創価学会の信仰に功徳はあるか?

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272.信じた立場の違い、信じた内容の違い

2008年09月08日 20時36分37秒 | 創価学会
●今でも見つかる思いこみや誤解。

267.はじめてのJSCPR - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

 最初は自分の為ではなくJSCPRに行ったのですが、その後も何度か行く事があり、関わったおかげで私のMCを解く一助になったと思います。(おそらく解ける早さが違ったのでは?と思います。)一助であって全てではありません。例えばMCは一つの要素ではなく経文、人の持つイメージ、会話の仕方。学会以外の他者、他教への邪宗という認識。ありとあらゆる点にあるということです。もくじ1の頃の記事や頂いたコメントもMCを解く一助になっています。
270.「妙法蓮華経」には折伏という文字は出現しない。

 しかし今でもMCというか思いこみや誤解は残っていています。恐怖感、不安感などを伴った精神的なモノでもないし、学会精神みたいなモノでもありません。経文や日蓮遺文に関する解釈について思いこみや誤解(どちらも池田氏解釈や創価学会都合の嘘)は沢山残っているでしょう。それと思考パターンみたいなモノも。人の持つイメージ、、これも単語としては当てはまるでしょうか?

でも、自分で自分を見つめて「経文や日蓮遺文に関する解釈について思いこみや誤解についてのみ、残っていても構わない」そう思います。
あくまでも自分にとってですが自立への一歩はそういう事ではないかと私は考えます。
皆さんに当てはまるかどうか?これが今回の記事のポイントです。

これは経文や日蓮遺文に関する研究や勉強、解釈なさっているLibraさんや富士門BBSの皆さんを否定しているのではありません。
むしろその逆でお願いしたい事がいくつか有る位なのです。まだしばらく考えてどうしても考えが変わらなければ自分でお願いしたいと思います。

どちらかというと傷ついた、傷ついている学会員さん、疑問を持っている学会員さん、退会者向け、学会員(カルト)と関わっている一般方向けの記事です。

●私自身の寿命は分かりませんが、死んだ時に。。。。

 極端な言い方であり誤解を生みやすいかもしれませんが、私、あるいは誰であっても仮に間違った法華経解釈を抱えたまま死んでも別に仕方ないと思います。「間違った法華経解釈」が理由で学会の言う「地獄に行く」「不成仏」とは思えないからです。だからといって 間違って良い といいたいのではありません。池田氏や学会、正宗、顕正会の言動を肯定していません。時代や学問的成果などから事実に近い内容とカルト教団のいう内容の違いや差を理解出来るか理解出来ないかは人によってケースバイケースであり仕方ない面がある、と私は考えています。

●学会の言う、「地獄に行く」「不成仏」って何?

 正宗から破門以前に日顕氏や大御本尊を信じて死んだ人は成仏か?不成仏か?(幸福と言えるのか?不幸と言えるのか?)
正宗から破門後に池田氏や学会を信じて死んだ人は成仏か?不成仏か?
ここでは成仏を死後の事だけに限って書いています。池田氏や学会本部から独自の本尊配布発表のあった当日(平成5年10月)以前と以後で成仏か?不成仏か?が変わってしまうのか?


 池田氏や学会本部(正宗や顕正会も)の言っている事は ”立場””立場の違い” でしかありません。


 「池田先生を批判する人は許せない」つまり「池田先生を批判する ”立場” に立つ人は許せない」、ってヤツです。池田氏や学会に言わせれば正宗から破門後には立場が変わる事で成仏が決まる。法華経解釈や仏教の解釈、現代人の日蓮や本尊に対する解釈がある日突然、学会都合で変わっても成仏する、「平成5年10月以前も以後も学会に所属していれば成仏」という異常な感覚です。

創価学会というカルト教団にとっては日蓮真筆遺文、(偽物だけど)大御本尊を信じるかどうかは問題ではないのです。(笑)

 学会も正宗も御書(日蓮遺文を集めた本)は偽書も混じっているし、正宗という伝統や偽物な大御本尊を利用して自己正当化してきたのは創価学会なのにね。(笑)
(過去記事に書きましたが、前世や今世では成仏出来なくても来世で学会に入信して成仏する、教えが学会にあります。やはりここでも成仏、不成仏が決まるのは学会が基準です。)正宗を信じる立場、学会を信じる立場でしかないのです。法華講の人の様に「ああ、あの人は学会にいて可哀想。」「ああ、いやだ、あの人は学会にいるから謗法の人。」。。。。。おかしいですよね。
 信じて心や言動が良くなる事が宗教の目的であり、宗教のアウトプットは人であるはずですが、いつの間にか立場や入信が目的になっています。
そうでなければ ”日顕宗” という言葉は生まれません。これが悪しきレッテル張り、宗教でないカルト的なモノ、またMCであることは過去記事の通りです。

