Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

私の名前を巡るエトセトラ

2009-02-28 00:11:21 | Weblog
「真也、あんた自分の名前の由来を間違えていたよ」
静岡の実家に帰ると、母にそう告げられた。

私はブログで、私の名前は浄土真宗のお坊さんに付けてもらった、と書いたのだが、どうやらそれが間違っている、というのだ。

私の名前は浄土真宗のお坊さんに付けてもらったものだ、というのは、京都の大学で仏教の勉強をしていた姉から伺ったので、へー、そうなんだ、そんな程度にしか思わず、私はすっかり信じ込んでいたのだ。

父と祖母にこの話を詳しく聞いてみると、どうやらこういう事であった。

私の実家がある沼津市の宮町という所に、「お不動さん」と呼ばれる所があり、そこの神官は名前を付けるのが上手いで有名だったそうだ。私が生まれて、その子が男の子であったのが分かったと同時に、祖父が音頭をとって、「お不動さん」に名前をもらいに行き、祖母と父と3人がいる場所で名前を決めたらしい。ちなみに母は、その時は入院中だったそうで、その場には立ち会わなかったそうだ。

「お不動さん」の神官は、私に5つの名前候補を出してくれたそうだ。しかし、その中にあった候補は、例えば「茂男」とか「つよし」とか、比較的古風なものが多く、その中で一番現代的だとも思える「真也」を選んだ、という話だそうだ。

私は何故、実家が普通の日蓮宗であるにも関わらず、浄土真宗のお坊さんが付けてくれたのだろう?と疑問に思っていたのだが、少しだけ謎が解けた。

家族が言うには、姉の勘違いは、祖父の親友である浄土真宗のお坊さん(中国戦線にて祖父と戦友だったらしい)が、私の父と母の仲人をやってくれたことがあったので、それと混同している所から来たのだろう、との事であった。

しかし、一つ腑に落ちない所があった。「お不動さん」とは一体何なのだろう?

「お不動さん」、というからには、きっと不動明王を祭った寺か神社なのだけれど、何なのだろう?と家族に聞いても、分からない。ただ、私の家族にとっては「名前を付けるのが有名」で知られた所だったのだ。

不動明王について調べてみると、サンスクリット語でアチャラ・ナータと言い、これはシヴァ神の異名だそうだ。そして、密教の根本尊である大日如来の化身だと見なされていると言う。「お不動さん」の名で親しまれ、アジアの仏教圏の中でも、特に日本において根強い信仰対象となっており、造像例も多いと言う。日蓮宗の本尊にも不動明王が書かれている、というので、密教のみならず、日蓮宗とも関連がある様だ。

ますます訳が分からなくなって、とりあえずお不動さんと沼津市宮町でググってみた。そうしたら、驚いた。このお不動さんは、何と時宗不動院、という時宗のお寺だったのだ。これは珍しい。時宗は浄土宗の一派と考えられているので、仏教研究をした私の姉が、私の名前を付けてくれたのが浄土真宗のお坊さんだ、という勘違いをしていたのもうなづける。

この時宗不動院の向かいには、同じく時宗の伝徳山西光寺というお寺があると言う。

鎌倉時代の1282年、一遍上人が浅間神社の別当寺であるこの西光寺に逗留した際、ときの住職尭在法師は一遍上人に帰依し、時宗のお寺となったと言う。時宗が宗派として成立するのは江戸時代なので、当時は浄土宗だった、ということになる。

そして、時宗のご本尊は阿弥陀如来であり、大日如来ではない為、不動明王は不動院に移され、時宗の「お不動さん」となった訳だ。これは面白い。ある種のマラーノ性を感じずにはいられない。

一体、時宗のお坊さんは、どんな気持ちで、「真也」という名前を授けてくれたのだろうか。今度お詣りしてみたいものだ。

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