先日稲刈りして干していた陸稲(うるち)と陸稲(もち)を脱穀しました。稲の脱穀は去年の11月以来のことです。去年までは東京で稲刈り脱穀などをしてきましたが、今回は山口県に帰って初めての脱穀です。そして、これまでは全て田んぼで作る水稲でしたが、今回は畑で作るお米である陸稲です。
脱穀機を家の前に置く 石油発動機を始動
脱穀するために脱穀機を牛舎から家の前の畑に持ってきました。そして、その脱穀機を動かす石油発動機も畑に持ってきました。この発動機は相当古い50年位前の代物です。熱いお湯を発動機のホッパーに注ぎ込みました。こうすると、エンジンがかかりやすくなります。フライホイールを勢いよく回しながら燃料噴射管からのツンツンする噴射音が聞こえてくると、すぐにデコンプレバーを離します。すると一発でエンジンがかかりました。
乾かした陸稲を手に取る 脱穀機に陸稲束を入れて脱穀
エンジンがかかると、脱穀機と発動機を平ベルトでつなぎます。すると脱穀機の脱穀ドラムが勢いよく回転し始めます。脱穀の開始です。乾かした陸稲束を回転ドラムに当てるようにしながら脱穀します。秋空に発動機の音や脱穀機で脱穀する音が響くと、収穫の秋を実感する気分になります。
陸稲の脱穀開始、最初にもち種を脱穀し、次にうるち種を脱穀
田んぼで作っていた水稲はとても収穫が多く、少ない面積でも100Kg程度は楽に収穫できました。しかし、今年初めて作る陸稲の収穫は少ないものでした。もち種とうるち種がそれぞれ10Kg程度しか収穫できませんでした。がっかりですが、数日間は食べることができる量です。陸稲は作ることが難しいことが分かったこと自体が今年の一番の収穫でした。
残り数束の脱穀待ち陸稲束 脱穀中にたまるワラゴミを排出
一時間もしないうちにあっけなく脱穀が終わりました。これら脱穀した陸稲のうち、来年用にそれぞれ3Kgずつ種籾として来年まで保存することにしました。残りの籾は、後日籾摺りして精米するつもりです。陸稲は一度食べたことがありますが、水稲の旧品種「日本晴れ」に似た味でした。「コシヒカリ」と比べてお世辞にも美味しいお米ではありません。冷えるとさらにぼそぼそします。でも、自分で作ったお米ですのできっと美味しいはずです。
来年種まきするため保存する陸稲の種籾(もち種,うるち種)、それぞれ約3Kg
先日陸稲の稲刈りをしました。今回、まだ刈り取りが終わっていない陸稲畑の稲刈りをしました。しかし、その陸稲畑は雑草の勢いがすごくて、雑草の間にポツポツと陸稲が生えているしまつです。何度か除草したのですが、結局私が疲れ果てて除草をさぼっていたら雑草が勝ってしまいました。
雑草の間にポツポツと生えている陸稲
雑草が生い茂った理由の一つは、畑に有機物などの肥料分が少なかったことです。種をまいても初期成長が悪かったため、あっと言う間に雑草に追い越されてしまいました。もう1つの理由は、日照りです。陸稲はもともとお米の一種でとても水分を必要とします。このため、7月8月の日照りで成長が阻害されたことです。父親がよく真夏にホースで水をまいていた訳です。
細く頼りなく生えていた陸稲 刈り取って束ねた陸稲
来年は今年の失敗の反省をもとに、初期成長を促すため肥料をたくさん施そうと思います。そして、真夏の日照りにそなえてスプリンクラーなどの散水装置を考えようと思っています。先日収穫した陸稲は、肥料をやったり除草を何度もして水も少し散水しました。うるち種ともち種の陸稲をこれですべて収穫しました。初年度にしては、食べるだけの収穫ができたのでまあいいかなと思っています。
草刈機を使って陸稲畑の除草 雑草だらけの陸稲畑を除草途中
