HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

詳細は売りにつながるか。

2016-02-24 09:38:20 | Weblog
 The FLAGが「商品ページから"購入したい"と思わせるには」というテーマで、各社のECサイトを独自に調査し、比較している。(http://theflag.jp/article/41810?ref=)

 それによると、 セレクトショップからファクトリーブランドまでの20サイトでは、 掲載する写真点数は各社で分かれている。アイテムによって異なるものの、平均10枚から15枚。概ね、メジャーなブランドほど、店舗展開をしているからか、点数は絞り気味だ。

 ただ、アーバンリサーチやシップスジェットブルーは、知名度、店舗展開があるにも関わらず、30枚以上の写真を掲載するなど、商品のディテールまで紹介して販促につなげようという狙いがうかがえる。

 操作、機能はスクロール、クリック&ホバーによる拡大程度。Webのメカニズム上、これが限界のようで各社とも大差はない。メーンのカットは各社ともモデルを起用し、着用させている。これが最近では物議を醸している。

 筆者はアパレルの撮影も数々手掛けてきたが、モデル撮影ではスタイリストに指示して、体型調整をするのは半ば常識だ。CMの撮影になると、ライティングよって起こるボタンのハイライトを嫌うディレクターもいて、ブランドの商品であっても付け替えが命じられることもある。

 Webサイト、ECではそこまでないと思いきや。モデルに着用時に「脇締めなどのサイズ調整でピン打ちを行っている」と、ある関係者がカミングアウトした。撮影の世界では当然のことだから、別に驚くまでもない。だが、現物商品を見ることができないECで、それを行うのはどうなのか。

 撮影でのサイズ調整をご存じない一般ユーザーは、モデル写真の「フィット感」で購入を決めた場合、実際に現物を着たときのギャップがあれば、裏切られた気持ちになるだろう。キャプションで小さく表示していても、購入希望者はそこまで細かく目を通さないし、単なる言い訳程度にしか映らない。

 現物を試着するわけではないので、商品を良く見せる施策は重要である。しかし、虚偽に近いような演出は、商売の信義に反するのではないか。

 その辺の線引きは、各社の裁量に任せられるようだが、モデル写真とは別にボディへの着せ替えや置撮りを加えていれば、購入者の信頼を損ねないと思う。みんながみんな、星の数やレビューを細かくチェックしていると限らない。それはアパレル側、EC事業者も織り込み済みのはずだから、なおさらである。

 一方、いろんな着こなし方を雑誌のように提案しているサイトもある。でも、これはイメージを訴求し、ブランドの世界観を作り上げたとの意図もあるだろう。

 だが、必ずしも購入希望者が知りたい情報ではないし、そこまで手間隙、コストをかけたからと言って販促につながるとは思えない。写真点数の豊富さ=情報量の多さが購入希望者にとって必ずしも有益ではないはずだ。消費者心理としてあまりに情報が多過ぎても、購入には決め手を欠く。

 全体のスタイルイメージやフィット感をメーンカットで伝え、サイズ、素材、色柄、混紡率などを詳細、拡大のカットでフォローする。ECの場合の写真は情報量よりも、「情報の適確さ」が重要ではないかと思う。

 次に素材表示&フィッティングサービスだ。これについては大半の事業者が、素材や洗濯方法をテキスト表示するのみで、「ヴァーチャルサイズ」や身長・着丈まで詳細に記しているところは、一部に止まる。

 EC最大の課題は、現物の商品を売場で「見て」「触って」「試着してみる」という行動ができないことだ。にも関わらず、ECがこれほど普及、浸透したことを考えると、購入希望者はこの3つの条件をそれほど重視しなくなっているのではないか。少なくともEC事業者はそう判断しているのかもしれない。

 素材は工業規格のルール上から商品への表示が義務づけられているが、消費者がそれをどこまで購入の選択肢にしているかである。

 昔、ウールマークのコピーに「触ってごらん、ウールだよ」があった。だが、これもきわめて主観的なものである。オンリー素材はもちろんだが、綿と麻、ウールとポリエステル、ウールとアクリル、ナイロンやポリウレタン、レーヨンなど混紡率で、感触は変わってくる。

 しかし、我々アパレルで仕事をして来た人間なら、素材にはすごく敏感になるし、後先のケアまで考える。しかし、それをECの利用者がどこまで重視しているかと言えば、いたって曖昧だろう。

 若者の中には、デニムなんかについては、凄くこだわる人がいる。しかし、ストレッチを利かせたときのポリエステルが2%なのか、5%なのかまでこだわってチェックしているとは思えない。

 それはあくまで穿いたときの主観で個人差があるからだ。素材、特に混紡率は個人、個人で受け取り方が違う。静電気にアレルギーな人もいるだろうし、さほど気にならない人もいる。ラミー系の麻素材のザラザラ感がチクチクするという人もいる。

 特に素材感は主観、個人差によって左右される。調査にあったように実際の「生地の厚さや光沢」「透け感」は目で確かめないといけないわけだが、Webの場合、写真とテキストで伝えることには限界がある。

 感触については、ナノユニバースはじめ多くが採用している、至ってアナログなバランス表示が限界だろう。「あり」「ややあり」「なし」とか、「厚手」「普通」「薄手」で伝えるものだ。

