創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

450.希望を与えられたから、嘘でもよいのか?池田大作でもよいのか?

2018年05月24日 00時52分39秒 | 創価学会
創価など正宗系教団が嫌われる理由や馬鹿にされる理由は沢山あります。
嘘や信仰の押し付け、裁判沙汰、数々の犯罪。他宗の信仰を認めなかったり、他宗への誹謗中傷。

創価学会員が歪んだ元気を持っている理由は過去記事に書いたとおり次の2つ。
(1)理屈の面では、創価学会は正宗教学や大御本尊などを絶対視し布教の際に利用してきました。
(2)情の面では、 末端会員の優しさやサポート力で、昭和の時代から人を騙してきたに過ぎません。

他にも高度経済成長期に乗っかることが出来て、経済的ご利益を功徳だと勘違いした等々の理由があります。

他にも創価学会員はみんないい人、とか。頑張ることは大事だとか良いことだとか平和が大事だとか。
池田先生は激励してくれたから、池田先生が私に元気、希望、感動を与えてくれたから、こうした理由が多いです。
(1)(2)だけでなく、激励や元気、希望、感動を与えてくれたという理由で末端会員が池田大作アピールしたり、創価員が自分アピールをしても認められるのでしょうか?

栗城史多さんが登山して亡くなり、ニュースになっています。
参考になる記事を見つけましたので残しておきます。

森山編集所: 栗城史多という不思議2
----------<ここから>----------
2017年6月9日金曜日
栗城史多という不思議2

先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。

(中略)

●それでも嘘はいけない

(中略)

その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。

ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。

「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。

ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。

そんなわけないだろ。

ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。

●なぜ嘘がいけないのか

難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。

つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。
これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。

もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。

栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。

そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。

(以下略)
----------<ここまで>----------

信仰の自由が憲法で保証されているからといって、人様他人様に嘘や不愉快を与えて良いのか?ということ。

----------<ここから>----------
どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。
----------<ここまで>----------

やはり正宗の坊さんも創価本部職員も自身のご利益や見返りは求めず、布教や他者救済の実力を示すべきですね。
実力があればとっくにやっているでしょう。実力が無いから自分たちでは布教せず信徒会員にさせてばかりです。
本気を見せてほしいものです。

布教については、池田大作は誰も折伏できてないと思います。弟すら本当に入信したのか怪しい。
平和については、ソ連と中国の紛争解決も両国の官僚、政治家、軍人の間で決まっていたことです。
若し本当ならば、何故に無数にある大小の紛争を池田大作や創価が止められないのでしょうか?

本門戒壇の大御本尊、日蓮正宗の教義、日蓮遺文これらは必要なんですかね?不要なんですかね?

以上

参考リンク

エベレストで死亡の栗城史多さん 「無謀を美談にしてはいけない」と批判の声も – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!

栗城史多の嘘とは?生前の肉声公開。遺体発見場所は何メートル地点?


オウム真理教(現アレフ) 麻原彰晃 空中浮揚のトリックを解明する - YouTube

空中浮揚の嘘一つだけで、オウム(現:アレフ)信者はオウムの全てを肯定していました。

拙ブログのリンクと引用

106.不幸でも妥協を許さない正直になれない創価 (夫婦恋人で信仰が違う時 その4) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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449.謎な、創価学会の贈答品。

2018年05月20日 10時33分20秒 | 創価学会
safety zoneさんのツイート: "池せんせから貰った ありがたすぎて使えなかった。 ヤフオクに出すか検討中。… "

サムネイル画像。クリックで拡大






safety zoneさんのツイート: "取説がついてたんですけどどこの商品かとか製造元とか何も書いてないんです。… "

米山士郎さんのツイート: "それ、怪しさ満載じゃないですか。w輪島塗にもピンきりがあるでしょうけれど、学会の業者で格安の粗悪品でしょう。銘品なら店舗名や個人技師を隠す必要がありません。御書の盗用剽窃同様、長い期間、調べてみると面白うそうですね… "

>学会の業者で格安の粗悪品でしょう。
格安の粗悪品かどうかは未調査で、確定していません。
一万円もするお箸なら、分かったほうがありがたいです。

米山士郎さんのツイート: ">調べてみると面白うそう この様に書く理由は、池田大作が原稿用紙に揮毫して創価員が額に入れている家庭がありますよね。アレ、印刷関係者に聞くと大量印刷なのだそうです。本尊ではないにしろ、印刷したものを有難がるバカかと思いました。書籍の池田の揮毫も怪しいです。私は未所持です。"

safety zoneさんのツイート: "貰った当時はありがたすぎて疑いませんでした。 怪しさ満載👏🤣 輪島功一塗りだったりして。… "

米山士郎さんのツイート: "画像転載していいですか?… "

safety zoneさんのツイート: "どうぞ… "

safety zoneさんのツイート: "米山さん 特選なんですよ。… "



米山士郎さんのツイート: "話の前提として、ご結婚の報告したら学会本部からのお返しですか?… "

safety zoneさんのツイート: "幹部に言われて私もアホなので池せんせに招待状を送ったんです。 結婚式までには届いて 会館て式を挙げたのでそこに仏前に備えて幹部が発表するはずだったんですが緊張しすぎて忘れて言われませんでした。… "


参考リンク

【輪島塗箸 桐箱二膳入 青貝乾漆】 - 創作漆器 金沢わこう【株式会社和幸】輪島塗・山中塗・全国漆器



似てる。







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448.捨ててはいけない世間一般の友人や恋人(その3)

2018年05月18日 00時19分26秒 | 創価学会
●創価学会員の二世三世の子供は友人が置かれている状況を理解しましょう。

 最近は創価学会本部の教義改正などにより、創価本部の身勝手さが浮き彫りになってきた為か
恋愛や結婚で相談メールが来ることは少なくなりました。

創価の幹部に言われる場合を除きます。
本記事は親に言われて二世三世の子供が世間一般の友人や恋人を布教(折伏)する場合に限って書いてみます。

>戸田城聖の指導に「相手の悩み事を聞き出すことが折伏だ」(主旨)「相手を幹部のところに連れてくることが折伏だ」(主旨)

