鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

師匠復活の確信が大転換を!

2022年07月07日 | 永続確信のための聖書解読

 

 前回、筆者は描いた~。 

 

 目の前に現れた(波動体の)イエスは、復活した師匠であった。 

  弟子たちは、当初は「まさか・・・」であったが、しばらくしてそれを確信するに至った~と。 

 

 今回は、弟子たちのこの確信が、彼らの言動に激変を生んだことを述べる。 

 

 <罪ある者の復活はない> 

 

 ユダヤ教社会には伝統的な思想があった。 

「創造主は罪ある者を復活させることはない」がそれだ。 

 この知識は当時の社会の、ほとんど常識であり、弟子たちもその中に生まれ成長してきていた。 

 +++ 

 そうしたかれらが、なんと師匠イエスは「復活した」と確信した。 

 これは、そのままでは終わらない。 

 

 人間は皆「罪ある存在」だ。 

 罪なき存在は、創造神だけだ。 

 

 だから、師匠のイエスが復活したというのなら、師匠は神(創造神)であることにもなるのだ。 

 

 <わが主。我が神!> 

 

 実際、弟子たちは、それをも確信した。 

 たとえば、他の弟子たちに現れたイエスを、そのとき不在だった弟子のトマスは、復活のイエスと認められなかった。 

 

 次の聖句をみよう~。 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

「八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らと一緒にいた。 

 イエスが来て・・・・(中略)・・・トマスに言われた。 

『あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。 

手を伸ばして、私のわきに差し入れなさい・・・(中略)・・・』 

トマスは答えてイエスに言った。 

『私の主。私の神』」 

      (ヨハネの福音書、20章24-25節)   

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 ~「私の神」の語がトマスの口から出ている。   

復活のイエスを確信することによって、弟子たちは、自動的に、イエスが神の子(創造神)であることをも確信したのだ。 

  

<神を冒涜する若造め> 

 

 イエスは前から、自分を「神の子」と宣言し、創造主を「父(なる神)」と呼んでいた。 

  これがユダヤ人たちの怒りを買っていた。

   彼らは、律法とユダヤ教の中で「神はお一人」と固く信じていたのだ。 

 

 そこに、「私は神の子」というのが現れた。 

 これでは神が二人であることになる。 

 

 ユダヤ人たちはそれを「神への冒涜」と認識した。 

 それが故に、イエスを殺そうと機会をうかがい続けていた。 

 

 <「イエスは神」と確信する> 

 

 弟子たちも人間だ。そういう伝統的思想環境の影響を受けつつ、イエスにつき従っていた。 

  だからイエスが「自分は神の子」と言っても、「そうかもしれないなあ」というレベルでしか受け取れなかった。 

 

+++ 

  それが、イエスの復活を認めたことによって、大逆転した。 

 「イエスは神(創造神)」とも確信することになったのだ。 

  

 すると、イエスが殺される前に言っていたことも、「全て神の言葉だった」「真理だった」と認識し直すことになる。 

  

 彼らは従来、イエスの言葉を「そうかもしれない・・・」という仮説的な感情を含めて認識してきた。 

  その「仮説(・・・かもしれない、という理論)」の全てが「真理(正しい理論)」に、

弟子たちの心の内でクルリと回転したのだ。 

 

 <「諸君も永遠に生きる」も真理に!> 

 

 「私が(復活して永遠に)生きるように、諸君も(復活して永遠に)生きるのです」というイエスの言葉

(「ヨハネの福音書」14章19節)も、変わった。 

 

 仮説感覚の言葉から真理の言葉に一転した。 

 これによって弟子たちは、自分の「天国での永続」をも確信した。 

 

      もう過去のことは問題でない! 

      怖いものはなにもない! 

 

    ~彼らの言動は一変した。 

  

<『使徒行伝』が描く激変> 

  

 その状況が『使徒行伝』に記録されている。

  弟子たちはなんと、一転して「神がイエスを復活させた。我々はその証人だ!」と宣言し始めた。 

    そして、イエスの言葉を述べ伝え始めた。 

 

 +++ 

 

 その状況を著者ルカ~「ルカの福音書」の著者でもある~は、詳細に描いている。 

   ステパノという執事の殉教事例を通して、克明に描いている。 

             (使徒行伝、6章)

 

  師匠イエスが復活したという確信は、弟子たちの言動、生き様を激変させたのだった。 

 

(続きます) 

 

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