 「シンプルで洗練されたシルエット」「きわめて肌触りの良い生地」と言ったって、それも事業者側の感覚だから、購入希望者にとっての客観性にはなりえない。

 あくまで素材はあくまでルール上の延長線で記載する。混紡率も記載しないよりは、記載した方が良いというくらいではないだろうか。写真同様に素材や感触の説明は、情報が多いからと買う気にはならないと思う。それが購入に絶対条件にはならないということである。

 また、PCとスマホでも視認性の問題から、求める情報量は変わってくる。きめ細かく表示したから、必ずしも販売につながるとは思えない。どの程度に抑えるか、どの程度まで広げるかは、EC事業者のビジネスに対する「意思」の差ではないかと思う。

 サイズは着丈、身幅、袖丈(裄丈)、ウエスト、股上、股下、わたり幅、裾幅などを記載するのは、ECでは一般的になっている。

 進んでいるのがフィッティングサービスだ。手持ちの服のサイズを入力すると、購入を検討しているアイテムとのサイズ比較ができたり、自分の身長をベースに、アイテムの着丈がイメージしやすくなるガイドまで掲載される。

 ただ、これには問題もある。お客がどこまで自分の体型、リアルなサイズを知っているかと言えば、これがいたってアバウトだ。急場に自分自身で採寸することは不可能である。サイトのサイズ表示では、自分のだいたいのサイズと照らし合わせ、大凡のフィット感を想像するに過ぎない。

 手持ち服でフィット感のいいものと比較するのが良いのだろうが、長く着たものほど生地の伸びもある。特にパンツなんかはそうだ。またレザーは長く着るほどに、身体に馴染んでいく。サイズ表示にテキストを加えたくらいではフィット感は想像できない。

 だから、フィッティングでは、自分の今のサイズをどう知って、商品と照らし合わせるか。そちらを何とかすることが課題のようにも思える。
 
 以前にも書いたが、スマホやデジタルカメラで撮影した自分の画像をメールで送ると、首周りや腰回りなどなど詳細なオーダーサイズを教えてくれる無料の「自動採寸サービス」を始めた事業者がいる。

 正確なサイズがわかれば、それは購入希望者にとってはメリットだし、EC事業者も在庫商品とフィッティングをしやすくなるのは確かだ。ここまで来ればECという小売りを超えて、アパレルの範疇に入ってしまう。また購入規模者がここまでを求めるのかどうか。それについても温度差はあるだろう。

 しかし、すでにシステムが開発されているのだし、それに基づいてオーダーシャツの製造サービスが始まっている。

 遅かれ早かれ大手のEC事業者が、このようなサービスがページ上でできるようにするかもしれない。そうなった時に中小の事業者はどう考えるかである。これも見極めは意思の問題になるかもしれない。

 ECが飽和状態に近づき、商品を売るためには、いかにページ上の情報加工を工夫し、訴求力をあげた上で、それをサービスにつなげられるか。企業規模やブランドバリュで、できる内容は変わってくる。サービスの充実は重要だが、情報量が多いからといって購入に結びつくとは思えない。

 先日、某通販サイトのCMの表現がネットに取り上げられていた。カップルが靴店を訪れ、女性が好きな靴を見つけると、その場で購入せず堂々と某サイトで購入すると宣言するという内容だ。

 こうしたお客として悪びれもしない、店に対する配慮も仁義もない行為が一部の反感を買ったのだろう。でも、制作したCMクリエーターとしては、今では当たり前の行為をそのまま再現しただけである。

 それがJAROのレギュレーションや代理店の内規に触れる表現だったかどうかはわからない。

 ただ、現実的には家電量販店の売場でも、タブレットPCやスマホでネット通販の価格を見せて、値段交渉するのは当たり前になっている。それに応えたことで、某企業が赤字に転落したわけではないだろうが、情報技術社会、デジタルライフの中で、それだけ消費者は賢くなっている=我が儘なのは事実だ。

 ECサイトのページづくりも、現状のシステム、プログラム上で小差はあっても、多くが壁にぶつかっているのではないか。ECビジネス全体で言えば、事業者による新品の販売から、個人が中古品を売買するマーケットに期待がかかっているように感じる。

 従来はオークションが主体だったから、いたって簡単なフォーマットに情報をアップする単純なものだった。

 先行するユーズドサイトは、写真使用のサービスを充実させており、ページも利用者には簡便で使いやすい操作方法にして、情報を充実させるようにしている。購入希望者にとっても、利用者が増えて商品が充実したサイトほど、閲覧する機会が増えるのは言うまでもない。

 プロパー販売でしのぎを削ったECサイトのページづくりは、限界値に達したノウハウが一般消費者が中古品を売買するページに応用されていくのだと思う。

 それにしても新しいシステム、プログラムが開発されるまで、サイトページの機能はしばらくは足踏み状態が続くと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名前を残す意味とは。

2016-02-17 05:33:24 | Weblog
 あのイトキンがついに行き詰まった。1月末で資金ショートにあったようで、投資会社インテグラル社の傘下で経営を再建することになった。

 こうしたネタについて、業界人は銀行筋からの情報より、店頭の売れ行きから推し量る傾向が強い。一般紙、業界紙よりはるか前から、実際のファッション現場では、様々な情報が流布されていた。

 聞こえてきたのは、「SPAに舵を切ったのが不振の始まりだったのでは」「商品がかつての面影を失ってたからね」「海外事業もあれくらいの売れ行きじゃ、かなり厳しかっただろう」等々と言われていたから、行き詰まりは当たらずとも遠からじと思っていた。