雑草だらけの陸稲畑ですが、晩秋に小麦をまく予定です。陸稲を刈り取った後、草刈機を使って綺麗に雑草を刈り取っておきました。晩秋まで2か月程度あるので、時間をみて耕運機かトラクタで整地耕運しようと思っています。なお、今回刈り取った陸稲は雑草との競争にいわば耐え抜いた陸稲です。来年は、今回収穫したものを優先的に種籾にしてまいてみようと思います。
雑草を刈り取って綺麗になった元陸稲畑、晩秋に小麦を播種予定
稲刈りするための稲刈機(通称:バインダー)を直したので、陸稲の稲刈りをする体制が整いました。しかし、稲刈りする前に雑草を取り除く必要があります。陸稲(もち)畑の草取りと土寄せは完了していたのですが、陸稲(うるち)畑はまだでした。このため、稲刈りする前日に雑草を取って軽く耕運機で畝間を耕運しておきました。これで、稲刈機を使うことができるようになりました。
畝間を草刈機で除草 除草後、畝間を耕運機で耕す
陸稲(うるち)畝間の除草耕運後、稲刈機を使って稲刈りを開始。手刈りしても良かったのですが、刈り取った稲を束ねるための乾いた稲がありません。このため、今年はすべて稲刈機で陸稲を刈り取り結束します。この稲刈機を最後使ったのは2年前です。ちゃんと稲刈りして結束できるか心配ですが。杞憂でした。
2年ぶりに使う稲刈機、快調に陸稲を刈り取り
この稲刈機、いただいてから一度も刃を磨いていないためか、稲の刈り口がやや荒れていました。そこで、山口クボタ田布施支店に行って刃を磨いてもらえるかどうか聞いてみました。すると、刃を研ぐことはしていないとのことでした。昔は、鉄工所などで刃を磨いてもらっていましたが、今は自分で磨くしかないようです。
最初に稲刈りした稲束を、仏前にある亡き父親の写真前に手向けました。父親と一緒に稲刈りしたかったのですが、かないませんでした。あの世できっと喜んでくれていると思います。手向けている時、去年,2年前,3年前と、父親と一緒に農作業したことを思い出しました。
刈り取り結束された稲束 亡き父親に手向けた最初の稲束
三か所の陸稲(もち)畑のうち、一か所の稲刈りはすぐに済んでしまいました。しかし、残り二か所の陸稲(もち)畑は、とても稲刈機で稲刈りできる状況ではありません。陸稲より雑草の方が大きく育ち、手刈りするしかありません。収量も極小になりそうです。来年の種用としてしか収穫できそうもありません。陸稲の栽培に、実質的に今年初めて挑みました。その結果は散々でした。散々な理由は二つです。一つは、雑草対策にとても苦労したことです。もう一つは、痩せた土地での陸稲栽培は困難であることです。来年は、今年の反省を元に再度チャレンジしようと思います。
刈り取ったばかりの陸稲(うるち)を小屋内で乾燥中
刈り取った陸稲(うるち)の稲束は、すぐに牛小屋内に干しました。小屋内は全く雨が降り込まないので、2週間程度で自然乾燥すると思います。
陸稲(うるち)畑の稲刈りが済むと、我家から少し離れた陸稲(もち)畑に行って稲刈りしました。そして、前回はさ掛け用に準備し竹に稲束を掛けて自然乾燥させることにしました。ここは雨露がかかるので、乾燥まで3週間程度かかるのではないかと思います。10月に脱穀します。この畑は乾燥地のため、陸稲はとても少ない収量となりました。しかし、我家でお餅や鏡餅を作る程度のもち米は収穫できました。来年用の種を取った残りを、籾摺り,精米して、お餅や鏡餅にしようと思います。
陸稲(もち)畑で稲刈り 刈り取った稲束をはさ掛けして自然乾燥
そろそろ稲刈りシーズンになったので、その準備を始めています。この地域のほとんどの農家は、コンバインを持っているため稲刈りはとても楽なようです。しかし、永く山口県を離れていた私は、そのような農業機械を持っていません。今後も買う予定はありません。このため、我家に眠っている古い機械を使うしかありません。今回、竹林で竹を切り出して陸稲畑に持っていきました。刈り取った稲束を架けて天日干し(はさ掛け)するためです。
