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<はじめに>
このブログは鹿嶋春平太「チャーチ」であり、ネットの教会です。
教会での中心話題は、福音であるべきです。
よくわかっています。
にもかかわらず、鹿嶋はこのところ現世的な社会問題を論じています。
理由は一つには、これから語る全てが福音に無関連な話ではないことです。
それは結局めぐりめぐって、福音のメッセージになります。
それを現世の問題も含む、大きな視野のもとに行うことに結局はなります。
約束します。
けれども、当面は現世的な話が続くでしょう。
鹿嶋は、いまユーチューブの動画で「ヨハネ伝解読」シリーズを併行して行っています。
こちらは福音メッセージそのものですので、当面それでもってご容赦ください。
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<「想像する力」が日本を救う>
本題に入ります。
鹿嶋は今、「想像」という言葉について考えようとしています。
この言葉は、重々しくはないですね。実際日本では軽いものとして扱われてきました。
「想像でものを語るなよ!」と言った具合に、使われてきました。
想像するというのは「空想すること」でむなしいというわけです。
だが 「想像する力」とは「イメージを形成する力」です。
このイメージ力が人民にないと、国としてなすべき方策は漠然とはわかっていても、
実際にはどうにもならなくなります。
これはあらゆる国についていえます。一党独裁制を取っている中国においてすらそうなります。
独裁国家においてさえ、人民の意向は政策の方向を左右します。
ましてやまがりなりにも民主制をとっている国家では特にそうです。
1,対・放射能政策
日本に目を向けましょう。
例えば、放射能問題への政策を見ましょう。
「年間1ミリシーベルトの被曝量を超えると、多数の人民に健康被害が及ぶ」
というのは世界の統一見解でした。我が国もそれを受け入れてきました。
居住者はそれ以上の放射線量の地域からは避難さすべきとされてきました。
ところが、周知のように原発事故が起きたら、我が国ではそれがなし崩しに緩められました。
一時は上限が年間20ミリシーベルトというところまで緩められた。
後に多少の反省はなされてきましたが、現在も基本的には地方自治体や国家の短期的な都合によって、
基準値は容易に変更されています。
なぜそうなってしまうか?
本来の上限が厳格に維持されるには、そういうプリンシプルに沿った政策が実現されには、
人民の大多数が一定以上のイメージ力をもつことが必要なのです。
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放射能の被害というのは、戦争などの被害と違って、
何年後というタイムラグ(時間の遅れ)をもって出現します。
多数に被害が出るとしても今すぐではない。将来のことです。
将来のことは確率の世界のことです。100%そうなるというものではない。
そういう確率世界では、将来の最悪の事態はイメージされて認識されうるものです。
人はそれをリアルにイメージできなければ、認識できないのです。
だから結局、人民の多くがそれをリアルにイメージできるかどうかで、政策が別れるのです。
元来の放射線量基準で避難をさせる政策が実現するかどうか、がそれで別れます。
大多数の人民のイメージ力が貧しければ、最悪の事態がリアルにイメージできない。
明確なイメージが結べなければ、一時は大変と思っても、時がたつにつれて実体を放念していきます。
マスコミ当事者も、興味を失っていって、報道しなくなります。
すると危険地帯の中の住民を、ぐずぐず住まわせ続ける政策になってしまう。
除染など言う不完全きわまりない政策でお茶を濁したりしてぐずぐずやることになります。
今現在、日本がそれを自ら体現して証明しています。
(続きます)