創価の親に強く言われて学会活動する人がいると思います。

創価学会員側に着目すると、

1−1.仏教には教論釈など膨大な仏典があります。仏典は成仏のマニュアルみたいなものですが、人間関係にマニュアルはありません。
1−2.宗教団体は反戦平和を掲げることが多いですが、仏教に教論釈の膨大な仏典があっても、実現できていません。
1−3.”仏教に教論釈の膨大な仏典があっても”は「創価学会に膨大な出版物があっても」と言い換えることが出来ます。
1−4.貴方が10代後半から25位の年齢なら、友人や恋人、会社の同僚など折伏する前に創価や正宗を10年は調べましょう。
1−5 「10年収集した情報を確認」し、「自己判断」した上で「自己責任を取る」。更に友人や恋人を失う覚悟を持てますか?
1−6.調べる際に、日蓮正宗と創価学会という二極だけでなく、浄土宗、日蓮宗、禅宗など他の宗派を調べてみましょう。
1−7.創価vs日蓮正宗で戦争をしています。いい年した大人たちが争っていて実に滑稽ですが、平和的解決がないことを自覚しましょう。
  私も昔は10代20代でした。意見を言ってもトップや集団に対して何の解決もありません。大人でも解決出来ないのです。
  親は福運や池男性に報告したい見栄、組織の中でのプライドが最優先かもしれません。教団トップは金とプライド。
1−8.親に「あなたA君、Bちゃんと仲良かったよね。座談会に来てもらったり折伏できない?」と言われても固く断りましょう。
1−9.親に言われて折伏などの教団活動をしたとします。創価などの教団が友情回復、信頼回復、誤ちの謝罪などフォローは一切ありません。
1−10.実際に創価版御書全集の盗用剽窃があります。盗用剽窃は犯罪ですが、親の世代や創価本部からの謝罪はありません。
1−11.ネットを見れば一目瞭然ですが、創価員と正宗法華講員が喧嘩しても目上の人は争いを止めたり収めません。むしろ煽ります。
1−12.親に言われて貴方が折伏に失敗しても、親は、友人や恋人を駄目だしとレッテル貼りして終わりです。
1−13.社会人になってから折伏は大抵はバカにされます。仕事と信仰は別物です。余程優秀でないかぎり信用を失います。私の経験上、そんな体験談を聞けたのはサラリーマンで一人しか知りません。

創価など正宗系教団に着目すると、

2−1.例えば身内の不幸をネットで知っても、創価員の皆さんが創価員の一人のために祈って解決した事例はありません。
  (そんなに凄い題目なら、祈って解決すればいいのに誰かが不幸になるように題目で呪っているのでしょうか?)
2−2.折伏でも人生問題でも「思い通りにいかない」場合、事例を積み上げ、皆で連絡をとり解決方法を探すなどの事例も皆無です。
  (例えば、理系のプログラマーとか医者、薬学、化学とかなら、創価など正宗系が如何にダメかわかると思います。)
  調べもせず、多々文句や不満を言っているだけ。四法印の一切皆苦は一切皆不満、との翻訳がなりたつ学説があるそうです。

日蓮正宗も同じです。

世間一般の人に着目すると、

3−1.世間一般の友人や恋人は、正宗系の日蓮仏法が凄い教えであり、万能だとか絶対だとか、話題になっているなどど思っていません。
3ー2.世間一般の友人や恋人は、一言、反論や注意してくれれば良い人です。普通は問題のない無関心です。
3−3.世間一般の友人や恋人は、カルト(セクト)宗教の事例をなんとなく知っています。
3−4.世間一般の友人や恋人は、強く拒絶したいのですが、面倒くさかったりトラブルに巻き込まれたくないので何も言わないのです。
3−5.世間一般の友人や恋人は、音信不通になることがあります。創価員はその覚悟出来てる?私は複数の同僚と連絡が取れません。最悪です。
3−6.世間一般の友人や恋人にも友人や家族がいます。その中には創価で嫌な思いをした人がいるでしょう。
3−7.世間一般の友人や恋人にも口コミはあります。ネットだけではありません。
3−8.世間一般の友人や恋人の、情報収集力や判断力を侮るのは止めましょう。マインドコントロールはありません。

本記事のシリーズに書いたとおり、日蓮正宗創価学会に入って良かったことは何一つなかったですね。
私が入信したのが日蓮宗だったらよかったかもしれません。折伏は一切しなかったかもしれませんが、友人や信用を失うことはなかったでしょう。
昭和20年代から今までの状況で、正宗系教団側が騙して入信するほうが異例だったことがわかると思います。

繰り返しますが、貴方と友人の人間関係が破壊されても、創価など正宗系教団の信者も坊さんも無関心です。

●世間一般の友人や恋人にも友人や家族がいます。その中には創価で嫌な思いをした人が大勢いるでしょう。

 上記のように書きましたが、創価員に限って9割の人が好かれていればともかく、多くは嫌われています。
カルトとはいえ宗教団体なのですから、一人の評判は全員の評判である自覚や責任感ぐらいは持って欲しいです。しかし池田大作がどうしようもない人間なのでダメでしょうね。
10代20代で折伏などの教団活動して、「あの人は創価学会員だよ。カルトだよ」と広まっていったらどうします?止められますか?
口コミや噂を止められるはずがありません。

新しい出会いや紹介のチャンスや遊びに行く楽しい時間などが貴方の知らない所で失われているでしょう。
創価など正宗系教団の人が折伏するのであれば、友人や恋人を失う覚悟をしたほうがいいでしょう。

反戦平和運動は良いことですが、リアルでもネットでもそれ以前の問題なのです。
題目に力がないとしても、創価員に人気があればとっくに広宣流布しているでしょう。
世間にある他宗は邪宗であり邪宗の害毒とか宿業とかではありません。
そもそも日蓮の教えには間違いが多々あります。

もし、貴方が世間一般の人を好きになったらそれはとても良いことです。池田大作とか御書全集とか改ざんカラーコピー本尊とか捨てて未入信の外部の人の手を取って欲しいとおもいます。

●いい年した大人が入信した人を捨てています。

運ちゃんさんのツイート: "僕の知人はこれで、組織から捨てられました。活動に参加しないなら組織の邪魔だと。僕が御本尊渡した後、引っ越し先の組織での話で、仕事が超多忙で家に中々いないメンバーだった。… "

●日蓮遺文

行道文庫版
----------<ここから>----------
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第にとなへつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地をまととするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給べし。
----------<ここまで>----------

私も10代20代の頃は、100人当たれば良いのだ。
一人二人とお題目を唱えだしたら、凄いことが起こるんだ。
びっくりするようなことが起こるんだ。こんな感じに考えていました。私もこの様に教えられ、信じていたにすぎません。

理系の仕事をしている人が多いので、上司や同僚の信用を失い友人を失っただけでした。
創価などの正宗系全員に言えるのですが、日蓮宗や他宗派の様に反省や謙虚をして、歪んだ自己主張を控え、おとなしくなりましょう。
最低限の信仰するな、祈るな、とは言いません。
日蓮系は世間一般の人々から危険な教団や思想として思われる可能性を残していると思います。
法華経を通して、自己犠牲をしつつ他者救済をするなら、世間一般の人からは「してもよい」ぐらいか、あるいはその程度の教えなのです。
創価などの正宗系教団が言うような、荘厳だの究極だの真実だの「凄い何か」「不思議な何か」は日蓮の教えにありません。

富士門流信徒の掲示板

他には犀角独歩さんのブログなど。
10年でも20年でもよく調べ、理解できなければ、よくわからない宗教勧誘は止めましょう。

10代後半から25歳代くらいの人をターゲットに書いてみましたが、難しかったですかね?

