創価学会の信仰に功徳はあるか?

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517.('21/11/22)創価学会『日蓮大聖人御書全集 新版』

2021年11月20日 14時09分17秒 | 日蓮系遺文
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(以下、更新未定)
2.創価学会『日蓮大聖人御書全集 新版』(以下、本ブログでは『令和池田版』とする)が来た

酷すぎて何処から突っ込んでいいのやら、というか日蓮正宗『平成新編』の「大きく」下をいくとは思いませんでした。同程度かちょっと出来が悪い程度かと思っていました。

背表紙、中表紙から問題があります。
序文からポエムになってない病的さを感じる文章です。
これは池田大作の文章でなく複数の本部職員が書いたのではないかと私は感じました。

●話がそれますが心理学

【メンタル崩壊】絶対に関わってはいけない人【心理学】 - YouTube

会社の上司に無理な仕事を与えられ鬱病になる人が居ます。
会社の上司であれば実際に仕事をして実績が出来て同僚や上司から認められた人が出世して係長や課長になり命令を出す役職になります。健全な上司でも部下への仕事の与え方や部下の能力不足や同僚次第で部下は鬱病になる場合があります。

創価はどうでしょうか?

池田大作は昔「君たちの未来は洋々と開けている」「君たちの広宣流布拡大は私(池田大作)が全て手を打った」(主旨)といっていました。

歪んだ変な期待や希望、意気がりがあると折伏、新聞啓蒙の失敗や人間関係の喪失でストレスを抱えるか鬱病等、統合失調症を抱えると思います。
特に創価大学では鬱病の人が多いと噂されています。(人数や実状は不明)池田大作を神格化するあまり昔から自己実現につまずき、人生自体失敗すると思います。(21番記事など過去記事を参照)

『令和池田版』の池田の序文を読むと、編さんや校定、監修、それらの各人物選定、出した理由にふれず、日蓮遺文で何処が大事なのか、何故折伏出来るのか書かれていません。
少しだけ良かったのは「悪を倒して願いが叶う。悪を倒してこそ正義。」となかった事だけです。「仏法勝負」と書かれているので序文から間違っています。

池田と学会トップ幹部100人は『令和池田版』で折伏し創価入信動画をYouTubeで一般公開する必要があるでしょう。でも折伏動画公開どころか折伏すら誰もしないでしょう。
創価本部幹部と末端の信者は上司部下ではありませんが、池田の序文で病む人が増えるでしょう。(創価大学関係者とかも)
池田の序文はポエムにもなってない戯れ言か寝言に私は感じました。

私もマインドコントロールされ改ざん本尊や教義変更、イラク戦争に疑問を感じませんでした。馬鹿だったなと思います。ストレスを抱えていても信伏随従(しんぶくずいじゅう)してしまったわけです。

●遺文の評価は?

いきなり結論を書きます。
日蓮正宗の『平成新編』は問題が多いですが、日蓮遺文集であり文芸書ではありません。
日蓮宗の各遺文集は問題が少しありますが、日蓮遺文集であり文芸書ではありません。
『令和池田版』は問題が多く、日蓮遺文を改ざんし文芸書だと考えました。

これは仏教界どころか日蓮正宗にも相手にされず批判すらないかもしれません。

●問題となる項目を箇条書き

☆底本の記載がない!!!!!
底本とは原本のことで翻訳・校訂などを行う際よりどころとする本。
誰も底本と『令和池田版』を比較出来ないので批判から逃げた。

序文、刊行委員会の文章に日蓮宗系遺文集と関係者への明記や感謝がない。日蓮宗だけでなく日蓮正宗にも真筆と写本があり、これらの所蔵寺の情報記載などを避けたと思われる。日蓮系寺院名を全て無視した。
創価には教学力も「祖書学」もないので仕方ないが、偽書はともかく真筆、真筆曽存、写本、形木、真偽未決とは何か?分類と解釈、扱いにはふれるべきだった。「祖書学」については後述。

●もくじ、本文

1.『御書全集』に記載した遺文所在の日蓮宗寺院と大石寺など日蓮正宗寺院名の記述を削除。確実な真筆、真筆曽存、写本の情報を目次や本文に書くべきところを未記載なので、分かりにくい。全部真筆と誤解する人が出そう。
1.本文に5、6〜10カ所ほど問題があるが底本が不明で誰も真偽を確かめられない最悪の状態。
1.遺文名には問題が多い
1.('56)とかありえない。1256年を省略したらしい。常識とは?
1.在家信者向けに分かりやすい御書といいながら、坊さん向けの遺文が真ん中に多くある。御消息が後ろ(調査中)
1.遺文所蔵寺である日蓮宗及び日蓮正宗寺名を削除したにもかかわらず最蓮房や坊さん向けの遺文は記載する矛盾。最蓮房御書はネット創価員や謀略部隊の人にとって実在しないとか偽書とかの扱い。

●凡例

1.凡例が後ろにあるのは滅茶苦茶。ありえない。
1.参考文献はあるが凡例の一番最後。参考文献に版がなく参考文献の出版時期が分からない
1.日蓮宗の遺文集や他宗の辞書などを参考文献とするが本文の底本の明記が無い。
1.凡例の真筆、真筆曽存、写本、形木、真偽未決、偽書など創価独自なのか日蓮宗文献の根拠が未記載。分類記述が分かりにくい。(正宗の平成新編のがまだマシ)

1.刊行委員会は正しくは編さん委員会とすべき。編さんよりも製本などの本作りの事業が大事なのか?

●その他

□議類別の日蓮遺文集だが未調査。

●良い所?