 中には「エミリオ・ロバとかが売れていた頃が限界」「通受けのブランドじゃないと、もう飛びつかないよ」「有能な店長が次々に辞めていたし」など、辛辣な意見もあっただけに、今回の経営再建策の行方がどうなるのか、不安にも感じてしまう。

 スポンサーのインテグラル社は、(株)ヨウジヤマモトの再建にも当たっている。投資後、同社の経営がすこぶる好転したとの話は聞かない。でも、 ワイズ、Y-3を含めて直営店および百貨店インショップの多くはそのままだし、卸も継続されている。

 コレクションもパリを主体に勢力的に行われているから、同社にはこの上ないし、ファンにとっても商品が手に入るのだから、実にありがたいことである。

 ヨウジヤマモトくらいの規模なら、店舗数は世界中でも300店に満たない。メーカーとしての商品供給の規模を加えても、クリエイティビティやブランド価値を両天秤にかけると、投資家の判断は「インベスト」なのだろう。

 一方、イトキンはどうなのか。報道によれば、イトキンが行う第三者割当増資をインテグラル社が約45億円で引き受け、創業家を中心とする既存株主からの株式譲渡で、イトキン株の98%を保有するという。

 これで創業家は経営から完全に退くことになる。イトキンという名前を残す代わりに、辻村一族はすべて手を引くということか。

 しかし、店舗数は400店舗を閉店しても、まだ1000店くらい残るという。その分、売上げは減るわけだし、弱った企業体力で再び軌道に乗せるには容易なことではない。

 ただ、顧客、卸先、工場にとっては、イトキンはずっとイトキンであってほしい。似たようなデザイン、素材、テイストのブランドは、掃いて捨てるほどある。でも、 イトキンの商品ということだけで、安心感は全然違う。

 イトキンだから買う、取引するのであって、社名が変わればどうでも良いとの思いもあるだろう。そんな気持ちに応えて欲しい。

 イトキンはワールドと並び、長らく専門店系アパレルの筆頭格として、ファッション業界に君臨した。

 筆者が小学生の頃、福岡支店が博多の奈良屋町にあった。よく前を通っていたし、叔父叔母が仕入れに来ていたんで、名前だけは知っていた。

 大学生時代、千駄ヶ谷にパッキン詰めのバイトに出かけ、通りすがりに見かける新宮前ビル、東京本社ビルからは、大企業の威光が差している感じがした。

 業界に入ってからも、さすがイトキンと言えることは、いろいろと見聞きした。

 原宿・明治通り界隈はいろんな業界人が闊歩していた。実際、セントラルアパートから出てくる広告クリエーターどもはダサかったが、パレフランスのロイヤルでお茶する垢抜けた連中は、イトキンの社員との噂で持ち切りだった。

 きっと全国から仕入れに来るバイヤーとの下打ち合わせや店頭ニーズの収集も、あったのだろう。

 バブル期、表参道のキーウエストクラブで、たまたま同じ席に居合わせた人が、イトキンの社員で名刺をくれた。実に羽振りが良さそうだった。

 イトキンが抱えているブランドは、決してメジャーにはなり得なかったが、卸系ブランドは地方専門店の経営を支えていた。それだけファン客がついていたのだ。

 筆者のようにマンションアパレルにいたものとしては、「イトキンのような服づくり」は憧れだった。

 ベルトやアクセサリーなど小物も秀逸で、うちの会社の取引先では専門のバイヤーがいて、イトキンの展示会には必ず行くと言っていた。

 ライセンス展開でも専門店が好みそうなブランドを見つけるのがうまかった。「クレージュ」「クリスチャン・オジャール」「ランチェッティ」…。

 お金持ちの中高年女性をメーンターゲットするので、ランチェッティなどコンサバ色が強いブランドが多かった。でも、服づくりのノウハウを生かし、キャリアゾーンでも、ピンポイントで押さえていた。

 「ジョルジュ・レッシュ」はその一つで、皇太子妃の雅子さまも独身の頃には御用達だった。

 メディアがお妃候補として追っかけ、もっていた袋のロゴから調べて一躍知名度がアップした。

 しかし、雅子さまはじめとするキャリアガールには、以前からその良さがちゃんとわかっていた。メディアがファッション音痴に過ぎなかったのである。

 「ミッシェルクラン」はファッションビルにハコで展開されていた。その時はよかったが、某社と同じように頭文字を付けてSC展開されると、かつてのようなクールでスパイスの利いたテイストを失っていった。

 「エミリオ・ロバ」のプリザーブドフラワーなんかは、クロージングやアクセサリーの枠を超え、ライフスタイル提案の先駆けとなった。

 着こなす人により選ばれる服、飾りたい人を惹き付ける装飾品。それらを生み出すのがイトキンのイトキンたる所以だったのである。

 ところが、再建の俎上で話題になるのは、「アーベーベー」とか、「エムケーミッシェルクラン」とか、チープなSC系ブランドばかりだ。

 ファンドや投資家のおやじたちは、専門店系アパレルの本質はご存じないのだから、ブランド、売れ行きでしか語れないのは理解できる。

 ただ、いくら売れ筋と言っても、これだけでは経営再建の屋台骨にはならない。

 21程度のブランドは残すようだが、軸になるものを際立たせ、イトキンらしさを出さないと、SPAがしのぎを削る中で、埋没しかねない。

 イトキングループの中でも、「ヒロコ・コシノ」はおばちゃんファンが多い。売れているのは、単にブランド名だけとは限らない。

 体型を気にする中高年でも、決してダサくみえないシルエットが受けていることもある。

 旅行向けの派生ブランド「トランク」は企画が秀逸だ。ライナーの取り外しが利くなどのユーティリティや機能を取り入れ、かつ野暮ったさを感じさせないデザイン始末。この辺にもヒントがあるだろう。