以上

参考リンク
会員が創価学会から離れる理由 - 蓮の落胤-創価学会、話そうか

379.宗教勧誘で騙して連れ出すと逮捕。「顕正会」未成年者誘拐の疑いで3人を逮捕 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

私も学生時代に友人を騙して連れて行ったことが複数回ありました。勿論男子部の指導でしたし、今なら逮捕です。

誤解を招かないように再度書いておきます。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?


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447.創価学会員はどの様に世間の人の捨てて来たか?(その2)

2018年05月16日 00時00分36秒 | 創価学会
 どれもこれも過去記事とだいぶ重複しますが、改めて書いておきます。

●男子部の折伏成果。

 内得信仰時代を含め、学生部、男子部時代に入会したのは私を含めて5人以下です。
ど田舎と都会を含めてですが、5つの支部が大凡16,7年間に新入会者は少ないことが分かります。
おそらく退会しているのが一人いたと思うので、私を含め二人が辞めています。

1990年代後半のど田舎では男子部員が不足し、壮年部が創価班任務していたくらいですから、支部の状況、本部の状況、各人の信仰心などの状況がありますから、多いか少ないかはなんとも言えない所です。
支部における未活動家の男子部員が都会で60人〜80人、田舎で30人〜40人だったとおぼろげに記憶しています。
活動家は男子部長を除けば各地区で0人、1人、2,3人等々といった具合です。
今はもっとひどいみたいですね。

●創価学会員の幹部指導、末端の発言、思い込みなどの言動

 戸田城聖の指導に「相手の悩み事を聞き出すことが折伏だ」(主旨)「相手を幹部のところに連れてくることが折伏だ」(主旨)という親新入会者向けの指導がありましたが、第二次宗門問題以後のソフト路線と創価独自な教学以外、末端創価員の折伏方針は変わってないと思います。宗教ですからどの教団も戸田の指導と似たところがあると思います。

>入信から退会するまで、ずっと相手の悩み事を聞こうとする意識は常にありました。しかし「相手が悩み事を話してくれるケースはほぼ皆無だった」ことをチェック出来ていませんでした。

先の記事に書いた2冊の書籍だけでなく、男子部会合で聞いた指導や人間革命、聖教新聞、大白蓮華を折伏(布教)で使うことは言うまでもありません。

折伏して上手く行かなかったことを、地区リーダー、部長や本部長に話すことはありました。
しかし、大抵は次のようなオソマツな返答です。
「創価学会の素晴らしさをわからない人は放っておけ」
「創価学会を悪く言う人は一闡提だ、地獄に落ちる」
通り一辺倒な上辺だけの指導になっていることが、ネットですらもあまり問題になっていませんね。

創価学会の情報戦はオカシイですよね。
会合運営や選挙の釣れ出しや集金(ご供養)は名簿などでチェックされています。
大石寺登山も創価の組織を通してチェックされていました。
ところが、折伏した人の状況や発言と未入信者の状況把握が支部幹部、本部幹部にないのです。
私にとっても盲点だったと思います。

「相手を幹部のところに連れてくることが折伏だ」(主旨)との指導を末端も男子部幹部も実現出来ておらず、問題視もしていません。

聞くところによると、数日前に原田などのトップ数人が創価員に会ったことが聖教新聞か何かの記事になったそうですね。
外部の人と会わずに折伏しない創価本部幹部って、一体何の存在価値があるの?(笑)

創価員の言動を通して、世間一般の人に良い印象が残ったかどうかを問題視してないのです。
世間一般の人が創価員から聞いた言葉や聖教、御書、池田大作のスピーチなどは、入信を決める情報であり、判断材料であることを分かっていません。

創価特有な盗聴や監視を強化しろと言っているのではなく、相手の立場や考え方を無視し尊重しない点を問題視しています。
他宗僧俗の細やかな発言や記録、説明、人柄の良さなどが参考になるでしょう。

創価など正宗系教団から布教されたら、「興味ない」「興味ないから勧誘しないで欲しい」などときっぱり断って、個人の状況や気持ち、考えを教団に渡さないことが大切です。
悩み事を打ち明けたら布教する側はアクセルを踏みますよ。

●世間一般の人が知る創価学会の情報

 創価学会の情報を得るには日蓮正宗の出版物、法華講員のリアルとネットでの発言があります。
ネットでの創価員の「池田大作先生はいい人。広宣流布した人。平和の人だ。原田、谷川など執行部は池田先生の指導を守らない極悪人だ」との発言も判断材料になります。
一昔前ならネットやリアルで創価員は「学会員は皆いい人だ」と言ってましたから、創価批判者の私としては良い時代になったものです。(笑)勿論私にとってはどうかしているとしか思えませんが。

昭和二十年代、三十年代、四十年代、五十年代、平成初期と今現在で入信した時期や年齢で創価員の思い込みや仏教学はバラバラなのも問題です。

世間一般の人は、創価学会の情報や創価問題、他にマインドコントロールや一般的、基礎的な仏教の理解が早いです。
これらを創価員は完全に軽視しています。

●創価学会は色々な人や教えや本尊を捨てています。

 世間一般の人が知る創価学会の情報が整理整頓されれば、以下の様なことが分かります。

(1)理屈の面では、創価学会は正宗教学や大御本尊などを絶対視し布教の際に利用してきました。
(2)情の面では、 末端会員の優しさやサポート力で、昭和の時代から人を騙してきたに過ぎません。

