前回、聖書に出てくる言葉には、「意味深さ(奥義性)のランク」のようなものがみられる、~と筆者(鹿嶋)は言った。
今回はその第一番目~ ①「父なる創造主発の言葉」を具体的にみよう。
(今回は少し長くなる)
<イエスが変貌した山での事例>
この種の言葉の数は多くない。
以下に一つの事例を示そう~。
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「イエスは、ペテロとヤコブと、その兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
彼らの目の前で、イエスの御姿が変わった。
御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。
そこにモーセとエリヤが現れてイエスと話し合っていた。
すると、ペテロがイエスに言った。
『先生、私たちがここにいるのは、素晴らしいことです。
もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋をつくります。
先生のために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ』
彼がまだ話している間に、光り輝く雲が三人をつつんだ。
そして、雲の中から声がした。
『これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ。
彼の言うことを聞きなさい』」
弟子たちはこの声を聞いて、恐れ震えて、ひれ伏した。
するとイエスが来られて、彼らに手を触れて言われた。
『起きなさい、怖がることはない』
(「マタイの福音書」17章1-5節)
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<創造主は何も「説明」しない>
~ここで「これは私の愛する子・・・彼の言うことを聞きなさい」が、創造主発の言葉である。
これが何を言っているか、そのままでは、ほとんど皆目わからない。
多くの奥義を含んでいそうだが、創造主は、わざわざそれを説明しない。
それが創造主発の言葉の特徴だが、いまそれを解読してみよう。
<イエスの言葉さえ説明要素に>
結論から先に言えば、父のこの言葉は、御子イエスの言葉ですらを、その奥義の説明要素にしている。
イエスが別のところで言っている、次の言葉がそれだ~。
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「諸君は聖書(旧約聖書)のなかに永遠のいのちがあると思って読んでいます。
だが、聖書は私のことを述べているのです」
(「ヨハネの福音書」5章39節)
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~ええっ? 何言ってるの?
そう、イエスのこの言葉だって、解読しないとその奥義がわからない。
そういう言葉を、奥義として含んでいるのが、「父なる」創造主のことばなのだ。
(だから深いのだ)
でもとにかく、このイエスの言葉を解読してみよう~。
<旧約聖書はオレのことを言っている本>
では、始める~。
まず、イエスが語っているこの時点では新約聖書は存在しない。
だから、聖書と言えば、いまでいう「旧約聖書」のことだ。
まず、それを認識しよう。
~すると、「旧約聖書は、実は、自分(イエス)のことを述べている本だ」と、イエスが言っていることがわかる。
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だけど、旧約にはイエスという名は一度も出てこないよ。
なのにイエスのことを述べているのであれば、それは、次のケースでしかない。
すなわち、それは比喩(たとえ:別のものに投影すること)でもってイエスを述べている以外にないのだ。
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そして実際に、その視角で読むと、旧約は、なんと、すべてが見事に新約聖書のイエスを比喩表現していることがわかってくる。
(ここではトライしないが、興味のある人は、試みられたい)
<旧約の預言は「養育係」>
だがそういうことであれば、また、別の疑問が出てくる。
~どうせイエスが登場して、そのものズバリで、イエスを示すのならば、旧約聖書なんて必要なかったのではないのか?
その存在意義はあったのか?
あったならなんのために存在したのか?
~これに対して伝道者(使徒)パウロは、その手紙の中で述べている。
聖句を見よう~。
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「イエスの言葉(理知)が現れる以前には、わたしたちは律法の監督下に置かれ閉じ込められていました。
・・・・(中略)・・・律法は私たちをキリストへと導くための養育係となりました。
・・・(中略)・・・だがイエスの言葉が現れた以上、わたしたちはもはや養育係の下にはいません」
(ガラテヤ人への手紙、3章24-5節)
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ここでパウロは「律法」の語を旧約聖書全体を代表させて使っている。
彼は~「イエス(の理知)が現れる前には、旧約聖書はイエスを知る認知力を養うための養育係として役に立った」という。
そして~
「だが本物(イエス)が現れたのだから、もう、養育係は要らないよ」
~といっているのである。
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モーセもエリヤも旧約時代の預言者だ。
御子イエスがいる今、もう、旧約の預言は要らない。
~以上でようやっと、イエスが「変貌」した山で、創造神から直接下った言葉~
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「『これは私の愛する子、・・・彼の言うことを聞きなさい』」
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~の意味(奥義)が解読できた。
つまり、「モーセとエリヤの幕屋」は、ヤコブにもヨハネにも、もう不要だと、
父なる創造主はいっていたのだ。
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長かった・・・。
創造神発の言葉は、こんな膨大な奥義を含めていた。
御子イエスの言葉でさえ、その奥義の説明になるとはね。
さすが万物の創造主だ・・・。
<過去を追憶する素材>
~蛇足を少々。
万物の創造主発の言葉の権威は絶対だが、筆者(鹿嶋)の私情もひとこと付言させて欲しい。
父なる創造主は、そっけなさすぎでないの?
いまや旧約には存在意義がないといっても、なにか少しはみとめてあげたら?
かつて「モーセやエリヤの預言」は、教科書として旧約の人々を養育してくれた。
そういう過去を懐かしく追想する素材としての価値を、認めてあげましょうよ。
(続きます)