 もっとも、数十億円規模のブランドを多数抱えているからこそ、もっとブランドの個性を磨いてもいいのではないか。

 そして、国内外のSPAやチープなファッションに飽き足りない層にアプローチしてほしいものである。

 創業者は退くが、社名は残す。 福岡でも同じようなことがあった。私的整理ガイドラインのもと、伊勢丹をスポンサーにして再建した岩田屋がそうだ。

 ただ、それ以前にCIされたロゴマークは、伊勢丹主導による経営再建が終わると、往年の「角岩」に戻されている。これが何を意味するのか。

 「顧客は岩田屋だから、買いたい」。ロゴマークは集客を暗示するのだ。三越伊勢丹グループで有り続けようと、お客の気持ちをそうさせるのは変わらないはずだ。

 なおさらイトキンは小売業ではなく、アパレルメーカーである。服づくりのDNAは受け継がれてきているはずだし、これからも受け継いでいかなければならない。

 インテグラル社としてもヨウジヤマモトという前例があるわけだし、十分学習していると思う。

 往年のファンは高齢化してきているが、雅子さま世代はまだ50代だ。可処分所得はそこそこあるはずなのだが、「今のファッションマーケットには、カネを出してまで買いたくなるような服が無い」と感じている層は少なくない。

 「イトキンが“無い服”を作ってくれるなら、ぜひ着てみたい」。ファンの気持ちは同じだろう。

 日本市場向けのリブランディングや焼き直しではなく、ブランドライセンサーの方向性やデザイナーの感性をストレートに打ち出してもいいのではないか。でないと、イトキンは変わらないし、面白くない。

 再建スキームの字面では表すことができない、専門店系アパレルの気概を復活させて欲しい。すこし郷愁めいたが、全盛期を知るものとして、オマージュと期待を込めて書いてみた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見えづらい消費者利点。

2016-02-10 07:22:33 | Weblog
 ECが浸透するに従って、配送時間の短縮化が加速しているが、「速さより重要なこと」があるのか。The FLAGから依頼を受けたので、論じてみたい。

 すでにアマゾンジャパンは配達時間、方法の指定、GPS機能による確認をできるようにし、楽天もスマホ専用アプリで最短20分配送、24時間受け取りを可能としている。

 ネット通販事業者がこうしたサービスを充実させる一方、宅配業者の中には配送料の値下げ圧力から扱いを拒否するところも現れている。だから、通販業者は自前での配送を余儀なくされているのだ。

 ただ、受取人が不在で再配送が生じると、その分がコスト増になる。通販事業者としては、なるべく受取人が配送先にいる間に確実に届けたい。それが配送時間の短縮を生み出した一因でもあるだろう。

 つまり、配送時間の短縮は受取人の事情だけではなく、通販事業者の都合もかなりの部分を占めているということである。

 だいたい配送の時間短縮と言ったところで、注文者はあくまで配送側の管理下におかれる。「配送時間最短30分」が売りであろうと、その間、消費者はネット通販事業者によって行動が制限されるわけだ。

 ECでは「24時間、どこでも買い物ができる」が消費者メリットだとすれば、「受け取りだって消費者の自由にさせてほしい」。個人的にはそう思う。

 だから、筆者は速さより重要なことでは、自ら24時間受け取りにいける「拠点の整備」を望む。ECを利用するのは、買い物行動が制約されないわけだから、受け取る自由だって制限されたくはないのは、当然である。

 注文する商品にはサイズの大小、温度管理の必要の有無、プライバシーの保護などの条件があるので、それに見合った拠点が整備されれば十分である。コンビニの他に大型の商品は都市部の郵便局なんかが24時間対応してくれればいいと思う。

 受取自由については、知り合いの薬店経営者から、聞いた話がある。

 関東圏のドラッグストアが全国展開の攻勢をかけていた時期に、その経営者は迎え撃つ対策として「ネットによる調剤サービス」の充実を挙げた。

 「都心部で働くビジネスマンは、自社が入居するビルに大概クリニックがあるので診寮は受けやすい。しかし、仕事が多忙な時に処方箋をもって調剤を受け取りにいくのは非常に不便。だから、インターネットでどこでも薬が受け取れるようなシステムを導入した」

 つまり、医師から処方箋データを指定の薬局にメールで送ってもらい、そこで調剤できるようにする仕組みだ。実際、東京・丸の内のビジネスマンが地元で診寮のみを受け、出張先の福岡で薬を受け取るケースがあったという。