しかし今の創価学会は色々なものを捨てています。
国立戒壇、反核路線、、版原発、反自民(反権力)、日米安保条約と自衛隊への反対。
日蓮正宗の教義。本門戒壇の大御本尊。お寺、正宗の出来の悪い坊さん。絶対視していた日蓮正宗の本尊を取り換え。
牧口常三郎の教え、戸田城聖の教え、池田大作の教え。
(池田色が濃いので私はあまり賛成できませんが)創価大学の平和運動。etcetc

 日蓮正宗も坊さんや信徒の首切りがあります。(例:正信会、顕正会)

 私の紹介者である創価大卒の某君も彼の親も、内得信仰時代の男子部員も全く連絡してきませんね。
御書全集の盗用剽窃が発覚しても連絡はありません。
念仏は諦めの命と言いながら、日顕や私の説得を諦めたのは、池田大作や創価員です。
美貌中傷や悪口、罵倒は説得とはいいませんよ。

過去記事に書いたとおり、どうなると会員除名になるのか、調査報告と無料の出版物が創価には必要ですね。
どうなると信徒除名になるのか、調査報告と無料の出版物が日蓮正宗にも必要でしょう。(笑)
末端会員はともかく、問題発言をした池田大作は捨てられて当然だったのでしょう。

●大御本尊の信仰を捨てさせた創価本部と池田大作

 第二次宗門問題が起きた時に、創価がどんな落とし所を想定していたのか未だに非公開で闇の中です。
池田大作は「私は首になって一人になってもいいから、皆さんは幸せになれるよう大御本尊の信仰を続けて下さい」といえば信仰者、宗教者、あるいは組織のトップと言えたかもしれません。

多数派工作な派閥づくりや、裁判づくめ、勤行軽視や学問をサボる。「正確な記述の戸田城聖全集、牧口常三郎全集、池田大作全集、池田大作年譜など」を途中でやめてしまう事は誰にでもできる俗人の証拠です。会員の恥にしかなりません。
(聖人<ー>俗人)

記録を残せない教団は信用してはいけません。
記録が不確かな教団は信用してはいけません。


●次回

 毒になる創価、正宗の親などから折伏(布教)を強要され、子供である貴方が友人、恋人を失いますよ。チャンスや幸せを失いますよというのが次の記事の予定です。

以上

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446.捨ててはいけない世間の友人と捨てるべき創価と日蓮正宗(その1)

2018年05月15日 01時31分10秒 | 創価学会
 私は10代の頃から内得信仰をして20代で入信しています。

●内得信仰時代

 10代の頃は創価学会(以下、創価)と日蓮正宗(以下、正宗)は蜜月時代だったので、日顕の呼び方を御法主日顕上人猊下とか教えられました。尊敬語として破綻しているとても変な日本語ですよね。
「正宗だけが正しい宗教で、他は邪宗である。」
「大石寺に毎月一回は登山して大御本尊を拝みなさい。」これは複数の人から教えられました。

新聞啓蒙は事情があってしませんでしたが、内得信仰時代から可能な限りの勤行唱題、折伏、20歳になったら選挙活動もやっていましたね。
内得信仰時代の当初は御書全集も人間革命も数珠も本尊も所持しないまま、自分にできる活動をしていたわけです。
数珠と経本は隠し持つようになりましたが。。。

「仏法理解のための一問一答」も「改訂版 創価学会入門」もまだ持っていませんでした。
学生部幹部や男子部幹部に教わったことしか言えず、内得信仰時代からこの2冊は自分のためと折伏する為に必要だと思って、とても欲しくてしかたなかったです。この2冊の書籍無しで折伏していたんですからメチャクチャだったと思います。
内得信仰している自分に対しても男子部、学生部は折伏と選挙活動をするのはいいことだ。功徳がある!やって当たり前という雰囲気(集団心理)がありました。
折伏相手が一般仏教学や天台法華も知らない弱みに付け込んで、創価独自の仏教学を押し付け「言い切った気分」になっていただけです。
今の私からすれば、「仏法理解のための一問一答」も「改訂版 創価学会入門」も何一つ説明になってないと思います。
正宗の独自な教理教学には問題しかないとおもいます。

●入信後

 社会人になり正式に入信しました。会社勤め以後も、会社の寮で折伏をしてしまいました。
大学時代の友人に加えて、会社の同僚、先輩からの信用を失うデスマーチが始まっていたと思います。
「仏法理解のための一問一答」も「改訂版 創価学会入門」も買っていましたが、半年もたたずに数ヶ月で仏教の教学を前面にして説得しても全く話は聞いて守らない事に気が付き、方針転換しました。(このことは過去記事にも書いています。)
入信から退会するまで、ずっと相手の悩み事を聞こうとする意識は常にありました。しかし「相手が悩み事を話してくれるケースはほぼ皆無だった」ことをチェック出来ていませんでした。もう一つは自分の悩み事は一つも解決せず、ストレスになっていたと思います。自分の悩み事は全く解決出来ず、相手の悩み事を聞き出せない点は、特に30代以降、重くのしかかったと思います。

この話は後の記事に続く予定です。

●退会後の私と調べてきた日蓮正宗の独自性

 退会してブログ立ち上げ後、色々なことを調べて書いてきました。
色々な人の支援なしに脱カルトの道を歩く今の自分には到達できなかったでしょう。これからも同じだと思います。
私を無償で助けてくれた方々は無宗教者、ほどほどの信仰者、他宗のお坊さん等様々です。

何度も書いている通り、私は嘘を教えられ、私自身も嘘を信じ、嘘を広めていたにすぎません。
重ねて書きますが、宗教する人は祈祷が出来ない場合、書く(書写)、説明する(話す)、祈る(願う)ぐらいしか出来ません。
日蓮さん同様、坊さんが人様他人様の「苦しみや悩みを引き受けて祈祷」し、祈願成就させるのが本来のあり方です。

「加持祈祷」と「祈る(願う)」は異なります。前者は能力の有る人しかできませんし、後者は誰にでもできます。
現代では神仏を下ろせる聖職者はほとんといないのでは?
皆さんがどう思うかは自由ですが、日蓮さんが不動、愛染、大黒天など神仏を下ろせたのではないか?と私は考えています。
もちろん日蓮の祈祷や祈りに失敗もあったと思います。(ヒント:梵字の真偽未決な遺文。創価版に未掲載。)
他にも複数の理由から「神仏なんていない、でも私は祈る」など苦しみに寄り添う優しさを問う方がいたならば、私は嫌いになるよりかは好きです。
しかし疑問に思います。今の私としては努力の仕方やさせ方として問題を感じます。
他宗で真面目、誠実に信仰している僧俗の皆さんを無視しています。

