鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

イエスの同一化人間には権能となる

2022年05月31日 | 永続確信のための聖書解読

 

 天使論の続きだ。 

 イエスの教えを解するには、天使に関する知識がたくさん必要だから仕方ない。 

 

+++ 

 

 天使はイエスと同一化するほどに愛した人間にはその「力」としても働く。 

 伝道者パウロはこういっている~。 

  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

「御使いは皆、仕える霊であって、

救いの相続者となる人々に仕えるためにも遣わされているのではありませんか」 

         (ヘブル人への手紙、1章14節) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・

  

 ~ここで「救いの相続者」とはイエスを愛し同一化した~そうすると「救い(罪からの)」を受けられる~人間を言っている。 

 この人々には、天使は随行してその人の権能として仕え働くのだ。 

  

 <「しるし」で証拠付けよとの命令> 

  

 だからイエスは宣教するものに、教えを述べ「しるし(目に見える奇跡)」で証拠付けよ、命じている。 

 「マルコ伝」に記録されたイエスの次の言葉は、それを言っている~。 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・

 「全世界に出て行き、すべての創られたものに福音を述べ伝えなさい。

・・・・(中略)・・・・。信じる者には次のしるしが伴います。

すなわち私の名によって・・・(中略)・・・病人に手を置けば病人は癒やされます。」 

         (マルコによる福音書、16章15-18節) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・

  

 ~ここで「信じる者」とは「イエスを愛し同一化した」人間を言っている。

 そういう人間は、父なる創造主からみたら愛する御子と同じだ。 

 

 だから、御使いを随行させ仕えさせる。 

 彼に随行する天使が(手を置けば)癒やしの働きをするのだ。 

 

+++ 

 

 ちなみに、人間自体に癒やしの超能力がないのは明らかだ。

 それが癒やすなら、その現象は力を持つ天使によるものでしかない。 

 

 こうして、イエスと同一化した者には、天使が彼の権能として働くことが明らかになる。 

 

<ニッポン教会の病根> 

 

 余談である。 

 このこと、すなわち人間が超自然な力を発揮しうる、ということは、最初はだれでも受け入れがたい。 

「まさか・・・」いう気持ちになるのは自然なことだ。 

 

 けれども、だがらといって、そこにとどまって、この人間の持ちうる権能にまで、聖書解読を進めないのは問題だ。 

 

 日本の牧師さんや神学者さんは、その状態にあり続けてきている。 

  その結果、日本の教会はあらかた「力のない」教会になっている。 

 

 そして、倫理道徳をたくさん説教する場になってしまっている。 

 

(続きます) 

 

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天使は「力ある霊」

2022年05月30日 | 永続確信のための聖書解読

 

天使には様々な任務が与えられている。 

それを担当するグループに分けられていて、各々には天使長がいる。 

 

+++ 

 

 創造主の言葉を伝える天使群の長の名はガブリエルとして聖書に現れている。 

 「戦い」の任務を持ったグループの天使長の名はミカエルだ。これも聖書に出てくる。 

  英米人のマイケルと言う名はこれからきている。 

 

 <癒やしの天使> 

 

 その他、人の肉体を癒やす天使の存在も推定される。 

 奇跡的とみられる肉体の癒やしは、患部組織を蒸発させ、新しい組織を形成する作業だ。

 天使にはそれを行う超自然的な力をもった「力ある霊」もいそうだ。 

 

+++ 

 

 聖書で「イエスが癒やした」とか「聖霊がいやした」と表現されている場面がある。 

 そこには実際には天使が肉体を変化させたと解するのが適切な場面が多くある。 

 

 天使は「仕える霊」でもあって、イエスにも聖霊にも従いついて働くのだ。 

 

(続きます) 

 

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天使は軍人精神の被造霊

2022年05月29日 | 永続確信のための聖書解読

 

「聖書は人間に永続確信をどう与えるか」の探求をしているのに、いつそれに入るのだ? 