 まさに受け取り場所の整備とは、こんなことではないかと思う。

 他の事例では、アマゾンがプリンターのインク残量をセンサーが感知し、自動注文する仕組みを充実させたケースがある。

 ファッション業界では、ゾゾタウンがだいぶ前から同社限定の商品などをネット予約商品として、消費者が注文できるようにしている。

 ただ、これらはともに時間短縮とは別の価値を訴えたものだが、消費者、事業者にとってどこまでのメリットがあるのかである。

 アマゾンの場合、自社ではなるべく在庫を抱えないようにしたいので、「購買希望時点」管理の精度をあげて配送できるように、またメーカーの生産体制までシンクロさせるために、このような仕組みを導入した面があるのではないか。

 これは米国の流通システムが際立つ事例だ。第一の目的は問屋、中間にいる事業者を省いてコストダウンするためであって、消費者にとってどこまでのメリットがあるかはわからない。

 ゾゾタウンのケースは、ファッションビジネスが関わるので詳しく分析してみよう。

 デザイナーズ系のブランドなどお客の好き嫌いの激しい商品は、ゾゾタウンのバイヤーとしても仕入れに二の足を踏んでしまう。だから、商品サンプルをネットで公開し、予約販売にした面もあるだろう。

 もっとも、中小のアパレル事業者は、従来から展示会でサンプルをバイヤーに見せ、オーダーを取って生産するスタイルをとって来ている。いわゆる受注生産だ。

 こうした仕組みにゾゾタウンが加わることで、消費者とアパレルメーカーをつなぎ、受注、生産、納品がよりスムーズになるのは確かである。

 アパレルメーカー側も受注量が確実に把握できるので、生産はしやすくなる。しかし、納品までにリードタイムがあることに変わりはない。

 つまり、商品を注文者に届けるまでの時間はかかるが予約商品が売れるのだから、それは「速さより重要なことだ」のロジックで捉えるのは、ナンセンスだ。 論点がズレている。

 在庫を持たずに予約だけで商売したいのなら、ネット事業者なんかの介在を許すのではなく、アパレルメーカーの展示会に消費者が直接参加できるようにすれば良いだけの話である。

 ゾゾタウンが行っている予約商品の販売システムとて、展示会による受注・生産、卸(納品)後に小売店が販売することと大して変わらないのだから、別に新しく何ともない。

 確かにアパレル事業者には小売りのノウハウはないから、展示会販売は難しいのではとの言い分もあるだろう。

 しかし、ディスプレイも什器展開も無いWebデザインだけで十分に売れるのだから、販売力でアパレルメーカーの展示会が通販サイトより引けをとるとは思わない。

 一方、ゾゾタウンの予約販売では、お客が予約と同時に代金決済するだろうが、ゾゾタウン側がアパレル事業者に対し、タイムラグなく「卸商品の代金」を支払うかどうかはわからない。

 支払ってくれるのなら、参加するメーカーは増えるのかもしれないが、多くの消費者にとっては大したメリットにはならない。むしろ現物を見ず試着なしで、商品を予約し購入するのは、「失敗した」と感じるリスクの方が高い。

 だから、ゾゾタウンが予約販売を押すのは、別の理由があるように思えてならない。穿った言い方をすれば、現物よりバーチャルの方が消費者は「衝動買い」を起こしやすいと、踏んでいるかもしれないからだ。

 とにかくまずは売れればいい。お客が失敗したと思う場合には、ユーズドサイトという受け皿を作っているから十分だ。こう考えると、消費者利益、アパレルメーカー利益というより、ネット事業者の一方的な論理でしかないと思う。

 アパレルメーカーの展示会に消費者が参加できれば、現物の商品サンプルを直に見て試着もできるので、失敗のリスクはまずない。気に入らなければ、買わなきゃいいだけの話である。

 ましてアパレル側は消費者の商品に対する反応を直に得られるし、「着心地が悪い」「質感が今イチ」「サイズが合わない」「ここのデザインを変えてくれれば」等々を企画部門にフィードバックでき、より売り易い商品づくりにつなげられるはずである。

 消費者参加型の合同展示会を全国キャラバンで行ってはどうか。実際、筆者が懇意にするアパレルメーカーでは、顧客が参加できる展示会を開催し、そこで直に注文できるようにして大盛況だという。

 予約商品で購入するか、しないかだけの判断しかできないゾゾタウンよりも、はるかに先を行っているのである。

 まあ、ゾゾタウンも一度アパレルを集めたリアルな予約販売会を開催している。でも、その後の継続がないところをみると、ノウハウ不足は否めないのだろうが。

 さらに速さより重要な可能性を考えると、「カスタム」だろうか。

 あるシャツメーカーでは、スマホで撮影した自分の画像をネットで送ると、首周りや腰回りなど詳細な?オーダーサイズを教えてくれる無料の自動採寸サービスを始めている。

 メールにタイトやレギュラーなど希望シルエットを書いておくだけで、数日後にはメーカー側からなで肩や胸板の厚さなど体型に合わせたオーダーサイズが届くという。注文者はこれを参考にシャツをオーダーすることができるのだ。

 ついにここまで来たのかと感じる反面、サルトリア(直にオーダーメードの採寸を行うスタッフ)の技術にどこまで近づけるのかと、懐疑的でもある。

 その程度のレベルでもOKと感じる消費者はいるだろうから、これが今後、スーツや靴と広がっていく可能性は無きにしもあらずだ。まあシャツのケースを含め浸透するには、価格とのバランスが合えばの話ではあるが。