「神仏なんていない/神仏はいる」この辺りの詳細は長くなるので書けませんが、どちらにせよ、
苦しんでいる人も、苦しみに耐え信仰している人も、寄り添う人も、救おうとしている人も他宗に大勢いるのですよ?
反戦平和だって同じです。

創価の生命の定義と世間一般の生命の定義は異なります。
同じ様に元気の定義も異なります。
正宗系の元創価の法華講員や創価員などに見られる「特有の歪んだ元気はなくして欲しい」です。
元創価の法華講員や創価員も正宗の古来からの法華講と同様に、もっと謙虚におとなしくなって宗教の自己主張を一切やめてもらいたいと思います。

374.いのるによりて病もやみ、いのちも延ぶることあれば、 たれかは一人として病み死ぬるひとあらん - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

ご祈祷しても構いませんし祈っても構いませんが、最終的な覚悟や心構えは374のとおりであって欲しいと思います。
生命が消える瞬間か病死するまで長い期間かは人それぞれですが、最後に死にたくないと祈っても、その祈りは叶いませんよ、ということです。
念仏は諦めの命と創価など正宗教教団は言ってますが批判として成立しません。
日蓮さんも死後の天国行きが地獄行きかを説いています。

●退会後の私と調べてきた日蓮正宗の独自性

 日蓮正宗の独自性、優位性とは何でしょうか?
正宗と日蓮宗で共通する部分を独自性、優位性とはいいません。

皆さんがどう思うかは自由ですが、私としては正宗の教理教学に独自性優位性は全くありませんでした。
それどころか見劣りするショボイ勤行法式しか無いわけです。
大御本尊も4〜6,7代目のレプリカだといえば良いものを、日蓮日法伝承の本物だと言いはるからおかしな説明になっています。
レプリカだと正直に言ってしまえば、レプリカ本尊を信仰するのはカルトだとか問題があるとは言えません。

創価のオバちゃんに解るように書くと、例えば日蓮さんが題目を唱えた。立宗宣言した。(自画自賛ですが)法難にあった。本尊を顕した。等々。
こうした点は正宗と日蓮宗で共通しています。
例えば、佐前佐後を大威張りで語る人がいることには呆れます。言い方、書き方の問題なんですけどね。
創価独自だ!とか正宗独自だ!とか同時に発言してはいないのですが、日蓮宗の教学や努力、遺文の保管、研究などをベースにして、創価や正宗の教学はのっかているだけです。

正宗と日蓮宗で神仏の存在定義は日蓮真筆遺文で共通しているのではないでしょうか?
勤行の奉請、奉送、禮仏偈などの有無の差をはじめとして、感謝の差、努力の差はあります。

創価によれば、大石寺は日顕宗であり、魔が住む山であり謗法の山だとか。
2000年代に池田大作の指導により一応は各宗派は邪宗から他宗ということにはなっています。何故か日顕宗を除いてです。
特に創価の場合は大御本尊を受持しないのであれば、日蓮宗、日蓮正宗の両方で保管されている日蓮真筆遺文も受持してはいけないと思います。
御書全集も編年体も謗法払いと称して捨てるべきではないでしょうか?
それも出来ないのであれば、せめて盗用剽窃した犯罪の結果だと認識して御書全集も編年体も持つべきではないですか?
創価、正宗の教団を捨てるべきなのは言うまでもありません。

行道文庫版
----------<ここから>----------
謗法を責ずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなし、はかなし。何に法華経を信じ給ふとも謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし(漆)千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し「毒気深入失本心故」は是也。
----------<ここまで>----------

日蓮遺文によれば、法華経信仰をしている人は謗法ではありません。現代ではせいぜい、宗派の教えに背いているから”問題だ”、くらいがせいぜいでしょう。
現代では法華経と原始経典のどちらを選択するかといえば、後者でしょう。
日蓮法華系の人なら法華経を選択しても、一法印しかありませんし、空や四法印を学ぶのに遠回りでしょう。
原始経典からは独自性、優位性を問う事自体が誤ちや謗法であることをお忘れなく。

以上
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445.(参考リンク)浄土宗勤行、日蓮宗勤行

2018年05月10日 05時06分08秒 | 創価学会
参考リンク 随時更新。

私が日蓮宗の勤行法式について記事を書いたので、google検索などで既に検索結果上位に上がっているがリンクしておく。
日蓮宗の仏事 声明


富士門流信徒の掲示板
勤行について - 1095906972 - したらば掲示板

富士門流信徒の掲示板にて「朝題目、夕念仏」についてどこかのスレッドで誰かが言及されていた記憶があるのですが、忘れてしまいました。「勤行について」スレッドには無いみたいです。


法然さんの勤行法式が「朝題目、夕念仏」だったか不明ですが、以下のとおり。

浄土宗日常勤行式の総合的研究
「浄土宗日常勤行式の総合的研究」のpdf
----------<ここから>----------
一般に 天台宗 では 「朝題目タ念仏」と言っている。これが天台宗の勤行式であるというのであるが、恐 らく 三昧堂衆は 「償法は朝座、例時は夕座」に修したから、これによ っ て朝題目、タ念 仏 なる語が生まれたのであろう 。この朝夕 二時の勤行が 例時として叡山の 三味堂で行われたのは華山法皇(968−1008)御時代から確定されたという(俄法例時注の説)。
----------<ここまで>----------

日蓮宗では法華懴法会や御書の盗用剽窃記事で言及した大師講が残っています。日蓮正宗大石寺では残っていません。

●推測、その他

 江戸時代までは信徒用の勤行は、どの宗派も明確に成立してなかったのかもしれません。明治以降に各宗派でお坊さんの勤行と近い形式で信徒用勤行が成立したのかもしれません。
檀家や入道の存在があったので全く無かったとは考えていません。

現代において、正宗の坊さんが信徒と同じ勤行なのは恥ずかしいことだと思います。
信徒用の勤行法式、坊さん用の勤行法式はそれぞれ制定、勤行、経本などの準備だけはしておく。その上で在家信徒が毎日、読む読まないは信徒自身におまかせで良いのだと考えています。
俗世の生活を捨てて出家するのか否か、ということかと。

