鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

「聖書」という書物の特性 7: 「新約」と「旧約」の関係

2022年09月25日 | 永続確信のための聖書解読

 

・いま『聖書』は、「旧約」と「新約」の合体本となっています。
 
・ページ数でいうと、旧約が全体の4分の3,新約が4分の1、です。
 
・だが、その思想の神髄は、すべて新約にあります。
 
・旧約は、端的に言えば、付け足しのようなものです。
 
 
<影絵とホンモノ>
 
・「新約聖書」の思想の神髄は、全て、イエスの言葉でなっています。
 
・そのイエスは、次のような言葉を発しています。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。
その聖書は、私について証言しているのです」
   (ヨハネによる福音書、5章39節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
・この時点では「聖書」はいまでいう「旧約聖書」しかありません。
 
・イエスは「旧約聖書は私のことを証言しているんだ」といっているのです。
 
・だが、旧約には、イエスという名は一度も出てきていません。
 
・ならば、どうやってイエスのことを言っているのか?
 
・他のものに投影させて、つまり、喩え、比喩を使って言うしかない。
 
・つまり、旧約は、「別のものにたとえてイエスを語っている本」ということになります。
 
+++
 
・実際、その観点から旧約を見ると、「イエスの比喩表現」と解読できるところが、次々に見つかってきます。
 
・そこで上記の聖句は、「同じイエスを、旧約は影絵で示し、新約は本物をそのまま示している」と解読できます。
 
・そうであれば、本物が現れたら、もう、影絵はいらない・・・という見解も成立するでしょう。
 
・実際、そうであって、旧約はイエスを知るための、必要不可欠な本ではない。
 
・でも、イエスを影絵で示しているのだから、くっつけておこう。
 
・そういう理由で収録されているだけのモノです。
 
 
+++
 
・それでも、利点はゼロではありません。
 
・イエスが現れる何百年も前に、イエスを(比喩でもって)預言していた、となれば、なんとも懐かしく、過去を追想する気持ちにさせてくれるでしょう。
 
・また、比喩を解読するという作業は、頭を良くしてくれます。
 
+++
 
・しかし、旧訳はそれだけの本です。
 
・『聖書』は、「新約中心」の本なのです。
 
 
        (「聖書という書物の特性」 終わります)

 

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「聖書」という書物の特性 6: 「福音書」と新約聖書の成立

2022年09月23日 | 永続確信のための聖書解読
 
・前回、こう述べました~。
 
・復活したイエスを直接目撃して、弟子たちは、突然変容しました。
 
・身の危険も恐れずに「神がイエスをよみがえらせた。我々はそれを目撃した!」と証言し始めました。
 
・~今回はその続きです。
 
 
<福音書>
 
 
・イエス証言者の中から、「このことを文書に書き残そう」と志す人も出ました。
 
・「自分たちが死んでいなくなっても、後世の人々がこれを知ることが出来るように」との思いを実行する人が出たのです。
 
+++
 
・かくしてイエスの伝記(最後の三年半の生涯を中心とした伝記)である小冊子が書かれました。
 
・四人の著者が、各々自分の「イエス伝」を書きました。
 
・これらは福音書(ふくいんしょ)と呼ばれています。
 
・「福音」とは「福をもたらす知らせ」(グッドニュース)という意味です。
 
 
 
<四福音書を中心に>
 
 
・これら四本の福音書(イエス伝)は「四福音書(しふくいんしょ)」と我が国では呼ばれています。
 
・そしてこれを中心に他の文書(伝道用の手紙など)も収録されて、新しい聖書「新約聖書」が出来上がりました。
 
 
+++
 
・福音書があるから、いま、私もイエスのことを書いておられるわけです。
 
・なかったら、イエス情報は弟子たちが死ぬと、時の流れの中でうわさ話になり、風化したでしょう。
 
 
         (続きます)
 
 
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「聖書」という書物の特性  5: 奇跡で証拠づける

2022年09月21日 | 永続確信のための聖書解読

 