竹林で細く長い竹の切り出し 切り出した長い竹、これを加工
はさ掛け用に使う竹は、なるべく細くて長い竹が適しています。太い竹だと、うまく稲束をかけることができません。掛けることができたとしても、風が吹いた時にクルツと回って落下してしまうことがあります。竹林の中から特別に選んだ一本を切り出して、はさ掛け用に加工しました。枝をきれいに切り払い、長さが7m位になるように両端をカットしました。この竹を、肩に担いで陸稲畑まで持って行きました。
枝を綺麗に切り払う 支柱代わりの、日当たりが良い木
陸稲畑に着くと、日当たりが良い木の幹に竹を縛りつけました。この畑は、支柱の代わりになる木が生えているので助かりました。この竹の上に、刈り取った稲を掛けて天日干します。稲束が乾燥した頃、この場所で脱穀するつもりです。
幹に固定したはさ掛け用の竹、この竹に稲束を掛けて自然乾燥
別所小学校5年生がおにぎりパーティー用に使うお米を届けました。籾摺りして精白したお米を米袋に入れてバイクに乗せて運びました。去年も同じくバイクで運びました。おにぎりパーティーは2日にあるのですが、仕事の関係で参加できずとても残念です。また、この小学校自体に、もう来ることはないと思うので残念です。
この別所小学校との出会いは、20年位前です。息子が少年サッカーをしていた頃によく訪れました。この小学校の運動場がホームグラウンドだったためです。確か雨の日は体育館でミニサッカーをしていました。そして、10年位前から米作りでお付き合いが始まりました。当時は、おにぎりパーティーではなく餅つきなどでした。子供たちと一緒に、体育館脇で餅つきして体育館内で黄粉、お醤油、納豆などを付けたりして食べました。その後、寸劇付き米作り感謝パーティーになり、おはぎ作りになり、以降おにぎりパーティーになりました。
別所小学校の正面 別所小学校の運動場
前回、別所小学校のおにぎりパーティー用のお米にするため 籾摺りをしました。今回は籾摺りに続いて精米器を使って玄米を精白しました。最初、精米器を一輪車で鈴木牧場内に運んでセットしました。精米器を置く適度な高さの台がないので、餅をつく臼をひっくり返して台としました。この臼は、6年ほど前に高校生を自宅に招いて餅つきした臼です。
餅つき用臼の上に精米器を置く、上から玄米を挿入
精白する前に、精白度を指定します。精白度が低いと胚芽米になりますし、精白度が高いと真っ白な白米になります。今回は少し胚芽が残るようにしました。電源を入れてから玄米を投入します。玄米は、精米器に上にある受け口に投入します。そして、投入口を開きます。すると精白されたお米が下に落ちます。
玄米を受け口に投入 精白されたお米が下に落ちる
今回は胚芽米と白米の中間程度の精白度でした。このため、ややくすんだ色の白米となりました。胚芽が少し残っているため、多少はぼそぼそすると思いますが栄養的には良いと思います。精米器の受け口に入れた玄米は自動的に精白されて下に置いた袋に落ちるだけです。やや手持ちぶたさで、袋に入る白米を見ていました。
米精白後、次々に米袋に落ちて溜まる白米
玄米は精白されると白米となりますが、一方で米糠が大量に出ます。米糠は精白時に玄米からはがされた胚芽やお米の表皮です。この米糠も肥料や糠漬けに使えるため採取しました。今のところ、糠漬けに使う予定がないので、畑にまいて肥料の代わりにしようと思います。
出来上がった胚芽付き白米 採取した米糠、糠漬けや肥料代わり
去年の秋に稲刈りして脱穀した別所小学校5年生のお米(籾)を籾摺りしました。お米は精米したてが一番おいしいです。このため脱穀後にすぐ籾摺りしないで、食べる直前の今回籾摺りしました。毎年のことですが小学校授業の、おにぎりパーティーで食べます。今年は仕事と重なったためこのパーティーに行けません。残念!
