HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

商店主よ、立ち上がれ。

2018-10-31 04:58:27 | Weblog
 10月25日付けの東京経済オンラインに、以下の記事が掲載された。「モノが売れない!『吉祥寺』に起きている異変」である。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181025-00244816-toyo-soci&p=4

 地域の問題は当コラムの趣旨からは外れるが、吉祥寺はよく行った街で、個人的には思い出も多い。だから、ぜひ触れてみようと思う。

 吉祥寺という地名を知ったのは高校生の時。クラスメートの中で国際基督教大学や成蹊大学の話をする奴が「ジョウジ」と略すのを聞いてからだ。博多生まれの自分からすれば、艶(格好)つけているのだろうと思った。だが、その後に読んだ森村誠一の「人間の証明」に「ジョウジ(吉祥寺)の喫茶店(サテン)よ…」という一文を見つける。小山田文枝を交通事故で死亡させる郡恭平の恋人、朝枝路子が語るフレーズだ。この時、東京の若者の間では以前から知られた街なんだと、理解できた。

 それでも、郊外というイメージが強かった。京王井の頭線で渋谷から30分はかかる。日帰りの旅行気分を味わいに行くようなものだ。最初に出かけたのは、スカラ座前にあった喫茶「ファンキー」。ジャズ好きの友人に誘われ、お気に入りになった。パルコの開業ですぐ近くに移転し、お洒落なレストランバーに様変わり。こちらにも、友人と連れ立ってわざわざ飲みに行った。

 親父の大学の同級生が隣の三鷹市下連雀に住んでいた。リタイア前の職業はUIP勤務で、映画配給の話を聞きに伺ったことがある。吉祥寺にあったスカラ座について訊ねると、「いい映画館だったのに」と、寂しそうだった。そんな話を懇意にするカメラマンにすると、「俺も昨日は吉祥寺に行ってた」と。それ以降、個展に誘われるようになった。吉祥寺には小さなギャラリーもあり、ふらっと覗くと必ず何かの催しが開かれていた。

 アパレル時代の知り合いと駅のロンロン口で待ち合わせ、「謎のお店がオープンしたよ」と連れて行かれたのが、カルディコーヒーファームだ。今のような見やすく統一されたVMDではなく、半地下、中2階まで伸びるアルミフレームの棚に大量の輸入食材が雑然と並んでいた。店頭でのコーヒーサービスは今と同じだが、フォションの紅茶が格安だった。この時は、そんな店が行きつけになるとは思いもしなかった。

 名前は忘れてしまったが、商店街に落ち着ける喫茶店があった。そこのマスターが「蔵」という居酒屋を紹介してくれた。公園通りの東急百貨店先の路地を入り、一つ目の角を曲がった先にあった。コンクリート打ちっぱなしで、掘ごたつ式のカウンター。飲んでいる時に地震が発生したのは、今も鮮明に憶えている。その後、同じような居酒屋が福岡の大名にも出現した。蔵は今も営業しているので、草分けだったと言える。

 ニューヨークで日本の大学で講師をする人と知り合った。都市文化研究のための旅行中で、博多や吉祥寺の話題でも盛り上がった。武蔵野市の境南町に自宅があり、「日本に戻ったら、遊びにおいで。そこでまた話そう」と言ってくれた。お言葉に甘えて帰国後に自宅まで伺うと、奥さんが地元で穫れた食材で手料理を振る舞ってくれた。この時、武蔵野界隈には専業農家が多いことを知った。

 ざっと思い出しただけでも、いろいろある。というか、ウマが合う人たちとは不思議と吉祥寺でつながった。これも一種の地縁なのだろう。そんな街と疎遠になった2000年代。駅と街を大改造する再開発計画があると、日経MJの記事で知った。

 吉祥寺は門前町かと思っていたが、そうではない。江戸の大火で本郷にあった吉祥寺というお寺の門前町が消失。幕府はそこを大名屋敷として再建するため、住民に対して代替地として武蔵野の御用地を貸与する条件で入植者を募集した。ちょうど玉川上水が整備され始め、移住した住民が五日市街道沿いの地を開墾して作った街と、講師の先生が言ってた。地名は本郷の門前町と同じ名前を使ったとのことだ。

 明治以降は鉄道が発達し、1899年には駅が開業。関東大震災で被災した人が移り住んで人口が増え、商店街も生まれた。再開発の計画は、戦後まもない時期からあったようだが、駅周辺の大地主が寺社ということ、また地元商業者の反対により、ことごとく撤回や変更を余儀なくされたという。これも講師の先生が教えてくれた。

 それが街独特の雰囲気を生み、周囲の高級住宅地や井の頭公園などのロケーションも手伝って、不動産事業者による大規模開発や乱開発を防いだのだろう。だから、服や雑貨の小洒落た店やギャラリーが出店しやすく、庶民的な一杯飲み屋などと共存できる空間が作られたのだ。住んでみたい街のいちばんにあがる理由は、そこにある。


再開発は街を紋切り型に

 ただ、住民が増え来街者も大勢になると、街は膨張して歪みも生じる。駅周辺の狭い道路には自転車や自動車が溢れ、住民の通行の妨げになっていた。郊外に伸びるバス路線は駅へのスムーズなアプローチができず、利用者には不便だった。ロンロンもエコービルも古くなり、新しいテナント誘致が進まなかった。駅を取り巻く環境がいろんな課題に直面し、官民による再開発は止むなしとなったのだ。

 吉祥寺を抱える武蔵野市は、街づくり全体のグランドデザインを立て、JR東日本や京王も駅ビルの大幅なリニューアルに着手した。再開発事業は2009年くらいから始まり、まずは駅自由通路の拡幅、アトレ吉祥寺の整備、京王の駅ビル建設が進み、自治体によって南口の整備、パークロードの歩行者優先、七井橋通りの拡幅と電線の地中化などが行われた。

 その結果、駅を中心にして回遊性が高まり、バスと歩行者が交錯することもなくなった。井の頭公園に続く道路も電柱がなくなり、景観も格段に良くなった。これまでの効果はざっとこんなところだろうか。ただ、東洋経済の記事には街が整備されたことで、ユニクロやヤマダ電機、ドンキホーテといった大型店が次々と進出したとある。

 また、行き場を失った余剰マネーが流れた不動産ファンドが大手資本を牽引しているとも。それらが不動産のオーナーに高額な賃料を約束するのだから、周辺を含めて嫌が上でも家賃は上がる。そのため、サンロード商店街に店を構えていた老舗スーパー「三浦屋」が撤退を余儀なくされた。