・イエスの教えはスケールだけみても、超大でした。
 
・彼は、自分の教えが事実であることを、奇跡(しるし、ともいいます)で証拠づけようとしました。
 
・最も多い奇跡は「癒し(いやし)」でした。
 
・ライ病の人を癒やしたり、足萎えの人を歩けるようにしたり、盲目者を見えるようにしたり、聞こえない者を聞こえるようにしたり、という奇跡を次々に起こしました。
 
 
+++
 
・それでも弟子たちをはじめとする人々は、その教えがまことであり事実であるという確信を、今ひとつ抱ききれませんでした。
 
・それらの奇跡は弟子たちを、「イエスに期待してついていく」という気持ちにはさせましたが、それ以上にはなりませんでした。
 
 
+++
 
・理由の一つは、上記のような奇跡は、~イエスほど連発でないにしても~過去の預言者もなしていた、ことにあったと思われます。
 
・それらの奇跡は、モーセやエリアなども過去になしていた、「預言者レベル」の奇跡でした。
 
 
<死んで復活して確信させる>
 
 
・だが彼は、過去の誰もしなかった奇跡をも行いました。
 
・イエスは、「人間が天国に入れるためには、その罪をなくする必要がある」、「それを自分の死で代償する」、と宣言し実際に殺されました。
 
・有名な十字架刑死です。
 
 
・そして予告通りに、死んで三日後によみがえって(復活して)、弟子たちの目の前に現れました。
 
・これはもう、「格が違う」というか、種類もレベルも段違いな奇跡でした。
 
 
+++
 
・イスラエル民族には、よみがえることの出来るのは、「罪なき」神の子だけ、という鉄則思想がありました。
 
・実際、世界が創られて以来、人間が死んでよみがえったという事件はありませんでした。
 
・弟子たちは、再び現れたイエスを肉眼で見て、「この人は神の子だ」と完全に確信しました。
 
 
<従来聞いてきたイエスの言葉が神の「真理」に一変>
 
 
・そうなると、弟子がそれまで、イエスから聞いていて、今ひとつ確信持てなかった言葉も、彼らのうちで一変しました。
 
・そのことばが、神の言葉(真理)だったと、彼らは認識するようになったのです。
 
 
+++
 
・弟子たちは別人となりました。
 
・彼らは殺される危険も恐れずに、大胆に宣言し始めました。
 
・「神がイエスを復活させた。我々はその証人だ!」と。
 
 
+++
 
・彼らは、イエスのそれまでの言葉も、創造神(神の子)の言葉として、伝え始めました。
 
・弟子たちの伝道には、癒やしなどの力も伴い現れました。
 
・それが人類世界に広がって、現在、我々日本人もイエスを知るようになっているわけです。
 
 
    (続きます)
 
 
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「聖書」という書物の特性 4: 「天国」という新空間

2022年09月19日 | 永続確信のための聖書解読

 

・さて、これから「新約聖書」の説明に入ります。
 
・「旧約聖書」は一言で言えば、自称創造神から幻や声で与えられた啓示メッセージの記録集でした。
 
・メッセージは預言者と呼ばれた、25人余の「超霊感者」たちが受けて、記録してきました。
 
 
<空白期間の後に>
 
・最初の預言者モーセはBC1500年頃の人でした。
 
・それから1100年が過ぎて紀元前400年頃になると、イスラエルの民に、創造神から啓示のメッセージが全く与えられなくなりました。
 
・その間、預言者と言える人物も現れない。
 
・そういう空白期間が400年続きました。
 
・そしてそのイスラエル民族の中に、イエスが登場しました。
 
 
<天国の存在を知らせる>
 
・彼は、自分は創造主の子だと宣言して、「旧約聖書」を踏まえながら人々に多くのことを教えました。
 
・その中には、旧約聖書には全くない言葉「天国」もあります。
 
・この語は「旧約聖書」には一度も出てきません。
 
 
<新しい空間イメージ>
 
 
・天国の概念は、従来の空間理念に新境地を加えました。
 
・人々は従来、自分の頭上には、いまでいう宇宙(人間もその中に住んでいる)のような空間だけしかイメージしていませんでした。
 
・人間がその中に住む空間とは、いわゆる「世(よ)」でもあります。
 
・だが天国は宇宙の、さらに上方の、宇宙とは性格の異なる空間です。
 
・これを取り入れると、聖書の空間理念は、図のようになります。
           (クリックすると大きくなります)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
+++
 