籾摺り機、右の受け口に籾を入れると左の袋に玄米を排出
籾摺り機は、籾を玄米と籾ガラに分ける機械です。籾を籾摺り機に入れると自動的に、玄米が袋に排出され、籾ガラは風と共に外に排出されます。今回は、玄米を袋に入れるかたわら、籾ガラも採取することにしました。籾ガラはネギ類の種まきなどに重宝します。
籾を受け口に入れる 玄米が勢いよく袋に排出
籾摺りが終わると、出来上がった玄米をチェックしました。すると、籾がわずかに混じっていました。このため、籾が混じった玄米を再度を籾摺り機に通しました。二度の籾摺りできれいな玄米が出来上がりました。この玄米のままでも食べることができます。
二度籾摺りすることによって出来上がった玄米
玄米が出来上がると、次に籾ガラを採取することにしました。籾ガラを排出する先にブルーシートを敷いておきました。このブルーシートの上に積み重なって溜まった籾柄をかき集めました。
籾ガラ排出先にブルーシーツを敷く 溜まった籾ガラをかき集める
籾摺りしていると、以前耕運機を直してあげたことがある知り合いのMさんが通りがかりました。籾ガラはそれほどたくさんは必要ありません。このため、Mさんに籾ガラを少し分けてあげました。なお、修理してあげた耕運機はその後も調子良く動いているとのことでした。
籾ガラをビニール袋に入れているMさん
先日、東京薬科大学ASIATOの稲の脱穀支援をしました。今回は籾摺機を使って、籾を玄米にする支援しました。曇り空のやや寒い朝でしたが、私と東京薬科大学生の二人で籾摺り作業をしました。
籾を籾摺機に注ぎ込んでいる東京薬科大学生
最初、籾摺機の上にある受口に籾を貯めておきます。そして、電源を入れてしばらくしてから、投入シャッターを徐々に開いて籾が少しずつ吸い込まれるようにします。ちゃんと籾が玄米になることを確認してからシャッターを開いたままにします。すると、次々に籾が吸い込まれて玄米になります。
受口に貯めた籾が吸い込まれる 籾が玄米になって米袋に排出
籾は、玄米と籾殻に分かれます。玄米はあらかじめセットしておいた米袋に排出されます。一方、籾殻は送風機の風で一気に外に排出されます。この籾殻が必要な場合は、排出方向に広いビニールシートを敷いて籾殻を回収します。今回は、籾殻を必要としないため全て地面に排出しました。
籾殻は勢いよく、風と一緒に排出される
一度全ての籾を籾摺りしましたが、わずかな数の玄米はまだ籾殻が付いていました。このため、もう一度籾摺りをしました。こうすることによって、ほぼ100%の籾が玄米になりました。
もう一度籾摺り 玄米になった籾
再度籾摺りする頃に大学生が三人やってきました。見たことがある学生だと思っていたら、去年ASIATOで活動していたOBとOGでした。今年は他のクラブと掛け持ちしている学生が多くて、なかなか部長になる学生がいないとのことでした。このため、後輩が心配になって今回やってきたようです。来年の体制が早く決まるといいと思います。
手伝いにやってきたASIATOのOBとOG
東京薬科大学環境グループASIATOの脱穀支援をしました。去年は10月中旬に脱穀支援しましたが、今年は11月下旬になりました。先日まではとても古い骨董的な脱穀機を使いましたが、今回は、現代の農家で一般的に使われているハーベスターと呼ばれる脱穀機を使ってみることにしました。この機械を使うのは私は初めてです。しかし、以前使っていた古いハーベスターと使い方が良く似ていたため、比較的簡単に扱うことができました。
ハーベスターの前に、リヤカーで運んだ稲を降ろしている東京薬科大学生
先日、多摩丘陵の自然を守る会の方々の脱穀支援と別所小学校5年生の稲を脱穀した場所は田んぼ近くの畑でした。しかし、脱穀機を動かすディーゼル耕運機を返却しなければならなくなり、この骨董的な脱穀機を使うことができなくなりました。そこで、鈴木牧場に置いてあったハーベスターを急遽使うことにしました。このため、東京薬科大学ASIATOの学生が作った稲は、このハーベスターがおいてある鈴木牧場まで運んで脱穀することにしました。このため、学生には田んぼから鈴子牧場に脱穀する稲を運んでもらうことにしました。少ない回数で運べるよう、リヤカーを学生に貸し出しました。
脱穀する稲をハーベスターに載せる 脱穀された稲は自動排出