 駅の北口にある「ハモニカ横丁」は道幅が1m程度と狭く、防災上の問題は残ったまま。店舗オーナーが高齢でリタイアを機に、第三者に貸し出すケースが増えているが、それぞれの思惑に温度差があり、話はまとまっていない。不動産オーナーにすれば自ら商売をするより、店を誰かに貸して家賃を取った方が得策だと考える。吉祥寺は全国の商店街で見られる課題をそのまま写し出しているとも言える。

 単なる駅周辺の整備計画なら、ふらっと立ち寄れる街の魅力がなくなることはない。しかし、裏で不動産オーナーやデベロッパーが大規模開発を画策しているとすれば、どうだろうか。実際に店舗の賃料は高騰しているので、これから出店してコストを回収するには、高額商品を売るか、薄利多売でいくしかない。となると、業種は限られてしまう。パルコや東急百貨店も、今の消費環境には合わなくなっている。ただ、都心のようなありふれた商業開発になれば、吉祥寺という街の魅力自体が損なわれていくのも確かだ。

 吉祥寺は筆者が生まれ育った博多に似ている。仏閣が多く、庶民的で気取らずコンパクトにまとまっている。だが、周辺の人口増で車社会に移行し、駐車場を持たない中心商店街は地盤沈下する。博多もそうで、商店街は衰退していった。地主でもある商店主たちは組合を作って再開発に同意したものの、事業計画はコンサルタントに一任したため、高級ブランドや百貨店をリーシングする開発計画に堕してしまった。結果として、でき上がったハコ物は開業から苦戦が続き、街の活性化に貢献したとは言い難い。

 それは吉祥寺でも起こりうるかもしれない。商店街がシャッター通りと化すことはないにしても、賃料が高騰すれば個店の商店主が店舗を運営していくのは困難になる。若手経営者の新規出店も進まないだろう。ファンキーや蔵で飲んだのは20年数年前。今までずっと続いているわけだから、また訪れてみたい。再開発はそんなささやかな夢さえ奪ってしまうのか。

 吉祥寺の路線価は2011~12年には50.8万円と横ばいだったが、17年度は62.8万円と、前年度の59.5万円に比べ5.5%も上昇している。それが土地のオーナーに賃料値上げの格好の口実を与えている。だからこそ、商店主たちが「このまま家賃が上がり続けると、ここにしかない質のいい商品を扱えず、こだわりを持った商売ができなくなり、それを求める人が街に来なくなる」と、立ち上がらなければならないと思う。

 吉祥寺を歴史を振り返れば、皮肉にも再開発事業を諦めてきたことで、中心部に多くの個店が残り、街の魅力や賑わいを維持できた。そして、それらと地域の住民、来街者との共生が相乗効果となり、商業地としての牽引力を高め、中小の商店も生き残ることができたのだ。街にいる人と街を訪れる人がつながり、街の魅力から生じるコミュニティに厚みが増していった。それがまた訪れる理由になっていくのだ。

 だからこそ、そうした歴史的背景をもとに、商店主たちが街の魅力を守るために団結しないといけない。自治体は「区画整理などは防災、安全、安心な街づくりの側面から不可欠だ」と理詰めで説いていくだろう。ならば、商店主たちが自主防災組織を立ち上げて、現状のままでも街を守っていける方法を考えればいい。

 地震のような災害はどこでも起きる。だから、大規模再開発が必要だとの論理ではなく、現状の街並でもいかに一人でも多くの人々が助かるか。防災から避難、復興までの青写真も作っていかなければならない。そのためには地域の人々の合意形成が不可欠だし、自主防災のベースをつくるには大学など専門家の知見も必要になる。自治体任せではなく、自分たちで踏み込まなければ、大事な街は守れなくなってしまう。

 それ以上に、これから街をどうしていくかという市政の根幹を打ち出せる政治的なリーダーの登場が待たれる。都心部や立川などとの比較ではなく、独自の我が街観を持てる人間。当然、独自の財源確保は言うまでもない。商店主の中からそうしたリーダーが出現しても良いのではないかと考える。住みたい吉祥寺よ、永遠なれ、だ。
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専門性を再考すべき。

2018-10-24 05:43:06 | Weblog
 サザビーリーグが運営する「la kagu ラカグ」が来年春に業態変更するという。このニュースを見て、「やっぱりな」というのが正直なところだ。服だけではなかなか売れないと言われ始めた15年ほど前。アパレルや小売り各社は雑貨や飲食を併設したライフスタイルストアに舵を切り始めた。ラカグはそんな2014年、サザビーリーグが満を持して出店したものだ。出版社の新潮社が東京・神楽坂に所有する北倉庫を活用し、「昔からあるもの、これからも大切にしたいものに価値を見出す」をコンセプトに、敷地面積約1280㎡、2フロアを贅沢に使って衣・食・住+知を融合させるとの触れ込みだった。

 ライフスタイルストアとしては後発だったため、古くから著名人の自宅や出版社が多い神楽坂を中心に「新しい地域密着」「地域貢献インフラの創造」「作家や作品との新しい関わり方を提案する」と、方向性には力が込もっていた。オープンは10月にも関わらず、7月にはメディアや業界人向けにリリースが配られ、全国的にも注目を集めた。開店直後の取材ルポを読んでも、評価の点ではファッションのサザビーグループと出版界の新潮社が手を組んで路面展開することが、少なからず影響しているように感じた。

 ところが、である。わずか4年半で業態変更を余儀なくされたわけだ。メディアや業界人の評価とは裏腹に、ラカグは衣・食・住に対する成熟したお客のウォンツ、ニーズに対応できなかったことになる。というか、大手セレクトショップの元バイヤーがメゾン マルタンマルジェラやマルニ、アクネ ステュディオスを仕入れようと、メンズ担当が50年代を意識したエンジニアド ガーメンツやブルックス ブラザースを揃えようと、セレクトではオンリーショップに比べ色柄、型、サイズの選択肢は限られている。

 雑貨もバッグやアクセサリーからテーブルウエア、調理器具、タオルやリネンまで、国内外の商品を揃えていたが、どれも1〜2アイテムしかないので、お客はドンピシャなものに出会わない限り、購入には二の足を踏む。家具はスペースが広い分、品揃えに加えられたが、アパレルや雑貨との調和を考えて北欧のヴィンテージに特化。丸椅子の座にミナペルホネンの生地を使ったコラボ商品で、話題性を振りまくのが精一杯だった。

 とどのつまりが、アパレルにしても雑貨にしても、バイヤーの感性とお客の欲しいものは、イコールにはならなかったということである。



 筆者はラカグを2度訪れている。仕事で付き合いのあるイラストレーター(女性)が神楽坂に住んでいることもあり、出店のリリースを目にした時は「カフェで打ち合わせをしようか」と思った。ただ、14年にはイラストの発注機会がなく、翌15年の9月にようやく実現した。オープンから約1年を経過し、開業景気は沈静化したと言え、平日の昼間はお客さんもまばら。この時の印象はショールーム的というか、フラッと覗いてただ見るだけのストアにしか見えなかった。地域密着、地域貢献というスローガンに反し、地元住民が日々の買い物に訪れることはあまりないように感じた。