・そこは創造神の御国だという。
 
・そこでは「全てのものが永遠」で、死もなく、
 
「偽り」も、「裏切り」もなく、
 
見る者の心をつらくする「惨めな人」もなく、
 
病も苦痛もなく、
 
「自慢する気持ち」も「羨む気持ち」もなく、
 
心は「喜びに満ち」て、
 
「すべてが平和」です。
 
・イエスは、我々が住む空間(宇宙)のさらにその上に、そういう広大な空間(「神の御国」)がある、と教えました。
 
 
(続きます)
 
 
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「聖書」という書物の特性 3: 旧約聖書

2022年09月15日 | 永続確信のための聖書解読

 

・筆者は、神イメージを示す図を、下記のようにつくってみました。
 
・在物神と創造神という二つの二つの神イメージを直感的に理解する助けになることを願って。
 
 
 
 

 
 
・図の水色の楕円は、物質を示しています。
 
・その中の、黄色の楕円に書かれた「神」は「在物神」を示しています。
 
・点線の円の外側に書かれた「創造神」はそれら全てを創造した神を示しています。
 
・万物を創造している創造神は、自ら無限の大きさを持っていて、自らの懐のうちに、物質と在物神(という霊的存在)とを抱いている。
 
  ~そういうイメージを得るのに助けになれば幸いです。
 
 
 
<「もーセ五書」と共に収録される>
 
 
・さて話を戻します。
 
・モーセ以後の預言者たちも、自称創造神からのメッセージを、創造神から啓示されたものと信じて記録しました。
 
・イスラエル民族は、彼らの記録も創造神からのメッセージと信じて保存していきました。
 
・それらは後に、「モーセ五書」と共に『旧約聖書』(いまでいう)という大冊の書物に収納されます。
 
・その著者(預言者)の数は、著者として名前が残っている人物だけでも、20人を超えます。
 
 
 
<やはり啓示を受けたのか>
 
 
・「旧約聖書」に収納された諸巻は、全体として壮大な歴史イメージ世界を形成しています。
 
・こうなると、「そんなものは人間が考えて書いたもの」と、簡単にはいえなくなってきます。
 
・各々の著者は人間ですから、100年もすれば、死んでいなくなります。
 
・そういう人々が、1100年間にわたって互いに連携して、全体として歴史イメージ世界を形成するように、各書物を考えて書くなどということは、困難です。
 
・やはり、創造神が全体が体系的なメッセージになるように、啓示を与えたのではないか、とも考えられるようになるわけです。
 
・それもまた、神学の研究課題となりますが。
 
 
(続きます)
 
 
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「聖書」という書物の特性 2: 創造神という神イメージ

2022年09月14日 | 永続確信のための聖書解読

 

<在物神イメージ一色の中で>
 
 
・在物神のみという人類史の中で、紀元前1500年頃、驚くべき事件が起きました。
 
・モーセという、霊感に卓越した一人の人物に、「オレは万物の創造神だ」と自称する存在から、幻と言葉でメッセージが与えられはじめたのです。
 
・この自称創造神は、与えたメッセージを書きのこせ、とモーセに命じました。
 
・メッセージは、この世が始まってからモーセの時代までの歴史を中心に、様々な事柄を語っていました。
 
 
 
<超霊感者、受信内容を書き遺す>
 
 ・モーセはそれを、創造神からの幻と「信じて」、文字に書き残しました。
 
 ・彼が属したイスラエル民族の人々もまた、その記録を創造神からのものと「信じて」、保存しました。
 
 ・彼が書き残した書物は、現在の「旧約聖書」の最初の五巻に納められています。
 
 ・これらは「モーセ五書」といわれています。
 
 
<預言者>
 
・こういう話を聞くと、「そんなものはモーセが考えて書いたもの」だと思うのが常識です。
 
・ところが、モーセのような超霊感者は、彼の後にもイスラエル民族の中に、1100年間にわたって周期的に出現しました。
 
・平均すると、50年に一人くらいです。
 
・超霊感者たちはモーセも含めて、「預言者(よげんしゃ)」とも呼ばれるようになります。
 
・自称創造神からのメッセージを受信して「預」かり、「言」葉で保存する「者」という意味です。
 
 
 
