なのだそうです。
ここの抹茶も美味しい。抹茶本来の味なのでしょうか。



■ たまご工房のシュークリーム
修学院離宮から歩いてバス停に戻る途中で見つけたお店。卵が美味しそうなので思わず買ってしまいました。


イメージとは違っていて残念。もっと卵の濃厚な味がするのかと思いきや、期待は見事に裏切られました。それ以上にダメなのがシュー部分。もっとサクサクパリッとしていて欲しかったです。店なこんな感じ。



■ 一乗寺中谷
詩仙堂近くにある老舗。店内では和菓子の他に洋菓子もあった。食したのは、お隣のグループが食べていてとても美味しそうに見えたざるわらびセット。


ざるにワラビもちがそのまま入れられ、上には生クリームときな粉。生クリームが甘すぎないぎりぎりの線で甘さを止めてはいるものの、全体の味の印象を決めているのは生クリーム。ワラビもちは味というよりも食感を愉しむ役割かな。生クリームといえば、飲み物は当然コーヒーにしました。

<2019/7/21>


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そうだ、京都に行こう ~その3~

2019年10月25日 | 小旅行を愉しむ
■ 地蔵院(竹の寺)
延命安産の地蔵菩薩を本尊とする臨時禅宗のお寺で、正式名称は衣笠山地蔵院。室町時代の管領・細川頼之が貞治六年(1367年)に夢想国師の高弟宗鏡禅師を招請して伽藍を建立。宗鏡禅師は恩師の夢想国師を開山に仰いだために開山は夢想国師となっている。その後に北朝の三天皇の勅願時に準ぜられたために末寺を26カ寺、諸国に領地を54カ所も持つ一大禅寺となったが、応仁の乱で灰塵と化した。細川家の援助等により明治時代に復旧して今の形になった。「竹の寺」と呼ばれるくらい、門を入った両側には竹がみっしりと植えられている。


庭は十六羅漢の庭と呼ばれる平庭式枯山水庭園で、十六羅漢の修行の形を表しており、石の一つ一つは羅漢(悟りを開いた高僧)を意味している。この寺の羅漢は、男山の八幡宮に願をかけているので、その方向(左手後)に少し傾いているのだそうだ。


茶室の窓の形は猪目窓という名称で、部屋の外の景色が上手に切り取られて愉しめるように考えられている。ちょうど「コケ寺リウム」という催しがなされており、各寺院の象徴的な建物などのジオラマと庭園を苔で再現したガラス容器のミニチュアアートが展示されていた。


こちらが「モシュ印」で、モシュ印&コケ寺リウムのキャンペーンサイトはこちら


一間には、細川護熙元首相の手になる瀟湘八景の図が描かれている。中国・湖南省の瀟水と湘水が合流して洞庭湖に注ぐ地域の勝景八つを選んだものだそうだ。


決して大きな寺ではないが、縁側から庭園をゆったりと眺められる手ごろな寺でした。


■ 西芳寺
苔寺という名称で世に知られている臨済宗の有名なお寺さん。山号は洪隠山で、元々は天龍寺の境外塔頭だったが、現在は離脱して単立寺院になっている。本尊は阿弥陀如来。聖徳太子が創業、8世紀前半に行基が開山。庭園は1339年に夢想国師が中興した鎌倉式で、上段は枯山水式、下段な池泉廻遊式の二段構えになっている。

大通りから10分弱歩いていくと立派な門が見えてきますが、使用している奥にある門から入ります。


拝観時に使用されている門はこちら。


入って左側には本堂、右側には青々とした木々が茂っておりました。








庭園に入る前の休憩所にあった手水鉢。これを見ると、ほっと力が抜けたのがとても不思議。


庭園内は120種類以上もの苔に覆いつくされているそうですが、違いはよく分かりません。庭園下段の中心は心の字を象った黄金池で、2つの茶室があり、一つは湘南亭という国の重要文化財だそうですが、正直言って古く寂れたぼろ屋にしか見えませんでした。


こちらは、もうひとつの茶室である潭北亭。


世界的に有名なお寺であるだけあって、拝観は事前予約が必要。立派なHPがありますが、予約は往復はがきにて受け付けています。私が行ったのは午前10時の会で、70~80人の会でした。外国人も多く、英語圏よりもフランス語圏の方が多かったように思います。庭の参観は写経をしてから許される仕組みで、早めに写経を終わらせた私は暫くは一人で庭を愉しむことができました。

庭の印象はと言えば、確かに苔で覆われた美的な空間なのでしょうが、あちらこちらに茶色になった苔が見られました。昨今の環境変化の影響なのか、それとも維持が追い付いていないのか。写真にあるような緑の苔の絨毯というわけにはいきませんでした。