 その地で暮らすイラストレーターに訊ねても、「オープン直後に何度か覗いたが、商品は購入していない」という。2度目に訪れたのは、昨年10月である。この時は11時の開店に合わせて行ってみた。すでによそ行きの格好をした日本人3名、個人旅行の韓国人カップル、中国人数名が並んでいた。おそらく東京の隠れたスポットを紹介するサイトか何かを見てやって来たのだろうか。彼らも買い物というより、カフェでのブランチが目的だったようだった。

 この時に見た印象では、商品面でアパレルのインポートブランドが幾分セーブされ、国産品が少し増えたように感じた。雑貨は相変わらずの品揃えで、集客力を持つとは言い難かった。全体的には最初に見た印象とそれほど変わらず、依然として地元住民が頻繁に訪れることも、遠隔地からわざわざ買い物に来ることも難しいだろうと思った。新潮社の倉庫にあったという本棚を使ったブックスペースでの企画展が行われていたかどうかは、記憶にない。それほど印象は薄かった。

 結果的には、業態変更を余儀なくされたわけだから、前述の要因を含めて筆者なりの分析は当たらずとも遠からじということになる。

 そもそも、ライフスタイルストア、さらにカルチャーの要素を加味した業態が本当にマーケットから求められていたか、である。 服だけでは集客が厳しくなって来たため、雑貨や飲食を組み合わせることで、来店の動機にできるのではとの「仮説」からスタートしたのではないか。先に「無印良品」という成功例があり、各社ともいつの間にか「試行」を先走ったような気がする。

 感度、テイスト、価格、品揃えについて、アパレルと雑貨、飲食をシンクロさせて、とりあえず開発、出店してみたら、そこそこの集客につながり、メディアの反応も良かった。だから、誰もがそのまま運営を継続したのではないのか。一方、後発のラカグはライフスタイルストアが成熟の域に入りつつあった時期だったため、アパレルも雑貨も飲食も感度や価格の面でアッパーラインを目指したと思う。それに新潮社とのコラボという「箔」が付いたわけだ。開発担当者はこれで「最強になる」と過信したのかもしれない。

 ただ、ラカグのカテゴリーを見ると、アパレルはセレクトに過ぎない。王道であるインポートを中心にバイヤーがチョイスして編集しただけだ。「服だけでは集客が厳しい」と言われた前提がありながら、その理由を検証もせずに服をセレクトしても売れるはずがないのだ。リアル店舗でほしい商品が見つからない成熟したお客からすれば、セレクトショップではすでに服を選ぼうという選択肢は、非常に狭まっているのではないか。

 それはグローバルSPAの台頭で、お客は彼らが企画展開する商品の型、色、サイズ、値ごろな価格帯を目の当たりにし、選択肢の広さに完全に飼いならされてしまっていることもある。大手セレクトショップもこうした傾向をいち早く察知してセレクトは見せ筋にし、型、色、サイズ、値ごろな価格帯を打ち出したオリジナル(PB)を売れ筋にして編集を組み直し、収益を維持している。そんな中で、目が肥えたお客からすれば、ラカグに国内外の著名ブランドが並ぼうが、自分の感性や懐具合(予算)に合わせた時、逆に「選り抜けなかった」のではないかと思う。

 これは雑貨にも言えることだ。ラカグに置いてあったテーブルウエアや調理器具は非常に品数が少ない。筆者が2度目に訪れた昨年秋は、スプーンは1種類しかなかった。カトラリーにしても、日本箸にしても1〜2点程度。リビング関連にしてもどこかのショップで見たことがあるものが並んでいるだけ。これでは地域住民ですら衝動買いもしないだろう。逆に目的買いのお客からずれば、選択肢がないので物足りない。あのくらいの品揃えでは、わざわざ買い物に行く動機にはならないと思う。

 感度や品揃えでは丸ビルの「コンランショップ」、六本木の「リビングモチーフ」が上だし、テーブルウエアや調理器具では合羽橋の「飯田」、日本箸では同「はしとう」、器では同「小松屋」等々、リビング&キッチン関連でも自由ヶ丘の「タイムレスコンフォート」なら国内外の商品ではピンキリが揃う。そちらの方が幅広い品揃えの中から使い易いもの探し出せるし、一歩上のお洒落な生活が実現できると断言する。

 つまり、ラカグは感度、テイスト、価格、品揃えというMDの基本を押さえても、「奥行き」がないから、新しい地域密着と言ったところで、地域住民の真のウォンツ、ニーズを掘り起こせない。せっかくの地域インフラが来店や購買の動機に結びつけられず、ビジネスとして孵化できなかったわけだ。店舗展開を考える上では、品揃えに奥行きのないカテゴリーを組み合わせても、集客にも売上げにも貢献しないという証左である。

 もう一度、業態としての「専門性」や品揃えの「奥行き」について、じっくり考え直すべきではないか。でなければ、Amazonなどのネット通販には対抗できない。品揃えの線引きは容易ではないが、そこまで踏み込まないとお客のニーズはくみ取れないと思う。

 消費者のライフスタイル変化を見れば、雑貨を意識しなければならないのは理解できる。だからこそ、業態を開発、展開するなら、専門店に舵をきるべきではないかと思う。感度や質感では劣るが、HCのカインズが開発し、名古屋を中心に2店舗を展開する「スタイルファクトリー」のような業態の方が品揃えが充実している分、集客できるだろうし、新しい雑貨市場を開拓できるはずである。

 むしろ、神楽坂という立地を生かすなら、正面切って新しい業態を開発するより、路地裏にある隠れ処的なレストランで十分だろう。その方が食通の作家先生が行ってそうなイメージも湧く。他はせいぜい和雑貨の店か、手作り惣菜のお店くらいがいいところだ。出版社のインフラを生かすなら、時間を気にせずじっくり読書にふけることができる蔵書カフェの方がいいのではないか。

 神楽坂は交通アクセスが良いとは言い難い。地下鉄を利用する都民が荻窪や門前仲町から行くなら東西線で一本で行けるが、普段に有楽町線を利用する人々が池袋や銀座から行くには飯田橋、半蔵門線を利用する人々が渋谷や押上から行くには九段下で乗り換えなければならない。目的買いや観光ならそれでも良いが、買いたいものはなければ都民すら足を運ぶことはない。吉祥寺や下北沢とは違うのだ。