 

 その疑問はもっともだが、それには、 

 ①イエスの教えを知り、 

 ②その各々が各場面で人々の心理にどう影響していくか、を見なければならない。 

 

 そして①のためには、イエスが教えの背景としている霊界理論を知っていなければならない。 

  彼はそれをいちいち説明してから話すということはしてないのだ。 

 

 それで今回も天使論で「天使の性格」について。 

 

<軍隊組織に収納されている> 

 

 まず知るべきは、天使は軍隊の組織にて管理されていることだ。 

イエスの次の言葉は、それを示唆している~。 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・

 「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな、剣で滅びます。 

 それとも、わたしが父にお願いして、12軍団よりも多くの御使いを、いま私の配下に置いていただくことが出来ないとでも思うのですか。」 

        (マタイによる福音書、26章52~54節) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・

  

<「命令 ⇒ 服従」の行動原理> 

 

 軍隊では人は「命令 ⇒ 服従」のルールで行動する。 

 

 民間の会社などでは、「(話し合ったうえで)命令 ⇒ (理解したら)自発的に行動」という原理だ。 

 

 だが、軍隊は戦争用に作られた組織だ。 

そんな悠長なことしてたら敵に勝てない。 

  「命令 ⇒ 服従」は最適な行動方式なのだ。 

 

<即決裁判> 

 

 裁判も軍隊では独特だ。 

 命令に従わない違反者は裁判にかけられるが、それは即決裁判だ。 

 

 民間の裁判では、法に反した被告には弁護士がついて、検事と対座してくれる。 

  被告側、検事側おのおのが証人を出して事態について入念に説明する。 

 被告の「悔い改め(反省)の心」をも、裁判官は考慮したうえで、判決を出す。 

 

+++ 

 

 だが軍隊組織は機敏に行動せねば戦いに負けてしまう。 

 そこで軍事法廷では罪が提示されたら、裁判官は即決する。 

 

 被告には「悔い改め」の余地は許されていない。 

 そんなもの許していたら「命令 ⇒ 服従」システムは機能しなくなる。

 敵前逃亡(戦場で怖くなって逃げ出すこと)の罪などは、反省しても即決死刑だ。 

 

<天使の性格> 

 

 そうした集団で生きる天使は、軍人の性格を持っている。  

だから彼らは~ 

 

  ①「命令 ⇒ 服従」の原理で行動する。 

 そして 

 ②「悔い改め」の感情は持ち合わせていない。 

 

 イエスの教えの背景にはこうした霊界論理もある。 

 知っておくべきだ。 

  

(続きます) 

 

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天使の原型は人間と同じ姿

2022年05月27日 | 永続確信のための聖書解読

 

 イエスの教えの背景にある霊界理論、今回は天使の姿を示そう。 

 

 天使は被造されたものだが霊だから様々に変容する。火にもなり風にもなる。 

  そういう霊だから、基本形というか、原型はないという解釈もある。 

 

+++ 

 

 けれども、変容はするが、通常帰着するところの原型はあると考えた方がいいと、筆者は思う。 

 そしてそれを人間と同じ姿と考えるのがいい。 

 

 その方が、天使をイメージしやすく、天使論を論じやすいのだ。 

  また、それによって、天使理解に大きな支障が生じることもなさそうだ。 

  

<だが背中に羽根はダメ> 

 

 だが、姿形を似たようにイメージしても、他の面でも人間と同じに考えてしまってはいけない。 

 

 昔から天使を背中に羽根をつけた人間の姿に描いた絵画が多い(今もそうだが)。 

 これは天使が空中を移動するということからイメージしたものだろう。 

 

 人間の身体は肉体を持っているから重い。 

  だが天使は全身が霊だから羽根などなくても、空中を飛翔できる。 

 

 天使は、空間を超越している存在で、そのままで天国と宇宙の間をも往来できるのだ。 

  