<言葉による理念が先>
 
・「誰かが考えたのか」、「創造神自身の言葉か」は、はどうであれ、この創造神という神イメージは、在物神の神イメージと対照的な面を持っています。
 
・この神イメージは、在物神のように、人の心情に「自然発生しない」のです。
 
・それは、モーセに与えられたように、外から言葉で与えられて、初めて心に存在するようになります。
 
+++
 
・「万物の創造神」という神イメージは、「オレは自分以外の全てのものを創造した存在」という理念、概念を最初から持っているのです。
 
・「創造した神」という理念を聞くと、人の心には、初めてそのイメージが形成されます。
 
・「理念・言葉が先」「イメージ・感慨が後」・・・これが創造神という神概念の特徴です。
 
 
・だから、モーセが聞いて伝える前には、創造神の理念は、人類の意識の中にはありませんでした。
 
・いまでもその理念は言葉で「伝えられる分だけ」、人類世界に広がってきています。
 
 
 
<理念は展開する・・神学の形成>
 
 
・理念は理屈・理論もっています。するとそれを踏まえて人間は考えますから、また理屈・理論が展開します。
 
・たとえば、万物を創造したのなら、その神は無限に大きいのではないか、と人間は考える。
 
・もし空間的に有限ならば、その外側のモノは「オレが創った」とは言いがたいだろうから、・・・とかの理屈を人は考えるわけです。
 
+++
 
・こうして、創造神は「空間的無限者」という性格(属性)をもっている、と言う理論が新しくできます。
 
・以後、そこからまた、次のような理論も展開するでしょう。
 
・「だったら、時間的にも永遠の過去から永遠に未来にわたって存在する」・・・そういう時間的無限者でもあるはずだ、という具合に。
 
+++
 
・言葉は後の預言者にも、また新しく与えられます。
 
・創造神は、天使という霊的存在を創っている、といった具合に。
 
・また、創造神は律法(りっぽう)という命令(戒め)をモーセに与え、イスラエル民族に伝えさせた・・・といった具合に。
 
+++
 
・それらの間の関係、もまた、筋道だって考えられるでしょう。
 
・こういう理屈の探求を「神学」活動といいます。
 
・「神学」は英語の「セオロジー(theology)の邦訳です。
 
・創造神の神イメージからは、神学という知的・精神作業が展開するわけです。
 
 
+++
 
・創造神の神イメージから展開する筋道、論理を探求する作業は、学問として大学でなされたりもします。
 
・探求の方法や結果が、学生に教えたりもされます。
 
・これが「神学部」です。
 
・日本にも、新学部のある大学が沢山あります。
 
・同志社大学、関西学院、西南学院などはその例です。
 
 
(続きます)
 
 
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「聖書」という書物の特性 1:人は神イメージを抱く

2022年09月13日 | 永続確信のための聖書解読

 

前回、聖書という書物を、一家に一冊、誰でも手に取ってみられるようなスポットに常備せよ、といいました。
  子や孫のための旧統一教会対策として、そうすることを勧めました。
 
 
「わかった、そうしよう」と応じたらそれでいい。それで満点です。
 
その上で、時間の余裕がある方に、少しおまけを追加しましょう。
 
「聖書というのは概略、どういう性格の本なのか」を、この機会にお話ししておきましょう。
 
まず、「神のイメージ一般」を考えることから始めます。
 
 
 
<「見えない影響者」>
 
 
・人間は、気がついたらこの世に生きています。
 
・そして、生きるなら、なるべく豊かで、健康で、安全な生活を送りたいと願います。
 
+++
 
・するとそれらを促進したり悪化させたりする原因が気になってきます。
 
・原因には、目に見える物質だけでなく、目に見えない霊的なものもありそうです。
 
+++
 
・その肉眼では見えない原因を思うとき、人は「神」というものをイメージします。
 
・神とは定義(別の言葉で言い換えること)すれば、「見えない影響者」です。
 
 
 