 神楽坂に住むイラストレーターですら、ラカグがオープンする以前の打ち合わせは、こちらが出向く不便さや場所を考えたのか、飯田橋のドトールやプロントにしてくれていた。先日の東京出張でも仕事を発注したが、今度は向こうから万世橋の「エキュート」を指定してくれた。 筆者に忖度したわけでもないだろうが、神田川沿いのカフェの方が落ち着けるのかもしれない。

 服と雑貨と飲食、それに 図書(文化)を加味すれば、成功の方程式になる。かのごとく開発された業態は、あらゆる専門店がひしめき合う東京ではすでに限界のようである。ラカグは来春には「アコメヤトウキョウ・イン・ラカグ」へ業態変更される。お米がコンセプトの食のライフスタイルショップだそうだが、ブランド米の販売も、和食器、日本箸やふきんのラインナップも、おにぎりを主体にした飲食も、それぞれにかなり専門性を出していかないと、地元はもちろん、観光客を集めるのは難しいのかもしれない。
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無形の価値をどう見る。

2018-10-17 04:50:16 | Weblog
 東京出張していた10月5日、TSIホールディングスが上野商会の株式を79%取得し、子会社するというニュースを目にした。偶然だが、翌日の6日は完全オフだったので、上野商会が運営する渋谷のSchottを訪れる予定にしていた。と言っても、ワンスターのライダースジャケットやボア付きのパーカーに関心があるわけではない。店舗に併設されるレザーの修理・お直し工房の「Re sew」が目的だった。

 レザーアイテムの修理を手がけるところは全国にもいろいろあるが、地方ではバッグや靴の修理、ファスナーの付け替えを行う程度に過ぎない。上野商会は米国輸入の高級レザージャケットを扱ってきており、Schottのようなブランドに愛着をもって末永く着てもらう上で、リフォームやメンテナンスまで手がけてきた。だから、上京の折りには工房を訪れてみて、どこまでやってくれるのかを聞いてみたかったのである。



 店舗は渋谷駅前のスクランブル交差点を渡り、かつてのファイヤー通りを代々木体育館方面に進み、ハローワーク渋谷を左折して2つ目の角を曲がったところにある。ストリートブームもすっかり沈静化したせいか、渋谷でも神南辺りまで来ると閑静な佇まいだ。ワンルームマンションの1階にSchott渋谷店があり、店舗奥が工房になっている。修理やリフォームのみのお客への気配りか、脇の路地からは直接入ることもできる。

 スタッフに話を聞くと、「上野商会の各店が販売した商品のみならず、他のレザーアイテムについても修理、リメイクを受け付けてますよ」とのこと。職人でもあるスタッフが常駐し、アイテムに合わせて元通りにするケース、あえて革を代えて個性を出すケースなど、柔軟に対応。こちらで革や付属品を用意しても良いし、Re sewが手持ちの革を利用することもできる。Re sewに100%お任せなら、材料費込みのリフォーム料になるので割安だ。こちらからケースバイケースで意向を伝えれば、いろんなアドバイスをくれるので、安心して任せようという気持ちになる。

 上野商会は当初、米国規格のレザーウエアを輸入販売していただけに、身幅や袖丈などが日本人のサイズには合わなかったはずだ。そうしたものを丁寧にお直しし、顧客にジャストフィットで着てもらうようにしてきたことで、修理のみならずリフォームのノウハウを蓄積していったのだと思う。そこには米国由来のアイテムを蘊蓄こいて販売するだけでなく、良いものだからできる限り長く着てほしいという精神を感じる。

 ところで、TSIホールディングスが今回の買収で注目したのは、SchottやAVIREXなど上野商会が扱うブランドやそれらの独占販売権だと思う。海外ブランドは、どの企業でも簡単に仕入れられるわけではない。ミニマムロットやエクスクルーシブがあり、それをクリアできたにしても地道に販売して、ファン客を獲得し売上げを積むことが求められる。それほど儲かるわけではないにも関わらず、そうした姿勢を愚直に貫いて来たことがブランド本家の信頼を生み、独占販売権の取得やマスターライセンス契約の締結にいたったのである。

 一方、TSIホールディングス傘下のサンエーインターナショナルは、ナチュラルビューティーやピンキー&ダイアン、ボディドレッシング、エービーエックスなど自社開発のSPAブランドを軸に成長してきた。しかし、マーケットを深堀り攻略するために、OEMまで駆使した多ブランド化がかえって似たり寄ったりのテイストを生み、同質化競合やカニバリゼーションを起こしてしまったのだ。

 2011年、サンエーインターナショナルは、百貨店系アパレルの東京スタイルと経営統合し、TSIホールディングスを設立した。持ち株会社は聖域なき構造改革を推し進め、61ブランドを3年間で42ブランドに減らした。これにより、15年2月期で統合来、初の営業黒字を達成した。だが、収益改善には一層のリストラが必要と、同年8月にはプラネットブルージャパンとインプレスラインの2社を解散したほか、レベッカミンコフ、ボディドレッシングなど傘下の9ブランドを廃止している。

 現在、サンエーインターナショナルが抱えるのは、アドーア、ヒューマンウーマン、アッシュ・スタンダード、ジルスチュアートの4ブランド。かつての基幹ブランドだったナチュラルビューティー、ピンキー&ダイアン、ボッシュは東京スタイルが承継。カジュアルラインのアンド・ピンキーアンドダイアン、ジル・バイ・ジル・スチュアート、エヌ・ナチュラルビューティ・ベーシックなどは子会社のサンエー・ビーディーへ移管されている。

 ただ、サンエーインターナショナルも東京スタイルも、駅ビルやSC、百貨店に展開するSPAに変わらず、各ブランドとも強力な個性を発揮できているとは言い難い。しかも百貨店に展開するブランドは店舗の閉鎖で売場を失うという憂き目にあっている。業界環境を考えると、一つの既存ブランドを100億円規模にすることも、新規ブランドを開発育成していくことも、そう簡単には行かない。ならば、自社にないテイストのブランドをもつ企業を丸ごと買収した方が手っ取り早いのである。

 上野商会が扱うSchottやAVIREX、他は、メンズの顧客が圧倒的に多い。サンエーインターナショナルは今では、東京スタイルは元から、メンズブランドを持たないので補完できるわけだ。特にレザーやミリタリーに関心が強いのはオヤジ世代で、コアな顧客ともなればヤングレディスのように目移りはしない。

 また、ビーセカンドやビーバーといったストリートやアウトドアの商品をセレクトする業態はヤングを捕捉しているため、エージアップでSchottやAVIREXにスライドさせる戦略を取れば、メンズ市場をがっちり押さえることができると、TSIホールディングスが踏んだとしても不思議ではない。