<エンゼルマークだって?!> 

 

 背中に羽根がついた、丸々太った赤ん坊として描く例もある。 

  けれどもこれはローマ神話のキューピットの絵だ。 

 

 日本のキャラメルメーカーがこれを商品パッケージに描いて、「エンゼル(天使)マーク」と称したものだからたまらない。 

 この誤ったイメージは、いまも全国に普及している。 

 

 天使論は、聖書にその理論が直裁的に記述されてない。 

  その結果、職業聖職者である神学者も牧師さんもほとんど把握していないのが実情だ。 

 

 だが、天使は福音理論のなかで、大きな役割を演じている存在だ。 

 正確にイメージしておこう。 

 

(続きます) 

 

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まず天国と天使を創造する

2022年05月25日 | 永続確信のための聖書解読

 

 イエスの教えの背景にある霊界理論、今回は被造界が創造されはじめるところを述べよう。  

  

 まず最初の存在は、前回に述べた三位一体の創造神、すなわち父なる創造主と御子イエスと聖霊だけだ。  

  

 この三者だけが、無限の過去から存在してきている。  

     (これが「創造神アリ」の世界観の特徴だ) 

  

+++  

  

 そして被造物の創造が始まる。  

 創造主はその懐の中に、被造界を創造し始めるのだ。  

  

 最初は、天国という被造空間である。  

 この空間は巨大な球体とイメージしておいていい。 

 

 そこに創造主はまず、将来御子が座するための王座を置く。 

 

 「神は愛」という聖句もあるように、創造主は全ての存在を愛される。 

 だが、最も愛するのは、一人子の御子である。 

 

 そう聞くとさみしいかもしれないが、聖書はその論理で全体系が矛盾なく解読されるようにできている。 

  創造主は、将来、最愛のひとり子が王として統治する霊的世界になることを主目的として天国空間をつくるのだ。  

   

<天使を創る>  

  

 次にその超広大な空間のなかに創造主は無数の天使を創る。  

 無数と言ってもイメージしがたいなら、今の地球上の人口、60億の何倍か、と考えておこう。 

 とにかく天国の全ての場所に、あまねくいるように、天使を創るのだ。 

 

+++ 

 

 天使は肉体をもたず、霊だけでなっている被造霊だ。  

  

 この被造霊は「御使い(みつかい)」とも呼ばれ、創造主につかえ、賛美するのを本務とする。  

    

<御子のために創る>  

  

 天国の正確な名称は「天の創造神(主)王国」(Kingdom of Heaven) で、そこは創造主が、全権を持った王として統治する霊界だ。  

  

 それは我々のすむ地上世界で理想とされることが多い民主制世界とはちがう。  

 民主制では国を構成する民に主権があるが、天国の主権は、王として頂点に立って統治する創造主にある。 

 

 その主権を、将来、御子に相続させるために、創造神は天国という巨大な被造空間をつくるのだ。  

   

(続きます) 

 

 

 

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創造主は三者でなっている

2022年05月24日 | 永続確信のための聖書解読

 

 イエスは霊界の状況を教えたが、その背景にはまた壮大な霊界理論がある。 

 だが、イエスはそれをいちいち話してから霊界状況を教えるというような(面倒な)ことはしていない。 

 

 そこで筆者がまず、その背景の理論を体系的に整理しながら示していこう。 

 

+++  

   

「世界には万物を創造した創造主(神)がいる」というのは、旧約聖書で(自存者として)示された。これは前述した。  

  

 イエスは、その創造主は、お一人ではなく「実はもうお二方いて、合計三者だ」と教えた。  

  お二方とは、創造主の「ひとり子」である御子(みこ)イエスと「聖霊」だという。  

  

+++  

  

 創造主は被造界を創り、そこに「いのち」というエネルギー波動を放射している。 

  

   御子は父なる創造主を深く愛し、父のみむね(御心)を実現すべく、従順に働く。  

  