■ 桂離宮
本日のメインイベントが桂離宮。17世紀初めに建てられた宮家の別荘。総面積は6万9千平米。建築家のブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と評した日本建築物を始めて見学できることに心が逸る。宮内庁のHPから事前に予約しておいたので、予約時間の12時ちょっと前に現地に到着。

ツアーが始まり、何てことない門をくぐる。


と、そこに広がったのは異次元ワールド。入り口が何気ないだけに、くぐった先に眼前に広がる光景は、広くて鮮やかで息を呑むほど美しかった。前後のギャップが見事なうっちゃりをかましてくれました。






庭園内には4つのお茶室があるのですが、第一の茶室に入る前の控えの場の足元に敷き詰めてある石。道なりが曲線であるために入り口から控えの場が見えず、又控えの場からも入り口を見えなくすることで、それまで属していた空間から切り離される感覚をもたらしてくれる。しかも、足元の石は、小さな石から徐々に大きくすることで遠近法を活かした空間設計がなされているという凝りよう。


自然のままの石と切って加工した石とが組み合わせれ、漢字でいう行書体(茶道でいう真行草の行)にあたる格式を表しているのだという。


そして、いよいよ最初の茶室である松琴亭。




茶室の前に広がる池の景色。




二番目の茶室は賞花亭という名前で、夏を愉しむための作りのために江戸時代の茶店のような佇まい。説明されないと、これが茶室だとは思わない。池を眺めるための休憩所かと勘違いしてしまいそうな簡素な作り。

三番目の茶室は笑意軒。秋を愉しむための茶室なのだとのこと。




笑意軒から右手にある渡橋と池の風景。


離宮にある石灯篭は背が低い。これは、当時の愉しみがお茶、月見、舟遊びであったために、目障りにならないように低くしてあるのだとか。


四つ目の茶室は月波楼。ここの奥座敷からは池は見えず、その代わりに月を眺められるように開放的なつくりになっている。


お泊りになられる新御殿。


新御殿から続く古書院からの出口である中門。




1時間ほどの拝観の間に何度も息を呑みこむほど、この上なく美しく、古来の日本人の風雅な世界が建物と庭園とが一体化した空間芸術として昇華した傑作なのだと思う。


■ 霊亀山天龍資聖禅寺 (天龍寺)
臨済宗天龍寺派の大本山で、1339年に亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が創建。開山は夢想国師。


広大というのが第一印象。門をくぐってから左右に塔頭が数多く並んでいる様は、さすがに大本山だと思させるに十分な貫禄があり、拝観する前から期待が盛り上がってくるのが分かる。庫裏の白い壁がシンプルだが力強く印象的で、中に入ると達磨禅師絵と本尊が出迎えてくれる。






大方丈の中にあった雲龍襖絵は若狭物外(わかさぶつがい)画伯が描いたもの。




「方丈」の扁額は関牧翁老師(天龍寺第8代管長)の筆で、中には藤原時代の釈迦如来坐像が安置されている。


大方丈の前にある曹源地の景色が見物でした。池中央正面にある鯉魚石を配した2枚の巨岩を龍門の滝として、龍と化す途中の姿を現している。曹源池の名称は国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたという。
正面から見た曹源地。


右側(書院・小方丈)から見た曹源地。嵐山が借景となっている。


左側(大方丈側)から見た曹源地。


広々とした開放的な庭園とそれを縁取る緑の木々が美しく、あちこちに腰かけて見る方向を変えると庭の構図が別のものとなって様々な味わいが愉しめる。日本で最初の史跡・特別名勝指定となったのも頷けるお寺でした。


■ 常寂光寺
1596(慶長1)年に創建された日蓮宗の仏教寺院で、山号は小倉山。百人一首にも読まれた紅葉の名所「小倉山」の中腹にひっそりと佇むお寺ではあるが、山の傾斜を利用してあるために高低差がかなりあって、実際よりも広く感じられる寺です。山門から仁王門、本堂、さらには多宝塔へと続く山道は上り路ですが、青々とした木々と苔に囲まれる風情はとても素晴らしい反面、訪れる観光客も多くないせいか人寂しさを感じてしまうお寺でした。

山門


茅葺の屋根のある仁王門。 境内建築物の中で最も時代の古い建物で、その先に傾斜のある石段が続きます。


本堂


境内はこんな感じで、美しく苔や竹、木々に覆われています。




京都の街を一望できる高台に建つ多宝塔。


この前から見渡す京都市街。



■ 祇王寺
嵐山の奥に建つ竹林と楓に囲まれたつつましやかな寺院。寺院というよりも草庵と呼んだ方が適した風合いのお寺。山号は高松山、院号は往生院、本尊は大日如来の真言宗大覚寺派。平家物語にも登場する白拍子の祇王が庵だ尼寺。