 SchottやAVIREXではレディスについて、日本アレンジの外し崩しの着こなし提案でファン客を獲得しようとしている。このスタイリングではインナーやボトムで、サンエーインターナショナルや東京スタイルのアイテムを組み合わせる提案もできなくはない。三社が扱うブランドやアイテムを上手く組み合わせて編集できれば、新しいセレクト業態の開発にも弾みがつくかもしれない。

 東京出張でも感じたが、駅ビルや百貨店に出店するレディスブランドは、どこも売れ筋狙いのテイストで、今年のトレンドを打ち出し切れてないように感じた。ヤングではトラッド回帰があるようだが、それほど提案しているブランドは見当たらない。まあ、グレンチェックが流行れば、ダブルのジャケットやワイドパンツにも広がっていくと思うが、果たしてどうだろうか。

 もう爆発的なヒットアイテムは生まれないだろうから、TSIホールディングスとしてはM&Aで企業規模を拡大させる手法を選択したということだ。三社がもつブランドや商品力を融合させ、業態開発にも期待できるというのは、あくまで今回のM&Aを前向きにとらえた考え方である。だが、M&Aにはデメリットもある。

 アメカジテイストの商品を輸入販売してきた上野商会。レディスのカジュアルからタウン、オフィシャルまでを自社開発で成長してきたサンエーインターナショナルと東京スタイル。商品に関する考え方や業態のとらえ方は全く異なる。おそらく企業文化も相当に違うはずだ。いくら持ち株会社のTSIホールディングスがコントロールするとは言え、一社対二社の溝が解消されなければ、思ったほどのシナジー効果は生まれないのではないか。

 上野商会のスタッフからすれば、今まで自由に仕事ができていたとしても、これからはTSIホールディングスの指導・監督のもとに経営陣すらクビのすげ替えがあることも考えられる。それによって結果的に派閥が生まれ、社内がぎくしゃくして、優秀なスタッフが退職していくかもしれない。もし仮に簿外債務が発覚したりすれば、なおさらTSIホールディングスが利することになる。

 そして、TSIホールディングスには上野商会の「のれんの減損処理」という会計処理上のリスクがつきまとう。のれんの本質は、上野商会が将来にわたり利益を稼ぐ力をTSIホールディングスが評価したものだ。上野商会の収益力が低下したと判断されれば、減損処理しなければならなくなるが、そうならないためには一にも二にもTSIホールディングスの経営の舵取りにかかっている。

 今回の買収金額は150億円と言われている。おそらくSchottやAVIREXに関する独占販売権やマスターライセンス契約がそうした価値を生んだのだと思う。当然、修理やリフォームを手がけるRe sewがバランスシートの上で、あまり収益が上がっていないとなれば、閉鎖の対象にもなりかねない。しかし、Schottの顧客を繋ぎ留められるのは、Re sewのようなサービス部門があるからだ。そうした事業価値はバランスシートの数字には表れにくい無形の資産と見ることもできる。

 毎度のことながら、 今回のM&Aについても業界では賛否が渦巻いている。「銀行筋の情報だけで(M&Aに)動いた」「ブランドや業堤の戦略をよく検証したのか」「単に自社にないテイストを補完したいだけ」等々。ケチを付ければ、きりがない。もし、どれか一つでも当たっているとすれば、M&Aが妥当なものではなかったということになる。ともあれ、筆者は閉塞感が漂う業界だけに、今回のM&Aは新しい突破口を見出していくようなポジティブな戦略としてとらえたい。

 もちろん、Re sewのような縁の下の力持ちをビジネスとして評価し、さらに事業価値を高めていくような経営観をTSIホールディングスにも期待したい。
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公園整備のあだ花。

2018-10-10 06:38:54 | Weblog
 先月9月20日、筆者の事務所からほど近い福岡城趾内の舞鶴公園に、バーベキューやカフェを楽しめるアウトドアパーク「グリーンマジック舞鶴」(面積2500㎡)がオープンした。運営は飲食サービスや公園施設のコンサルティングを手がける「パーレイ」(東京)で、空間プロデュースやプロダクトはビームスのライセンス事業ブランド「ビームスデザイン」が監修している。(http://green-magic-maizuru.jp/)

 今月20日にはシャワーやロッカーがあるランニングステーション「マジックランステーション」、子ども向けの書籍や雑誌を置く図書館「グリーンライブラリー」がオープンする。飲食業態は話題性もあってオープン直後には行列ができるが、半年後も人気をつなぎ止められるのはごくわずかだ。そこで、ここの立地や環境を誰よりも良く知る人間として、先行出店している業態の状況を挙げながら、問題点を考えてみたい。

 筆者は博多生まれの博多育ちで、福岡城趾と舞鶴公園、隣の大濠公園は子どもの頃から春はお花見、夏はナイター観戦、秋は紅葉見物やボート漕ぎ、冬はマラソン大会と、四季を通して親しんで来た。その後、福岡を離れていた時期もあったが、ニューヨークから戻り事務所を中心部天神の隣町「大名」に構えたのは、子どもの頃から知る環境がトレーニングには絶好のロケーションと思ったからだ。

 ニューヨーク時代にはセントラルパークでのランニングやフィットネスを楽しんだが、福岡城趾は事務所から軽いジョギングですぐだし、適度な起伏があるのでクロスカントリー風のコースにもなる。その先の大濠公園は、言わずと知れた市民ランナーの聖地で、時間を見つけては走っている。この界隈での生活も20数年になるが、おかげでいたって健康的な生活をおくれている。ニューヨーク・マンハッタンと同様に生活コストがかかっても、都心でのウェルネスなライフスタイルには代え難いのだ。



 福岡県や福岡市は5年ほど前に「福岡セントラルパーク構想」を決定しており、舞鶴公園と大濠公園との一体的な活用を図り、県民・市民の憩いの場、また歴史や芸術文化、観光の発信拠点として、公園自体が広大なミュージアム空間となるよう整備を進めている。グリーンマジック舞鶴も、この先駆的事業として都市型ライフスタイルの創出、交流の場づくり、防災拠点としての機能整備の三つのテーマで誘致されたようである。

 先駆的とは言っても、民間事業者への委託はこれが初めてではない。2014年、舞鶴公園西広場の南側にあった福岡市立舞鶴中学校が移転したため、福岡市はその校舎の一部(面積約330㎡)を活用して観光情報の発信拠点「三の丸スクエア」を整備。併せて観光客向けにお土産の販売、喫茶や軽い食事が提供できるようにテナントを公募した。