  聖霊はそうした御子の働きを助ける。  

  

 これら三者が一体となったのが、創造霊(神)の実体だとイエスは考えている。  

  

  

<三位一体>  

  

 ちなみに、この三者「父、子、聖霊」 はまとめて 「三位一体(さんみいったい)」と言われることもある。 

 三者はあたかも一体であるかのごとくに働くので「三つにして一つ」とも考えられるからである。  

  

   

<神学>  

  

 ただしこれは聖書のなかの言葉ではなく、神学用語だ。  

  

 神学とは、「聖書の中にある言葉(聖句)を解釈し、論理構造を見つけ出していく学問」だ。  

  

 英語ではセオロジー(theology)。  

 これは理論(セオリー:theory)という語の元になっている。  

  

 神学活動で見つけ出される論理体系を「教理」という。 

 解釈はいろいろにできるから、教理もいろいろつくりうる。  

  

 こうした論理体系を専門的に研究する神学部という学部をもつ大学は、我が国にもいくつかある。  

  

  

(続きます)  

  

 

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「書いて残そう!」

2022年05月23日 | 永続確信のための聖書解読

 

 イエスはナザレという小さな村の一青年であった。 

 

その彼が首都エルサレムに出てきて、画期的な教えをなし、それを自らの人生で実証した。 

 

 

+++ 

 

 イエスが昇天していなくなった後、弟子やその他の人々は、彼の教えを証言して回った。いわゆる口頭伝道だ。 

 

 だが、後に彼らは気づいていった。 

イエスと同世代の自分たちがいなくなったら、後の世代の人々はそれを知ることができなくなるだろうことを。 

 

 そこでイエスのことを文字で書き残していこう動きが起きた。 

  

<「伝記」になったのは> 

 

 そして結果的に、「教え」だけではなく、それも含めたイエス本人の言動記録、つまり伝記が記されることになった。 

 

 理由の一つは、彼の生涯それ自体が、人間に「永続の確信」と「永遠の幸福の希望」を与えるメッセージになっていたことである。 

 

 だが、一般的な理由もある。 

 ある人の教えを理解するには、それだけを聞くより、その人の生涯の物語のなかで聞いた方がよくわかる。 

 

 著者たちは書き始めて、それを悟っていったのだろう。 

 

(続きます) 

 

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新約聖書は「伝記」で始まる

2022年05月22日 | 永続確信のための聖書解読

 

 

 旧約最後の預言者はマラキだ。彼の『マラキ書』の後、預言メッセージが全く与えられない時が続く。 

 

長い沈黙の後に「新約聖書」が出現する。 

 

+++ 

 

 それはイエスの伝記、四本で始まる。 

 期間は短い。イエスの30歳から33歳半ばまでの言動を中心に記している。 

 

 この後者の時点でイエスは殺されるが、伝記は彼が復活して昇天するまでを記録している。 

 それを四人の著者が、各々独自の著書として書いている。 

  

+++ 

 

  書かれた時点順に著者を示すと、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネである。著書は日本では通常「・・・伝」と表記されている。 

 

 「マルコ伝」はヨハネと共にイエスの両脇を固めたペテロから聞いた話を元にして、マルコが書いている。 

  それを読んで、さらに取材を重ねて書かれたのが「マタイ伝」だ。 

  その伝記を読んでさらに取材を加えて書いたのが「ルカ伝」である。ルカは医師でもあった。 

 

 <「福音書」とも言うのは> 

 

 個々の伝記は「福音書」とも表記されている。「マタイの福音書」というがごときだ。 

 「福音」は英語の「グッドニュース(よき知らせ)」を漢字で表現したもので、それを「ふくおん」といわないで、ちょっと凝って「ふくいん」と読ませた語だ。 

  イエスの伝記を「good news (よき知らせ)」と言ったのは、それが、「人間が幸福に永続する方法」を知らせているからだ。 

 