入り口を示す標識。


そして門。非常に地味です。


庭園は非常に小ぶりで、ゆっくりと歩いても2分あれば一回りできる程度の大きさですが、苔の美しさは半端ない。私は苔寺よりもこちらの苔むす庭の方が好みです。










敷地の隅には、祇王と平清盛の墓が並んでいます。


悲劇のヒロインが入寺して草庵だけあって、華麗さはないものの、しっとりとした落ち着きがあるお寺です。庵の中に座って庭を眺めていると、悲恋の物語のせいか、ここだけ俗世とは隔離されて時間がゆっくりと進んでいるように感じられる不思議な時空に彷徨ったような感覚になった一時でした。小ぶりの雨の中での参拝だったために、青々とした苔が特に引き立って愉しめた時間でした。

このお寺もモシュ印&コケ寺リウムのキャンペーンに参加しておりました。




モシュ印



■ 大覚寺と大沢池
嵯峨天皇が檀林(だんりん)皇后と成婚した際、新たな居住地として作った離宮「嵯峨院」を、弘法大師・空海が876年(貞観18年)に寺院として改めたために真言宗大覚寺派の総本山となったお寺。

入り口の門。


明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が住職を務めた寺院でもあるために、門には菊のご紋がついていました。


心経宝塔


書院造の正寝殿には狩野山楽(かのうさんらく)筆の襖絵や墨絵などの障壁画が多数所蔵されている他、宸殿(しんでん)には狩野山楽筆の牡丹図・紅白梅図など貴重な重要文化財があるとのこと。




そして、大覚寺の隣が日本最古の林泉式庭園である「大沢池」。平安時代に唐の洞庭湖(どうていこ)を模して造られ、池畔に桜や楓が約700本、約3,000株もの蓮が自生している。






JRのキャンペーンポスターでは、池畔の桜が咲いている景色や紅葉のもみじが美しかったが、10月下旬は大したことありませんでした。

■ 渡月橋
嵐山といえば、外せないのが渡月橋。川の水が多かったために、音をたてて流れゆく水の勢いがダイナミックで一興でした。




橋のすぐ横に日帰り温泉がありました。


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ゴル麺

2019年10月05日 | ラーメンを愉しむ
東横線菊名駅から徒歩1分のところにあるラーメン店、ゴル麺。ゴルとは何かと思ったら、ゴールデンの略なんですね。


毎月5日はサービス日としてラーメンが500円になります。今日食したのは醬油豚骨。麺カタ、油多めです。


スープの色は美しい黄金色。ゴールデンに相応しいスープをまずは一口啜ってみると、バターを溶かしこんだような滑らかな舌触りと味わい。豚骨の臭みは全くなく、まろやかでありながら濃厚な味わいが愉しめます。麺は太めで私の好み。味玉ではなく、うずらの卵が2つと海苔3枚、大きめのチャーシューが1枚入っている。決してしつこい味ではないのですが、食していくうちに塩気を強く感じるようになりました。ここで卓上にあったゴマを投入。そしてニンニクも小さじ1杯程度投入。味に変化を付けて完食。500円でこの味なら充分です。

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お弁当を愉しむ

2019年10月05日 | 美味しいを愉しむ
■ 今半
証券会社のセミナーに参加したところ、昼間にお弁当が出ました。人形町今半のお弁当。正直言うと、この弁当目当てというのがセミナー参加の理由の半分でした。


ぱっと見た時に、「たったこれだけ?!」と思ったのです。なぜなら、10センチ×25センチくらいの小さな箱でしかなかったから。中を開けると、さすがに老舗店のお弁当だけあって、目を愉しませてくれるお弁当です。


今半と言えばすきやきであり牛肉ですが、その牛肉を使ったお寿司が左上に見えます。右側のいなり寿司も牛肉が使ってあるものです。お味は薄めでしたね。道理でお醤油パックが入っているはず。濃い味が好きな人にはお醤油が必要なんでしょう。煮物は冷めても味わえるように味が調えてありました。さすがに美味しいです。お吸い物が付いているともっと良かったんだけどな。

セミナーの内容もとてもよく、こんなトレードの仕方があったんだ!!!と思わず唸ってしまいました。こんな会社なら口座開設してもいいかなっと思って、口座開設してしまいました。期待してるよ!!!!!!!!
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スイーツを愉しむ 横浜編

2019年10月02日 | スウィーツを愉しむ
■ 三吉野
東横線妙蓮寺駅前と言ってもよいほどの距離にある、見るからに老舗感がいっぱいの和菓子屋さん。立派な看板が目印です。
長女が小学生の頃、ここのみたらし団子が大好きでお出かけの途中に買っていました。今は大きくなって一緒に遊んでくれないので、一人で食するために買い求めのが道明寺。


水に浸し蒸したもち米を干して粗挽きした道明寺粉を生地に使って餡を包み込んだ和菓子。味は甘すぎない餡子と、もちっとしつつもべた付かない生地とのバランスが良く、見た目同様に上品で気品のあるスイーツでした。
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