私はもっぱら、ハーベスターを移動したり、機械類のセッティングをしました。初めて使う機械のため、各種調整箇所を入念に調べました。そして、エンジンをかけて調子を見たり、気温が低いため暖機運転してエンジンを温めておきました。
ハーベターに載せるだけで、自動的に稲が移動して脱穀選別完了
私はこれまで、いろいろな脱穀機を使ってきました。古いものは、千歯こぎ,足踏み脱穀機などです。このハーベスターを使うと、あっと言うまに脱穀が完了してしまいます。簡単に脱穀が終わってしまうため拍子抜けしてしまいます。大学生に稲を運んでもらいましたが、運んだ時間は2時間程度かかりましたが、脱穀した時間はほんの15分程度でした。便利になったものですが、今はもっと効率的な機械ができています。それは、コンバインと呼ばれる機械で、稲刈りから脱穀,ワラ切りまで一つの機械で済ませてしまいます。今回の脱穀で、今年作った稲は全て脱穀が終わりました。残っているのは、籾を精米する作業だけです。
脱穀が終わったワラが山積み 籾が入る袋は二つセット可
先日鈴木牧場から畑に持ってきた脱穀機、多摩丘陵の自然を守る会の方々の脱穀や別所小学校5年生の稲の脱穀に使いました。しかし、まだ脱穀していない東京薬科大学生ASIATOは、鈴木牧場にある新しい脱穀機を使うことにしました。このため、今後この古い脱穀機を使う予定が無くなったため鈴木牧場に戻しました。
脱穀機を鈴木牧場に戻すためのリヤカーを畑に持ってくる
この古い脱穀機は、今は亡き近くの古老に稲刈り機などと一緒にいただいた物の一つです。なにぶん古いので床板の部分が傷んでいます。このため、床板が引っかかってリヤカーに乗せるのが一苦労です。横に倒した脱穀機にリヤカーを横付けする形にして、なんとかリヤカーの乗せることができました。そして、脱穀機の位置がリヤカーの車輪の真上になるようにすると運びやすくなります。
脱穀機を載せるのが一苦労 畑から転がり落ちないよう注意
脱穀機をリヤカーでこの畑に運び込んだときは、上り坂だったため息をはずませながらリヤカーを動かしました。しかし、今回は下り坂のため、逆にリヤカーに勢いがつかないように押さえながら鈴木牧場に向かいました。
鈴木牧場に戻る途中の路上で、ちょっと休憩
リヤカーを押して20分位でしょうか、リヤカーを収める鈴木牧場に着きました。山積みされている牛糞を車輪が踏まないように注意しながら牧場内にリヤカーを進めました。そして、リヤカーから脱穀機を下ろして所定の位置に置きました。この古い脱穀機、発動機が必要ですし、籾を人の手ですくって袋に入れなければなりません。骨董的な機械で、とても手間がかかります。もう使うことは無いかも知れません。
やっと鈴木牧場に到着 リヤカーから脱穀機を降ろす、疲れた!
一週間ほど前、別所小学校5年生が稲刈りをしました。この稲がだいぶ乾いたため、私一人で脱穀して籾にしました。脱穀方法は、多摩丘陵の自然を守る会の方々を脱穀支援したのと同じ脱穀機と耕運機を使用しました。籾が下に落ちる方式の脱穀機でしたので、籾の受け箱を作って使いました。余った段ボールを利用して受け箱を作りました。
余った段ボールを加工 出来上がった籾の受け箱
作った籾の受け箱は脱穀する前に、脱穀機の下にセットしておきました。こうしておくと、籾を手でかき集めなくても受け箱に籾が溜まります。適度に籾が溜まったら、脱穀をいったん中止して受け箱を取り出して袋に籾を入れます。
脱穀機の下に、段ポールで作った籾の受け箱をセット
脱穀の準備が整うと、小学生達が稲刈りして干した稲を田んぼに取りに行きました。稲はだいぶ乾いていたので、稲刈りしたときよりも軽くなっていました。稲を稲架(はさ)から取り上げると籾粒がサラサラと音をたてます。稲は一輪車に乗せて、落ちないように紐で縛り付けました。そして、田んぼから脱穀機から置いてある畑まで運びました。
稲架(はさ)に架けて乾かした稲束 稲を一輪車に乗せて畑に運搬
乾いた稲束を畑に運んで積むと、耕耘機とベルトで繋がった脱穀機を動かしました。そして、稲束を脱穀の挿入口に次々に入れて脱穀をしました。脱穀機の内側で取れた籾がはぜるのか、パチパチいう音が聞こえます。この音が聞こえると、稲にちゃんと籾が実った証拠です。脱穀機下の籾の受け箱に、籾が脱穀するたびに籾が溜まりました。
田んぼから運搬した稲束を次々に脱穀
脱穀をすると籾が下に落ちます。落ちた籾は受け箱にどんどん溜まります。そして、受け箱に籾がだいぶ溜まると脱穀をいったん停止します。次に受け箱を取り出して、溜まった籾を袋に移します。