<ヨハネは助さんだった> 

 

 四本目の「ヨハネ伝」は特殊である。

著者ヨハネは水戸黄門の両脇を固めた助さん格さんのように、ペテロと共にイエスの両脇を固めた弟子の一方にあたる人物だ。 

 イエスの伝道旅行に常に同行していたこともあって、彼はイエスの言動の直接情報を多量に持っていた。 

 

  それだけをもとに、取材することなく「ヨハネ伝」を書いているので、彼の伝記記述は、飛び抜けて詳細かつ正確である。 

 

(続きます) 

 

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旧約聖書は物質界の話

2022年05月21日 | 永続確信のための聖書解読

 

 旧約聖書の最後の文書は預言者マラキによる『マラキ書』だ。 

 

ここまでの書物のページ数が聖書全体の4分の三を占めている。 

 

 

 筆者の課題「聖書が人間の永続を確信させる課程」は、この大冊の中のどこにあるのだろうか、どう探求したらいいのか? 

 

 だれもが大仕事を予想するだろうが、答えは予想外。「この大冊の中には答えはない、だから旧約聖書はスキップしていい」である。 

 

+++ 

 

なぜか? 

 

「旧約で述べられているのは物質界の話」~霊という言葉は出てくるけど基本的に~だからだ。 

 

 そこには「天国」~人間が幸福に永存できる霊的世界~という言葉も一度も出てこない。 

 

 旧約では、人間が律法を守って得られるとされる祝福も、経済的富と健康、つまり物質的祝福なのだ。 

 

 +++ 

 

人間の永続可能性は、あるとすれば霊の領域にあって物質の世界にはない。 

 

物質界では、人間は肉体だ。肉体は死んで消滅しておしまいだ。そこには最初から永続の可能性はないのだ。 

 

(ではなんで聖書に旧約が加えられているか。理由は後にイエスが明かす) 

 

 

(続きます) 

 

 

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十戒

2022年05月20日 | 永続確信のための聖書解読

 

 律法文が超長大であることは前述した。 

けれども、創造主は思いやりがあるのか、この延々と長い文章の前に、それを包括するような短い「戒め項目」をもモーセに与えている。 

 

 それが「十戒」でこの語はチャールストン・ヘストン主演のハリウッド映画の題名にもなっている。 

 

「十の項目」は次のごとしだ~。 

  (いまの時点では条文の内容をあれこれ考えない方がいい。後にその奥義をイエスが明かすから) 

  

・・・・・・・・・・・・ 

 1.創造神以外の神を拝んではならない。 

     

2.創造主の偶像を造ってはならない。 

 

3.創造神の名をみだりに唱えてはならない。 

 

4.安息日を守れ。 

 (「週の中の六日目」~土曜日~が安息日)    

 

5.父母を敬え。 

 

6.殺すな。 

 

7.姦淫するな。 

 

8.盗むな。 

 

9.偽証をするな。 

 

10.隣人のものを欲しがるな。 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

   

<ユダヤ教の成立> 

  創造主はこれらの戒めを守れば祝福され、守らねば呪われるぞ、という旨をのべている。 

そこで、イスラエルの民には「律法を守る」方策は大きな関心事となった。

 

 この動きがユダヤ教に発展していく。 

 民族の中から、律法の条文やその相互関係をこと細かに研究する学者僧侶が出た。 

 

 彼らはユダヤ教団を形成し、以後それは国家宗教となり大きな影響力をふるっていく。 

 この状況は、イエスの時代にも続いていった。 

  

(続きます) 

 

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「律法」という長大な命令書

2022年05月19日 | 永続確信のための聖書解読

 

 前回には預言者という語の意味を考えた。 

細かい話が続いたが、大筋に戻ろう。 

 

 <モーセ後の預言者たち> 

 