お互いの違う立場を否定する事、しかも誹謗中傷が当たり前で組織全体や立場を責めるという理由は僧侶トップや学会本部の権力志向、拝金思考にあるのは言うまでもないでしょう。「純粋に信じる内容、信じた内容の違い。」ではなく 何かを信じるという「立場の違い(組織の違い)」が学会や正宗のトップにとっては問題なのです。
 カルトの言動は先の記事にも書いたとおり疑ってかかりましょう。
何かを信じた「立場の違い(組織の違い)」というのは 池田氏を信じた学会。日顕氏を信じた正宗。と、ここまで書けば分かりますよね。

何を信じているのか?ではなくて池田氏、日顕氏を信じた「立場の違い(組織の違い)」が学会や正宗のトップにとっては問題なのです。
もっと言うと教団のメンツを信じるかどうかですな。

つまり、カルト教団は末端の信徒に「何をしているか?」というと、「相手方の教団には行くな、我々教団トップが広宣流布をしているのだ!我々を信じろって言っている」「相手方の教団に行くと罰が当たるぞ、不幸になるぞって言っている」「罰論地獄論で脅している」「ご供養しろと言っている」「池田先生が末法の法華経の行者だから師弟不二しろ」「宿命転換の為に選挙活動しろといっている」わけです。
立場の違いを云々するのは怪しいぞ?って事です。

○学会も正宗も「内容の問題だ。我々が日蓮の言う事を信じているし相手は謗法なのだ」といいます。

 学会も正宗も我々が日蓮の弟子として正統派だ、そういいます。信じる内容が問題であり宗教のアウトプットは人、依法不依人(えほうふえにん)ですから日蓮には重きをおかなくてもいいのですが、どちらも日蓮という(御本仏であるにしろ、そうでないにしろ)イメージを利用して権威主義に用いているわけです。やっぱり「日蓮は無謬」「日蓮は御本仏」という思想も現代人にとっては悪影響が多すぎますね。

日蓮正宗系カルト教団が日蓮を 「必要以上に」 (←この言葉は後々の記事にとって重要です)持ち上げる問題点と実に類似しています。

カルトの特徴の一つだと私は思います。

●経文や日蓮遺文に関する解釈について思いこみや誤解、、つまり誤解釈

 では「純粋に信じる内容、信じた内容の違い。」ならどうなのでしょうか?

 「純粋に信じる内容、信じた内容の違い。」というのは、間違った信じ方、間違った解釈があるか?という事なのですが、実は日蓮自身も創価学会や正宗と同様に間違っていたわけです。現代人同様、経文や日蓮遺文に関する解釈について思いこみや誤解、、つまりは誤解釈です。誤解釈をしていた日蓮は成仏したのか地獄へ行ったのか?????
 過去記事の通り、毒矢の譬えの様な確かめようのない事でアレやコレやと喧嘩するのはおかしいですよね。学会と正宗そっくりです。五時八教などの誤解釈をした日蓮が成仏したのか地獄へ行ったのか?は現代人には分かりません。後々の人がする解釈や人がする思い込みです。 現代人の我々が後から勝手に様々なイメージを持っている、成仏したイメージを持っている にすぎません。

 日本人の子孫として例えば仏教徒の人であれば「日蓮さんが成仏しています様に~南無阿弥陀~。」でいいと思うんですけどね。「南無妙法蓮華経」でも良いと思います。我々が日蓮に良き影響を受けるならば感謝されるでしょうし、これからもカルト教団がはびこる様では今後日蓮自身がカルト扱いされるでしょう。キリスト教や日蓮宗や一般仏教の人に期待します。まずは宗教者自身が自立して下さい。特に僧侶自身が努力すべきだと思います。

「純粋に信じる内容、信じた内容の違い。」というのは例えば大御本尊も当てはまるでしょう。大御本尊を本物と信じた人は成仏か?不成仏か?ということです。
いくつかの本門戒壇の大御本尊が存在するようですが、最初に大御本尊という偽物を作った人や後世、偽物と知っていながら偽物を本物といった人には罪があると思います。組織、宗教団体としての正宗の責任や罪です。
偽物とは知らないまでも他宗を邪宗呼ばわりしたり見下した人も残念ながら有る程度は責任や罪は有るでしょう。僧侶も信徒も両方です。