籾の受け箱に籾が溜まるといったん脱穀を停止
籾の受け箱は、脱穀機の寸法に合わせて作ったため、箱より外に飛び出る籾はあまりありませんでした。段ボールで作った籾の受け箱は正解でした。脱穀して受け箱に籾が溜まると、脱穀を停止して、籾を袋に移し、脱穀の再開の繰り返しでした。
受け箱に溜まった籾を袋に移す 空になった受け箱を再度セット
田んぼの稲の脱穀が終了すると、今度は小学生達が小学校構内のバケツで育てた稲を脱穀しました。一人一つのバケツで稲を育てたのでしょう、小さな稲束には育てた小学生一人一人の名前が書いてありました。
一人一人がバケツで育てた稲束、育てた小学生の名前が書いてある
小学生達が場むつで育てた稲をよく見ると、だいぶシイナがありました。シイナとは、実が入っていない籾のことです。実が入っていないので籾がとても軽いのが特徴です。実が入っている稲もありましたが、ほとんどがシイナでした。それでも脱穀すると、両手で持てるほどの籾が取りました。田んぼで稲刈りして今回脱穀した籾とバケツ稲の籾を合わせて、来年1月頃に精米して子供達の元へ届けます。このお米で子供達はおにぎりを作ります。どんな味のおにぎりになるでしょうか。
実が全く入っていない籾(シイナ) 子供達が栽培したバケツ稲を脱穀中
8日、多摩丘陵の自然を守る会の方々が刈り取って干した稲を脱穀する支援をしました。支援と言っても、脱穀機とその脱穀機を動かす発動機を用意することだけです。そして、脱穀機がちゃんと動くようにメンテナンスしたり調整することです。来年私は山口県に帰るので、来年以降はもう脱穀などの支援はできません。多摩丘陵の自然を守る会の脱穀支援は今回が最後になります。
とても古い脱穀機とそれを動かすディーゼル耕運機
毎年のように脱穀を支援してきたのでちょっとさびしい気持ちでした。ちなみに、ここ数年支援したのは、'04/11/10,'05/10/22,'06/10/31,'07/10/23,'08/11/7,'09/11/9,'10/11/10です。このように、毎年支援をしています。高校生や大学生と一緒に脱穀したり、足踏み脱穀機を使ってみたり、縄綯い機を使ってみたこともありました。
乾いた稲を差し込んで脱穀 余分な藁屑は噴出される
今回使用した脱穀機は、去年まで使ってきた脱穀機とは違いさらに古いものです。一番の違いは、これまで使ってきた脱穀機は、籾が自動的に袋に入ります。しかし、今回のものは籾が下に落下するため人がすくって袋に入れなければなりません。このため、とても効率が悪い脱穀機で、昭和初期の機械ではないかと思います。この脱穀機、何年か前に亡くなった古老からいただいたものです。博物館に入れて展示しても良いほどの古い骨董品です。
籾が下に落ちるため、人が籾をすくって袋に入れる超古脱穀機
この脱穀機は数年前まで、大学生達が稲の脱穀機に使っていました。私が立ち会ってメンテナンスしていました。回す動力は、鈴子牧場にある三相交流モーターを使っていました。ただ、だいぶ古くなって土台の板が腐っていますので、もうそんなに永くは使えないと思います。
下に落ちる籾を器に受ける 器に溜まった籾を袋に入れる
明日は、先日稲刈りした小学生達の稲を脱穀する予定です。干してから約一週間程度経つので脱穀できるほど稲が乾燥しています。田んぼから稲を手で運んで、今回と同じ場所で脱穀します。脱穀した籾は精米して来年1月頃に小学校に持っていきます。小学生達はこのお米をおにぎりにして食べます。
積み上げられた稲の山 女性も稲の脱穀に挑戦
脱穀機を回す動力である発動機はディーゼル耕運機を使いました。この耕運機は動力を取り出すことができるので重宝します。昔は一つの発動機であらゆる農業機械を動かしました。私が子供の頃、耕運機から動力を取り出して、荷車,脱穀機,藁カッター,ポンプなどに使っていました。もっと昔は、村に一つだけある発動機を毎日のように使い回していたようです。
そろそろ脱穀終盤、脱穀機の下に落ちた籾を拾い集める
脱穀が終わると大量の藁(ワラ)が出ます。多摩丘陵の自然を守る会では、この藁を毎年のように田んぼにばらまいて冬水田んぼにしています。冬水田んぼの水分で春るまでには藁が腐って分解するようです。この冬水田んぼ、春になるとカエル達の産卵場所になっています。