教団トップが歴史的に勤行の由来も教論釈から調べもせず、簡略化し放置したままなのが創価など正宗系教団なのでしょう。

日蓮正宗歴代法主と創価の歴代会長は現代からみて宗教法人トップとして有能かどうか、一目瞭然かと。
各宗派の勤行法式を調べると、必ず思うのは「記録を細かく残し、きちんと議論する」点です。江戸時代までは多種多様な見方があると思いますが、現代であれば、なおのこと大事かと。こうした点が現代の普通の仏教教団であって、日蓮正宗と創価学会は仏教界(他者)への貢献として記録や議論はできず、我欲の裁判における記録や議論が多いです。創価に至っては本尊も、人間革命も改ざんし、御書も盗用剽窃し改悪もしています。

創価学会だって、会員は五座三座でも本部職員は日蓮宗のお坊様と同じ勤行をして、世界平和や人様他人様の幸福を祈ってもおかしなことではなく、独立した以上、やって当然だと思います。
人の悩みや苦しみを「引き受け」て祈祷したり勤行するのが宗教者のサービス提供かと思います。

以上

追記
富士門流信徒のhtmlの文字コードとmeta charsetをeucから、"UTF-8"変換したものを持っています。
AndroidやLinux、Macなどで持ち運び検索できます。
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444.奉請、禮仏偈の有無と日蓮の教え

2018年05月06日 00時30分55秒 | 創価学会
創価学会の人には全く理解できないと思いますが、考慮せず自由に書きます。

●奉請、禮仏偈が勤行法式に無い点は日蓮の教えを無視しているのでは?

昭和定本 立正安国論 文応元年(1260)
----------<ここから>----------
倩微管を傾け、聊か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。[p0209-0210]
----------<ここまで>----------

昭和定本P542 開目抄 文永九年(1272.02)
----------<ここから>----------
 結句は天台宗の碩徳と仰がるる人々みなをちゆきて彼の邪宗をたすく。さるほどに六宗八宗の田畠所領みなたをされ、正法失はてぬ。天照太神軟正八幡軟山王等諸守護の諸大善神も法味をなめざるか、国中を去り給かの故に、悪鬼便を得て国すでに破れなんとす。
----------<ここまで>----------

日蓮さんの教えで特徴的なのは、法華でない他宗の信仰をすることで善神が人や国を捨て去る、というものです。
現代では日蓮さんの教えには多々間違いや問題がありますが、唱題や法華の信仰をする人の場所には「諸仏や善神が来る」と考えることが可能です。
なのに、禮仏偈をしないのは矛盾が大きすぎるでしょう。

●「諸仏や善神が来る」ことのメリット、デメリット

 上記のことを理解していると、念仏系の讃仏偈に疑問を抱く人がいると思います。
念仏系の阿弥陀仏はこの世に来る仏ではないのに、奉請、讃仏偈(禮仏偈もか?)を行う宗派があります。
念仏系が讃仏する仏は阿弥陀仏以外の仏、あるいは死に際し来迎する仏を奉請、讃仏しているんですかね?
現代から見て、念仏系の教えの矛盾やデメリットと断言できるかは今の私には不明です。
この点をデメリットと仮定して立正安国論と考え合わせると、創価などの正宗系教団は、日蓮の教えのメリットといえる「諸仏や善神が来る」を捨てていることになります。

奉請、禮仏偈しない事はあたかも「諸仏や善神を捨て去る」他宗かのようです。(笑)
日蓮さんの言う邪宗ですね。w
これで正宗の坊さんがダメダメなのはわかるでしょう。
「信心が足りない」との言葉は創価本部、正宗の坊さんにそっくりお返ししますよ。

阿弥陀仏はこの世の仏ではなくあの世の仏です。日蓮さんが主張する法華最第一と阿弥陀仏がこの世に「来ない」ので現世で救われない点を日蓮は問題視しています。
こうした遺文は多数あり、列挙する必要はないでしょう。

●「信者とお坊さん」「儀礼と信仰心」「奉請や禮仏偈の有無」

行道文庫版 法華初心成仏鈔
----------<ここから>----------
凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王、帝釈等の仏性と、舎利弗、目連等の仏性と、文殊、弥勒等の仏性と、三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏、一切の法、一切の菩薩、一切の声聞、一切の梵王、帝釈、閻魔法王、日月、衆星、天神、地神、乃至地獄、餓鬼、畜生、修羅、人天、一切衆生の心中の仏性を、唯だ一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて、顕れ給ふ処を仏とは云うなり。譬へば篭の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば、我身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ。
----------<ここまで>----------

1.坊さんが行う儀礼としての奉請や禮仏偈
これと
2.信者が題目を唱えて信じる時の「心の持ちよう」つまりは一切の仏、一切の法、一切の菩薩への「信仰心」。
2つをごっちゃにして語るとおかしくなると考えています。
「心の持ちよう」は日蓮さんから「信者へ教えた」思いやりや優しさだと受け止めてもいいのでしょう。

法華初心成仏抄は信者向け初心者向けの遺文だと私は考えます。
「禮仏偈、奉請、奉送など」を信者、信徒がしてもいいのでしょう。現代なら尚更です。

●その他やまとめ

 念仏系では(禮仏偈でなく)「奉請、讃仏偈」を重視しますが、阿弥陀仏は現世に来ない点と矛盾するかは興味深いです。
鎌倉時代の念仏系に「奉請、讃仏偈」があったかどうかは研究対象になると思います。
もう判明していて、私が知らないだけかもしれません。(笑)
鎌倉時代の日蓮、及び弟子、孫弟子が念仏系の「讃仏偈」を問題視し、「禮仏偈」を勤行で採用したかは今の私には不明です。
日蓮研究において、当体義抄の真偽をどう扱うか、法華懴法をどう扱うかで研究の方向性がきまります。

「禮仏偈、奉請、奉送など」を日蓮さんが軽視した、との結論が出ると別の重大な問題が発生します。別途記載予定。

題目を唱えるということは、仏菩薩、諸天善神を「呼ぶ」あるいは「来る」点に日蓮法華の数少ないメリットがあり、日蓮の教えのポイントであることは間違いありません。

現代の日蓮宗では政治的な立場で立正安国論をアピールしませんが、学問的には重視しています。
創価などの日蓮正宗系教団では未だにカルト(セクト)として「日蓮の教えは立正安国論に始まり立正安国論に終わるのだぁ−!折伏だぁ!」と主張し、迷惑をかけていることに気がついていません。

ところが、なぜか創価などの正宗系教団では奉請、禮仏偈の伝統がありません。
勤行の根拠も、經論釈に由来するのが当たり前ですが、正宗系教団では説明できないでしょう。
立正安国論では念仏批判が色濃いにもかかわらず、勤行では軽視し、日蓮真筆の思想や妙楽大師を無視した結果になっています。

