Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

拝啓 池田孔介様 via 富井玲子 様

2005-12-16 19:12:57 | Weblog
富井玲子 様

こんにちは、渡辺真也です。大変暖かいメッセージ、ありがとうございます。

>NYの富井です。
>理解が困難な場で、理解を作っていくことは私の仕事でもあるので、少し書かせて
ください。
>
>たとえば、寿司です。というかSushiです。
>私がアメリカに来たのは20年以上前ですが、その頃と今の寿司の普及度を比べると
雲泥の差があります。
>
>NYはSushi先進地域ですが、簡単にランチに非アジア系のデリで寿司を買えたり、
ホールフーズなどの高級スーパーでSushiをパックで売るのみならず、それこそカウ
ンターで食べさせたりするのは、隔世の感があります。
>(これは、コロンバスサークルのホールフーズ)
>あるいは、Sushiを出すレストランの経営や職人が日本人でないところも格段に多く
なった。Sushiに需要があるから、アジア系が積極的にSushiを売り物にする。
>
>むろんのこと、ローカルのハイブリッド商品で各種の巻物があり、私もカリフォル
ニア巻き(アボガド、きゅうり、かにかま)は好きですし、スパイダーロール(ソフ
トシェルクラブのてんぷらをまいたもの)は逸品と思う。

カリフォルニアロールはカリフォルニアの日系人がアメリカ人にスシを食べてもらお
うとの思いから、アメリカ人の気味悪がっていた海苔を内側に巻いて、そして食べや
すくしたという歴史があります。この歴史は非常に素敵なものだと思いますが、私は
そういった歴史を抜きにしても、カリフォルニアロールが単純に好きでして、もう完
全に寿司だと思って食べています。伝統も捏造だなぁ、と思いつつほおばっているの
ですが、マイアミで出てきたクリーム入りツナはさすがに許せなかったです(笑)

>ここまでくると、生の魚を食べないといわれていたアメリカ人が、洗練の証として
SushiやTempuraでない日本食まで食べるようになる。

本当にそうですね。エダマーミもちょっとしたオシャレな料理みたいになっています
し、アメリカのエリートは日本の食文化を理解することが文化エリートである様な現
象が確かに起こっていると感じます。

>もっとも、だからと言って、日本人が日本でピンからキリまである種々多様な日本
料理を味わうように、グルメのアメリカ人が理解して食べているか、はまた別の問題
ですが、要は、異文化理解に限らず、理解の困難なことを理解してもらうための戦
略、ということでしょうか。
>
>すこしづつ、分かるところを増やしていく、
>また、分かりやすいところからはじめていく。
>あるいは、何が理解の妨げになるのかをこちらが理解して、
>分かるようにもっていく。
>効率は、はっきり言うとそんなにはよくないです。
>
>私の経験で言うと、ハイレッドと赤瀬川は、表面的にはアメリカ人もとても面白が
ります。
>お掃除イベントなんか、本当にフルクサスの昔から大好きです。千円札事件も受け
ます。
>でも、それは入り口です。できればもう一歩突っ込んで、その背景にある日本の状
況まで分かってもらえなければ、本当にはお掃除や千円札の意味は分からないだろ
う。
>
>放置していても分かるようにはならないので、私はそれを理解してもらえるように
することを仕事にしてきました。

その点で富井様はまさにパイオニアと言えるでしょう。さまざまな気苦労があったこ
とと思います。

>その点では正直言うと、渡辺君がAnother Expoで赤瀬川の万博跡地の作品を出した
のは、アイディアはいいけれど、本当はアメリカ人によくポイントが分からなかった
のでは、
>と危惧しました。(私は、彼の企画案の段階から見ていました)。アメリカ人の
Expoの感覚(1939年および1964年のNY万博がそれ)と日本の70年万博の感覚は、まっ
たく違いますから。

私はNYでの展示会場の作品解説を頼まれた際、第一に赤瀬川氏の作品の説明から始め
ました。なぜなら、あまりにもテーマが難解と思えたからです。なかなか皆さん話を
最後まで聞いてくれなかった、という印象が正直ありますが、それでも頑張って一歩
歩みを進めていくのが、現代の歴史家、そしてキュレーターに残された可能性とは言
えないでしょうか?

>私の仕事は作家が作品を作ってくれた、その時点から言わば作品を引き取って始ま
ります。
>
>渡辺君もどこかから始めなければ始まらないので、Another Expoで対話する始まり
をつくったのだと、その点は評価しています。
>
>池田さんのルームメートも、対話のきっかけが映画を一緒に見ることで始まったと
思います。
>
>共通の話題がなければ、先に進みませんから。
>
>もし、ルームメートが「念仏を唱え続けるたけしを、その後ろ付きのみ捉えるキャ
メラ、必要以上の長回しで撮られた、病院より引きずり出されるイギリス兵を捉えた
シーンの持続性を見ないとすれば」、むしろ、私なら、それを話題にして、それを見
直してもらえる、さらに考えてもらえるようにすることを狙います。

非常に構築的な考えだと思います。同感です。

>ルームメートは、自分の分かるところから会話を始めているのでしょうから、それ
はそれとして、分かっていないところを指摘してもう一度(次の機会にでも)見ても
らう。
>(映画は細部が多いので、よい映画は何べんも見ないと、デテールが見えないとい
うのは、私の目がザルだからだけではないでしょう、笑)

映画は難解な場合が多いですからね。池田様が指摘したソンタグの反解釈の文脈で捕
らえると、ソンタグは反解釈の中でロブ・グリエの小説を評価していましたが、確か
ロブ・グリエはどこかで、「去年マリエンバードで」は100の解釈が可能だ、と
言っていたのを読んだ記憶があります。そう考えると、その細部も解釈の可能性であ
り、「反解釈」はあくまで言葉のあや、すなわち池田様のルームメートの様なベタな
解釈ではなく、もっとメタな解釈を細部で行え、という事だったのかもしれません。


>映画にしても、美術にしても、
>イメージが見えるように提示されているからといって、
>誰もがきちんと見れるわけではなく、
>見れるように訓練教育しなければ
>見えてこない部分も多いように思います。

よく言われることですが、「ジャズの聴き方」という話にも似てきますね。私はジャ
ズの聴き方について話すやつはクソクラエくらいに思っているのですが、でも正直、
聴き方はあると思います。例えばスコット・ラファロのベースとビル・エバンスのピ
アノの絡みはジャズを聴いてこないと分からないと思いますが、それを説明的にして
しまうと薀蓄のように聞こえてしまい訓練に繋がらないというジレンマがあるかと思
います。難しい所です。

>というか、私は性善説ですので
>(つまり、分からない、見えないのは必ずしも、
>分からない人の罪ではない)
>訓練・説明すれば、いつかは見えるようになると
>信じて仕事をしています。

富井様、貴重なご意見、ありがとうございました。

渡辺真也

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