藁は田んぼの冬水田んぼにばらまく 明日の脱穀に備えシートを被覆
11月2日、別所小学校5年生が稲刈りにやってきて、刈り取った稲を稲架(にお)に架けて行きました。一週間後位には架けた稲が乾燥し終わります。乾燥具合をみて9日頃に脱穀する予定です。また、多摩丘陵の自然を守る会の方々が稲刈りして干した稲を、8日に脱穀支援する予定になっています。去年も11月に脱穀支援。7日は日勤,8日は深夜明けのため、今から脱穀の準備をしておきました。
鈴木牧場に置いていた脱穀機をリヤカーに乗せる
脱穀機は、何年も前から鈴木牧場に保管しており、使うときはリヤカーに乗せて運びます。去年の秋に脱穀機の運搬に使って以来一度も使わなかったため、タイヤの空気がだいぶ減っていました。このため、空気入れで空気を充填しました。このリヤカーに脱穀機を乗せて、軽い坂道をゆるゆると畑まで運びました。一人で上り坂を運ぶのはとても疲れます。
この脱穀機は発動機を利用して動かします。籾は脱穀機の下に溜まるため、手などでかき寄せながら袋に詰めなければなりません。やや面倒くさい脱穀方法です。なお、去年まで使っていた脱穀機は自動的に籾が袋に入りますが、今は山口県に移送しているため使えません。
リヤカーを押しながら坂道を登る 畑前に到着、脱穀機を下ろす
脱穀機を動かす発動機は、堀の内里山公園のディーゼル耕運機を使います。これまで使っていた発動機は山口県へ移送したので使えません。みんなが使う耕運機のため、予約の上で当日畑に移動して使おうと思っています。脱穀機を運搬中に雨が降り始めたため、降ろした脱穀機にビニールシートをかけておきました。リヤカーは鈴木牧場に戻しました。8日の脱穀日、天気予報で晴れの予想ですが気になるところです。。
雨が降り始めたため、脱穀機にビニールシートを被服
別所小学校5年生達が、稲刈りをするために田んぼにやってきました。夏に田植えや草取りをした田んぼで稲刈りです。子供たちが来る前に、私は昨日用意したカマや稲の結束用藁を田んぼに持ち込みました。そして、子供たちが来るのを待ちました。今回は、風も無く秋晴れの絶好の稲刈り日和でした。
カマや結束用藁を田んぼに持ち込み、小学生達を待つ
9時過ぎに小学5年生達が先生に引率されてやってきました。2クラスですので、70人位の生徒でしょうか。また、支援としてお母さん達8人位も稲刈りに参加です。子供達が到着すると最初、私が稲刈りの方法やカマなど危険物の扱いなどについて説明しました。
最初お母さん方が稲刈り体験 さあ、稲刈りの開始です
今回支援に参加していただいたお母さん方は、全員稲刈りは初めてとのことでした。このため、子供達が稲刈りする前に、お母さん方に稲刈りの方法を教えました。これは、私一人では子供達全員を見れないため、お母さん方に稲刈り方法を知ってもらった上でお母さん方からも子供達に教えてもらいたいからです。
雑草の間に生えている稲を選びながら稲刈り
田んぼには除草剤をまいていないため、夏から雑草が沢山生えています。その雑草の間に所々稲が生えている状態です。稲が元気な場所は稲しか育っていませんが、ほとんどは雑草だらけで稲を探すようにしながらの稲刈りです。去年は稲だけを刈ることができましたが、今年は雑草の間を歩きながらの稲刈りになってしまいました。
刈り取った稲は藁で結束 結束方法をお母さんに教えてもらう
去年までは、稲刈りと脱穀を並行して作業できたのですが、今年は脱穀機を置く予定だった田んぼがまだ刈り取りされていませんでした。仮に刈り取りされていたとしても、田んぼは水浸しのため脱穀機を置ける状況ではありません。残念ながら、今年は稲刈りだけの体験になってしまいました。例年稲刈りと脱穀を同時にしてきましたが、稲刈りしかできないのは初めてのことでした。
風のない秋晴れの、絶好の稲刈り日和でしたが・・・・
一番困ったのは、田んぼの水が抜けなかったためにぬかるんだ中で稲刈りをしなければならないことでした。あらかじめ長靴を持参してもらったのですが、その長靴自体が泥土の中にめりこんでしまうことです。このため、長靴が泥内に埋まって見えなくなってしまった子などいました。その子は、一生懸命に長靴を泥中から引っ張り出していました。どの子供達にとっても大変な稲刈りになってしまいました。
あまりに泥に長靴がめり込むため、靴下や裸足になる子も