 市の要請に対して応募したのは、県内外の19社。企画コンペの結果、博多の老舗菓子舖J社の「甘味処」(土産コーナー含め面積約165㎡)に決定した。J社は既存店の一部でもお茶とお菓子、うどんやそば、カレーライス(各500円)といった軽食を提供しており、その点が決め手になったようだ。高島宗一郎福岡市長はJ社のM社長に対し、「企画内容が良かったからです」と煽てたそうだが、同年11月にオープンすると、平均日販は1万円程度。毎月100万円もの赤字が続き、半年で初期投資とは別に500万円以上も費やすはめになったという。
 
 M社長によると、コンペに際して担当の中園政直副市長は、「駐車場を整備して、観光客をどんどん連れて来る」と、息巻いたという。確かに2015年8月には駐車場が整備されている。ただ、駐車料金は普通車が最大24時間で500円と天神の民間駐車場に比べ格安なため、主に県内外からの買い物客が利用し、福岡城趾までは回遊しないのだ。また、観光バスも待機場所として利用するだけで、肝心の外国人観光客は天神でのショッピングの序でに福岡城趾や大濠公園を散策する程度。これではとても集客というレベルではない。



 M社長は「当初の(市の)約束とは全く違ったからね。行政訴訟でも起こそうかと考えたよ」と、冗談まじりに話すが、もちろん赤字を埋めるべく腐心している。お茶とお菓子は既存店で提供済みなので新たなコストはかからない。軽食も端から原価を100円程度に設定していた。他に削れるのは水光費と人件費で、あとは市との家賃交渉しかなかった。そこで営業時間(10時〜17時)のうち、喫茶を10時から16時、軽食を11時から14時にして短縮して経費を削減。家賃も再契約して、毎月の赤字幅を50万円カットしたという。それでも依然として苦戦していることに変わりない。


福岡城趾に人の手は馴染まない

 県や市が規制緩和に乗じて福岡城趾の環境とインフラを利用し、観光需要やライフスタイルの創出を図るのは理解できないでもない。それでなくても、福岡市は支店経済に支えられているわけで、新たな産業を創り出し、稼げる街にしていくのは当然だ。それにしても、相変わらず自治体が考える収益事業は見通しが甘い。だが、民間事業者の苦戦は福岡城趾のポテンシャル、さらにロケーションも関係する。
 



 福岡城趾は北側の明治通り、南側の国体道路に挟まれ、城内道路(福岡国際マラソンのテレビ中継でスタート直後とゴール直前の坂道)で、東西に分断されている。天神寄りの東側には裁判所跡地(地方、高等、家庭、簡易の各所は六本松に移転)、平和台陸上競技場、テニスコートなどがあり、他は鴻臚館跡(西鉄、太平洋クラブ、クラウンライターライオンズ、福岡ダイエーホークスの本拠地、旧平和台球場跡地)、各御門、天守台、南丸、櫓など史跡、石碑くらいだ。観光のシンボルにもなる「大天守」が現存するわけではなく、お堀と石垣、植栽に囲まれる散策、憩いの場に過ぎない。

 西側で史跡と呼べるのは大河ドラマにも登場した黒田如水の隠居地、名島門、潮見櫓くらいで、あとは三の丸スクエア、舞鶴公園西広場、城内の住宅地、三の丸駐車場になる。東側から大濠公園に向かう観光客は、平和台陸上競技場前の横断歩道を西側に渡り、名島門をくぐって真っすぐ歩く。三の丸スクエアはこのメーン動線から死角になっており、わかりづらいのだ。むしろ城の構造や歴史的な造作物がこうした環境を創り出しており、現代人の手を入れて新たに整備・開発することには馴染まないのである。

 「のぼりを立てて、何とか観光客に気づいてもらえるように努力している。でも、 1年を通して集客が多いのは、桜まつりの時だけで、他の月はかなり厳しい。店舗責任者は『今日の日販は昨年対比200%でした』と報告して来るが、それは1万円が2万円にアップした程度」と、M社長は苦笑する。

 毎年3月に開催される「福岡城桜まつり」では、露天商の出店や指定業者によるバーベキューがあるが、花見客は酒や弁当を持参する。祭りは桜の開花に左右されてスケジュールが流動的で、イベントとしては不安定だ。また、大濠公園には指定管理者になっている「ボートハウス」、「スターバックスコーヒー」が出店するだけ。市民の利用は平和台陸上競技場での練習や大会、テニス、ランニングやウォーキング、花見や散策になる。

 外国人旅行客、特に若者のバックパッカーの間では、天神の商業施設や大名のファッションエリアを見て回った後、福岡城趾や大濠公園を観光するいくつかのコースが定着している。一つは天神西通りを抜けて、大名から大正通りを渡り、西友系スーパーのサニーとハローワークの間を通り、裁判所の裏手にある緩やかな坂道を上がるコース。もう一つは天神西通りを南下して右折し、国体道路、けやき通りを歩いて警固中学校の横や護国神社前前、美術館前から、福岡城趾に向かうコースである。

 メーン道路の途中にはコンビニがいくつもあるし、夜になれば中心部まで戻って今泉や警固、大名のレストランや居酒屋を利用するケースが圧倒的に多い。つまり、福岡城趾一帯は恒常的にカネが落ちるようなロケーションではないのである。

 ましてJ社の甘味所が売上げ不振であることを考えれば、民間事業者が出店しても採算ベースに乗せるのは容易ではないことがわかる。そこでこうした反省を踏まえ、また公園内という制約から、福岡市は大がかりな設備投資を必要とせず、常設ではないグリーンマジック舞鶴の誘致に行きついたとも考えられる。運営会社のパーレイとの契約は3年で、施設の開設は毎年3月から10月までの期間限定という。

 バーベキュー施設は、テーブルとソファの両タイプで合計31サイト(定員234人)、カフェは30人定員のソファ席。見るからに仮設のような設備で、カフェの厨房を兼ねるのも移動が自由なキッチンカー。これならJ社の甘味処よりもローコストで運営できるはずだ。問題は利用率で、8カ月間に予約客を中心にどれほど集客できるかである。

 利用料はバーベキューが場所・機材貸しのみ(4名利用)で、テーブルサイト:1人2,000円、ソファサイト:1人3,000円(共に小学生以下無料、税別)、食材提供ではアメリカンバーベキュー食材:1人2,000円(税別)、ドリンク飲み放題:1人2,000円(税別)で、場所代は別途人数分必要になる。手ぶらで行けば、最低でも1人あたり6,000円かかる計算になる。


 もっとも、郊外にはバーベキューを楽しめる環境はいくらもあるのだから、メーンの利用客は周辺の会社員や若者のグループ、スポーツ愛好家などだろうか。都心部の施設のため、平日の利用は限定的だろうし、野外だから梅雨や台風の影響も受けやすい。8カ月間の開設でも週末、天候の影響が少ない時季などを条件とすれば、稼働するのは賞味半分程度だろうか。それでもすべてのサイト、座席がすべて埋まるのは厳しいのではないか。来場者数の年間目標2万人が皮算用で終わらなければいいが。



