演繹法の最大の問題は、情報から始まるということ。全体を捉えるには、情報として分化する前の抽象からしか始められないので、最終的には公理体系から始まる演繹法の解はトートロジカルなものとなり、その解の範囲は帰納法の一部に留まる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 00:12
豊かな情報というのは想定し易いけれど、豊かな抽象というものが確実にある。これが感受できるか、それを含めたものを作れるかどうかが、不完全帰納法をその本質的特徴とする芸術と科学の挑戦ではないか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 00:15
両親を持たず、兄を失った武井壮さんは人の家に居候ばかりしていたそうだけれど、きっと彼はその壮絶な人生の中で、周りの人全てを家族にしてしまう不思議な魅力を身につけたのだと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 07:02
「誰だって波瀾爆笑 武井壮がゲストで登場!1月25日」
youtube.com/watch?v=wS8C9h…
中卒だった武井壮さんの兄は、弟の生活を助けるべく俳優になったそうだけれど、小学校さえ卒業することのできなかった私の祖父とその弟は、戦後になると祖父は漁師に、弟は鎌倉に行って俳優を目指した。それしか選択肢が無かったのだと言う。こういう話を聞くと、なんだか、他人事に思えないんだよね。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 07:04
人に見てもらいたい、褒められたいという欲求は、そうされることの無かった人たちこそ渇望するのだろう。逆に人から注目を浴びたり褒められる機会の多かった人は、そこに満足を覚えてしまい、その狭い価値観の中に自分を置いてしまう傾向が生まれることから、究極的にあまり伸び無いのではないか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 07:10
バカヤローにしかできないでっかい仕事って、確実にあると思うんだよね。それはバカヤローだからできるんであって、そんな人たちは誰かに褒められようなんて、はなから思っていないはず。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 07:11
終末論が人心を惑わすのと同様、歴史的変化という概念も惑わせます。(まるでかつて小沢民主党党首を検察が攻撃したように)FBIがクリントン攻撃に回ったことなど、今回の権力交代劇はより手段を選ばないほうが勝った政治的権力闘争の結果であった可能性を危惧します@hori_shigeki
— Masahiro Ono 小野 昌弘 (@masahirono) 2016年11月26日 - 08:15
「手段を選ばない」とはトランプが自らの政治的立場を巧みに隠しレトリックで没落しつつある白人中間層を誘惑し差別感情を揺り動かすことで勝利した疑惑です。つまり真実に基づいた必然の動きでも偶然の茶番でもなく、選挙区に最適化した綿密な計算づくの勝負の結果なのでは@hori_shigeki
— Masahiro Ono 小野 昌弘 (@masahirono) 2016年11月26日 - 08:20
ずっと行きたかったナムジュンパイク展にも行ってきた!
— ステルス猫飴 (@nekoame_sh) 2016年11月27日 - 19:06
メディアアートの父とされる彼だけど、平沢好きは必ず好きだぞ…てかむしろ、世界タービンとか夢みる力あたりのPVはナムジュンパイクをモロにリスペクトしてるし、コヨーテとかユーラシア… twitter.com/i/web/status/8…
ほんそれですよナムジュンパイクはいいぞ、ついでにヨーゼフボイスもいいぞ
— 朔 (@nachttraum4) 2016年11月27日 - 19:23
やらなければならないことをする為に人生があるのではなくて、やりたいことをする為に人生がある。お金を稼ぐお仕事は、あくまで後者を実現する手段であって、お金を使ってやる意味のある魂の仕事のために、私たちの人生がある。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 17:55
シャーマニズムにおいて帽子は魂の象徴として扱われることがあるけれど、日本語の「脱帽する」という言葉は、帽子を魂の象徴と見立ててそれを脱ぐ行為、つまり魂消る(たまげる)、といったニュアンスがその背景に込められているのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 17:59
私がハイデガーの哲学にどうしても夢中になれないのは、彼の哲学に、他者を理解しようという態度が全く感じられないから。そんなものが果たしてPhilosophyと呼べるだろうか?私はヤスパースやフッサールに、Philosopherとしてもっと誠実かつ真摯なものを感じる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 18:01
Until the philosophy which hold one race superior and another inferior...
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 18:07
Bob Marley - War
youtube.com/watch?v=loFDn9…
突然彗星の様に登場した孤高の人間が、そのずば抜けた能力を駆使して一つのジャンルを確立したものの、その能力があまりにも図抜けていた為、次の世代がそのジャンルを育てることができなかった点において、ヘーゲルの精神現象学とボブ・マーリーのレゲエは似ている気がする。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 18:11
【ユーロ=アジアを横断する民族の<生命デザイン>ケルト・シベリア・韓国・日本へ】今週12/2(金)19時@神宮前3-7-6ワタリウム美術館、パイク展イベント!ケルトからモンゴル、韓国までの死から再生への祈りとシンボリズムを語ります… twitter.com/i/web/status/8…
— 鶴岡真弓:所長desk (@Celt_Tsuruoka) 2016年11月28日 - 19:08
細胞分裂は二元論で進むけれど、進化はフィボナッチ係数と重なり合うゲシュタルトで決定するのでは?だから人間の歯32本はメモリと同じく2の倍数(2,4,8,16,32)すなわちバイナリーと一致し、これが32=1+2+3+5+8+13とフィボナッチ数列の第6項までの総和と一致する。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 19:47
生命は遺伝子の情報という折り畳まれたものが展開していくイメージで成長しており、それがバイナリーで進行する細胞分裂と、太陽光の射角など宇宙の法則から生まれたフィボナッチ係数と一致した際に、進化という変化を引き起こすのではないか。その意味において今西錦司の棲み分け理論は正しいと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 19:53
バイナリーの計算とフィボナッチ係数の一致する部分からゲシュタルトを抽出したら、それは波動関数と似たものになるのではないか?それはブラウン運動という物理運動が波動関数によって説明できるのと同様、物理的なものと心的なものが一致した状態を指すのではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2016年11月28日 - 20:06