 モーセは紀元前1500年頃の預言者である。 

 イスラエル民族には、彼の後にも50年に一人くらいの割合で、周期的に超霊感者が出た。 

 

 期間は千百年の長きにわたる。 

 その間に、エリヤ、イザヤ、ダビデ、ダニエルをはじめ二十人余の人物が出た。 

 

+++ 

 

 他の民族ではこういう超霊感者は概して宗教を作って教祖になる。 

  だがこの民族では彼らは預言者となって、運動会で生徒がバトンリレーするかのように、受けた幻の内容を言葉に書き留めた。 

 

 彼らの書物もまた保存され、二十冊以上が旧約聖書に収納された。旧訳は大冊になった。 

 

 

<モーセには「律法」も> 

 

  さて、こうした預言者のなかでも、モーセは特別な大物だった。 

  彼は天地創造の幻だけでなく、律法(りっぽう)という法文も創造主から与えられている。 

 

 律法というのは「創造神が人間に望まれる言動を述べた文章」だ。 

 これが驚異的に長い。 

  そこには争いへの対処法(「目には目、歯には歯」など)から、妻のめとり方、離縁の仕方、日常の食物の食べ方、などありとあらゆる命令が細部にわたって記されている。 

  

 これらが『出エジプト記』から『レビ記』『民数記』『申命記』のなかに~各々が長大な書物だ~延々と記録されている。 

 すべてを短い条文に分けて書くと、600から900にもなるという。 

 

 今流に言えば超マニアチックというところか。

現代でも教え始めると止まらない人を「教え魔」とかいうが、古代イスラエル民族の預言者は「メモ魔」というか「書き魔」だね。 

  

+++ 

  

 蛇足だが、この長文でもって「モーセ五書」の話が「作り話」でないこともわかる。 

 一人の人間がこんな膨大な情報を考案して書けるはずないのだから。 

  

 (続きます) 

 

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「預言者 (prophet)」はアバウトな用語 

2022年05月18日 | 永続確信のための聖書解読

 

 

 「聖書が人間の永続を確信させる課程」の探求、ここで一つキーワード(鍵概念)の説明をしておこう。 

 

 モーセのような超霊感人間を英語の聖書ではプロフェット (prophet) といっている。 

 その意味は少々複雑で、そのことはまず邦訳語の「預言者」から考えていった方がわかりやすい。 

 

 定期預金という語が示すように、漢字の「預」は「あずかる」という意味だ。 

 だから預言者とは「万物の創造主からの啓示を豊かな霊感でもって受信し、言葉でもってあずかる(書き留める)人」という意味になる。 

 

+++ 

 

 だけどそれは厳密な意味であって、実際にはこの用語は結構荒っぽく使われてきている。 

 

 モーセより500年前に生きたアブラハムも超霊感者だった。

だが、彼は受けたメッセージを一言も言葉で書き留めてはいない。 

  にもかかわらず、彼も預言者と頻繁に言われてきている。 

 

+++ 

 

「予言者」という語もある。 

これは将来を「予測する」人という意味だが、 

現実の場では「預言者」と重なることも少なくない。 

 

 預言者は、将来に関するメッセージも受信する。 

そのため彼らの言葉には先の予言が含まれることもあるのだ。 

 そこで彼らも「予言者」と言われることが起きる。 

 

+++ 

  

 

 英語の "prophet”も邦訳語の「預言者」と似たような使い方をされてきている。 

  両者ともに多義的でアバウトな言葉になってきているのだ。 

 

 だが、それでも言わんとするところは概ね伝わってきているから、まあいいか。 

 

(続きます) 

 

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祐筆は表に出ない

2022年05月17日 | 永続確信のための聖書解読

 

 「聖書が人間の永続を確信させる課程」の探求、もう一つ微妙な話を。 

 

+++ 

 

 万物を創造した自存者がモーセにまず現れたことは前述した。

この神は彼を「夢現(うつつ)併存状態」にして、天地創世の幻を見せた。 

 