日蓮遺文の漢文を読み下したり簡易な文章にすることは悪い事ではない。大きく改変すれば日蓮遺文とは認められない。
例えば日蓮遺文の現代語訳を出版しても悪い事ではないのは自明。

●大きな問題

1.全集ではない。
1.日蓮遺文ではない。日蓮遺文を小林か誰か不明だが改変し日蓮遺文とした。日蓮遺文を学べない。
1.監修人物が池田大作だけであり他に記名がない。編さん作業、校定した人物名や時期が不明。
1.世間の常識として「監修とは何度も辞典や書籍執筆、編さんした人物」が出来る事である。
例えば、日本語を研究し日本語の言語学に貢献し国語辞典を何度も編さんし、後に何度か辞典監修したのが金田一京助である。
日蓮遺文であれば日蓮遺文の辞典編さんを何度もした人、全国を巡って日蓮墨筆を読んだ人などである。なおかつ日蓮遺文「祖書学」に分類される書籍や論文出版、日蓮遺文の御書編さんを何度もした人がふさわしいのである。私個人の意見でしかないが例えば稲田海素や山川智応など、その周辺者関係者。日蓮遺文の「祖書学」という言葉すら知らない人が池田大作。
1.創価学会の御書講義の本は信仰の本であり日蓮遺文「祖書学」とは別物。該当しない。
(1.堀日亨も日蓮遺文研究家ではなく日蓮でなく日興以後の古文研究家でふさわしくない。)
(1.2015年の『御書全集 第二版』とは何だったのか?4年で無かった事になる。)
1.会長になってから名誉会長となり2015年まで長年の間『御書全集 第二版』に対する池田の立場は監修だったのか?
1.池田大作は日蓮墨筆を読めなかった人。これが監修者?
1.2015年の最近まで『御書全集 第二版』パクリ本を出したのが池田大作。
1.池田大作が日蓮墨筆を読めなかったのと「祖書学」という言葉すら知らない証拠は、池田の若き日に日蓮宗『昭和定本』を盗用剽窃し一九六六〜一九七一(昭和四十一〜四十六)年に日蓮正宗『昭和新定 日蓮大聖人御書』全3巻 創価学会 池田大作として出している。日蓮正宗と創価学会に「祖書学」があるわけがない。正宗と創価は、ふざけんなの話。
昭和、平成の過去にこうした事実を知らず(私を含め)正宗正義だの、創価正義だの意気がった人が沢山出たので、これからも出るだろう。
1.日蓮真筆写真か又は昭和底本の最新版か過去版か不明であり、日蓮宗、日蓮正宗のどの時期の学問的結果をベースにした判断材料等、判断した人間も不明のまま、どの様に原本作成したか不明。(長年の研究でなくあわてて作ったか?)

●年表

1.大御本尊の記述を削除


●全体的な「分からない」又は「分かりにくい」問題は多数ある

1.『令和池田版』である『日蓮大聖人御書全集 新版』と昭和の『新編 日蓮大聖人御書全集』と書名はほぼ同じで混乱しやすい。『議類別 日蓮大聖人御書選集 選者 池田大作 小林正博、他二人改変』などが会員信者に分かりやすい。「一部集」とか『議類別 日蓮大聖人御書 池田大作厳選』とか。
1.遺文の真偽未決の判断や年代特定、昭和二十七年に出版した『御書全集』との差分が分からない。新事実、新発見などに関して書かれてない。阿部日顕は『平成新編』の正誤表を出している。
1.日蓮宗であれば解題提要や『昭和新修』別巻など日蓮遺文解説が一冊本になるくらいのページの厚みがあり、書籍も数多く出ている。『令和池田版』に日蓮遺文解説が最低でも50ページはあると思っていたら全くない。
1.『令和池田版』が後に出たにもかかわらず、日蓮宗の日蓮遺文解説との差分が分からない。学会正義は何処ですか?
1.『令和池田版』が後に出たにもかかわらず、出来の悪い日蓮正宗との差分が分からない。学会正義はあるんですよね?何処ですか?
1.『令和池田版』が後に出たにもかかわらず、出来が悪い。後年に『令和池田版』を編年体にして出すと出来の悪い『平成新編』と比較され差が分かり、もっと出来が悪いのが明瞭に分かると思われるので編年体『令和池田版』は出ない可能性が大きくなった。あるいは大きく変わる?

1.日蓮遺文解説がないのに8000円は高い

1.池田はSGI会長として長年、何してたの?日蓮墨筆読めないのに、数多くの外国語でも沢山読み書き出来て外国語版日蓮遺文でも編さんしてたの?
1.池田は日蓮墨筆読めなかったのに2015年〜2018年頃に突然日蓮墨筆を読める様になったのか?何故、間違いや誤記のある出来の悪い正宗遺文集を批判しないのか?2015年から2021年の間に日如氏や日蓮正宗トップを折伏し大勝利出来たはず。今からやれば?
(創価新報などで平成初期に『平成新編』の誤記などを批判している。)

●まとめ

1.序文、刊行委員会の文、本文、凡例と全てにおいて編集方針がどっちつかずで中途半端である。
1.これでは、創価独自の解釈と正しさは何処にあるか分からないので、出した意味がほとんど無い。

底本がなく酷すぎて遺文名、議類別ぐらいしか調べる事がない。
「分からない」ようにして、批判されることから徹底的に逃げたと言えると思われる。

日蓮墨筆を読めるのは小林さんと他に二人居ると聞いていますが、関わり方が不明のままで学者の方々はこれでいいのか?

'21/11/20に多く追記しましたが書ききれてません。

以上

'21/11/22 修正した
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