閃き

変化も気付く事も無い平凡な毎日の中にきっと閃きがあるはず。閃きを求めた記憶

秋の味覚を味わう

2017-10-04 07:46:20 | 閃き
今年は例年とは違って、何故だか幸運に恵まれている


取引先の友人はキノコ狩り名人で毎年、山のような量の松茸を採ってくる

その殆どは奥様のお母様に上納するばかりで、殆ど口に入れない

採ることが趣味で食べないとは真に良いご趣味であるが、流石に高級な松茸、お裾分けを言い出すわけにもいかず、只、毎年の収穫量を尋ねる事が精一杯であった

そんな彼に対して万一、購入するなどと発していたら関係も悪化したであろう

物乞いするような関係は良くはならないのである

それが、今年は彼から連絡が入り頂戴する事になり、早速、家で松茸ご飯にして味わった

改めて彼に尋ねると、松茸は鮮度が重要で、毎年渡そうと考えるが、数日空きが出来てしまうので鮮度が落ちるので諦めていたとのことである

少々鮮度が落ちようが構わないという言葉をぐっと飲み込み、改めて彼の配慮に感謝したのである


地元の同級生の飲み会が定期的に開催されているのだが、今年は山家の料理屋で開催するという連絡が入った

その料理屋は同級生の1人の親戚になるのだが、諸事情で経営不振になり一時は倒産したとの噂まで出ていた程であった

それが、経営方針を見直し、お年寄りの為にテーブル席に改装し、季節の料理を中心にメニューを組み替えて、今ではそこそこの集客を誇るまでに回復した

風呂も改装し、宿泊客も増え、平日でも結構な賑わいなのである

送迎の車に乗り5名の同級生が集まった

料理はなんと松茸コース

当然、料金がお高いのであるが、今までの会費の残りを貯めていた幹事から、会費は通常と同じで設定してあると聞き、思わぬご馳走にありつける事になった


世の中とは不思議なものである

松茸など口に入らない時には何年も入らないのだが、入るときは続けて入る

勿論、定食の中に松茸入りの茶碗蒸しやお吸い物があった程度では無く、姿、形が判る程の大きさを食する場面の事をいうのである

そういった意味では、今年は良い年であったと言うしかない


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