 ECがすでに成熟の域に入りつつあるとすれば、EC次元だけで、消費者、事業者のメリットを云々してもあまり意味は無いと思う。

 システムやプログラムに左右されるECにおいて、消費者が配送時間の速さ以外にどれほどのメリットを享受できるのか。それさえ疑わしく感じている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ECは到達点ではない。

2016-02-04 20:41:10 | Weblog
 今回のテーマは、EC化率より、自社EC化率をあげることについて。

 背景にあるは某大手ショッピングモールが加盟店にとって、売上げが頭打ちになっているからのようだ。

 すでに4万以上もの店舗が加盟し、コンバージョンレート(ショッピングサイトの訪問者数に対する買い上げの割合)の平均は、4%程度に止まると言われる。

 運営側が指導やアドバイスをしてくれると言っても、高額な出店料、販売毎の手数料が課されるわけで、それらを支払って有り余る利益が出せるとは思えない。

 だから、自社EC100%は当然の流れだと思う。

 データを見ると、ユニクロや無印良品は専用の通販サイトをもつので、自社EC化率100%、高島屋やマルイも自社サイトが占める割合が9割に達している。

 メリットは何だろうか。まず自由にサイト運営ができ、管理費が抑えられることだ。それに出店料や販売手数料もかからないので、荒利益率も高くなる。

 デメリットは、自前のサイトはモールほどの集客力はなく、それほど大きな売上げは期待できないことだ。

 それでも、自社EC化率が上がっているのは、チャンネルを広げる攻めの戦略が不可欠との判断からだろう。

 ただ、筆者はEC化率100%と言ったところで、それが主販路になるとは思わない。

 ユニクロや無印良品が自社サイトのみで販売できるのは、リアル店舗というチャンネルで確かな商品を地道に売ってきた実績があるからだ。

 そうした戦略で知名度を広げ、ブランド力を築き、それに裏打ちされる信用がお客を惹き付けていることも注目すべきである。

 自社EC化はブランドと信用を下敷きにするからこそ、まだ見えぬ多くのお客にも購買機会を与えられ、マーケットを広げていけるのではないだろうか。

 また、自社EC化率100%にしても、カギを握るのはディレクションやマネジメント。デジタルメディアの特徴は、情報の速報性、更新性、インタラクティブ=双方向機能だ。

 だから、自社ECでは日々、新しい商品とともに情報を発信し、お客の反応、反響を収集し、リアクションしなければならない。メルマガ、ニュースレターはもちろん、担当バイヤーのブログ、Facebook、LINEなどのSNSとの連動は不可欠である。

 また、そこでは情報の編集、加工が必要になるし、お客に関心を持ってもらうキーワードやフレーズの付け方、商品写真の撮り方、動画の配信といった工夫も欠かせない。

 SEO対策を行うのはもちろん、検索エンジンにキーワードやフレーズがかかれば、すぐさま広告を出稿するトラッキングクッキーを含めて、更新を確実に行うことが必要になる。

 モールに出店するショップでも、商品が売り切れているのに堂々と掲載されていることがある。これはモール側のシステムに問題があるのか、加盟店側の怠慢なのか。

 どちらにしても、お客の立場から言わせてもらえば、これらを見せられるといつもげんなりする。

 自社ECでは在庫が売り切れると、サイトからも削除する。そうすることで、お客に衝動買いを促す効果もあるはず。だからこそ、日々の更新が欠かせないのである。

 インタラクティブでは、情報発信のみでは限界があるから、お客の問い合わせにも素早くレスポンスすることが不可欠だ。これは大手ショッピングモールの加盟店ですら、バラツキがあると感じている。

 忙しいか、暇かの問題ではない。自社ECは24時間、ワールドワイドで機能している。それを考えると、できるだけ早くレスポンスするべきではないだろうか。

 つまり、ECと言ってもシステムを構築し、サイトを立ち上げれば終わりではない。その後の情報発信はずっと続く。体力勝負ということである。

 もっとも、自社であれ、他社任せであれ、EC化はリアル店舗での販売実績やブランド力、信用に裏打ちされる。また、リアル店舗での「接客」「サービス」を下敷きにして、集客力が発揮される面もある。

 だから、自社ECで難があると言われる集客力を付けるには、バーチャルな接客、サービスにも注力する必要があると思う。試着ができないわけだから、商品の詳細はもとより、サイズや素材感、着心地まできめ細かく説明し、問い合わせにも素早く応える。

 当然、購入して気に入らない時点=試着と考えて、返品交換自由といったお客へのメリットは当たり前と考えておくべきである。

 もちろん、お客の居住地の近隣に店舗を構えているのなら、店舗での試着を進めるべきである。リアル店とシンクロすることで、ECはより効果を発揮する。

 単に商品を売っているだけではないという意識を強く持ち、ECでも差別化していくことを考えていかなければならない。つまり、リアル店舗にどこまで近づけて、遜色ない「接客」「サービス」を提供することである。

 ただ、ここまでやっても、自社ECの能力を最大化することは容易ではないと思う。なぜなら、IT評論家や識者がこぞって礼賛した大手ショッピングモールが、ものの10年かそこらで頭打ちになってきたからだ。

 ネットショッピングが浸透、定着するスピード以上に、飽和状態の到来の方が早かったということだと思う。

 まだまだ伸びるという評論家もいるが、筆者はよほど画期的なプログラムや技術がリンクしないかぎり、ネットショッピングは鈍化していく可能性もある。新しい仕組みは、すぐに古くなることも、頭に入れておかなければならないということだ。

