時々ギリシャ神話のパンドラの箱(壺・瓶とも)についてブログに取り上げていることもあり、検索ドライバーでネット上に最新のパンドラの話を求めています。するとどうでしょう、今のパンドラの話しの主流は超常的な話や新興宗教の人寄せ話になっています。
ギリシャ人の創った神話です。説明つかない不合理な現実を物語で語る。天空に輝く星にそれぞれの名をつけ星物語にする。そのような次元のファンタジーの世界です。
世の中の森羅万象のあらゆる物事からの幸・不幸を経験する中で、予想の付かない事態に翻弄される人間は、その事態の原因を求めます。
現代社会では、天気予報のようにある程度の天候に係わる情報が集約されスーパーコンピューターで解析される結果は、まさに明日を知るという結果を与えます。
ネクストワールドは、森羅万象のすべての情報が集約され明日を知るを越えて今あることを知ることになります。個人のDNAを解析すれば、あらゆることがわかりいつ死ぬかもわかるようになるでしょう。
パンドラの機転でバンドらの箱に最後に残された災禍(わざわい)・災厄(さいやく)の源基は「前知魔」でした。
どういう悪魔なのか。
名からもわかるように「前もって知る」能力とでもいいましょうか。
一歩踏み出す足の左右の順番が分るようなもの。
そうすると自分の意思で一歩を踏み出せば同じことではないか、と思いますが、前知魔の恐ろしさは瞬時に存在する時点で終局が分るということで、時の流れにある意識の世界はことごとく破壊され存在の意味が失われます。
ところが前知魔は世に出ることがなく内に残されます。
ヘシオドス『仕事と日々』
それまでは人類は地上で何の災害もなく、
苦しい労働もなく、また人間に死をもたらす厄介な
病気もなしに生きていたのだ。
ところが、この女(パンドラ)が手で瓶(かめ)の大蓋を取って撒き散らし、
人間どもに悲惨な難儀を企んだのだ。
ただ希望だけが飛び出さずに、
不壊(ふえ)の館ともいうべき瓶の中で、
口の下に留まっていた。
群雲あつめるゼウスの御心によって、それ以前に
彼女が瓶に蓋をしてしまったから。
しかし、その他の無数の悲惨なことが、人間界をさ迷い、
大地も海も災難に満ちているのだ。
沢山の病気が昼も夜も自動的に迷い歩き、
無言で人間どもに禍いをもたらしている。
※不壊:堅固で、こわれないこと。
※ 藤縄謙三著『ギリシア神話の世界観』(新潮新書から)
こ の不壊の館に残された「もの」は、「希望」だと普通は書かれています。しかし以前ブログで書いたように、坪内逍遙が「美しい文章」 と絶賛した明治期の名著『ギリシャ神話』(ジェームス ボールドイン著・ 杉谷代水訳・富山房企畫)を読むと希望という名の「前知魔」が書かれています。
さればパンドーラ姫、蓋を閉づること尚遅かりせば、事の悪結果は更らに是れに止まらざりしならん。姫は最後の怪物の匣(はこ)より出でんとしたる時早くもこれを閉(とざ)しつ。此の怪物、名を「前知魔」(Foreboding)と云う。匣より半身を現わしたる時、姫は之れを押し込めて固く蓋を閉しければ、遂に得出でざりき。彼れ若し世に出でんには、人々は幼時より己が一代に起るべき先々の事を詳(つまび)らかに前知し得ることとなり、世に希望というもの全く亡きに至るべかりしとぞ。
「美しい文章」と語る坪内逍遙の気持ちが伝わってくるのですが、現代文となるとなかなかその美しさは難しいような気がします。やはり明治という時代の文章のもつリズム感には七五調の日本語の心地よさがまだそ深層に残っているように思うのです。
同書は新版が出され現代文も書かれているので是非一読してその感覚の違いを味わうのも面白いかも知れません。
さてこのジェームス ボールドインの「ギリシャ神話」は、パンドラの箱(匣)から「前知魔」(Foreboding)出てしまっていたら、「人々は幼い時から自分の一生に起る先々のことを詳しく知ることになって世に希望というものがなくなってしまうだろうと思われる。」と書いています。
ここでは、「人々は幼い時から自分の一生に起る先々のことを詳しく知ることになって世に希望というものがなくなってしまうだろうと思われる。」と解説されているのですが、まだ優しさがあります。
バンドらの箱の蓋の開閉がその意味するところが逆転します。
「愛憎」という言葉は、愛するが故に憎しみが倍増するという相依相関的な意味合いを持つ言葉です。
「愛」が「憎しみ」へと変化する。愛する者が他の者を愛するようになり心変わりをする。愛に破れたその者が苦悩の谷間に身を落とすが、相手の幸せを思い、身を引く・・・このようなこともあろうが巷で話題になる「ストーカー事件」は、悲惨な現実を我々の前に示します。
「希望」が意味するところの「こうあって欲しいと望み願うこと」「将来に対する明るい見通し」が悉く消滅する事態が蓋の開閉で起る。
パンドラの箱の物語の中で、この世には「希望」あることの意味を知り、何か淡い幸せ感が起こり、この世の明るさを思う。その思う心の動きはわが胸の内にあって、物語は意味の問を我が心に向ける。
その反転の森羅万象のあらゆる事態は、外界にさらされた我が身が経験することです。パンドラの箱の場合は、前知魔(Foreboding)の引き起こす事態、わが内なる心が、望みも、見通しも失い、悲哀に満ちる経験なのです。
NEXT WORLD 私たちの未来は、一人一人が自覚の中にあるのか問うています。来たらざる未来が問うことはないのではないかと思うので、人は自らの過ちに気がつきません。
人々は、私は過ちの報いを受けることはないと自覚して行動しているわけでもなく、無意識に、本能的に、ひたすらに「こうあって欲しいと望み願い」、「将来に対する明るい見通し」を夢見て突き進みます。
「森羅万象の、あらゆる物事を円(まど)かに肯(うけが)う心境を得たとき」
とは、存在の神秘に驚くべきとの問いでもあります。科学するもの資本を支配するもの悉く驚くべき事態が来ているように思います。