 幻は映画のようなもので、動画と音声からなっていたと思われるが、自存者(創造主)はそれを言葉で記録するようにモーセに命じている。 

 

+++ 

 

 ところが、モーセは三歳年上の兄アロンに祐筆(ゆうひつ:代筆者)役を頼んでいる。 

 

 信長、秀吉、家康に限らず、実践力が飛び抜けている指導者は、霊感が超豊かだ。

だが反面、霊感受信した内容を文字に書くことは不得意である。 

 

 だからみな手紙などは、要旨を口頭で語って、祐筆に書かせている。 

 そして通常、書いた人物の名は表に出ない。 

 

 モーセの場合も例外にあらずで、アロンは黒子に徹した。

 その結果「モーセ五書」はモーセの作とされてきている。 

 

 

(続きます) 

 

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個人的時系列と歴史的時系列

2022年05月16日 | 永続確信のための聖書解読

 

  ここで留意しておくべきことがある。  

 

 前回の、モーセが自存者(創造主)と対面した場面はモーセの個人的な人生の時系列のなかでみると、モーセが創造主と直説関わる最初の時点である。 

  彼はこのとき、創造主の意図する働きができる権能(力)をも受けて、働きを開始している。 

 『創世記』冒頭に記されている、天地が創られる状況を幻で見せられるのはその後のことだ。 

 

+++ 

 

 なのにその場面を聖書の冒頭に記しているのは、モーセが自分史ではなく、世界の歴史を記述しようとしているからである。 

  世界史を記すとなれば、創世の(幻の)場面を最初にもってくるべきとなるのだ。 

 

 <創造主との遭遇場面は後の書物に> 

 

 以下、ノアやアブラハムなど、彼の祖先の話が続いたのちに、彼自身の物語が来る。 

  だから旧約聖書では、自存者(創造主)とモーセとの遭遇場面はずいぶん後に『出エジプト記』という二番目の書物のなかで語られることになっている。 

  ややこしいが、理解しておくべきである。 

 

+++ 

 

 もう一つ付言すると、モーセが自存者と対面する場面は幻の記述ではない。

モーセ自身の歴史現場での体験物語である。 

 

 このように、旧約聖書では、幻の記述と、著者の生きた時期の現実記録が混じっている。 

 これもややこしいが、留意しておくのがよいだろう。 

  

(続きます) 

 

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万物の創造主が「自存者」として登場

2022年05月15日 | 永続確信のための聖書解読

 

『創世記』では、モーセに天地が創られる様を幻で見せたのは万物の創造主ということになっている。 

 

 その創造主の登場はこう記されている~。 

 

 あるときモーセは羊の群れを率いてホレブという山に来た。

すると神が現れて、「エジプトで奴隷になっている彼の民(イスラエル人)を導き出せ」といい、モーセはこうこたえる。 

 

 

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「そうします。だが、私が彼らに『あなた方の父祖の神が、私をあなた方のもとに遣わされました』といえば、彼らは『その名はなんですか』と聞くでしょう。私はなんと答えたらいいでしょうか。 

 神はモーセに仰せられた。『わたしはありてあるものである(I am who I am)』 

   (『出エジプト記』3章14節) 

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~ここで「ありてあるもの」とは、自分が存在するのに、いかなる先行条件をも必要としなかった存在、いわば「自存者(じそんしゃ)」を意味している。 

 

 そういう方は、他の全てに先駆けて無限の過去から自ら存在し続けていたはずだ。

であれば他の万物は、何らかの形でこの自存者との関わりの中で出現しているはずだ。 

 

 すると~詳細は後述するがつまるところ~この自存者なる神は自分以外の万物を創造した唯一の創造神、ということになる。 

 

 そしてこの神が、以後聖書を一貫して流れる創造主の理念となるのであって、それがモーセにあかされたのがこの場面なのである。 

 

 

 (続きます)

 

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