一人の子が泥に長靴を取られて動けなくなっていた。たまたま通りかかった私が助けようとしたら、私自身がバランスを崩して背中から倒れてしまいました。おかげで背中が泥だらけになりました。男の子は総じて泥だらになっていました。稲刈りと言うよりも、夏の泥んこ運動会のようでした。ほとんどの子供達は稲刈りする時間よりも、泥に足をとられて抜け出す方に時間をとられていたのではないかと思います。
自力で泥から抜け出す子供 お母さんに引っ張り助けてもらう子供
去年は、大学生などの支援もあって2面の田んぼを稲刈りすることがができました。今年は大学生などの支援がなかったためか、全部の稲を刈り取ることができませんでした。刈り取りできなかった稲は、私が暇を見ながら少しずつ刈り取るつもりです。そして、全部刈り取って干し終わったら脱穀します。12月上旬までに、脱穀まで終わらせればいいかなと思っています。
ぬかるんだ泥の中で、笑顔で七転八倒している子供達
泥で足などがだいぶ汚れてしまったため、早めの10時40分に稲刈り終了としました。子供達はすぐに、近くを流れる小川に行きました。そして、汚れた足などに付いた泥を洗い流しました。汚れた足,汚れた長靴,汚れた手袋,汚れた靴下など・・・・ワイワイ言いながら洗っていました。
足を最初に、次に長靴などを洗う 雑談しながら楽しそうに汚れを落とす
このような体験は一生の間でもそうありません。今日は授業で田んぼに来た子供達でしたが、こんな楽しい体験授業はまずありません。とても良い思い出になったのではないかと思います。今回刈り取った稲は、干しあがった後に私が脱穀します。そして、来年1月頃に籾摺りして精米して小学校に持って行きます。毎年のことですが、そのお米をおにぎりパーティーでおにぎりにして食べます。このように子供達は、夏に田植えして草取りして,秋に稲刈りしたお米を冬に調理して食べます。
田んぼ脇を流れる自然の小川
日向ぼっこしながら楽しげに汚れを落とす子供達
今回の稲刈りは、私がこれまで手がけた中で一番大変な稲刈りでした。子供達は嫌がるかと思っていましたが、意外に泥の中での稲刈りを楽しんでいたようです。稲刈りよりもぬかるんだ泥を楽しんでいるようにも見えました。友達と輪になって稲刈りしたり、足を取られた友達を助けようとしたり、女の子の長靴を男の子が洗ってあげたり・・・など、素敵な人間模様が随所に見えました。将来、健全な大人に育ってくれることと思います。
大変だったけど楽しかった稲刈り、1組と2組の小学5年生達
明日(11/2)の別所小学校5年生の稲刈り体験準備をしました。前回まで、稲刈りする田んぼの草刈りをしたり、刈った草を干す稲架を作ったりしました。そして、稲の試し刈りをしました。今回は、稲を刈るためのカマを砥いだり、刈り取った稲を束ねる稲ワラを用意しました。カマは、今年春の麦刈り以後使っていなかったためだいぶ錆びていました。
稲刈りするためのカマ、だいぶ錆びていたため砥ぐ
錆びたカマをバケツに入れ、砥石も入れて小川に向かいました。そして、流れる水に石を動かないように置きました。砥ぐカマを左手で持って石の上に固定し、右手に持った砥石でカマを研ぎました。カマを研ぐにはいろいろな方法があります。砥石を固定して、その砥石に上を研ぐ方法、ひざの上に左手で持ったカマを置いて砥ぐ方法などあります。私は、場所に応じて砥ぐ方法を使い分けています。
ノコギリガマ5本と普通のカマ6本 ノコギリガマの刃
稲や麦を刈る専用のカマがノコギリガマです。刃がギザギザになっているため硬い茎でも容易に刈ることができます。ただし、稲や麦以外の、例えば笹刈りなどには使えません。私は子供の頃からノコギリガマではなく普通のカマを使ってきたため、普通のカマを使う方が自分に合っています。カマは使い方を誤ると大変危険です。明日の稲刈り直前に、子供達の前でカマを使うための注意を説明するつもりです。
小川に置いた砥石と、砥いでいる途中のノコギリガマ
カマを砥ぐと次に、刈り取った稲を束ねるための藁を作りました。去年収穫した稲藁をそのまま使うこともできますが、縛っている途中に茎の節の部分が折れてしまうことがあります。それを避けるため、あらかじめ槌で叩いて稲の茎を柔らかくしておきます。そうすると、縛りやすくなりかつ茎が折れず丈夫に縛れます。明日、稲刈り前に小川の水に軽く浸して使います。
稲の茎を槌でたたいて柔らかく 稲の結束に使う藁、全てを柔らかく