 出店場所は舞鶴公園西広場の南側の芝生が広がる一帯だ。従来は家族連れが散歩に訪れたり、市民が軽いスポーツやダンスなどで汗を流すエリアだった。もちろん、花見のシーズンには場所取りの争奪戦が繰り広げられるスポットでもある。そこが民間事業者に開放される分、市民が散歩や余暇を楽しめるスペースが減ってしまうことになる。花見客から市に対し、クレームが来ないとも限らない。


市民にビームスDの価値がわかるか

 一方、ランニングステーションは、 ロッカー30個とシャワールーム3室を備える予定という。ただ、2010年5月、神奈川のビーチタウンとJTBが共同でプロデュースした「way大濠アウトドアフィットネスクラブ」が大濠公園のすぐそばにオープンした。こちらはインドア施設でランナーズシャワー7基、ロッカー88個、シューズロッカー48個の他にフィットネス&ヨガスタジオ、ラウンジまで備えたものの、2年後にはビーチタウンがコンサルティング契約を解除し、JTBも手を引いている。

 現在は「単独で運営されているかも」との話だが、市民ランナーからの評判は聞こえてこない。というか、福岡にはランニングステーションを利用する文化はないとも言える。舞鶴&大濠公園をスポーツ利用する市民や学生のほとんどがウエアに着替えてやってくる。もちろん、筆者もそうだ。トレーニングが終われば、そのまま自宅や学校に戻るので、ランニングで施設を利用する意味はあまりない。

 東京の大手町や竹橋周辺で働くビジネスマンに見られるようにウエアやシューズを持って通勤したり、会社にキープして退社後に都心部でランニングやフィットネスをして、シャワーを浴びて帰宅するような習慣は、福岡の都心部ではあり得ない。これは郊外や他県にある自宅と東京都心部のオフィスが離れている首都圏特有のスタイルではないかと思う。もちろん、鹿屋アスリート食堂の利用も然りである。

 福岡城趾の裏手にある中央体育館には公共のスポーツジムがあり、こちらにはロッカーやシャワー室が完備されている。利用料金は2時間で大人は260円、65歳以上の高齢者は半額だ。都心部にあってアクセスが良く、駐車場も完備するが、近隣住民が仕事が休みの日に利用するケースが圧倒的に多い。筆者もよく利用している。だから、ランニングステーションの利用も、限定的ではないかと思う。

 子ども向けの図書館にしても、中央体育館隣の中央市民センターに図書館があり、児童書も豊富だ。畳敷きのコーナーがあって子どもたちは寝転がって本を読むことができる。もちろん、屋内だから季節や気候に関係なく読書を楽しめる。

 さらに災害時の防災拠点にしても、福岡城趾は北にある舞鶴地区や大手門地区、東側の大名地区はオフィス街で、職住隣接の利点を生かし、タワーマンションなども増えている。南側は赤坂地区、警固地区、六本松地区で古くからの住宅やマンションが林立する。そのため、いざ災害が発生すると、わずか約300人の3日間分の食料備蓄では瞬時に底をついてしまう。そもそも、石垣づくりの城趾が防災拠点になるのかどうか。熊本城の例を見れば、火を見るより明らかである。



 今回、ビームスデザインが監修にあたっており、グリーンマジックオリジナルの防災リュック、Tシャツ、パーカ、コップなどを販売するほか、施設スタッフのユニフォームを制作している。純粋にブランドデザインとして考えれば、そちらの方がニーズはあるかもしれない。ただ、これもビームスを知るファンや業界人が注目するだけで、バーベキューやスポーツの利用客がどこまで認知しているかはわからない。一般市民、特にスポーツ愛好家にはほとんどリンクしないと思う。

 アウトドアビジネスは、とにかく自然災害や天候に左右される。先々週末の台風24号は日本列島を縦断し、先週末には25号が山陰から北陸沖の日本海を北寄りに進んだ。福岡市では大きな被害は出ていないが、人手にはかなりの影響があったようである。グリーンマジック舞鶴はオープン直後の書き入れ時に売上げを失うことになったわけだ。筆者は先週の東京出張ではそれほど天候の影響は受けず、仕事のスケジュールをこなすことができ、帰りの飛行機も無事に飛んでくれた。しかし、屋外でのビジネスはそう簡単にはいかない。常に天候や災害のリスクと向き合わないといけないのである。

 福岡城趾は都心にありながら四季折々の草木に囲まれる市民公園である。そこでは今の環境を大事にし、市民が散策やスポーツを楽しむことが優先されるべきだ。規制緩和で無理に人の手を加えビジネスの孵化機にするのは、あまり意味をなさないと思う。まして、珍しくもないバーベキューが都市型ライフスタイルの創出になることはあり得ない。外食事業者の単純な発想やファッションブランドによる仕掛けもどうかと思うが、相も変わらずそんな事業を選定した福岡市の愚策ぶりには閉口する。公園整備のあだ花と言われないとも限らない。
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紐付きでいいこと。

2018-10-03 04:29:43 | Weblog
 レザーが似合う季節になった。と言っても、今回は小物の話である。アイテムはベルト、長財布、二つ折りウォレット、キーホルダー、マネークリップなどだ。スマホ用のケースやポーチも登場している。

 最近は国産回帰の流れから、栃木産地の革を利用して職人が作るなど、手作りの良さを打ち出しブランド化する動きもある。一方、他ジャンルのデザイン思想をインスパイアしたものもローンチ。スポーツカーや高速列車のデザイナーが革小物を創ると、こんなにもエアロダイナミズムになると言わんばかりだ。

 ところで、革小物はとかくブランドや材質が注目されるが、財布やウォレットには現金やカードを入れるし、キーホルダーには鍵を付ける。それらは日々の生活に必要なものだから、盗難や紛失は避けなければならない。そこで使い勝手の良さや防犯対策も条件になる。生活のすべてをスマホ管理にしていると、落とした弾みで故障すると、自宅に入ることもホテルに泊まることもできなくなる。だから、お財布スマホでは防犯のみならず、落下や衝撃への対策も欠かせないのだ。

 振り返ると、初めてジップ付きのウォレットを持った時、ジャケットの内ポケットに入れたものを脱いだ間に落としたことがある。ポケットのボタンを留めるのを忘れていたのだ。幸い、電車高架の草むら近くで、すぐ後を通った電力会社のサラリーマンが拾ってくれ、最寄りの交番に届けてくれた。行きつけのバプレストランに寄った帰りで、現金はさほど入ってなかったが、会社のID、免許証、クレジットカードを紛失すれば、たいへんなことになるところだった。