勤行は本来はお釈迦さんの代わり、あるいは日蓮さんの代わりに読経するとの教え方があるようです。
「一度でも題目を唱えた人は大石寺の大御本尊を拝んでも良い」
「僧侶である私が貴方に向かって合唱し題目を唱えますから、何かを感じて是非お寺に来て下さい」
「題目を唱えるくらい誰でも出来ます。是非興味を持って下さい」

現代であれば、こんな感じのやさしさがあって、はじめて「篭の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。」が成立するのではないでしょうか?
これらの点からも僧侶の側が入信した人を一人一人に説明せず法華講を脱講させたのは、無慈悲であるとしか言いようがありません。

なお、今の私にとっては日蓮正宗の人の勧誘はとても迷惑です。
大御本尊も日蓮本仏論も正宗の教理教学も信じていません。
日如氏をはじめとして正宗の坊さんには、退会者などに勧誘するのを厳重に禁止にして欲しいですね。
本当に迷惑です。

一言付け加えると、日蓮正宗の人は9割以上は言葉は丁寧です。
2014年11月以降、創価学会員からメールが来ることはなくなりました。
それ以前、創価員からメールは7割以上が暴言、誹謗中傷、非難など呆れる言動ばかりです。

以上

修正
念仏系では「嘆仏偈」を重視

念仏系では(禮仏偈でなく)「奉請、讃仏偈」を重視

「歎仏頌」「嘆仏偈」の表記を「讃仏偈」に揃えた。念仏系で「歎仏頌」「嘆仏偈」「讃仏偈」や禮仏偈の重要度は不明。
コメント (2)
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「日蓮正宗 教師必携」

2018年05月05日 16時12分00秒 | 創価学会
日蓮正宗 教師必携 昭和44年7月  - ヤフオク!

正宗の坊さんにとって必要な仕来たりが書かれた本です。
私は買うつもりがありませんが、典礼院との関わりがあるのかもしれません。
画像を見ると、葬儀の儀礼がいくつかあることが分かります。

日蓮さんの時代に「日蓮正宗 教師必携」と同じ儀礼があるはずがありません。
長い時間を掛けて成立したものでしょう。

最近の記事で勤行をいろいろと書いていますが、「日蓮正宗 教師必携」を画像を見ると
池田大作がとった坊さん不要路線は誤ちだったと改めて断言して問題無いでしょう。
ヤフオクで5500円もしているので、「日蓮正宗 教師必携」一般販売されないかな。

日顕の葬儀は正宗の儀礼に則って普通に行われそうですね。
池田大作の葬儀は創価式のショボイ伝統儀礼なしの葬儀になるでしょう。
何も解ってなかったのは池田大作ということですね。

池田大作が坊さんなしの友人葬しなかったら裏切り者になると私は考えています。
大御本尊を信仰しない池田大作の葬儀に、大御本尊を不明瞭に扱う改革同盟の僧侶が導師するのでしょうか?

以上
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443.日蓮宗勤行法式における禮仏偈文の由来

2018年05月05日 00時56分21秒 | 日蓮宗の文献、教学など
●帰依について

 日蓮遺文。
行道文庫、昭和定本、他 他多数あり。以下、行道文庫版より引用

四条金吾殿御返事(四条第五書)(梵音声書)
>則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗肩をならべがたかりき

帰依については上記を参照のこと。
後日の記事で他にも記載できるかもしれません。

●禮仏偈の偈文の由来

 日蓮が奉請、奉送、禮仏偈をとなえる勤行法式をしていた資料は未確認です。
日蓮門下の関連文献から奉請、奉送、禮仏偈の発見はしていません。
但し、禮仏偈の偈文にかんしては、法華懴法と関連があります。

436番号記事
--------------
日蓮宗聖典の禮仏偈を見ると、

我此道場如帝珠 十方三寶影現中 我身影現三寶前 頭面接足歸命禮
--------------

この偈文は法華懴法に出てきます。

法華懴法の遺文名と南無妙法蓮華経の2つの単語は日蓮遺文の当体義抄に出ています。

行道文庫 当体義抄 (原文漢文)
----------<ここから>----------
>故に妙法の名字を替へて止観と号して、一念三千、一心三観を修し給ひしなり。但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱ふる事を自行真実の内証と思食されしなり。南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文。天台大師云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文。
----------<ここまで>----------

法華懴法自体が日蓮宗の勤行法式に似ている部分が存在します。

というわけで、以下のようにまとめられます。

●まとめ

 法華懴法に「我此道場如帝珠 十方三寶影現中 我身影現三寶前 頭面接足歸命禮」と記載。
法華懴法は現在の日蓮宗の勤行法式に類似。現代の学者やお坊さんが法華懴法をどう重要視し、どう考えているかは私も勉強不足で分かりません。

日蓮遺文では当体義抄に法華懴法の記載。
当体義抄は昭和定本で一巻に収録されており、一巻の遺文は真筆扱い。(最新の研究は未調査。)

現代の日蓮宗の勤行法式と日蓮さんの勤行が同一かは今の私には不明です。
しかし、偈文に関し日蓮遺文、当体義抄と南岳大師の法華懺法に辿れる。

創価などの正宗系教団で行う勤行が見劣りする点がよくわかると思います。

●参考リンク

著者紹介 | 天台寺門宗
----------<ここから>----------
この儀式には全く仏教音楽といってよい声明で、琵琶、琴等のはいった雅楽の伴奏で、唱えられる荘厳華麗な儀式で、御懺法講といわれ御白河法皇ー保元二年ー以来宮中に於ける重要な法会であったのであります。

当時天皇法皇の御前で公卿、殿上人が参加して紫宸殿、清涼殿、仙洞御所などで盛んに行なわれ僧侶も俗人も一緒に執り行なわれていました。
----------<ここまで>----------

紫宸殿だって。紫宸殿本尊と五座三座の矛盾は一体。(笑)

wikipediaより。
----------<ここから>----------
慧思(えし, 515年(延昌4年) - 577年(太建9年))は、中国の六朝末の僧。天台智顗の師であり、天台宗の二祖(龍樹を開祖とし第二祖を慧文、慧思を第三祖とする場合もある)とされる。
----------<ここまで>----------

南岳大師とは - コトバンク

以上

当体義抄は昭和定本で一巻の遺文は真筆扱い。

当体義抄は昭和定本で一巻に収録されており、一巻の遺文は真筆扱い。
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442.受持と帰依と本尊