<心に自然に湧く「神イメージ」>
 
・その「見えない影響者」である神を自然に思う仕組みはこうです~。
 
・まずモノ(物質)を認知します。
 
・それからその中に存在している神様を意識します。
 
 
・例えば、山道を歩いていて巨大な木や巨岩に対面すると、その中に神様がいるのでは、と感じます。
 
・古い建物をのぞくと、中に狐の神様がいるのでは、と想像します。
 
・そのほか、石の地蔵さんや木に彫刻した仏像の中にも、人間は「見えない影響者」(神)を感じます。
 
 
<韓国の「ハヌニム」>
 
・山や川や海や空も大きいですが物質です。だから人はその中にも神がいると感じます。
 
・韓国では「空に存在する」と感じられる神様を「ハヌニム」といいます。
 
・「ハヌ」は「空の」、「ニム」は「尊い方」という意味で、「空におられる尊い方」です。
 
 
<在物神>
 
・このように、「物質の中に存在する」と感じる神は、在物神(ざいぶつしん)と名付けることが出来ます。
 
・「物」の中に、存「在」する、「神」さま、と言う意味です。
 
・まず物質を認識し、それからその中にいるだろうとイメージする神様ですね。
 
・こういう神イメージは、すべての人の心理に「自然発生」します。
 
・だから、世界中の人類は、様々な在物神を心に抱いて、生きてきています。
 
 
 
<在物神には仲介者が発生>
 
・在物神イメージの中身(実体)は、ジーンと感じられる感慨です。
 
・感慨は「感情」ですから、その神様がどういう神かという「言葉による理屈・説明」がありません。
 
・でも人はそれがどんな神様で、どんな助けや罰を与えるのか、知りたいです。
 
+++
 
・すると「知りたい」という欲求に応じるように、「私は神様と交信できますよ」「神様との間を仲介しますよ」と自称する存在が現れます。
 
・これはもう、どの社会、どの民族、どの国においても、出現します。
 
・日本での邪馬台国の卑弥呼はそのハシリですし、天皇の祖先もこの自称仲介者からはじまっています。
 
・これをカタカナでいうと「シャーマン」です。
 
・シャーマン(自称仲介者)は世界中いたるところに、出現し存在します。
 
 
<神官も自称仲介者>
 
 
・今の神社で働いている神官も、もとは自称仲介者です。
 
・これが伝統化、慣習化して「世の習わし」になった人です。
 
・最近、鹿嶋の住む住宅団地が、公民館を作りました。
 
・自治会長がその建造式のため、神社にお祓いを依頼したら、20代の若い神官がやって来ました。
 
・自家用車でやってきて、白いユニフォームに着替え、白いギザギザの紙を振ったりして、儀式をしました。
 
+++
 
・そして、あるとき、突然「おごそかな低音」になってなにやらうなりはじめました。
 
・神様の声を仲介しているつもりなのですね。
 
・昔ながらの仲介者の役割を、鹿嶋は、とても楽しく、拝見しました。
 
 
<在物神は「神々」になる>
 
・人は、様々な物質をみて、その中に在物神を感じます。
 
・モノはいろいろありますから、必然的に、神様は複数になります。
 
・各々の神様は「感慨」で理論がありませんから、他の神様との関係を示してはくれません。
 
・必然的に、在物神は、「各々が思い思いに存在すると感じる」複数の「神々」になります。
 
・人々は、それら各々に、思い思いに手を合わせることになります。
 
+++
 
・「日本は多神教だから・・・」との見解をよく耳にしますが、それは、ある神思想・神理論にしたがってそうしているのではありません。
 
・在物神でやってたら、結果的にそうなっていた、というだけのことです。
 
 
(続きます)
 
 
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本物の「聖書」をリビングに

2022年09月12日 | 永続確信のための聖書解読

 

ブログでの「聖句自由吟味」試行、 

なかなか簡単には進行しない。 

 提示テーマが難しかったこともあったようだ。 

 

今回は、(旧)統一教会対策をもう一つのべておこう。 

 

+++ 

 

