元ちとせさんのカバーするアイルランド民謡「Siúil A Rún」を聴いていると、何とも言えない気分になる。このブログの著者も、どうやら私と同じ感性を持っているようだ。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:07
「元 ちとせをアイルランド人に聞かせる」
michealh.hatenablog.com/entry/2015/08/…
もしも紀元前3800年頃にメソポタミアから発信されたウバイド精神の文明派が東西分派し、西側はケルトとしてアルモリカ半島に到達し、東側は紀元前1400年頃に紀伊半島の熊野、さらに奄美に到達したとするのであれば、きっと奄美とアイルランドに共通する古い単語がいくつか存在するはず。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:10
アイルランドと奄美の類似性については、一体誰が最初に言い始めたのだろう?これを私は「島のケルト」ならぬ、「シマのケルト」問題とでも呼ぼうか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:23
南海日日新聞南海天地によると「東洋のアイルランド」という言葉を使ったのは中江兆民で、明治21年の大阪東雲新聞で、砂糖(サトウキビ)だけ生産する農業形態を行いながら膨大な負債に苦しめられている奄美の現状を指すものとして、「君知るや、東洋のアイルランドとはいずこなりや」と書いたそう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:33
中江兆民は、明治天皇の名の下に発行されるであろう欽定憲法(明治憲法)によって定められる民権を「恩賜の民権」と呼び、それをいかに人民の憲法に行くのかを考えて「恩賜の民権から回復の民権へ」を書いたけれど、私はここに保守主義の父と呼ばれるアイルランド人エドマンド・バークの香りを感じる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:36
ナイス古墳!草薙にて。 pic.twitter.com/ID7ertSxG9
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 16:18