「純粋に信じる内容、信じた内容の違い。」というよりも「心がけ」の問題の様な気がしています。

 一個人の祈り、いや、祈りと言うよりも現実的かつ切実な願いかな?
御利益を求める題目、本尊、信仰、本仏論を前提にした祈りと宗教本来の祈りには差がある、宗教本来の考え方から遠いという意味です。
現代の宗教教団、カルト教団の教える「祈り」には私は疑問を感じています。まだ漠然ですが。。。。
祈りについては記事を書けていないのですが、やはり祈りについても組織よりは個人志向のベクトルになると私は考えています。
過去記事に書いてきた様に心理学や原始仏教など向いているベクトルは同じだと考えています。

●というわけで、、、

 創価批判だけでなく傷ついている学会員さん、疑問を持っている学会員さん、退会者向けですが、自分が間違っていても成仏はするよ、って私、そううそは皆さんに言いたいです。キリスト教っぽく天国行きでもいいでしょう。

 正宗、顕正会、学会という立場をあまり気にしないで出来るだけカルト教団から退会や距離を置く様にして欲しいと私は思います。
宗教サーフィンなどと呼ばれる様に正宗、学会と行ったり来たりするのは信じる内容ではなくて個人都合や個人視点から見た何らかの立場ではないでしょうか?

 創価学会にいるとカルト教団都合解釈で「仏法の勉強しなければいけない」「理解出来なければいけない」そうしたMCをされがちです。
ある程度の脱カルトとしての勉強は最低限必要だと思います。一般仏教や仏教歴史認識をちゃんとして欲しいと思います。でも経文全部を読もうというのは無理がある気がします。自分自身の中に「経文や日蓮遺文に関する解釈について思いこみや誤解についてのみ、残っていても構わない」「現代人から見たら仏教思想なんて大したこと無いな」「現代人から見たら日蓮思想なんて大したこと無いな」「法華経は創価学会だけの為の経文ではない」「法華経の行者は日蓮だけではない」「日蓮はただ単に曼陀羅をはじめて書いたお坊さんでしょ?」 そんなちょっとしたバランス感覚やちょっとしたニュートラル感覚を持って欲しいと思います。でも他者へ教える時、伝える時はちょっと違ってきます。(別記事にて後述)

 きちんと仏教を学ぶ事は悪い事ではありません。絶対に止めろと言っているわけではありません。あくまでちょっとしたバランス感覚や認識の問題です。

 出来るだけ間違えないで生きようと思いつつ、間違えたり又騙されたりしたら、またそこで修正すればいいし修正するしかないでしょう。
自分の為に生きよう、人の為に生きようって思う事でもいいでしょう。

 人の心の中なんて他者からは分からないのが当たり前なのです。表情や言葉、態度でようやく他者に伝わるんでしょ?
たとえ創価のいう生命であっても生命状態が仏か地獄かなんてわからないはずなのです。
我々だって日蓮の心や生命状態なんて勝手にイメージしている、解釈している、思い込んでいる、にすぎません。
経文が法則ならば間違えた日蓮は地獄にいるのです。
更に言うなら仏説(ブッダの言った事)から遠い面が日蓮仏法にはあるのですから、「何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし うるし千ばいに蟹の足ひとつ入れたらんがごとし」(御書全集P1056曾谷殿御返事、真筆度7。真筆遺文が残っていないみたい?)地獄行き決定です。(笑)学会、正宗にとっては真筆扱いでしたよね。

間違えた日蓮が地獄に行っている事を誰が確かめましたか?

 さて、学会に疑問を持った時に心の中に生まれるギャップが問題になってきます。
例えば「見捨てられた」「考えてばかりで信じ切れない」etcetcという感情です。

過去記事に書いてきた事が多いのですが必要なので書きました。

以上

'08.09.15 青文字追記
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3 コメント

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Unknown (そううそ@管理人)
2008-09-14 12:18:46
アップロード後にまたも追記してしまいました。(^_^;A

08.09.14 12:18
返信する
Unknown (そううそ@管理人)
2008-09-15 22:52:53
農林大臣さん

創価公明と深く関係があるのでしょうか?
なければ放置かコメント保留にします。

返信する
Unknown (そううそ@管理人)
2008-09-16 18:18:03
保留としました
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