 自社ECは到達点ではない。また、商売の目的ではなく、販売の手段である。それをしっかり理解した上で、その先にどんな店舗像や商品を描き、品揃えや売り方を見据えるのか。それを行わない限り、一過性の販売手法で終わり、すぐに限界が来るのは目に見えている。

 リアル店舗やそこで培ったノウハウをいかにECに応用できるか。もちろん、店舗販売との連動を含めて、どう運用するかがカギを握るのではないか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

提携が意味するものとは。

2016-02-03 05:39:34 | Weblog
 1月28日付けのネット版、繊研PLUSに以下のような記事が掲載された。

 「TGCと神戸コレクションが企画提携。神戸コレクションを主催する毎日放送と、東京ガールズコレクション(TGC)の商標権をもつディー・エル・イー、及び東京ガールズコレクション実行委員会は、両イベントの企画提携を発表した。…」

 この記事でポイントを挙げるとすれば、以下の点だろうか。

 「神戸コレクションは、関東では『東京ランウェイ』という同様のイベントを企画してきたが、同様のファッションイベントが同じ地域でいくつもあることに、非効率を感じるようになり、互いの力を結集させれば、ビジネス含め、更に新しい展開ができるのでは考えた」(神戸コレクション)。

 同様のファッションイベントが同じ地域にいくつもあり…非効率。確かにそうかもしれない。いや、全くそうである。

 この手のガールズコレクションは、この2都市だけに止まらない。関西、名古屋、札幌、そして福岡アジアコレクションと地方でも開催されている。「違う」のは開催される「地域」であって、同様のイベントは枚挙に暇がないのだ。

 もっとも、「◯◯コレクション」と言っても、我々ファッション業界で仕事をしてきた人間からすれば、クリエーションを発信する純然たる「コレクション」ではない。

 業界で言われるコレクションとは、欧米のメゾンや老舗ブランドが、毎年、オンシーズンの半年前くらいに発表するモード作品=最新のクリエーションを世界中のバイヤーやファッション系メディアなどにお披露目するショーを指す。

 モード作品だから、バイヤーやメディアの反応を見て、市販できるように修正する場合もあるし、メゾンやブランドによってはビジネスを意識し、「売るための商品」をコレクションの前にバイヤーに見せる「プレコレクション」を開催するところもある。

 最近はパリコレでさえ、ビジネスを意識して堂々と「着られる服」「売れる服」を登場させるメゾンやデザイナーもあるほどだ。だからと言って、コレクションがクリエーションの発信の場という位置づけであることに変わりはない。

 一方、神戸コレクション、東京ガールズコレクションは、「コレクション」とは似て非なるものだ。お披露目されるのはモードな作品ではなく、リアルクローズ= 普通に着られる服や、他のものと組み合わせ自在の服である。

 街中のショップや商業施設で堂々と販売されているシーズン少し前、またはシーズンインの商品なのだ。

 それらは、生地や付属品から上質なものを使用し、メゾンお抱えの職人や専用工場が仕立てるなどコストをかけているわけではないから、グレード感は少しも無い。ほとんどがアジア諸国の工場で量産されたチープなブランドやSPAの商品である。

 それを纏うのは、コレクションに出演できるほどのレベルではないモデル崩れや、旬のお笑い芸人など。そうしたタレントを身近で見たい一般の観客から、チケット代金をとって見せる「客寄せ興行」なのである。

 つまり、招待を受けたバイヤーやメディアが「あのデザイナーは今シーズンどんなクリエーションを発表するのか」。そうした期待を持って見るものではない。

 だから、そこにはブランドにとってのマーケティングも、デザイナーによるクリエーション発信も、バイヤーが期待するシーズントレンドも必要ない。

 リアルクローズといういかにもの業界用語を使い、コレクションという名称に格上げしただけのファッションイベントに過ぎないのだ。

 制作するのがデザイナーやアパレルブランドではなく、「テレビ局」や「イベント会社」というところを見ても、「事業」「営業項目」として、「収益が上がればいい」ということがわかる。

 似たようなガールズコレクションは、全国各地で開催され、一部はアジアの主要都市でも催されている。

 ショーのプログラムは、チケット代に見合うように終日をかけた設定だ。しかし、内容はただ単にタレントモデルたちがチープな服を着て、ランウェイを歩くだけなのだから、見ようによっては飽きがくる。

 出演するタレント数はギャラの問題から限界がある。コスチュームやメイクをチェンジする時間も必要なので、アトラクションとしてお笑い芸人にパフォーマンスをさせたり、提供スポンサーの告知をしたりして時間を稼ぐしかないのである。

 限られたタレントや市販の服ではショー自体の間延びは否めず、イベントの尺を埋める内容には自ずと限界が生じているのだ。

 当然、観客を惹き付けるために企画を変え、イベントそのものを大掛かりにするには、莫大な制作費がかかる。しかし、チケット代金やスポンサー料をつり上げると、興行自体の存続に関わってしまう。

 東京ガールズコレクションは、もともと携帯ファッションサイトを運営していたゼイヴェル(後のブランディング)が運営していたが、F1メディアという企業に事業そのものが引き継がれた。