先回、聖書を改造した新宗教に、子や孫が飲み込まれないようにする策として、「聖書の基本思想を教えておけ」、といった。 

  とはいえ、多くの祖父母、親にとってその理念を教えるのは簡単ではないケースが多いだろう。 

 

 今回は、それよりももっと実行が容易な防止策を述べておく。 

  

<家に一冊常備> 

 

それは「聖書」という書物を手に取ってみられるように、一冊常備しておく、ことだ。 

  本物の「聖書」をリビングのような、手に取って見やすいところに、おいておく。 

 

+++ 

 

手に取ってみると、それがどういう厚さの本か、体感できる。 

   内容は難しくとも、どんな感じの本かも、実物に触れたらある程度わかる。 

 

たとえば~ 

 

・・・・・・・・・・・・・・・ 

「旧約聖書」と「新約聖書」という二部構成になっているな・・・。 

 

「旧約聖書」の冒頭には、この世がつくられた様の話が書かれているな・・・。 

 

「新約聖書」のはじめには、「・・・による福音書」という題名の書物が四本ならんでるな・・・。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 ~こういうことは、内容が理解できなくても感蝕できる。 

 

  そうすると、案内された改造キリスト教の勉強会で、改造聖書を「聖書です」と与えられても、違いが観察できる。 

 

  「なんか、本物の聖書とエラいチャウな・・・」とすぐ感知できる。 

 

    こうして言われるままに誘導されていく危険を回避できる。 

 

<3~4千円は安いもの> 

 

聖書は大冊で、一冊3~4千円する。 

 だけど、知らずに誘導されて、夢遊病者のようになって何百万、何千万と寄付させられる危険は回避できる。 

  信仰者の献身とかいって、「ただ働き」させ続けられたりするのも避けられる。 

   それらの危険に比べたら、安いものだ。 

 

大きめの本屋ででも、ネットででも簡単に買える。 

 本物の「聖書」をリビングのような、手に取って見やすいところに、おいておくことだ。 

 

(続きます) 

 

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自由吟味方式を体験してみよう!

2022年09月05日 | 永続確信のための聖書解読

 

 鹿嶋はこのブログで「キリスト教会の思考停止打開策」を5回述べた。

             (202208.06 ~ 08.22  )

 

唯一の打開策は、聖句自由吟味方式だと述べた。

 いまこれを理屈だけでなく、実際にここ(下のコメント欄)でやってみようと思う。

 

+++

 

現在、アクセス個人数が毎日200人近くある。

  たまたま「鹿島春平太チャーチ」というブログを開いたという人もおられるだろうが、常連もおられるはずだ。

 

どなたでもかまわない。自由に見解を述べてほしい。

 互いに自由な見解を、相互吟味し合う体験をしてみたい。

 

   とりあえず、鹿嶋がリーダー役を務めよう。

 

<死後の信徒はどこにいるか?>

 

 今回のテーマは、「信徒は死後、イエス再臨までどこにいるか?」にしよう。

 イエス再臨の際、地上にいる信徒は、身体が霊の身体に変化して、空中に上がってイエスと会う。

  これは日本では掲挙(けいきょ)とも呼ばれ、第一の復活と言われているようだ。

 

+++

 

このとき、すでに死んでいる信徒の霊もまた霊の身体に復活する。

 それはいいのだが、そのときまで、その信徒の霊たちはどこでどうしているだろうか?

   それをみんなで聖句的に考察してみたい。

 

 では、思うところある人は、この下のコメント欄によろしくお願いします。

 

    (面白かったら続けます)

 

コメント (6)
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臨時版2:比較材料を持たない危険

2022年09月02日 | 永続確信のための聖書解読

 

前回の続きだ。 

聖書の根本思想(福音)を聞いていれば~、

 

「神様のたっての目的は、この地上に楽園をつくることですよ」と言われても 

 

   「あれ? 天国に導き入れてくれることでなかったの?」と比較することが出来る。 

 

+++ 

「地上楽園を実現するためには、イエスは殺されてはいけなかったんですよ」といわれても~                               

  「ずいぶん話が違ってきてるなあ」と思える。 

 

+++ 

「でも大丈夫。神様は私(教祖)という究極の救い主を送ってくださっているから」といわれても~ 

 

  「あらら! 救い主が置き換わってしまった」と気づくだろう。 

 

<世界観の力> 

 

福音の知識がなければ、「勉強会」での宣伝情報に押し流されるのみだ。その世界観を注入・形成されるがままとなるしかない。 

 そうなったら、その世界観の中で、「あなたのなすべきこと」が示唆され、それに従うのみとなる。 

 

 外部者が脱出させるにも、その世界観を吟味する姿勢を持たせないことにはばどうにもならない。 

 

+++ 

 

「オウム教団事件」の林郁夫だったか、彼もそれだった。 

  慶応の付属校から医学部を出て、その大学病院の医師になっていたと言えば、人は最高レベルの知性を想像する。

   だが、見えない領域も含めた世界観においては、そのレベルは幼稚園児並みだった。

 

  注入された世界観の中で行動を示唆されたら、言われるままに、夢遊病者のように地下鉄でサリンをまくしかななった。 

         年老いた母親は「長く生きすぎた」と嘆いた。 

 

 きちんとした世界観を持ったことのない人間に対する、世界観の人間呪縛力はすごいよ。 

  みなさんの子や孫も、同じ危険の中で生活を送るのです。 

 

 聖書の根本思想を「知らせて」おきなさい。 

 

(続きます) 

 

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臨時版:聖書の根本思想

2022年09月01日 | 永続確信のための聖書解読

 

統一教会問題がマスコミで一大テーマになったとき、筆者はこのブログでも自説をのべてきた。 

  旧統一教会による、国民・国家の迷走・・・これを打破する手段は、聖書本来の根本思想を知ることにのみある、と。 

 

 だが、その本体を示さなかった。 

     いま、それを追加しておこうと思う。 

+++ 

 

聖書の根本思想は次の三つのポイントで示せる。 

 

① <天国の存在を知らせる> 

 

    万物の創造主がこの世に送った「ひとり子」イエスは、

        人間が永遠に幸福に生きられる霊的空間・・・「天国(創造神が王として統治する世界)」があることを、

                 初めて人類に知らせた。 

 

② <罪の代償を予告し十字架刑死する> 

 

       イエスは、人の霊がそこに入れるため、その罪を自らの死でもって代償する、と宣言し、

                  十字架刑死した。 

 

③ <復活の姿を肉眼視させ確信させる> 

 

     弟子たちは、イエスの死を目にしても、その言葉にいまひとつ、確信もてない状態のままだった。

         

       ところが復活の姿を肉眼で見て一変した。 

            イエスが神の子であると確信し、それまでの言葉が口だけのものでないと悟った。

 

    「イエスは復活した、我々はその証人だ!」 

             彼らは大胆に証言しはじめ、福音は今日我々日本人が知るまでに広がった。 

 

          復活の五感認知は、決定的事件だった。 

 

*** 

 

 聖書の根本思想は以上の三つからなっている。 

     弟子たちの同世代人の中から、それらのことを書き残す人が現れ、

     四本の福音書(イエスの伝記)が今日まで一連の事件を文章で伝えてくれてきている。 

 

   (その文章から、復活のイエスの姿を肉眼で見ることが出来るか、の考察を今、しているのである。 )

 

 

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 我々は、この根本思想を自分の愛する子、孫にも知らせねておかねばならない。 

   聖書の要点をすり替え、それを聖書の世界観の枠組みを使って語り、洗脳しようという輩は、

      これからも引き続き出る。

             それが「世」だ。

 

   基本思想を知らねば、子も孫もその改造世界観にとりこまれ、

     隷従するという悲惨な人生を送ることになる。

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  オウム教団事件でもそうだったが、

    説得しても我が子を洗脳状態から目覚めさせられない親や祖父母の苦しみは、いかばかりか。 

 

  聖書本来の根本思想は早いうちに知らせておかねばならない。 

    信じさせるのでなく、知識として「知らせて」おかねばならない。 

        自分が地獄の苦しみにあわないために。 

 

(続きます)

 

コメント (6)
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