 以来、落とさないで済む財布を探した。そんな時、たまたま出かけた池袋パルコで見つけたのが吉田カバンが製造する「LUGGAGE LABEL」のウォレットだった。マット系のファブリック製でカードがたくさん入り、ロウ引きの丈夫な紐が付いていた。バネ付きの留め具で紐の長さが調整でき、首にかけたり、ベルト通しにつなげておけば、落とさなくて済む。パラシュート素材のPORTERは好きになれなかったが、このウォレットはテカテカ光らないので気に入った。

 ちょうど、この頃からニューヨークを頻繁に訪れ、長期滞在する年もあった。マンハッタンではひったくりが横行しているので、日本大使館から「バッグや財布を盗られないように注意してほしい」とのお達しがあった。当時、地下鉄には「トークン」を買わないと乗れず、ブースで財布を出すときが要注意だった。横からひょいっと持って行かれることが無きにしも有らずだったからだ。

 その後も、このウォレットは古くなる度に同じ物に買い替えてきた。初めて買った時から20数年が経つが、ついに数年前に生産中止となったと、天神地下街の「KURACHIKA」で知らされた。ほぼ同じ形状、機能をもつものをPORTERが引き継いで発売していた。こちらは紐や留め具は付いておらず、価格は1000円ほどアップしていたが、機能と素材がほぼ同じなので即決した。

 同じ綿の紐は資材メーカーからひと巻きを購入しなければならないので、ABCマートにあったシューレースをカットして代用した。ロックは以前のものが使えるし、ユザワヤや東急ハンズには他のデザインも販売されている。じゃあ、革のウォレットが全く必要ないかと言えば、そんなことはない。冠婚葬祭などでスーツを着る時には、さすがにファブリックで紐付きの財布とは行かないからだ。

 また、最近のカジュアルなジャケットはコストダウンからか、それとも膨れて見えないようにするためか、始めから内ポケットが無いものも少なくない。そんな時はウォレットをブリーフケースやショルダーバッグに入れないと仕方ないので、レザーだろうとファブリックだろうと紐付きが重宝する。

 ZOZOTOWNを見ると、Dカンがついて紐が付けられる革のウォレットが並んでいるが、どれもデザインが今イチだ。そこで以前に購入していたジップウォレットに、自分でDカンを取り付け、革のストラップをつなげようと考えた。余った革を紐状にカットしてDカンを通し、ロウ引きの糸で縫い合わせる。それを財布に取り付けるのだが、いちばん楽な方法はカシメで固定すること。次が糸で縫い付ける方法である。

 しかし、どうしても財布に加工の後が残ってしまう。そこで財布にキズを付けずにDカンを取り付け、革紐のストラップをつないでも抜けない方法を何とか考え出した。



 ストラップ用の革紐は東急ハンズでイタリアンレザーの紐(1m 600円)を調達し、裏とコバにトコフィニッシュを塗って仕上げ加工した。Dカンとつなぐカン、紐の輪っかを通す金属パーツはユザワヤで見つけたナスカン(238円)、紐の固定には東急ハンズで購入したツメ付け留め金具(4個120円)を使用した。 紐がナスカンと接する部分のみ、手持ちの別革を内張りして補強。紐の末端はニッケル製のバネ付き「二つ穴留め具」(1個240円)で始末し、革のストラップを作り上げた。

 これなら、PORTERのウォレット同様に首にかけることもできるし、ベルト通しに付けても十分内ポケットに入る。バッグのストラップに紐を付ければ取り出しやすいし、盗難防止にもなる。スーツやきちんとしたジャケットスタイルには革のウォレットの方が似合うから、どうしても持ちたくなる。さすがにPORTERのひも付きでは、TPOもあったもんじゃない。こ洒落たレストランやシティホテルでもチェックを済ませる時も、さっと財布をストラップから外せば、スマートに支払いができる。

 ZOZOTOWNがオーダースーツに参入したことで、メディアでは注目の的になっている。ただ、ほとんどのオーダーがお客の体型に合ったものを作り上げると言うばかりで、ビジネス向けの機能を施した仕様はない。昭和の高度成長期以前はスーツと言えば、ほとんどが「誂え」だった。ビジネス紳士は懐中時計をベストのポケットに入れ、チェーンやストラップの端を輪っかにしてボタンに留めたり、棒を付けてボタンホールに指したりしていた。小粋なお洒落と同時に貴重な時計を落とさない工夫がなされていたのである。



 ウォレットはともかく、スマホは手から滑り落ちても地面に落下しなければいいのだ。その点、スマホはポシェットに入れて、首から下げ内ポケットに隠すこともできるが、ウォレットはストラップを付けてベルトやベルト通しに付けると、ニットを着た時にどうしてもストラップ部分がめくれあがってしまう。カジュアルスタイルならごまかしも効くが、やはりジャケットが膨れるのは避けたいところ。 ならば、ストラップをどこかに留められるような仕様がオーダージャケットにはあってもいいのではないかと思う。

 ファッション小物の代表格で、ブランドアイテムの主力になる財布類はネット通販にとって格好の商材だ。ヤフーではセールスランキングを公開し、3000円程度のものが売れ筋になっている。写真を加工して革の光沢を出すことで高級品っぽく見せているものもあるが、「皮革製品」との表示を突き詰めると「合成」でも間違いではない。お客が現物を見ないのを良いことに、革製品では衣料品以上に紛い物が横行しているとみられる。

 一方、革産地の本革を使い、職人が手作りしたものも、販路拡大のためにネット通販を活用している。もちろん、ブランドや信頼性を担保するために並行して実店舗を出店するところもある。プロモーションを兼ねて店頭に工業用ミシンを起き、その場で「注文を受け、加工もしますよ」というイメージを訴求しているが、それならストラップを付けるためのDカンを取り付けてくれるようなオプションがあってもいいような気がする。

 このコラムを書いている今は10月3日水曜日、午前5時前。この後、7時40分福岡空港発の飛行機で東京出張に経つ。羽田空港から都心にアクセスするモノレールや京浜急行の改札でもキャリーケースを引っ張りながら、バッグから片手でウォレットを取り出し、電鉄系のICカードを入れたまま、スムーズなタッチができる。もちろん、雑踏でスリやひったくりを心配する必要もないし、海外出張にも安心して出かけられる。

 うちの事務所から地下街を抜け、地下鉄天神駅から福岡空港まで30分もかからない。余裕で東京にも海外にも飛び立てる。手作りレザーストラップが旅に安心をプラスしてくれる。紐付きでもいいことはある。

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