2018年05月03日 23時58分19秒 | 創価学会
●受持について

四条金吾殿御返事  文永十二年三月六日  五十四歳

行道文庫版
三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを、持とは云也。経に云「護持仏所属」といへり。天台大師の云「信力の故に受け、念力の故に持つ」云云。

昭和定本
三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持とは云也。経云、護持仏所嘱といへり。天台大師云信力故受念力故持

本化聖典大辞林など各辞書より一部抜粋。
受持
龍樹菩薩の大論で受持とは「信力の故に受け、念力の故に持つ」とあり、心の信念力を所作に表わすこと。
五種(受持・読・誦・解説・書写)の修行の一つ。五種の行ともいう。
念力は、五力の一。凝集した心の力のこと。

注意:現代語の念力は超能力の一つ。意思の力だけで物体を動かす能力のこと。念動力(ねんどうりょく)、観念動力(かんねんどうりょく)とも言う。これと仏法の念力は異なります。

●まとめ

龍樹菩薩は西暦150年〜250年の人。
天台大師は、西暦538年〜597年の人。
日蓮は1222年〜1282年の人

龍樹菩薩も天台大師も日蓮も受持とは「信力の故に受け、念力の故に持つ」と言っています。

池田大作は御本尊はモノである等々と様々に嘘を教えたのですから、正宗を首になって当然でしょう。
今日現在は2018年です。日蓮の教えは現代で通用しない部分が多々ありますが、現代でも通用する言葉や宗教性は、そのままに教えるのが仏教ではないでしょうか?

「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」は言葉遊びです。
「弘安2年の大御本尊は参拝しません。」と書けば学会本部の意図を表現した文章になるでしょうか?

信仰の対象にしないのであれば「帰依の対象にはいたしません。と強く書くべき」なのです。
日蓮正宗の仏法僧に帰依するのか、しないのか、という問題です。

私が入信した創価正宗蜜月時代も創価独特の「謗法払い」をさせて邪宗の物は捨てさせたじゃないですか?

罵詈雑言や誹謗中傷、強気の創価学会の名折れでしょう。(笑)
弘安2年の大御本尊の書写した本尊は全て捨てます。焼き払います。こうすれば世界のリーダー池田大作らしく格好いいでしょう。
誰もやったことがありませんから、革新であり革命であり池田大作大統領の大確信だと創価のオバちゃん仏達に讃えられ、讃仏偈が出来るでしょう。すばらしいですね。(棒)

弘安2年の大御本尊は分身散体され創価員の家庭にコピー印刷版が存在しているのですから「受持しません。」では問題があります。
分身散体は經典の言葉です。
コピー本尊の是非を別にして考えると、弘安2年の大御本尊がコピー形式で「書写」されている点を考えても問題があります。

創価などの正宗系教団では大御本尊は日蓮真筆であり、日法が彫刻した本尊と言われています。
一方で大石寺の「大御本尊を受持しません。」
他方で各家庭で大御本尊を書写した有り難みのない「コピー本尊を受持している。」
この矛盾がわかりませんか?

以上
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441.三帰(さんき)と帰依と御本尊

2018年05月02日 01時15分14秒 | 創価学会
●三帰(さんき)とは

 各宗派の勤行要典やその周辺の解説を読むと「三帰」について解説のある宗派が多い点に気がつくと思います。
日蓮宗聖典の一二四七ページにもあります。過去記事435番。

仏法僧の三つに帰依することであり、三帰依ともいいます。
三帰依、三帰は原始経典に辿れる仏教用語です。

この「三帰」が創価などの正宗系教団にないことが大問題だと私は考えています。
入道、檀家、信徒にとっても問題か見劣すると思います。
偽法主と言われる日顕は未だに知らないのではないでしょうか?
日如氏が知っているかは興味深い所です。
日蓮正宗の老僧だけに伝わる別の勤行の可能性を私は否定しません。
日蓮正宗の相伝は一部公開されており手元に資料があるのですが、本の山の下に埋もれていて取り出せたら、もう一度読んでみます。

日顕や池田大作の葬式勤行が今から気になる所です。
大勢の人が来る葬式の報道に期待するしかないですね。

勤行の根拠を示せないであろう創価など正宗系教団の勤行要典は、信徒と坊さんで勤行次第と同じだとか。だとすると、坊さんの勤行は100点中0点と言って差し支えないでしょう。
信者用の勤行要典としても落第点ではないでしょうか?

●帰依と受持

 さて本題です。
仏法僧に帰依することがとても大切な点は仏教では譲れない点です。
但し、勤行次第をどの様に決めるかは各宗派のお坊様が決めることです。

本尊が存在する宗派では本尊についても帰依や供養など僧俗に渡る作法があります。

三帰や帰依について、創価などの正宗系教団の人は新たな疑問が生まれませんでしたか?
私は創価学会の指導に改めて大きな問題を感じました。

本尊は帰依の対象である。
信仰するなら「本尊は帰依します」ということです。

「日顕は天魔だ」という主語と述語しかない文章しかわからない婦人部のオバちゃんでもこれくらいは理解できるでしょう。

すでに日蓮正宗の信者のサイトでは大御本尊に「帰依」し信仰するように書かれたWebサイトが多数あります。

>したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。

原田会長が教義改正した事自体が問題ですが、(大御本尊への)帰依と勤行をセットにして問題視した創価員は少ないと思います。

「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」が言葉遊びや矛盾を含んでいる点が明確です。
「弘安2年の御本尊は帰依の対象にはいたしません。」と書けば良いのに曖昧な言葉を選んだ罪は大きいでしょう。

帰依の対象にしません。とすると問題が大きくなり正宗教義の否定になります。
ホント創価学会はズルいですね。

こうした点からも正宗系教団の勤行には問題点があることが分かります。
見劣りのする勤行次第だったから「御本尊は受持の対象にはいたしません。」が成立したのです。

勤行は子供でも老人でも日々する基本的な行であり、わかりやすさや空の理解や慈悲深さなど「要点」つまり短いエッセンスであることは言うまでもありません。

池田大作とその手下、末端会員が日蓮宗の勤行要典を知っていたら、創価学会独立は出来たでしょうか?
歴史にIFはありませんが、疑問の残る所です。

不真面目で、不勉強、レベルの低い教えや教団からは、それなりの人やそれなりの言葉しか生まれないと私は思いました。

以上

一部文章訂正。

三帰依は三宝(三寶)に帰依すること。
三寶偈、三宝偈、三宝禮、三宝礼、帰三宝偈などとも言う。
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