田中宇「安部が国債と円の増刷を過激にやろうとしている理由は、米国で米国債とドルの過剰発行(QE3)が行われ、米国債とドルが崩壊しそうなので、それを防ぐため日本の国債と円を過剰発行し、資金がドルから円に流れるのを防ぎ、米国を助けたいからだ」bit.ly/TDrY1J
自我の開始はたんに観念的なものである。―もし自我が始まったというなら、そのように始まらねばならなかったであろう。開始とは、既に後発的な概念である。開始は、自我よりも遅れて生じる。それ故自我が開始したということはありえない。このことから我々は、ここで虚構の領域にいることがわかる。
「日本未来の党」選挙公約発表記者会見、毎日新聞記者が質問、嘉田代表が一通り答えて、一言、あなたですね、昨日の「原発再稼働報道」を流されたのは?やはり、新聞は発言内容をそのまま伝えなければ駄目ですよ(毎日は真逆の結論を伝える)毎日の記者、一言も発せず・・=>毎日新聞よ、廃業したら!
クレタ島にある青銅時代最大のクノッソス遺跡に行ってきた。ここでもまた、多くの発見があった。その様子はまた追ってツイートしたい。
@TTAKE_NL 嘉田代表は、毎日と読売が報道した再稼働容認発言はしていない様です。公式見解では再稼働は原則として認めないと明記しています。もしも未来の党以外の脱原発を選ぶとなると、社民党と共産党くらいしか選択肢はありませんが、政権を取って実現することは難しいでしょう。
@TTAKE_NL 後半の飯田哲也氏が解説している様に、原子力規制委員会の組織も変えてより厳しくなった安全基準をクリアし、原発事故リスクをカバーできる保険に加入できるならば再稼働は不可能ではないが、実?質的に再稼働できるような原発は日本に無い、ということだと思います。
@TTAKE_NL 選挙に間に合わせるべく短期間で作った政党という負の部分が少し出てしまった様に思います。多くの国民に正確に理解して頂くべく、ぜひ丁寧かつ慎重に発言して頂きたいです。
連続ツイート「エディプス・コンプレックスとアレキサンダー大王から考えるギリシャにおけるペルシャの影響について その3 アレキサンダー大王の家庭教師アリストテレスと、その師プラトンが持っている東方への意味」
(ア1)(承前)東方遠征を行いヘレニズム文化を築いたアレキサンダー大王の家庭教師はアリストテレスだが、その師プラトンはペルシャで祭司マギに接触したいと望んでいた。しかしペルシャで戦争が勃発していて不可能となった為、プラトンはフェニキアに行き、そこでマギから教えを授かった。
(ア2)ターレスに代表されるソクラテス以前のギリシャ哲学者は、小アジアの出身者が多い。ギリシャ哲学者の多くがペルシャ人マギたちから学んでいるが、哲学者コロテスは、プラトンの『国家』の「エルの神話」の下りはザラスシュトラの『自然について』を剽窃したものだと糾弾している。
(ア3)またソクラテスの同時代人デモクリトスは、トルコ南西部のイオニアからアテネに初めて哲学を持ち込みソクラテスに影響を与えたアナクサゴラスの天体に関する学説を、ペルシャ世界からの剽窃だと批判した。怒ったプラトンはデモクリトスの著書を全て焼き払おうとした所、仲間に制止されている。
(ア4)初めて原子論を唱えたデモクリトスは、ペルシャ王クセルクセスがミレトスを訪れた際、現地に置いて行ったペルシャ人マギから、さらにインドの裸行者から神学や天文学を学んでいる。彼はパルメニデスが触れ、新プラトン主義を立ち上げたプロティノスが扱った「一者」の概念にも言及している。
(ア5)するとプラトンはアテネの敵ペルシャ知り尽くした、反ペルシャの急先鋒だとは考えられないか?だからこそ、西部アケメネス朝ペルシャのギリシャ多神教地域で、プラトン哲学と融合したミトラ教を発達させつつ、ペルシャをパージすることで、ギリシャ哲学の基礎を築こうとしたのではないか?
(ア6)このプラトンの役割が、アレキサンダー大王の東方遠征の下敷きとなった。宗教的に寛容だったアレキサンダー大王のヘレニズム文化ではギリシャ多神教とミトラ教が栄えたが、旧敵であるアケメネス朝ペルシャの国教ゾロアスター教とその主神であるアフラ・マズダだけは徹底的に破壊された。
(ア7)師プラトンの死後、実家のマケドニアに帰国してアレキサンダー大王の家庭教師になったのはアリストテレスだが、きっと彼は、大王の父であるフィリポス2世から、プラトンの意思を継いでペルシャを打倒すべく、あなたの知恵を私の息子に与えてくれ、と頼まれたのだろう、と私は考える。
(ア8)またアレキサンダー大王の東方遠征後、ガンダーラに残って仏像を生んだグレコ・バクトリア王朝のギリシャ人たちは、プラトン家出身だとする謎めいた説がある。これはもしかしたら、ペルシャが再度強大化した際、それをギリシャとインドで挟み撃ちしようとプラトンが考えたからかもしれない。
(ア9)ミトラ教徒だったコンスタンティヌス帝が313年のミラノ勅令でキリスト教を認めて自ら改宗し、ローマ帝国の首都をコンスタンティノープルに改めた際、ミトラ教は棄てられ、その儀式のみがキリスト教に採用された。またアレキサンダー大王に破壊されたデルフォイはキリスト教会に改築された。
(ア10)ホワイトヘッドは「全西洋の哲学はプラトンの脚注にすぎない」と述べたが、西洋哲学はプラトンに根付いていると言っても過言ではない。そしてデモクリトスは、ペルシャどころかインド哲学を身につけていた為、プラトン以降のギリシャ世界に根差した西洋哲学からパージされたのかもしれない。
(ア11)またゾロアスター教の最高神アフラ・マズダが仏教化して阿修羅に、さらにミトラが仏教化して弥勒菩薩となり、渡来人によって日本にもたらされた。すると日本の仏教も、アレキサンダー大王の東方遠征から間接的影響を受けていると言うことができるだろう。(つづく)
以上、連続ツイート「エディプス・コンプレックスとアレキサンダー大王から考えるギリシャにおけるペルシャの影響について その3 アレキサンダー大王の家庭教師アリストテレスと、その師プラトンが持っている東方への意味」でした。つづく。