 2012年には週刊文春が同社は「朝鮮総連系の企業に乗っ取られた」とセンセーショナルに報じた。

 その真偽のほどは別にして、今回の繊研PLUSの記事には、「東京ガールズコレクション(TGC)の商標権をもつディー・エル・イー」とある。

 ディー・エル・イーは、キャラクタービジネスを展開する企業で、ドリームインキュベータ傘下のファンドが保有するTGCの商標権を8億円で取得。昨年7月1日には(株)TOKYO GIRLS COLLECTIONを設立している。

 つまり、簡単に買収できるくらいの「商標権」なのだから、タレントのキャスティングからステージ設営、演出、音響照明などといったイベントコンテンツの仕掛けそのものは、他社でもできるということだ。

 言い換えれば、同地域で同じようなものが簡単に開催できるわけだから、企画のマンネリ化が否めず、イベントはプレステージ性を欠き始めているのである。

 おまけに神戸コレクションは、神戸市や神戸商工会議所から「税金」や「公金」による支援があり、東京ガールズコレクションも上海などの海外公演では、外務省から資金が拠出されたほどだ。

 行政側はこの手の客寄せ興行を「ファッション」「コンテンツ」「クリエイティブ」といろんな事業に位置づけるが、 公金が拠出され執行されるからには、事業の目的に「公共性」があることが前提になる。

 でも、似たようなイベントが全国で開催されるようになり、事業の背景にある「産業支援」とか「情報発信」とか、イベント開催の「大義」も行き詰まっていると見て間違いないだろう。

 神戸コレクションを主催するMBS毎日放送という「テレビ局」、制作に携わる下請けの「イベント会社」にとっては、公金の支援を受け続けるためにも、企画の練り直しに入らざるを得ないのは当然のことだ。

 ここで気になるのが、同様のファッションイベント「福岡アジアコレクション」、FACoである。

 福岡アジアコレクションの実質の事業者、「RKB毎日放送」 は、ファッションイベントを制作できるようなノウハウもビジネスモデルも持っていない。だから、神戸コレクションを主催するがMBS毎日放送から指南されたのは言うまでもない。

 そのため、イベントのタイトル、出展される一部のブランドが違うが程度で、福岡アジアコレクションの企画内容、プログラムは、神戸コレクションとそれほど変わらない。劣化コピーのイベントと言っても、決して言い過ぎではないと思う。

 その神戸コレクションが「TGCを同じような企画内容」というのだから、この3つのイベントはほぼ同じだということになる。

 RKB毎日放送からすれば、「地域が違うため、現時点では提携する理由は無い」と言い逃れもできるだろう。

 ただ、神戸コレクションとTGCが企画提携すれば、規模は拡大されるから全国展開されていく可能性は高い。とすれば、提携後に福岡で開催されることは無きにしもあらずだ。

 この場合、現在の福岡アジアコレクションは毎年度末の3月に開催されているから、神戸コレ&TGCは秋に開催しようということで、裏取引がされないとも限らない。それぞれの利害関係者が自社イベントを存続させるためには、なりふり構わないはずである。

 さらにTGCはこれまで上海や北京といった海外の主要都市でも開催されている。当然、神戸コレ&TGCが海外展開されることは想像に難くない。

 もし、北京や上海、ソウルといった主要都市で開催され、福岡アジアコレクションがそれ以外のプサン、タイペイ、バンコクで行われるのであれば、「アジア」がもつ意味はいったい何なのかである。

 神戸コレ&TGCが秋に開催されようとされまいと、またアジア各都市を分けて興行が行われることになれば、それぞれの利権を守るための事業者同士の「談合」ではないかと言われてもしかたない。

 そんなもの対し、行政が「コンテンツ」だの、「クリエイティブ」だの、「アジアへの情報発信」だのと言って、多額の税金を拠出して支援すること自体が全く無意味なことになる。

 イベントの内容がさほど変わらないのだから、巨額の税金を投下することは、それこそ「非効率」とされてもおかしくないはずである。

 福岡アジアコレクションは当初、「福岡県」と「福岡商工会議所」が中心となって始動した福岡アジアファッション拠点推進会議の事業として、スタートした。

 その事業には地場ファッション産業の振興、人材育成、情報発信という目的があり、サイトの運営、コンテストの実施、その他の事業、そして福岡アジアコレクションの実施と、コレクションは4事業の一つでしかなかった。

 ところが、事業がスタートするといつの間にか、目的は形骸化し、福岡アジアコレクションはメーン事業と位置づけられて、予算の大半が費やされるようになっている。

 一方、福岡市も福岡アジアコレクションをコンテンツ事業として年間で3000万円以上の税金を投入している。そのうち福岡アジアコレクションには2000万円くらいが費やされているのではないだろうか。

 神戸コレクションとて、神戸市や神戸商工会議所が支援しているため、税金の流れは同じ構図のはずだ。

 つまり、こうした客寄せ興行のガールズコレクションは、自治体間の「タテ割」行政を利用して、県や市からいろんな予算をうまく引き出しているのがよくわかる。

 「福岡アジア」という冠も 所詮、行政から予算を引き出す「口実」でしかないのだ。

 神戸コレクションとTGCの企画提携の背景では、事業者のいろんな思惑が蠢いている。そのため、ファッション業界では近い将来の福岡アジアコレクションを「福岡版K(神戸)&T(TGC)コレクション」と揶揄する声すらある。

 神戸コレクションを手本にする福岡アジアコレクションがこれからどう動くか。ファッション業界人として、今後も注意深く監視しなければならないと思う。 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする