創価学会の信仰に功徳はあるか?

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「プレジデントの追善供養し当分はプレジデント批判はするな」通達

2023年12月01日 12時29分20秒 | その他
つい先日聞いた話があります。

最近なくなった宗教者を英語版書籍では、何故かプレジデントと記載しています。

その最近なくなったプレジデントに某伝統仏教団体のトップから各末寺に
「プレジデントの追善供養をして、当分の間はプレジデントの批判はするな」(趣意)と通達があったとか。
公式発表されると良いと思います。発表して社会的評価が上がるわけではありませんが、通達は当たり前の内容だと思います。

各末寺への通達はすごく良いことだと思います。某伝統仏教団体は数々の問題を起こしたので私は大嫌いなのですが、この通達だけ切り取るとマトモだと思います。
ポイントは「某伝統仏教団体側から新しい問題を起こすな」だと思われます。某学ぶ会の某伝統仏教団体に対する発言や出版物の内容、信者の発言などを様子見しましょうということかと。

某伝統仏教団体の下側の人々とって比較的良いトップだと思います。

某伝統仏教団体はずっと、某学ぶ会などに「トップに逆らうな」と言っていたので某伝統仏教団体の僧俗の発言にも注目したいところです。

そして大きいのは、33年続いた某伝統仏教団体と某学ぶ会の第二次問題が事実上終了したと思います。
「プレジデントは結果しか見ない」そんな伝統伝説が某学ぶ会にあるのですが、某学ぶ会は結果を残すどころか、口先だけで具体的な行動すら何もなく何も出来ませんでした。
某伝統仏教団体に先手を打たれ、これからも何もできないでしょう。

ストレスしかない某学ぶ会は例によって例のごとくいつも通り会内の弱いものいじめをするんでしょう。
どこかの栄之助くんは土下座強要とかプレジデントに命令された稔くんに頭を叩かれたとか噂がありました。どこかの息子は水ぶっかけられた噂とかも。そんな噂のある学ぶ会ですから改めてお察しします。

某夫人の死後、今後の動向次第で数年後和解があるかもしれません。
物事にはなんでもメリットデメリットがあり、和解したメリットの代わりにデメリットとして謝罪や改善目標が無いまま過去の問題や不祥事、不始末が全くなかったかのような雰囲気になるのかもしれません。

和解したほうがいいに決まってますが、他宗の人々や無宗教者から見ると謝罪や改善目標が無いままだと、某伝統仏教団体や某学ぶ会などの彼らは再度つけあがるかもしれません。また一緒になって在家信者だけが禅天魔、念仏無間、真言亡国と言い邪宗だといい布教するんですかね?
どこの仏教各派にもある程度言えることですが、某伝統仏教団体の坊さんたちや学ぶ会の職員たちは絶対に布教しない、法論なんてしない現実に末端在家信者は気がつくべきです。
コメント
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